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クロサキイオンの徒然草

2012-01-24 それでも恋するバルセロナ

昨日、用事が重なってしまった親戚の変わりに、浅草中村座で新春歌舞伎を見てきました。5月まで隅田川沿いに中村座があるので、入ってみるといいです。

中村七之助の文字通り七変化に目を奪われつつ(めちゃくちゃ美しい。レスリー・チャンの女形姿と同じぐらい目が丸くなった!)、とてもいい気分になって帰ってきたのもつかの間、

その後帰ってきて見た映画の、

何というか、

うーーーーん。。


それでも恋するバルセロナ」を視聴してみました。

D

この映画に関して、ウディ・アレンと聞いていただけで何かイヤーな予感がしてしまい(「ウディ・アレンの夢と犯罪」があまりにも個人的につまらな過ぎて、途中で見るのをやめた)、ちょっと警戒してみていたんですけれど、

感想を先に言うと、


脚本や画面は一定のクオリティを保っているんだろうけれど、見ている人間が理解できるか、と言われたら必ずしもそうではない、っていうか、理解できない人が入るって言われたらすっごい納得するし、ぶっちゃけどこをどう理解していけばいいか不明。脚本にはおそらく「伏線」はそんなになく、見ていたとおり流れのままのストーリーなのであって、「ここがこうなって何故かこうなる」という、話が淡々と進む割に見る人間の予想を超えることがたびたび起こる。そこが楽しいと思えるかシラけるかで好きかどうかが分かれる。

個人的にはベッキーとクリスティーナが惚れたスペイン男にキャラクターとして魅力を感じなかったし、バルセロナにいる間、何故二人がこの男に惚れたのかの必然性があまり感じられず、楽しめたとしてもちょっとした苛立ちが残るし、理解できるかどうかといわれればそうでもない部分はある。ただ、ペネロペ・クルスは素晴らしい。

結構流し見だし一回しか見ていませんし、抜けてる部分があります。

とりあえずどっから突っ込んで言ったらいいかわかんないので、全部説明していきます。


・ベッキー(レベッカ・ホール)とクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)は親友で、二人でバルセロナに旅行に訪れた。ベッキーは論文の為に、クリスティーナは短編映画を作ったばかりで気分転換の為に。

→ここの時点でこの二人の簡単な性格や恋愛に対する思想の違いなんかが説明される。ベッキーは真面目で男性には誠実さと安定を求める。クリスティーナは奔放で恋愛に対しては情熱を求める。

ちょっと思ったんだけど、スカーレット・ヨハンソンって、黄色っぽい金髪ってめっちゃ似合わないんだな。地毛が金髪だけど、それ以上に染めてるのが丸わかりなのはちょっと。それよりも眉毛か。


・美女二人(ベッキーとクリスティーナ)がバルセロナに着いて夕飯を食べていると、建築家で画家のエロ男・フアン(ハビエル・バンデム)が登場。

→この映画のキーマンであり、私にとってのこの映画の癌が登場。


・フアンは美女二人を週末街を案内するから、これからどこかに一緒にいかない?と露骨にベットに誘う。クリスティーナはOKしたが、いざベットに入ると胃潰瘍を起こす。ベッキーもいい気分になるが……。


・ベッキーもクリスティーナもだんだんとフアンに恋をしていく。しかしベッキーには実は婚約者がいた。この夏の旅行は独身最後の旅行だったのだ。ベッキーはフアンとイイ関係になるが「やっぱりアナタはタイプじゃないから」と一応は自制心が働いてはいたが……。

→この辺のくだりのとき、ワタクシコーヒーを入れに台所に引っ込んでいたのですが、コーヒーを入れる前はクリスティーナとセックスしていたのに、コーヒー入れ終わって戻ってくるとベッキーとセックスしているという展開に脳みそがついていかなかった。


・ベッキーはバルセロナで結婚式を挙げてハネムーンに出かける。クリスティーナはフアンと同棲していたが、突然フアンの元妻・マリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)が訪れて、3人で何故か一緒に暮らすことに。

→何でつれてくるんじゃ、と思っていたが、ここからは怒涛の展開が待っているので突っ込みは割愛。


・最初は微妙だった3人の関係だが、田舎でサイクリングしたことをきっかけに仲良くなる。クリスティーナは自己表現として詩や映画に足を踏み入れていたがなかなか上手くいかない。しかしマリア・エレーナはクリスティーナの写真の才能を認めていた。写真にのめりこんでいくクリスティーナ。マリア・エレーナとフアンはクリスティーナのために地下に暗室を作る。恋人だったときのマリア・エレーナとフアンは喧嘩ばかりしていたが、クリスティーナがいることにより、安定した関係になっていた。一応は三角関係であるが、3人が3人ラブラブな関係に。

→ここでペネロペ×ヨハンソンという珍シーンが。「君はバイセクシャルなの?」「違う、私は私よ」というベッキーの旦那とクリスティーナの会話。この一連の流れが一番面白かった。


・一方のベッキーは語学学校に通っていた。語学学校で一緒になった男(名前忘れた)に話をかけられ、「君は早すぎた結婚に少し後悔しているんだ」といわれる。

→ベッキーはベッキーでフアンのことが忘れられない。アレはマリッジ・ブルーじゃなかったのか。でも結婚したんだから、その辺は吹っ切れ!


