新・演奏会の感想の前に 2011〜(スタッフブログ’10 週末更新中 改め) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-04-14 J.S.バッハ平均律第2巻、全曲演奏会を聴いて

J.S.バッハ平均律第2巻、全曲演奏会を聴いて

 自分はこの文を書いている今48歳だが、少なくても30年前の18歳の時は将来の進路として音楽を志していた。クラシック音楽の分野で。

 そのときの自分にとって、チケットを買って生の演奏を聴きに行くコンサートは貴重な機会だった。

 どのコンサートにいくかの選択根拠に、例えば、出演する演奏家が、マスメディアを通してその活躍がよくわかるか、ということなどが、基準になる。

 事前に、活躍がよくわかっているアーティストほど、値段も高く、演奏内容も素晴らしい、ということは、ある程度は言えるかもしれない。

 しかし、ある程度以上のことは、言えないかもしれない。ライヴというのはあくまでもライヴだからだ。ライヴの面白さ、奥深さは、事前情報の濃さ、とは別のところにもある。のではないか。

 さて、2018年4月1日、京都のアルティJ.S.バッハ平均律クラヴィーア曲集第2巻全曲演奏会、24人24色を、聴いた。

 http://bach24.web.fc2.com/index.html

素晴らしかった。そして、この演奏会の素晴らしさの質を支えているものの、ひとつは、誤解を恐れずいうならば、マスメディアを通した評価とは、別のところにも、音楽家演奏家としてのプロフェッショナルな意識が根付くことの、ある種の職人的なあり方である。それを、まさにライヴの演奏を通して感じさせられた。

 ピアノの演奏で完成度が高い、演奏に傷がない、音楽表現に集中していてすばらしい、ということは、それなりに難しい。プロでも。自分にとってラヴェルの「夜のギャスパール」を最初に聴いた演奏は、FMラジオの放送でチャイコフスキーコンクールの上位入賞者として紹介されたウラジーミル・オフチニコフによるものだが、その演奏は、その後カセットテープに録音したものを何度も聴くようになる当時のお気に入りの演奏だった。ラヴェルは当時著作権の切れていない作曲家で、楽譜は、洋書を扱ってる楽譜コーナーでなければなかなか入手できないものだった。オフチニコフの演奏で、2曲目の、絞首台のある箇所の2度でぶつかる音が、ミスタッチだときづいたのは、録音したカセットテープの演奏を何度も聴くようになった以降、数年後である。またそのFMで流れた演奏にはスクリャービンエチュードもあったが、夜のギャスパールも、スクリャービンも、オフチニコフは、演奏の質も高いものだと感じていたが、スクリャービンは曲集の途中、明らかに暗譜を見失っている部分があった。

 自分が10代だった1980年代、もっとも熱狂的にマスメディア的に受け入れられたピアニストは、スタニスラフ・ブーニンである。彼がリサイタルドビュッシーのベルガマスク組曲を取り上げた演奏はテレビでも放映された。自分は、そのとき人前でベルガマスク組曲を演奏したことがあったので、その曲は特に頭に入っている曲だった。ブーニンの演奏は、完成度に疑問がある、傷がある、音楽的にも集中力を欠くものだった。録画をあとから繰り返し聞くことはなかった。録画したかもしれないが、消したのかもしれない。

 自分が30歳を過ぎて、40も過ぎていくなかで、この人はすごい、と心がもっていかれるピアニストがいて、生演奏で5回、リリースされているCDはほぼもっていて、そのどれにもサインがあるが、自分が客席で聴いた直近のオールショパンプログラムは、傷が多かった。おおよそその人らしくない演奏で、ああ、こんなこともあるんだ、と変な感心のさせられかたをした。仮に、その演奏会の録音をプレゼントするといわれたとしても、自分は要らない、と答えるだろう。その人の演奏会はチャンスがあれば、また足を運ぶだろうにしても。

 京都バッハ平均律を弾く会の、24人のピアニストによる2巻全曲演奏会は、掛け値なしにまたこの全曲演奏会があるなら、是非、聴きにいきたいと思わせる、質の高い音楽に満ちたコンサートだった。

 年末の第9が恒例になる、日本のクラシック音楽の文化・風習があるなら、バッハ平均律全曲を、24人のピアニストで演奏するというのも、是非加わってはいかないだろうか。

 一人が弾けば、負担も大きい。もちろんそれは偉業であるのだが、それをあえて24人のリレーにする面白みや、奥行きは、確かにある。他の曲集でこのような分業はなかなかありえないと、バッハ平均律全曲を24人でリレーする演奏会を聴いて思う。バッハ、だからだよな。平均律だからだよな。面白い。途中15分の休憩をはさんでの約3時間が、あっという間だった。まるでこんな風な演奏会で演奏されることを想定しているかのような、奇跡の曲集ではないか、そんなことすら思ってしまうような演奏会だった。

 24人のピアニスト一人一人は当然ながら個性が違う。それが統一感を損なう方向ではなく、曲集を通しで聴かせるにあたって、逆に飽きさせない方向に、良く働く。

 ピアノという楽器の大きな特徴であるダンパーペダルに足すらおかない、ペダルを一切使わないピアニスト、もいた。それがその人だけの演奏会ではなかったからこその際立ち、や、演奏家としての解釈や意志が、過不足なくそこにたち現れる。

 また同じピアノなのに、鳴る音が全くちがう、ということも、ピアノと楽器のおもしろさ、ひいては演奏するということの奥深さが分かる話の一つだが、この日の演奏会ならではのことの一つでもあった。

