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「chinaの戦乱時代の人々の出合い系ご縁」

2017-10-08

戦乱時代の韓信の出合い系ご縁(2)

17:30

戦乱時代の韓信出合い系ご縁(2)蕭何と出合い、彼の推薦を受ける

ここでも実績も、背景となる勢力もない韓信(英語 Han, Shin)は一兵卒として扱われ、仕事に不満を持って仲間と一緒に罪を犯し、処刑されそうになります。
そこで「天下を取ることを望むのなら、この韓信を処刑するのは間違いだぞ」などと騒ぎたて、それが劉邦(英語訳 Liu Bang)の側近・夏侯嬰(かこうえい)の目に止まり、罪を許されます。
そして治粟都尉(ちぞくとい)という軍の食料を管理する仕事につけられました。
韓信がしたいのは軍を率いて作戦を立て、敵を撃ち破る仕事であり、食料の管理ではありません。
そこで韓信は蕭何(しょうか)(英語訳 Xiao He)という劉邦からの信頼の厚い人物出合い談じ込み、自分にふさわしい仕事を与えてくれるように求めます。
蕭何はこの無名の人物と何度も話す内に、その身に他に並ぶものがいないほどの軍才が宿っていることを悟り、高く評価します。
しかし韓信が急に高い地位につけられることはなく、やがて劉邦陣営にも絶望した韓信は、逃亡してしまいます。
この時の劉邦巴蜀中国の南西部)という辺境の地に追いやられていた時期で、韓信に限らず劉邦陣営から逃亡するものは後を絶ちませんでした。
蕭何は他の将軍たちが逃亡しても何もしませんでしたが、韓信が逃亡したと聞いた時はこれを追いかけて説得し、劉邦の元に連れ戻します。
この時に劉邦は、最も大事な家臣である蕭何までもが逃亡したのかと勘違いし、慌てます。
そして戻ってきた蕭何を詰問しますが、蕭何は「韓信だから追いかけたのです」と返答します。
「他の雑多な将軍などはいくらいなくなっても影響はありません。しかし天下を取ることを望むのであれば韓信は必要な人材です」と劉邦説明します。
この時に「国士無双」という言葉で蕭何は韓信を評します。
そして劉邦軍の中で最も高い地位である、大将軍韓信をつけるようにと劉邦に提案します。
劉邦は信頼する蕭何がそこまで熱心に推薦するのであれば、と受け入れ、韓信を抜擢して大将軍の地位を与えました。
いくら蕭何(英語訳 Xiao He)を信頼しているとは言え、無名の人物にいきなり軍の最高司令官の地位を与えてしまう劉邦も、やはりただ者ではありません。

2017-09-18

戦乱時代の韓信の出合い系ご縁(1)

20:14

「chinaの戦乱時代の人々の出合い系ご縁」

劉邦との出合い系ご縁で、彼氏に天下を取らせた国士無双大将軍 韓信

韓信(英語 Han, Shin)は劉邦(英語訳 Liu Bang)と出合い、仕えて大将軍となり、楚漢戦争の勝敗を決定する重要な役割を担った武将です。
卓越した作戦能力を持ち、戦えば常に勝利をおさめ、国士無双(比べられる者がいないほど優れた者)と呼ばれるにふさわしい人物でした。
しかし劉邦が天下を統一して漢の皇帝となってからは、その能力と領土の大きさから警戒されるようになり、最後は謀反を企てるものの、失敗して処刑されてしまい