・関係が安定したクリスティーナだが、今に何かひっかかりを感じてしまい、2人に向かって「ここを離れる」と発言。情緒不安定を引き起こすマリア・エレーナ。クリスティーナは数週間かけて二人に相談し、彼女は結局ニューヨークへと帰っていった。クリスティーナのかけた二人の関係は崩れてしまい、結局マリア・エレーナもフアンの元を去ってしまう。

→ここまで見ていても、このフアンがこの3人の女性に対してどこまでちゃんと向き合っているかどうかが不明。説得している部分はあっても、なんかなぁ……。


・二人の美女が去ってしまったフアン。ここでベッキーに電話して昼食に誘う。ベッキーは断りきれずに、「スペイン語の先生」と旦那にいってフアンの元に行く。やっぱりちょっといい雰囲気になるが、そこに銃を持って発砲しながらマリア・エレーナが登場! マリア・エレーナの銃弾でベッキーは手を怪我してしまう。

→何で行くんだよーと思ったんですが、真面目な割りにグラグラ動きすぎたベッキーが「あんたは二人がいなくなってそれで私を呼んだだけよ!」(うろ覚え)としっかり言ったのはよかったと思いました。その後「付き合っちゃいられんわ!」と帰ったのもね。


・スペインから帰った二人。ベッキーは旦那と新居を経て安定を得、クリスティーナは自分探しを続けた、で終わり。

→基本的に「この二人のバルセロナでの恋」は終わったのでそれが映画の終わりとなった……でいいんですよね。




僕がこの映画で完璧に「イイ!」と思った点は、ペネロペ・クルスがクリスティーナもベッキーも完全に食ってる存在として出てきている点です。恐らくこの映画で一番出番が多いのってヨハンソンですが、ロペさんが出てくるとちょっとヨハンソンの存在がかすれるかなぁ。この映画でロペさんはちょっと精神が逸脱しちゃってる天才的な画家という立場で、でも自殺を繰り返したり情緒不安定な行動をたくさんしている困ったさんなんですけど、本当にクレイジーに見えるのでここは凄い。


で、問題は、ハビエル・バンデム扮するフアン。(ちなみにこの映画の2年後、ハビエル・バンデムとペネロペ・クルスは結婚する)。これがなぁ……私が持っている「スペイン男の欠点と長所の紙一重」の部分を表した典型的な男であり、今回はちょっと欠点のほうが強く感じた。しょーじき、女性に対しては情けねー男じゃないですか? 

私はキャラクターとして、情けない男が嫌いじゃないんです。まぁ、ヘタレ、とかよく言うじゃないですか。ヘタレ主人公とか、ヘタレ男とか。ライトノベルにだってそんな情けねー主人公掃いて捨てるほどいるんです。

でも、そんなヘタレ主人公が何故「愛すべきヘタレ主人公」になっているのか、というと、情けないなら情けないなりの、「情けない魅力」というのがあるからでしょ? もしくは「情けなくても、ある一部分に置いては情けなくはなくなる」とか、「(自分がヘタレだという)自覚症状はあるけど、だからこそ自らの成長を求める」というようなものでしょう。ライトノベルを引き合いに出して悪いんですけれど、「鋼殻のレギオス」のレイフォンが、あれだけヘタレでヘタレでヘタレでも「ヘタレを肯定に持っていく要素」なり、ただのヘタレじゃないという部分を、ちゃんと読み手に見せているし、だからフェリもニーナもメイシェンもアレだけヘタレなレイフォンのことを好きなんですよ。

だけど、この映画のフアンは、そういう「魅力」には欠けてると思うんです私は。つまり、彼自身の要素としての「情けなさを肯定に持っていく力」というものはなかった。口説いて女が惚れて、そこからが本当の人間性の勝負なのに。

で、結局惚れた女性が男性を肯定的に勝手にもっていってる。だってねこのフアンの「人間として」情けない部分って、映画の中で一回でもちゃんと否定されていましたか? ペネロペ・クルスは確かにフアンに対してめっちゃ怒鳴ったりしていましたが、ヘタレの否定はしていなかったでしょ? そこが個人的な不満点。「視聴者側から見る男性の魅力不足」です。