 客演のA.ロトー氏の演奏がこの日の、その点の白眉だった。自分は氏の演奏に触れたのはこの日が初めてであるが、こんな演奏家もいるのだ、と驚嘆させられた。ルプーの生演奏に触れた時を少し思い起こさせた。それは座奏時の重心をやや後ろめにとり、上半身の理想的な脱力を引き出しているようにも見えるフォルムと、ポリフォニーにおいても、決して混濁させることはない磨かれた音色の美しさ、から、そんなことを感じたのかもしれない。自分が大西愛子氏からバッハ平均律のレッスンを受けたときに、ハイフェッツの話になり「ハイフェッツは本当に自由よ」ということを大西先生は仰せだったが、バッハにおいて、自由とはどういうことかを、A.ロトー氏の演奏もまた、体現していた。ああ、これがバッハを本当に自由に演奏するということか、と以前よりそのことが自分の中で腑に落ちた。腑に落ちたという言葉の語感とは裏腹に、自分は聴衆のひとりとして気持ちが高揚していた。すごい演奏家だ、ロトー氏は。

 ピアニストの誰しもが事務所と契約したり、CDを何枚もリリースしたり、毎年のように日本国内や世界でツアーを組んだりするわけではない。それは、いうまでもなくほんの一握りであり、さらにいうならピアニストとしてのその人のキャリアのある一定期間、一時期である。そして多くのひとにとってピアニストを目指すということは、コンクールの受賞歴を重ねるなどキャリアを積み、その地点を目指すということだ。そこから導かれるかもしれない一つの結論があるなら、ピアニストはそんなには要らない、ということだ。多くのピアニストを志す人は、その数少ない席を巡って競っている世界もある。自分はそうした世界がピアニストピアニストたらしめるほとんどすべてだと、しばらくの間は思っていた。意識的に、というよりもしくは無意識に、ピアニストという職業を巡る環境やメディアのつくるイメージによって。

 では、その数少ない席に座れなかったひとは、ピアニストではなくなるのか。

 音楽を志すことの本質は、席を巡る争奪戦ではない。

 ほんの少し冷静になれば、気づくことだがその、ほんの少しの冷静さを、クラシック音楽を取り巻く環境は、いとも簡単に奪って行き、すぐに簡単に本質を歪めてしまう。見えなくしてしまう。

 人間には生活がある。具体的には子育てがあったりする。くうねるところにすむところを、維持しなければならない。誰かに食わせてもらうか、自ら食っていかなければならない。

 食うことの確保と音楽家であることの両立が難しければ、後者をあきらめなければならない厳しさ。

 自分は暗黙にその前提を受け入れることから、音楽を志す道の入り口にたったこともある気がするのだが、

 48歳になったいま、そこ、本当にそうだろうか。と、ふと実感と、自分の思考停止を思う。 

 音楽を志すということは、美に奉仕するために、自らを捧げる、ということだ。時間と才能を。謙虚さに裏打ちされた努力を。少ない席を取り合うことではない。

 「京都バッハ平均律を弾く会」のメンバーのピアニストとしてのプロフェッショナルな質は、華やかな席をめぐる争奪戦の結果とは、別なところにある気がする。そしてまた、たとえばメンバーの全員誰しもが、国内外のプロのオーケストラに所属する弦楽器奏者、管楽器奏者、打楽器奏者と、演奏会で共演するに不足のないピアノを弾く技術と音楽性を持ち合わせている。これは少なくとも、だ。さらにいうなら、急遽のコンチェルトの代役ということも、こなすメンバーは相当いるだろう。

 無論、平均律の一曲程度で、ピアニストの力量を決断することはできない。しかし、逆も言えるのではないか?平均律の一曲を人前で、恥ずかしくない完成度をもって表現できない人が、ピアニストを名乗っていいのだろうか。と。この文章を読む方が何人いて、どこにお住まいかは分からないけれど、あなたの住む町のピアニストは、当然のようにそれができるか、といったら、自分は少なくても自分の住む地域に関しては、残念ながら、疑問、である。それは自分自身のおかれた立場からすると、無責任な言い方になるので、言い直す。それは、発展途上である。京都はそれができるピアニストが少なくても48人揃う。1・2巻全48曲の48人による連続演奏会も実績がある。

 選挙結果開票率が一桁のうちから分かるように、いや、選挙を引き合いに出さずとも、コンクールを予選から聴いていて、通るか通らないかは、冒頭数小節で、ある程度分かってしまうことがある。京都では、プロフェッショナルな安定した演奏技術と、音楽家としての志をもつピアニストが、競争意識で淘汰される形ではなく、その地域の音楽的豊かさの、一端を確実に担っている。プロオケの弦楽器、管打楽器奏者と十二分にわたりあえるピアノ弾きが、地域のコーラスの活動や、吹奏楽をやる若いひとが、ソロに挑戦するとき、また、音楽専攻の学生を、廉価で共演するというバックアップができるとしたら、それはどんなに豊かなことだろう。

 この点も、自分の住む地域に関していえば、発展途上である。

 音楽を志す努力に、謙虚さがどれだけ大事か、ということは自分はなかなか気づくのが難しかったことだ。そして今なお難しいことだ。華やかな席を巡る争奪戦においては、いかに他人よりも抜きんでることが大事かということが、まず目の前に迫るからだ。

 「京都バッハ平均律を弾く会」は、これだけの質をそろえながら、A.ロトー氏をはじめとした3人の客演のピアニストを迎える。その客演のピアニストたちを迎えることによる、磁場は、この会による演奏会をさらにグレードアップさせる。会全体、演奏会全体を。それは相乗効果といっても差し支えないものだとおもう。そこに音楽を志すことの謙虚さについて、あらためて深く考えさせられる姿勢が確かにある。

