プロデューサーって何なんだろう

3日ほど前の話になりますが、モバマスがAKB的な人気投票を行うことがいろいろと物議を醸しまして。
(そのこと自体についても語ってみたかったんですが、あまり時間が無いので今回は断念しときます)
で、こういうときは総じてその問題自体の是非を飛び越えて話が広がっていくものでして、そういう点も含めて興味深く眺めていました。
その中で特に気になったのが、モバマスの搾取方法やそれに対するプレイヤーの関わり方なんかを指して、
「これもうやってることは『プロデューサー』じゃないよね」
「『プロデューサー』からただの『ファン』に落ちちゃったね」
といった意見でした。

でも僕は人気投票とか関係なく、そもそも今までモバマスをプレイしていて「アイドルをプロデュースしている」と感じたことが無いんですよね。
営業を重ねLIVEをするごとにファンが増えたりはするんですが、
もし自分のユニットのメンバーを総入れ替えして手に入れたばかりのLv1アイドルばかりになっても、
それどころか全てのアイドルを移籍(という名の解雇)してしまっても、
今存在している20万人超のファンは一人も減らないんですよね。
つまりあのファンというのはプロデューサーに付いたファンであり、僕たちは自分についているファンの数を競い合っているわけです。
そんな感じでどうしても無理を覚えるポイントが多々ありまして、少々口汚いようですが、
所詮既存のソーシャルゲームのシステムにアイマスを当てはめただけのモバマスには、
今までみたいな「アイドルと二人三脚でトップを目指す」という要素は浮かびづらいように思えます。

だからモバマスに対して「こんなのアイマスじゃない」と言うのが今回の目的……ではありません。
むしろ「これまでのアイマスにおいても、Pとアイドルの関係は絶対のものではなかった」という話がしたいわけでして。
例えばモバマスと並んでアイマスに新しい風をもたらした、昨年のアニメ。
赤羽根さん演じるプロデューサーが存在してはいましたが、
前面に出てアイドルを導いていくというよりは、頑張るアイドルたちをサポートするキャラという感じでした。
だからあの作品も「プロデューサーとアイドルが二人三脚で……」というよりは、
「トップアイドル目指して頑張る女の子たちの物語」というのが主軸だったと思うんですよね。
20話(約束回)でPが問題解決に奔走するのではなく、春香を中心に持ってきたのがその象徴ではないかと。
また、そういった作品構造のこともあって、
視聴者の側もPに自分を重ねて、「俺がこの子たちをトップに導いていくんだ!」という風にはなりづらいんじゃないでしょうか。
少なくとも僕にとっては、アニマスはあくまで「頑張っている女の子たちを外から眺める」アニメでした。

我々が「プロデューサー」ではなかった作品といえば、DS版についても触れないわけには行けませんね。
それまでの、「アイドルマスターはアイドルをプロデュースするゲームだ」という概念を打ち破ったゲームですし。
L4Uのファン代表Pも微妙なところだけど、あれはまあファンディスクだしw)
旧来のファンの中には酷評したり黒歴史呼ばわりしたりする人もいたみたいですが、
それなりの支持を得たことで、「自分がプロデューサーではないアイマス」が受け入れられる土壌を作ったのではないかと思います。
もっとも、あのゲーム性を765アイドルメインでやるとまた反応が違ってきたでしょうけど。

そして自分はというと、「自分がプロデューサーではない」ということは特に気にせずDSもアニマスも楽しんできました。
特にアニマスの20話は、今までふれてきた“公式の”アイマスにおいて最も心揺さぶられたと言っても過言じゃないです。
あの回の放送後に、「僕がアイマスに望んでいたもの」なんてタイトルをつけて、
「自分がアイマスに望んでいたのはアイドルと2人で一緒に頑張ることでは無く、
助け合い競い合いながら成長していくアイドルたち皆の姿を眺めることだったのかもしれない」
なんて記事を書いたりしました。
上記の記事中にも書きましたが、僕が「アイドルのプロデュース」にあまり拘りが無いのは、アイマスとの出会い方によるものではないかと思われます。
僕が初めてアイマスを知り、アイドルたちの魅力にハマっていったのは、2007年のニコニコ動画上のアイマス動画「ニコマス」との出会いでした。
それから09年にアイマスSPを買って初めてアイドルをプロデュースするまで、
僕は一年以上もの間、動画を見ることでただ一方的にアイドルたちの魅力を享受していたわけです。
アケマスや箱○無印発売までは、アイマスのファンというのはおそらくほとんどがプロデューサーであったはず。
しかしプロデュースを経験しなくともアイドルマスターを楽しめる場所が出来たことで、僕のようなファンが生まれてきたのでしょうね。