あと個人的に弱いな、と思ったのはベッキー。「真面目」というような設定にはなっているけれど、それがイマイチ生かしきれていなくて、設定の割りに揺れ動きすぎっていうか。この二人が親友で間逆な恋愛感を持っているという設定ならば、もっと対比させるような構成にしないといけないと思います。そして、もしクリスティーナと対比させるんだったら、もっとベッキーは堅物でもいい。そしてもう少し堅物な演技で堅物な演技が似合う役者にすればよかったのに、とここは個人的な意見。

もしこれでベッキーがもっと堅物で真面目だったら、たとえば一瞬だけ揺れ動いた時に男が燃える、という展開になっていたし、そっちのほうが物語としても面白くなったんじゃないかなー。

個人的にはこの二人の「キャラクターとしての不足感」がパネェかったので、これは結構影響してるなーという感想が。フアンなんて役者がいいからもったいない。


でもウディ・アレンってもう70超えてるのか。70超えてこんな映画作れるのって逆にすごくね? 

多分、女性が見たらそれなりに楽しめると思う。突拍子ないなりにも楽しめる部分があったことは認めます。でもあんまり、男性が見て面白い映画でもない、っていうか、男性が見たら、「俺この映画見たんだけどどうしよう」っていう戸惑いの方がより強く残るんじゃないかなっていうのが正直な感想。

私自身は楽しめた部分と意味不明な部分とイラっとした部分の3つです。

そんな感じでしょうか。まぁ、個人的に男に魅力ねえなーとか思いながらも見ていたのでした。ペネロペ×ヨハンソンは面白かったし、そこの百合ップルが見られた映画、と思っときます。


あ、この映画「恋バル」と略す言い方があるらしいですが、そう略すると「恋ナポ」(「恋するナポリタン 〜世界で一番おいしい愛され方〜」)と同じぐらい地雷映画な予感がしてしまうのは何故だろう。

ルルドの聖母ルルドの聖母 2012/01/27 20:27 えっと・・・おば・・・じゃなくて、見習い聖母はスペイン男をとてもよく知っているかというと、そうでもない。

でもまあ、お国柄が違っても、基本、男性はマザコンだということは間違いないかも。
でもって、頑固でプライドも高いのに、優柔不断だったり。
(笑)

女性と短い期間しか関係を維持できず、かといって距離はおくけれど経ち切れもせず、複数の女性と関係してしまう男性・・・しかも、このストーリーと同じ設定の”絵描き”という人物を実際に知っている私としては、この展開もあんまり違和感はなかったです。ま、生き方としては、かなり間抜けな方向だとは思ってますが。

男性は、多かれ少なかれ闘争心を本能的に持っていて、自分より優れていると思われる相手に対しては、征服したいという欲求にかられるらしいです。
対象が女性の場合、それが恋愛というか、メイク・ラブという行為にすり変わるらしい。

婚約者のいる彼女がスペインギターの調べに感動して、陶酔した表情を浮かべたりすると、もう、放っておけなくなったりね。ギターじゃなくて、俺だろうみたいな。
彼女は彼女で、自分にとって魅力的な異文化に触れて価値観が揺らいで、迷いを感じるわけで。

ま、スペインギターの音色が彼女のアバンチュールの引き金にされるという設定は、突っ込みたいところだけど。
さっさと、絵描きは追い払ってギタリストに行けばってね。(笑)

クロサキちゃんも言ってるように、ぺネロピーは面白いよね。
このキャラの中では、一番エキセントリックな設定だけど、一番分かりやすい。

彼女のセリフの中で”食い逃げ”という言葉が出てくるけど、
銃を持ち出してまで怒り狂う理由が、その一言でよくわかるよね。彼女の中にある母性的な部分を凄く象徴してる感じ。

つまり、元夫の愛人にさえ、その才能を認めれば、引き出して花開かせたりもする母親的なを持っていたりするわけで。
元夫に対してもかつてそうしていたわけで。
彼女にとっての愛は、芸術面での価値観の共有だってことがよくわかるよね。しかも、常に自分がリードしてそれに従ってくるようなスタンスを求めてる。
では、パートナーはというと、最初は良くても、持続するのはかなり辛い。

その辺を、金髪の彼女は、ふんわりした感じを保ちながらアメリカ娘っぽく演じてると思うけどね。
日本人だったら、絶対ドロドロになっちゃうよね。

kurosakiionkurosakiion 2012/03/12 12:28 なんかコメントが書き込めない設定にしちゃってたみたいなので、遅くなりました。苦笑。
正直あの映画はスカーレット・ヨハンソンがいないとつらい……スカーレットがいてもつらいのに(苦笑)。ただ、どう切り返したらいいのかこれについてはわからず。。。

確かに日本人だったらもっとドロドロしてて、それでこそまぁ、昼ドラ的な展開になっていたのかな。
じいさんになってもこんな映画作れるのは本当にすごいと思う反面、「じじいになってもこんな映画つくんのかよ!爆笑」という面もありますねワタクシ。
今年は「ミッドナイト・イン・パリ」でアカデミー賞の脚本賞とりましたが、欠席してた……。

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