 日本国内のトップレベルのクラシック音楽のコンクールが特定の大学出身者や、在学の学生、特定の門下で、偏って占められる、ということは、よくある。だから、誰先生に習うとか、どの大学に進学するか、ということは、その点では、重要だ。

 しかし。

 そうではなく。

 京都では平均律の全曲演奏会が、行われる、だから京都で音楽を専攻したい、という進路。憧れ。そういう音楽を志す道についても、自分は、いまとても考えさせれている。自分は、過去のどこ地点に戻ってやり直したいということを、ほとんど思ったことがないのだが、10代の自分にアドヴァイスがあるとしたら、京都で学ぶ道を検討したらどうか、とは、今思う。そして、そう思うからこそ、現在の自分自身は、自分が住む地域を、そこで学びたいと、もっとより多くのひとに、あるいは、より深く考えてもらう、そしてその結果として、実際、この地域にかかわる人の数や深さが、増すように、自分は尽力したい。

 コンクールや、プロオケの定期に呼ばれることや、CDをリリースすることや、事務所と契約すること以外にもある、あるだろう、いや、むしろ本質としては、あんなところにはなく、それ以外のどこかにしかない、音楽家としての道。

 それは、保護者や師事する先生が示したから、ではなく、自分で考え、試行錯誤し、自分で選択し、その選択の責任を引き受け、その都度の結果を受け止めていかなくてはならない道。あなたが歩みをやめたところで、職業音楽家としての社会全体のなかでの需要と供給とは、おそらく、ほとんど全く関係がないし、影響もない。だから、そういうことではない。そういうことではない、地点からも、それでも、あなたは、あなたの意志で歩もうとするのか。

 自分は、それが分かった。

 それが分かったから、第2巻の1番のハ長調プレリュードから全曲演奏会が始まったとき、その演奏を聴いて、心がふるえ、涙がにじんできた。音楽に、演奏に、感動し心を打たれた。トップバッターをつとめる緊張感と、朗々と歌う健康的な音色、安定した演奏技術。そして、なにより、そのピアニストが自らの選択で、そこで演奏する、ゆるぎない、強い、意志と、それまでのその人の生きてきたこと、音楽とかかわってきたこと。

 それがこの会のメンバーの全員の統一している根本だと自分は感じた。出演者の全員に、揺るぎない音楽家としての意志がある。

 

 自分は仙台国際音楽コンクールの予選をはじめ、いままでコンクールの舞台での演奏ということにも、それなりに接してきた。吹奏楽コンクールやアンサンブルコンテストには自らの出演も含めれば、20年近く関わっている。

 揺るぎない音楽家としての意志、の、これほどの充実は、コンクールの舞台では、なかなか出会えないものだな、ということを、多数の出演者が演奏する舞台、という点での比較でも感じた。

 京都で音楽を志しても、コンクールの入賞や、プロオケの定期に呼ばれるかどうかや、事務所と契約して、ツアーをくんでもらうこと、CDが多数リリースされることとは、直接には有利ではないかもしれない。厳密にいえば、有利かもしれないし、関係ないかもしれないし、年度によって違うだろうし、誰がどの学校で教えている時期なのかによっても、違うだろう。

 繰り返すけれど、道を歩んでいくことの本質の大事な側面は、「自分で考え、試行錯誤し、自分で選択し、その選択の責任を、その都度の結果を、正面からごまかさず受け止めること。あなたが歩みをやめたところで、社会全体のなかでの職業の需要と供給とは、おそらく、ほとんど全く関係がないし、影響もないということ。だから、そういうことではない、そういうことではない、地点からも、それでも、あなたは、あなたの意志で歩もうとするのかどうかということ。」だ。そういう歩みを誘発する磁場や、歩んできたことが、都度、何かの機会に、美しい結晶となること、を「京都バッハ平均律を弾く会」による、平均律全曲演奏会に感じた。そのことが、演奏会の高い質の根底にある気がした。

 そこに、音楽に限らず、学んでいくこと、道を歩んでいくことに対する主体性自主自律の精神について、自分が育った宮城県東京の方を向いているそれとは、違うものを感じた。山形にないものが仙台にある、仙台にないものが東京にある、東京にないものがパリやニューヨークにある、とするのは一つ価値観である。それは競争を生む。競争のなかで純化されていくものもあれば淘汰されるものもある。

 

 しかし、学んでいくこと、道を歩んでいくことの主体性自主自律の精神は等しく誰にでもそれを目指すことができるものである。競争において、淘汰される側が、その機会すら奪われていくということは決してない。本質がみえなくなり、無意識・有意識に、放棄してしまうことはあったとしても。

 また、平均律の全曲を一曲ずつリレーすることが、地域に根差していく方向性で、一人で全曲に挑むのが、競争がもたらす純度の追求という、単純なことでもない。京都磁場は、平均律全曲に一人で挑むピアニストもまた生み出す。平均律全曲だけではない。クセナキスの鍵盤作品全曲なども、である。やはりそこに見るのは、主体性自主自律の精神である。

 何年か前に、自分が思った悩み・疑問について、ウエブログに書きしるしたことがある。

http://d.hatena.ne.jp/kusanisuwaru/20111110/1320939462

 8年近く前だ。8年近く前の自分の疑問に今、自分で答える。そう。

いま、自分はそれに、その時よりも、答えることができる。お金や時間について、学んでいくことや道を歩んでいくことにどれくらい費やせばいいのか。それは美に奉仕する自分自身の覚悟によって、決定されることだ。覚悟よりも欲望が上回れば、オーバーコストで破綻する。覚悟が足りなければ、道は潰える。覚悟にちょうど良さがあるのか、ということではない。混じりけのない、腹をくくった覚悟は、ちょうどよいコストを自然に引き寄せる。どれくらいお金をかければいいのか、という悩みにつきあたった時点で、なにかの認識を間違っている。本質を見誤っている。

