連続体仮説が成り立っていて欲しくない理由

というわけで予告していたやつです。

実数の非可算集合Xで、全てのmeager setとの共通部分が可算となるものをLuzin setと呼びます。そして、全てのLebesgue測度0集合との共通部分が可算となるものはSierpinski setといいます。連続体仮説を仮定すると、どちらの集合も構成することができます。
ゲーデルはこれらのような集合を"highly implausible"(とても納得のいかない、とでも訳せばいいでしょうか?)と言いました。確かに、非可算なmeager setもLebesgue測度0集合も簡単に構成できるのに、ある非可算集合に限定しただけで存在がいえなくなるのは不思議な感じがします。
ゲーデル連続体仮説を不自然だと主張した理由は、このような集合の存在にあります。…とりあえず、あちこちの文献にそう書いてあります(だめじゃん)。

まあ、それだけじゃなく、連続体仮説を仮定すると実数体が無秩序であることを示すような定理がたくさん証明できます。私が好きなのは、以下のMorayneの定理。

連続体仮説は次のような関数F:\mathbb{R}\rightarrow\mathbb{R}^2の存在と同値である。

  • Fは全射
  • F=\langle f_1, f_2\rangleとするとき、全ての実数rに対して、f_1またはf_2はrで微分可能。

いつぞやBartszynski先生にこの話を聞いて以来"almost differentiable Peano curve"だと信じ込んでいたのですが、実際にはFは連続ではなくペアノ曲線ではないそうです。ペアノ曲線はこの条件を満たさないことが証明されているのだとか。ともあれ、とてもいい性質を持った全斜の存在が証明出来ちゃうわけですね。この定理のいいところは、濃度概念が全く出てこないこと。それでも連続体仮説が効いてくるわけですね。

こういった感じで、連続体仮説は強力すぎる上にわりと不自然な方向に物事を決定してしまうきらいがあるっていうのが、比較的多くの集合論者に共有された感覚であります。それではなぜ、もっと大きい基数ではなく\aleph_2になって欲しいのか、ってことを次回に。