チーコと私の病床日誌(110)

1月10日、雨、午前中、洗濯物をエアコンで乾かす。弁当やパンばかりで味気なく、夕方から、スーパーで、野菜や肉団子,椎茸などを買い込み、鍋の支度をする。隣の農家から買った米を炊いて、久しぶりの手作り料理。美味かった。腹一杯食べて、落ち着いた普段が戻ってきた。
1月14日、曇、日中、洗濯物をエアコンで乾かす。
1月15日、夜、テレビで日本の童謡を聴く。このように荒れた時代には懐かしい。
1月16日、朝ゴミ出し。気温16度。午後3時半から、表の竹生垣の一部と、百日紅の剪定。
1月18日、朝曇、洗濯物をエアコンで乾かす。
1月20日、午後3時から、厚くなった生垣の竹をまばらに剪定して、透かしを入れ、5時半に終わる。少し寒かった。
1月23日、朝曇、洗濯物をエアコンで乾す。妻の病い

1月26日、妻の病い
 食欲が無い。何かをしたいという気持が出ない。いつからこんな状態になったのだろう。考えれば、妻が介護を受けるようになってからだ。脳梗塞で倒れた妻は、左半身不随。今は、特別養護のホームで車椅子生活をしている。軽度の認知症もあるので、見舞いに行っても、食べ物をねだるだけで、言葉がはっきりしない。呆けた顔を見ても悲しいばかりだ。
 私にとって、妻は生きがいだった。いろいろ文句も言われたが、妻の喜ぶ顔に何度も救われた。もう一度だけでもいい。自分の足で立ち上がってくれたら。ホームの手摺りに掴まらせて、リハビリをするが、きついと言ってすぐやめてしまう。
 もう、独り暮らしも5年になる。寒い外から、只今と家に帰っても、誰からも返事は返ってこない。誰も居ない家。家の南西に大きな渋柿の木がある。祖父が植えたもので、もう樹齢百年は越すだろう。幹の太さは二抱え。ぐねぐねと曲がりくねった大枝が垂れ下がっていて、何も無い曇天をかきむしっているように見える。
 夕方になって、日が射してきた。赤く染まった雲が、渦を巻くように散らばって何かを話しかけてくるようだ。 夕日の前方に門が見える。門の前で誰かが手招きしている。まぶしい光明に包まれて‥‥それは昔亡くなった母のように見える。 
 暗くなって、居間で独り、スーパーの弁当を食べる。味気なく悲しい。どこかで、犬が吠えている。遠く、電車の音が伝わってくる。
 母が生きていたら、「今のすべてを認め、受け入れなさい」と言うかもしれない。でも、今の状態を認め、そのまま受け入れることが、この私に出来るだろうか。私は、いつも、自分ではどうにもならないことを考えてひとりいらいらしている。