 道、ということについて、吉本ばななの小説の一節を思い起こす。いまは、今までとはまた違った気持ちで、読み返すことができる。いままでよりも、なんというか味わい深く、読み返すことができる。

「(前略)でもそれで知ったのは、この世にはもっともっと、もっともっとすごいことを毎日毎日してしまいには死んでしまうようひとが本当に実際に大勢いて、陶器とかパンを焼くとか、バイオリンを奏でるとかそういうことのように、ありとあらゆく特定のジャンルに素人からプロまでいろんな人が心を傾けていて、ありとあらゆる奥深さがあり、高尚な気持ちからすごい下品さまですべてがふくまれていて、その気になれば人間は、それにかかりっきりになって人生のすべてを使うことができる……ということだ。

 それが「道」というものなんだろう。

 みんな、なにかの「道」を通って行きたくて、だから、生きているのかもしれない。(以下略)」

 湾岸ミッドナイトという漫画のネームも、よく思い起こす。

「近道は裏切る。オレはずっとそう思っている」

(「深く関わってゆく。その裏側で、それまでの人とズレてゆく。流れが変わるのがわかるけど、どうすればいいかわからない。全長20.8km世界一過酷なコース、ニュルブルクリンク。その道を知るGT-Rは、やはり限界が“太い”と思う。だから首都高でもFDにはできない走りがGT-Rはできる。究極の首都高SPL。いちばんの近道はGT-Rだろう。GT- Rならいちばん早く着く。でも近道はとおらない。近道は裏切る。オレはずっと、そう思っている(Vol.40,pp65-67)」)

 「深く関わってゆく。その裏側で、それまでの人とズレてゆく。流れが変わるのがわかるけど、どうすればいいかわからない。平均律全2巻全曲演奏会。6時間。個人のコンサートとしては最も過酷なものとなるだろう。しかしコンクールの受賞歴もない無名のピアノ弾きの、マニアックなプログラムを、いったい誰がプロデュースするというのだ。まずは日本音楽コンクール第1位。そのあとショパン国際で上位入賞。日本人初の1位という結果が手に入るのであれば、それは“太い”。○×▽音楽事務所の所属アーティストとなりサントリーホールリサイタルをやるのが、一番早く着く。究極のピアニストデビューだ。でも近道はとおらない(というか、実際にはできない俺ごときが。もう年齢制限もとうに過ぎたし)。近道は裏切る。オレはずっと、そう思っている」って俺がいうと、勝手に思ってろ、とか突っ込みを入れたくなる間抜けさがあるものの。

 近道を選ばないということはどういうことか。今ならいえる。だから、繰り返しをここにもう一度記する。この文章において、3度目。「自分で考え、試行錯誤し、自分で選択し、その選択の責任を、その都度の結果を、正面からごまかさず受け止めること。あなたが歩みをやめたところで、社会全体のなかでの職業の需要と供給とは、おそらく、ほとんど全く関係がないし、影響もないということ。だから、そういうことではない、そういうことではない、地点からも、それでも、あなたは、あなたの意志で歩もうとするのかどうかということ。」。これは、近道を選ばない、ということだ。

 この文章、まもなく最後。自分が音楽を志し、おもにピアノという楽器を演奏することを通して考えてきたことが、角幡唯介に突き当たるとはおもわなかった。リンクいつまで残っているかわからないけれど、リンク貼っておきます。

 https://news.yahoo.co.jp/feature/921

リンク先の動画から以下引用。

「のんびりした生活が物足りなくなるということは、ありますけどね。」

―なぜ冒険をするのか

「慣れ親しんでいる常識とか 時代的なものとか 

 システムの外側に出るっていうのが 冒険の本質だとおもうんですよね。」

「どれだけ 主体的に 自分の行為に関わることができるか っていう」

「例えばソリをつくって 自分でつくったソリが壊れたら 自己責任というか

 自分の身に跳ね返ってくるじゃないですか」

「世界に対して自分がすごく関わっている」

「外側からの反応があって」

「何か確信できる」

「誰もやってないことをどうやって発想するかとか」

「それはやっぱり今までの自分の蓄積があって思いつく」

「30歳の時の方が強かったかもしれないけど やっぱり40歳の時のほうが

 認識の地平線がひろがっているから『俺はたぶんここまでできる』とか

 『この世界ならやれる』とか やっぱりそれが広がっていくので

 どんどん大きなことができていくのだと思うんですよ」

角幡の話から、「将来探検家になるならやっぱり早稲田(大学)がいいよ」とか「〇×は、何歳でセブンサミットのすべての無酸素登頂を成功させた」とか、そういう話の気配すら、ない。

 

自分はピアノ弾きとしてコンクールやオーディションを通して喜怒哀楽や自尊心やスポットライトもそれなりには享受してきた。また吹奏楽の指導者・指揮者としては、毎年コンクールに関わらなければならない生活も十何年も続いている。