ました。

そんな彼氏の生涯の出合い系良縁、悪縁や事績との出合いについて書いてみます。


韓信は臆病な怠け者と見られていた


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韓信(英語 Han, Shin)は淮陰(わいいん)という水辺の街の、貧しい家に生まれました。
家産がなく、品行もよくなかったために職につけず、毎日ぶらぶらとして若い時期をすごしていました。
やむなく韓信は亭長(街の治安を担当する役人)のところに居候をし、長い剣一本だけを携えて無頼の暮らしをしていました。
しかしある時、あまりにも何もしないで無為に日を過ごしていたため、とうとうそこから追い出されてしまいます。
韓信は食べるものに困って街中をさまよっていると、みかねた老婆に出逢い、ら食事を提供してもらい、それでなんとか飢えをしのぎました。
また、韓信はこの頃に「長い剣を持って強そうに見せているが、実は臆病者ではないか」と疑った街の少年にからまれます。
そして「その剣で俺を斬ってみろ、それができなければ俺の股の下をくぐれ」と脅されます。
韓信は言われるがままに少年の股の下をくぐり、剣を抜くことはありませんでした。
このために物笑いのたねになり、「股くぐり」と呼ばれ、臆病者だという評判を立てられます。
このように、韓信は戦乱の時代が訪れる前には、なんとも益体のない生活を送っていたようです。
しかし当人には自分の内に巨大な軍事の才能があるという自負があり、いつか風雲が訪れた時には世に出て活躍するのだ、という夢想を抱いていたようです。
このように、うだつの上がらない人物夢想との出合いで自分を慰めるのはよくあることですが、韓信の場合は本当に巨大な才能を持っていました。


戦乱との出合い系ご縁と項羽への仕官

韓信(英語 Han, Shin)の若き日々は、秦の始皇帝が中国系の統一に初めて成功した時期に当たります。
しかしこの統一政権は長く続かず、始皇帝の死後に各地で反乱が相次ぐようになり、大陸系が再び分裂状態に陥って行きました。
韓信にとっては望み通りに戦乱の時代が訪れ、自分の才能を世に示す機会が訪れたことになります。
韓信はまず初めに反乱軍の中心的な存在であった項羽(英語名 Xiang Yu)の陣営に行って採用され、そこで警備兵の職を割り当てられます。
韓信にとっては満足のいかない身分でしたが、それにめげずに項羽に幾度も出会い、戦いの献策をします。
しかしこれが取り上げられることはなく、やがて韓信はむなしく項羽陣営を去っていきます。
これには項羽が軍を奮い立たせて敵を撃ち破る猛将系タイプの将軍であったため、韓信の提案する作戦に心をひかれなかったこと、作戦面では腹心の范増(はんぞう

)以外の人材を求めていなかったこと、などが原因になったと思われます。
もしも項羽がここで韓信を指揮官として採用するだけの見識を持っていれば、劉邦(英語訳 Liu Bang)との戦いの勝敗は逆転していたでしょう。
ともあれ、項羽の元では浮かばれなかった韓信は、秦が倒れて項羽覇王となった後、辺境に追いやられていた劉邦仕官します。

2017-08-26

巷の中国史偉人ランキングBEST 3

10:17

巷の中国史偉人ランキング

WAVEさまの評価)


1位・藺相如(英語訳 Lin Xiangru)


一位は、趙の恵文王(英語訳 King Huiwen of Qin)に使えた藺相如(英語訳 Lin Xiangru)です。
この人物について軽く説明すると、恵文王の家臣になる前は趙の宦官謬賢(びゅうけん)の食客でした。
ある時、趙の持つ宝「和氏の璧(かしのへき)」と一五城を交換しようと秦から誘いが有りました。
当時の秦は非常に強大で、和氏の璧を渡しても一五城を渡さない可能性も高く断ることも出来ない立場でした。
困った恵文王に謬賢は「私の食客使者に適任の者が居ります。」と藺相如を推薦します。
藺相如は恵文王に会うと「誘いを断ることは出来ませんが、何かあった時の非は秦にあるようにします。
そして、もし壁を渡して一五城を渡さない場合は壁を全うして帰ります(完璧の語源)。」と言います。
そして藺相如は秦へ向かい時の秦王昭襄王に壁を渡します。
しかし、昭襄王(英語表記 King Zhaoxiang of Qin)は壁を受け取るも全く一五城を渡そうとする気配も見せないため、藺相如は昭襄王から壁を取り返し「趙では疑う意見が多かったが、趙王様は『簡素な服の者(=庶民)の間ですら欺くのを恥とするのに、ましてや国とで欺くなど』と大国秦に敬意を払い、5日間身を清め和氏の璧を渡された。
この趙王様の信義に対し、秦王様は余りにも非礼で粗雑な扱い。
もはや璧も自分の頭もこの柱で叩き割ってくれる」と言い、壁を割ろうとします。
すると驚いた昭襄王は地図を持ってこさせ城の話をします。
しかし、藺相如はそれが嘘であると見抜き、従者の1人である呂不韋(英語訳 Ryofui )に壁を持ち帰らせます。
これにより、趙の名誉を一切傷つけず、壁を守り抜いた藺相如は知勇兼備の忠臣として後世に語り継がれることになりました。
僕は強大国秦の王に一歩も引かない勇気と秦の群臣を言い負かす知に惹かれ一位に選びました。