いわゆる9.18事件で竜宮小町の4人のプロデュース不可が出来ないと発表されたとき、僕は怒り悲しみました。
そこには「この4人をプロデュースしたかった」という感情も無いわけでは無かったはず。
でもそれ以上に、
あみまみ・いおみき・やよいおりといったお気に入りのペアを組ませられないことや、
13人のアイドルたちの扱いに大きな差が生じてしまうことへの憤りという部分が大きかったようにも思えます。
そして今、僕はそのうちの一人である伊織に対してこんなことを考えています。
竜宮小町のリーダーという事務所の先頭を走る立場になったことが、
彼女のアイドルとして格を引き上げ、その魅力をより広げることとなった。
だから結果的に、竜宮小町の展開は伊織のためになったのではないだろうか
別に自分がプロデュースできなくとも、彼女たちが輝き続けていてくれさえすれば僕はそれで満足なのかもしれない。
最近の伊織の姿を見ていると、時折そんな思いが頭をよぎります。

アイドルマスターというコンテンツが始まった時は、
「アイドルをプロデュースする」というコンセプトは絶対的なものだったのかもしれません。
しかしコンテンツが拡大し多様化していったことで、
アイドルをプロデュースすること以外のいろんな楽しみ方が生まれていきました。
今度出るシャイニーフェスタは、アニマスからの新規層が楽しめるファンディスクという側面が見受けられ、
そして今後の展開においても、彼らの存在は影響を持つこととなりそうです。
その中には、僕のようにアイドルプロデュースへの拘りを強く持たない人も少なからずいるはず。
いずれ正統後継作としての「アイマス3」が出たとして、
そこに無印や2のようなアイドルとPの関係がまた引き継がれるとは言い切れないかもしれない……なんてことを考える今日この頃です。

そんなこんなで今や、というかもう結構前からアイマスにおいてプロデュースとは既に絶対的なものでは無く、
そしてこれからの展開においても、その状況はもう変わらないだろうと考えています。
しかし今年初めてライブを見にいった時、声優さんたちは僕たちを「プロデューサーのみなさん」と呼びました。
アニメの最終回なんかでも、765プロのアイドルは「プロデューサーさん、これからもプロデュース、よろしくお願いします」なんて呼びかけてきました。
(あのメンバーには律子も加わっていましたし、あれは赤羽根Pというよりも視聴者に向けた言葉だと解釈してます)
「プロデューサーというのが、単にアイマスというコンテンツにおけるファンの呼称ってだけの話」
そんな考え方もできるのだけれど、
でも彼女たちに「プロデューサー」と呼ばれると、僕はどうしてもそこにある意義に思いを馳せずにはいられません。
プロデューサーってなんだろう、プロデュースってなんだろうと。
一番明確な形は、もちろんアケマスだの無印だのSPだの2だのでアイドルをトップへ導くこと。
それ以外だと、例えばニコマスではアイドルの魅力が目一杯表現された作品などに対して、
「いいプロデュースだった」という賞賛の言葉を送られることがありますね。
二次創作などでアイドルを素敵に描くこともプロデュースなのか。
それを僕がこのブログで紹介することもプロデュースなのか。
形として何かを残さずとも、アイドルの魅力を口にしたり応援したりすることもプロデュースなのか。
それどころか、ただ心の中でアイドルたちに思いをめぐらせるだけでもプロデュースと呼べるのか。
捉え方は人次第だけれど、
でも彼女たちは等しく皆をプロデューサーとして扱ってくれるのだから、
各々が自分なりのプロデュース像を持ってもいいんじゃないか。そんな風に思います。
別にアイドルと一緒に歩むことだけに固執する必要なんてないじゃないか。
自分の思うプロデュースの形に従って、俺はプロデューサーなんだと胸を張ればいいじゃないかと。
だからモバマスに大量課金してお気に入りのアイドルに票を入れまくっても、
それがその人にとってのプロデュースであるなら、少なくともその人にとっては正義なんじゃないかな、うん。
僕もモバマスに対してはあまり好意的ではないし、正直なところ批判したくなる気持ちも理解できるんですが、
好きな人は別に負い目とか感じず堂々と胸張ってればいいと思ってます。
モバマスに限らず、他のあらゆるアイマスとの関わりについても同様にね。

書きたいことをひたすら詰め込んでいったら、何か凄いgdgdな内容になっちゃいました。
ここまでお付き合いくださった方に感謝です。