 「蜜蜂と遠雷」も夢中になって読んだ。いい小説で感動的だった。でも塵君のピアノを彷彿とさせるのは、平野弦が一柳を弾いたもの、とかではないか、とオレは言いたい。知らない?ネットで検索すれば出てくる程度のものを、知らないとかは、ピアノ弾きなら恥ずかしいのでは?とかも言いたい。一柳慧が知らなくてもいい作曲家でないのなら、ピアノ弾きにとって、平野弦を知らないのは、おかしい。いや何を隠そう、自分も最近まで平野弦を知らなかったのだが。衝撃です。塵君です。キャラクターじゃなくて演奏の方が。ちなみに、第5回浜松国際ピアノコンクールの二次予選の課題曲は、一柳の委嘱の新作でしたよ。

第4回の高松国際ピアノコンクールで栄えある第1位の栄冠を収めた日本人の若き女性ピアニストは、まさに新しい才能の登場として、称賛されるべきことだ。真面目に思いますよ。そういう自分も第2回の高松国際ピアノコンクールに年齢制限ギリギリで応募して、予備審査で落選した。予備審査用の音源をネットで公開しているので(つまり落選音源)リンク貼り付けておく。

 http://musictrack.jp/musics/14574

でもですね、ピアニストにとってのラスボスが国際コンクールというのはいくらなんでも、とは思います。茂木健一郎さんが、国際コンクールをラスボスという、高松の?、地元のピアニスト?かピアノ関係者のツイートリツイートしてて自分がそれにつっかかったことがあるので、いま思い出しているのですが。

  角幡の姿勢が、身に染みる。

角幡の話は、チューバ奏者の舟越道郎さんのワークショップ形式のグループレッスンを聴講させてもらった時の、舟越さんの言葉に、また、直結していく。この文章は以上。ここまで読んでいただいた方がもしいらっしゃるなら、深く感謝いたします。長文駄文申し訳ありません。でも熱を入れて書きました。ごきげんよう

2017-01-11 沢知恵さんのこと

沢知恵さんのこと

〜類希なアウェー力(りょく)〜2016/11/19 福島県須賀川でのライブを聴いて

 沢さんのライブを聴くのは二度目である。その二度目で、なにより強く実感したのは、類希なアウェー力(りょく)のことだ。たとえ敵が武器や魔法を駆使してきたところで、こちとら、そうしたものは必要ありませんと言わんばかりの戦闘力というか、無人島でなにもないところからでも、なにかをスタートさせてしまうような、源からのパワーというか。

 二度とも入場無料のライブだった。ではライブに関わる費用はどうなっているのかというと、ともえ基金という沢さん自身が設立し運用している基金から捻出されている。

 ともえ基金は沢さん自身の基金でありながら、沢さんの活動を費用の面から全面的に支援している、という形をとっている。その沢さんの活動には、瀬戸内海でのハンセン病の療養所でのコンサートや、少年院でのコンサートが含まれる。

 今回のコンサートも入場無料である。また、コンサートの司会をつとめ会場を提供した教会の神父さんから、基金への寄付の呼びかけもあり、沢さんのCDの販売もあった。自分は初めて訪れた沢さんのライブも基金での入場無料コンサートだったのだが、そのときはCDを購入し、基金にも、わずかばかりの寄付をさせていただき、今回はCDを購入した。

 沢さんは、韓国人のお母様と日本人のお父様がいらっしゃるハーフであり、お父様は牧師さんで、戦後に牧師として韓国に留学し、留学先で知り合った韓国の女性にプロポーズをし、結婚をして日本につれてかえってきた。すごい時代のすごい恋愛のすごい結婚をして生まれたという、沢さんの出生の背景に、なによりまず、胸があつくなる。

 沢さんは、東京芸術大学の楽理科に学び、在学中に歌手としてデビュー。そして、戦後はじめて韓国で日本語で歌った歌い手であるという、歴史的な存在という側面にも自分は触れたい。

 誤解を恐れずいうなら、ともえ基金といい、ハンセン病の療養所や、少年院でのコンサートや、コリアンハーフであることなど、という背景や情報の、意味が重く、一見、そういう(この、「そういう」というのはどういうことなのかは、後述します)人なのかと思ってしまうが、なんとコンサートに行き、生の沢知恵のうたを聴いてご覧なさいよ、あなた、沢知恵は、なによりミュージシャンとして、歌い手として、表現者として、プロ中のプロであるその、歌の、パフォーマンスに圧倒される。三ツ星レストランのシェフが炊き出しで腕を振るっているような情景が幼稚園に併設された教会の、おそらく毎日、演奏として弾かれるわけじゃない、年老いたアップライト(!)のピアノを携えて奏でられるのである。そのすごさに、なんか顔がにこにこしてきつつ、感涙し、圧倒される。 

 自分はクラシック音楽ピアノを習ってきた。いまも年に一度か二度程度ではあるが、機会があればレッスンにいっている。また、クラシックピアノの演奏会も複数足を運んでいる。

 沢さんと、クラシックピアノのソロ・リサイタルを比べても、っていう意見もあるかもしれないけど、先日聴いた「現在、現代最高のショパン弾きのひとり」ともいわれるピアニストのオールショパンプログラムは、音響のある音楽ホールでスタインウエイで奏でられたが、パフォーマンスの精度は、沢さんのほうが、よりプロフェッショナルだった。

 クラシックピアニストが音響のある音楽ホールで、多くはその人のチケットを買って、中には熱心なファンもいて(自分はそのピアニストのコンサートに足を運ぶのはそのときで5回目であったし、そのピアニストの現在発売されているCDは全部もっていて、その全部にサインをもらっている)というのは、沢さんのおかれた状況に比べれば、なんというホームグラウンドな環境であろうか。