2位・伍子胥(英語訳 Wu Zixu)

二位は、春秋時代の呉に仕えた名将、伍子胥(英語表記 Wu Zixu)です。
彼は楚の生まれなのですが、楚の平王と奸臣費無忌(英訳 Fei Wuji)に計られ父と兄を処刑されます。
その出来事から彼の人生は復讐の人生となります。そして、復讐の為に呉に行き、太子の光に野心があると見抜き光をサポートし呉王にまで押し上げます。
そして、天才兵法家である孫武を将軍とし見事楚を打ち破った。
しかし、呉越の戦いで呉王闔閭(英語訳 Kōryo)は亡くなりその子である夫差が越への復讐を誓い王位を継承しました。
その夫差というのが厄介で、なんと越を討った後は傲慢になり、越を討ったにも関わらず越王勾践の首を刎ねず中原を目指し侵攻しました。
伍子胥は、勾践は危険であること、范蠡文種(英語訳 Fan Li Bunshu)らの有能な家臣の元で呉への復讐の準備をしていることを諫言しますが、聞き入れられずとうとう邪魔だということで伍子胥を殺してしまいます。
その結果、越は呉を討ち呉王夫差は討ち取られ呉は滅びてしまいます。
この伍子胥という人物は激情の人で、復讐の為に呉を盛り上げ、呉王闔閭(英語訳 Kōryo)に対する感謝の念から暗愚な夫差に最後まで諫言を続けました。
その激情さに心を打たれたので二位に選びました。



3位・袁崇煥(英語訳 Yuan Chonghuan )


三位は、意外と知られていませんが諸葛亮(英語訳 Zhuge Liang)に擬えられる程の名将で、明王朝最後の皇帝である崇禎帝に仕えた袁崇煥(えんすうかん)です


彼は、中国史上初めて砲撃戦をメインとした戦いで大勝を収めた人物です。
彼は清との国境付近の防衛の薄さに危機感を覚え、国境付近の警備を強めるよう上策します。
そして彼は清との国境付近の防衛に当たるようになります。
彼はまず群臣の反対を押し切って西洋の大砲を輸入、そして堅牢な要塞を築き防衛の拠点とします。
その後1626年に清のヌルハチが13万の大軍で攻めてきます。
が、なんと袁崇煥は1万程度の軍でこれを退けこれが原因とも言われますが清の初代皇帝ヌルハチが死去します。
そして清はこの袁崇煥という男が一筋縄ではいかない事を知ります。
ここで清がとった作戦は離間の計と呼ばれる計略で、王に将軍に対する猜疑心を植え付けるものです。
清は崇禎帝(英語表記 Chongzhen Emperor)の近辺に袁崇煥が謀反を企てているという噂をたてた為、猜疑心の強い崇禎帝はなんと袁崇煥凌遅刑(英語訳 ingchi)(清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間にわたって激しい苦痛を与えたうえで死に至らす刑。)にしてしまいます。

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これにより明の滅亡が決定したとも言われます。
袁崇煥は新しい兵器を積極的に取り入れる適応力、兵に対しても思いやりの深い性格、そして自ら戦線に出て戦い傷を受けても戦い続け軍全体の士気を上げる勇気が有りまさに明代の諸葛亮と言うに相応しい人物でしょう。
よって三位に選びました。

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4位・范蠡(英語表記 Hanrei)(春秋時代、越の軍師

5位・廉頗(英語訳 Lian Po)(戦国時代、趙の将軍)

6位・趙奢(英語訳 Zhao She)(戦国時代、趙の将軍)

7位・晏嬰(英語表記 An'ei)(春秋時代、斉の宰相

8位・呂蒙(英語訳 Lü Meng)(三国時代、呉の武将)

9位・申包胥(英語訳 Shinhōsho)(春秋時代、楚の政治家

10位・李牧(英語訳 Li Mu)(戦国時代、趙の将軍)



中国史偉人ランキング、如何でしたか?もしこれで中国史に興味を持っていただけたなら幸いです。
四位以下にもたくさんの逸話が有りそうです!
これから掲載するつもりです。