 沢さんはライブの途中のMCで「私のコンサートに今まできたことがある人!」「コンサートにはきたことはないけど、名前は知っている人!」「今回が初めて、無料だし、つきあいもあるし、まあきてみたというひと!」というアンケートを聴衆になげかけ、やや自虐的なトークが自然な笑いを誘い、ライブに和やかな雰囲気を添えていたものの、そのMCでのアンケートの項目の最後が一番多い、無料コンサートなわけである。

 クローズドの前日のコンサートではおそらく相当弾きにくかっただろう古い古いアップライトピアノは、この日は沢さんの歌声をしっかりサポートして、なかなかごきげんであった。そう。どんなピアノでも弾き手でかわる。目が覚める。そんな(おそらく普段はプロフェッショナルな弾き手によって弾かれることなど滅多にない)ピアノでもあったわけである。

 なんというアウェーな環境だろう。しかし、それをプラスに変えるような、沢さんのパフォーマンス。すごい。かつて一国の元首が一アスリートに投げかけた言葉、「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」どころではない、沢さん本人が、「ええ。今日はすばらしい聴衆との出会いがありました」(口調は将棋羽生さんを想定)と、必要最小限にクールに、でもかっこいいという意味ではものすごくクールに、いってないけどいわんばかりの、アウェーな環境ってなに?といわんばかりの、圧倒的な音楽だった。すばらしかったですよ。

 表現者の背景の意味の重みを考えたとき、「そういう人」というのは、どういうことか。先日、別なコンサートを鑑賞した。コンサートには費用がかかるものであるが、復興支援ということで、無料になったものだ。そのコンサートは地球上の貧富の格差をスライドで紹介しつつ、すすめられた。冒頭の一曲目は、多くのシンガーのレパートリーであり、沢さんも取り上げることのあるアメイジング・グレイス。録音されたカラオケ音源を伴奏として歌われ、一曲歌い終わったあとに、「ここで拍手があるとうれしいです」とMCが入る。(沢さんが聴衆に拍手をリクエストするMCは、自分が足を運んだ二回のコンサートではなかった。)そのコンサートでは、貧困格差について、聴衆に疑問や、感動を与えるエピソードやスライドがあり、それに沿うように音楽がある。自分はそう感じた。

 それがレヴェルが高いとか、低いとか、そういうことが言いたいのではない。それはそれだ。もちろん本音として、自分がどう思っているかは、もうこの文章の行間にも滲みでてしまっているかもしれない。

 好き嫌いはおいておいて、そのような音楽のあり方はあるだろう。テレビCMには音楽の、主従の、従としてのあり方の、極北も、ごくたまに、自分は見かける。J・S・バッハのカンタータBWV147をBGMに使用したNTTDoCoMoのCMは、ため息がでるほどエッヂが利いていて、衝撃があり、感動があり、美しかった。

 考えてみれば歴史や社会の背景と全く切り離された表現などあり得ない。だからこそ、表現者の多くは、それらを意識しつつ、囚われすぎないバランスといったようなことに美徳を見いだすのかもしれない。より強度の強い、必然性の価値を見いだしたりするために。表現が独りよがり自己満足にならないための、客観性といってもいいような精度を得るために。価値の根拠となる美意識は当然沢さんにもあり、それは多くの表現者にも共通プロ意識を支えているひとつではないか、と自分は考える。

 沢さんが個性的なのは、表現者としての、自身や表現の、歴史や社会の背景を、わりと露わに引き受けている、背負っている、点だ。ふつうは「自分は、こんな背景があります(それは時に、不幸や障害があるほど、人を惹きつけたりもする。言葉は悪いが、同情という形をとったりして。)」ということは、それを美徳としないならば、程良くオブラートに包んだりする。もしくは徹底的に隠す。そうでなければ、もしくは、全面的にアピールし利用し、そうした受け取られ方と引き替えに、音楽の、表現としての純粋性が、二の次になってしまったりする。

 この、ここのバランスは思ったより難しいのではないか。

 表現には、社会的背景や、歴史的背景がある。それを知ることによって、表現をより深く味わうことができる場合がある。逆に、先入観や予備知識が表現の感受の妨げになる場合もある。

 沢さんからは、表現の背景や歴史が、くっきりと伝わってくる。それが必要最小限、つまり、過多でも過少でもないことは、沢さんのライブパフォーマンスを体験すると、よくわかる。気がする。そして、そのクオリティーを支えているのが、並々ならぬ沢さんのプロ意識から生み出される、パフォーマンスの精度だと自分は思う。そしてそのことは同時に、類希なアウェー力(りょく)の発露を生み出すことにもなっているのではないか。

 物語は表現の隙間を埋めていく。時に浸食する。表現が物語の奴隷になってしまうことは、ある。よくあるのか、たまにあるのかは、わからないが、物語られることに、人は惹きつけられる。「これはなんなのか?」というわからないことを、自分自身以外に、解説してもらうことは、安心である。

 沢知恵の歌の入り口には、物語がある。そしてそれは、やはり、人を惹きつける。しかし、それは最小限だ。

 沢知恵の歌の入り口にある、物語を通過すると、その奥には、歌がある。歌は歌でしかない。歌以外のなんの代替物としてではない、歌としての歌がある。

 沢の歌は、沢自身の物語から出発して、近くや、すこし近くや、少し遠くや、遠くや、ずっと遠くや、ずっとずっと遠くまで届いていく。ずっとずっと遠くに届く頃には、沢自身の物語はもはや、気配ですらない。しかし、そうなっていくということは、歌が、ほかの誰でもない、沢自身の歌となって、遠くの誰かに届いていくということだ。そして、その歌は、沢自身の歌であると同時に、みんなのうたにも、なっていく。

 そのプロセスに想いを馳せるとき、自分は灰谷健次郎の、「ひとりぼっちの動物園」の冒頭に添えられた詩を、また、思い出す。

 

 あなたの知らないところに いろいろな人生がある

 あなたの人生がかけがえがないように 

 あたなの知らない人生も また かけがえがない

 人を愛するということは 知らない人生を知るということだ

               (灰谷健次郎「ひとりぼっちの動物園」より)

 歌でしかない歌である、遠くまで届いていくと同時にみんなのうたにもなってしまう、紛れもない沢の歌は、歌でしかないのだけれど、祈りの形や、愛の形の相似を、垣間見る

沢さんのウエブサイトはこちら↓

http://www.comoesta.co.jp/index.html

2016-10-02

9月5日仙台ユジャ・ワンをきいたわけだが。

 プログラムは以下。

【9/5(月)仙台日立システムズホール】

シューマンクライスレリアーナop.16

ショパン: バラード第1番 ト短調 op.23

カプースチン: 変奏曲 op.41

ベートーヴェンピアノソナタ第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」


 かつて「東洋人と女性にピアノは弾けない」といったホロビッツは、ユジャ・ワンピアノをどう聴くのだろうか。しかも、自分の孫弟子である。ラン・ランに引き続き、といってもいいかもしれないが、この点は。

 圧倒的なテクニックの持ち主でそれが安定して常に発揮されることは、多くの人が感じるであろう、彼女の演奏の特色の一つである。

 この部分は本当にすごい。音楽にノっている感じと集中力の持続の両立。自分が生で聴いたピアニストと比べるなら、安定度はラドゥ=ルプーに匹敵するが、表現としてはユジャの方ががんがんアクセルを踏んでいく。直線での踏みっぷりがすごい。

 テクニックメカニックな)もクリスティアンツィメルマンに匹敵するが、ツィメルマンみたいに考えすぎな(もしくはツィメルマンをたてるなら考え抜いている)ところがない。その場の感興を音楽に乗せていくような表現は、ユジャの音をより生き生きとさせる。ユジャはCDなどの録音で聴くと思ったよりおとなしく感じるのとも、関連があるかもしれない。ライブや、CDなどの録音でなにを目指すのかについて、たとえばユジャとツィメルマンでの考え方の違いみたいなものは、あるのではないか、と思う。

 表現力では河村尚子を引き合いに出してみたい。河村が、炭火を静かに燃えさからせるように、より内向的に圧倒的になにかを深く表現しようとするなら、ユジャは揮発性の、爆発する燃料のようである。

 でも、結果ユジャは、自分の表現したいことに関して、ものすごく理にかなっているとおもうのだ。

 

 レーシングカーサーキットで如何に速くタイムを出すかのアプローチを考えたとき、無駄な部分で速度を出しすぎたり、コーナーでコースアウトしたり、必要以上にタイヤをすり減らしてしまったりしたら、タイムは出ないのだ。

 ユジャは最高速度が他を抜きんでているレーシングカーのように思う。しかし、間違ったアプローチは、してないのではないか。プログラムを集中力を切らさず完奏させるスタミナのコントロールなど、その演奏の派手さとは裏腹にそれを支えているクレバーさも見逃したくないところだ。

 直線での最高速を出し惜しみしないところをパフォーマンスとみるならば、しかし、最高速パフォーマンスをみせながら、コーナー手前のハードブレーキのコントロールも見事なもので、コーナリングコースアウトという無様なミスはしない。またタイヤマネジメントもしっかり意識しており、途中タイヤが計算外にだれてきてコントロールが利かなくなる、ということもない。

 車を好きになるときに、その好きになりかたは、どんな物であってもいい。

 キャンピングカーにカスタマイズするといった好きになりかた、デザインやかわいらしさを重視する、好きになりかた、車内をぬいぐるみのレイアウトの場所にする、という好きになりかただっていい。

 音楽を、どう、好きになるかだって、種々であり、そのどれがいいとか、悪いとか、ではない。

 自分は、車にたとえるなら、サーキットを如何に速く効率よく走ることができるか、という一つの最適解の追求があるということ、その上で、ならば、そのアプローチに個性はあるのか、という矛盾する両立に、重みを見いだすような、クラシックの演奏の楽しみ方が好きである。

 ユジャは自分の追い求める、客観性、最適解に対して合理的でありながら、しかし同時に個性的だ。そこがとても興味深い。

 演奏の最適解と合理性をいったん理解し通過して、時には最適解合理性から離れて、演奏解釈の自由さをインスピレーションを元に優先させる、ざっくりいえばそういうパターンもある。サンソン・フランソワ然りといえるか。

 演奏の最適解と合理性と、解釈の研究の極みを尽くしてっていうアプローチの方は、クラシック音楽が作曲と演奏の分業で、作曲家の書いた楽譜が元になっているという構造から、こっちがデフォルトであるようにも考えられるか、と思っている。

 いままで何人のアルゲリッチが再来してきたかはわからないが、ユジャは、アルゲリッチのインパクトをオーバーロードしていく予感は、俺はする。

 アルゲリッチバッハ南米アフタービートを感じ取る評論家の文をみたことがあるが、ユジャには、京劇のまがまがしさ、や強烈さ、中国という国土風土を感じる。

 非・西欧圏からのアプローチは、いずれにせよ、「クラシック音楽」「楽譜」という自分の所属する土着ではないところからでてきたものを、いやがおうでも客体化、分解しなければ、そして細かく細かく論理的に咀嚼することともってして、直感的な理解の代替とすること、代替とすることによって形成されたものら、体感的に学んだりすることの遠回りといった、単純ではないプロセスを必要とする。

 非・西欧圏からのアプローチはたいていはそこでおわる、っていう訳ではないけど、そのプロセスがとてつもない茨の道だったのではないか。少なくても20世紀の間は。

 小澤征爾がヨー・ヨー・マと対談して、非・西欧圏からの出自でいったいどれだけクラシック音楽の本質に迫れるかといっていたのは1980年代のことだったと思う。

 クラシック音楽と同じ文化圏の出自であることはアドヴァンテージである、という考えは、アルゲリッチユジャ・ワン、という演奏史を仮定するなら、どうなんだろうか、とも思う。

 ユジャがヨーロッパ文化に生まれ育ったならば、単に指が回るピアニストで終わったかもしれない想像は、それほど間違っていないきもする。

 才能(含む継続性、それは天才にあってはそうみえないけれど、努力と呼ぶものと、同一の構造と質を持つものである)を、あえて不利な(反アドヴァンテージな)環境におくことで、発生する化学反応と、なにかしらのブレイクスルー、というものは、あるのではないだろうか。

さて。

 ツイッターで彼女の演奏について、シューマンショパンについて「音が混濁して」という感想があって、なるほど、と思わせられた。

 自分はその「音が混濁」という部分に、少し触れたい。

 自分はそれは演奏上の傷ではなく美点として感じる。美点というか演奏効果である。どんな演奏効果なのかというとエレキギターにおいて「ディストーション」というエフェクターを通したときのような歪みのある音圧のある音がするのである。

 それが音楽のフレージングにおけるテンションの高まりとともに、絶妙な場所できちんとアクセルが踏み抜かれるように、音圧のある音で音が歪むので、これは、すごい演奏効果なのではないか、とおもう。

 ピアノはアコースティックな楽器である。それでもあそこまで、音が歪むまで楽器の音色を使いきるピアニストは、そうそういないのではないか。自分はユジャワンをおいて他に知らない。中川賢一のプロコやメシアンを弾くときも相当鳴ってるけど、もう少し音が整っているようにも感じる。それは白石美雪がいうように、ハンマーで太い杭を一本一本打ち込んで行くような音を中川は出すのだけれど。

 エフェクターを通してないのに、ディストーションがかかるアコースティックのピアノクラシック音楽という土台で。ちょっと「なにそれ」である。あるいはイタリアオペラでまるで演歌のうなりを彷彿させるような表現上のゆがみを表現上の必然として提示されたような。おれは、そこに価値を見いだす。別に「音が混濁してる」と受け取ろうが、それは人それぞれの受け取り方や、感性の違いとか、そういうので、かまわないのだが。

 それからこれもツイッターの感想で、おもしろかったのが、ユジャの弾くカプースチンがまるで上原ひろみみたいだ、という感想だ。

 これはなるほどわかる。上原ひろみジャズピアニストで、カプースチンはその譜面を弾けばジャズになるといわれることもある作曲家で、アドリブではなく譜面に書かれた音楽である。

 これもまた、エフェクターを通さないディストーションみたいな「なにそれ」があった。ジャズとは自分はもっとも広義な意味でのPA(パブリックアドレス)であると思うのだ。いや、ジャズにも、アコースティックピアノアンプラグドの、アンプを通さない演奏だってふつうにあるじゃない、ということがあるかもしれないが、うーん。

 ジャズジャズたらしめているシステマティックなものがPAみたいなものだ、とするならユジャは、そのPAシステムのないところで、当然の前提としてのPAをすべて取っ払って、カプの楽譜を足場にして、それを確かな足場としつつ、まるで上原ひろみを彷彿させるような、ジャズの奔放さ、自由さの領域を演出してみせたように、自分は感じたのだ。

 楽譜を前提とするクラシックの方がシステマティックなPAになりそうなものを、クラシックではない、クラシックほど厳密に譜面を前提にしないジャズだってこそ、ジャズのグルーブや、アドリブや、そこから表現される奔放さや自由さの演出が、じつはジャズというひとつの大きなPAに依っているのではないか、ということをユジャの演奏を聞きながら考えさせられた。

 ユジャのカプは異種格闘技であることを越えるくらい、そういう表現として成立していた。現代空手(という言葉があるのかどうか知らないが)のルールや枠組みがあるとして、そこに古武術か何かがそのまま紛れ込んでそのまま試合が成立してしまっているみたいな、奇妙さを感じだ。

 ジャズを基盤としたジャズよりも、カプの楽譜を携えたユジャは、なんというか、はるかに素手だった。素手の格闘家でありながら相手の土俵でも試合を成立させてしまう。アクロバティックといえば軽い。格闘技の本質に道具やシステムを脱ぎ捨てて迫っているような、そんなものを感じた。 

 ジャズの方がシステマティックで、それよりもカプースチン楽譜を携えているほうが、素手の感じがする、というのは、おもしろい感覚だった。自分のなかで。

 ユジャについては賛否両論があるのは、わからなくもない。俺は河村尚子のライブで不意に胸をうたれて落涙したことはあるが、ユジャの演奏からそういう感興がわき起こることはない。

 しかし、京劇を圧縮して注入したようなユジャの圧倒的なパフォーマンスは他に追随を許さないなにかが、あるような気がする。鈴鹿サーキットでは必ず圧勝する、みたいな。モナコだったら別だけど、みたいな。

 ユジャをどんなに批判してもいいが、しかしユジャを同業者だとおもっている人が、ユジャを無視したり批判したり、軽く扱うならば、少なくても、「ユジャってこういう感じで弾くよね」っていうことを、イメージや感覚として8割でいいので再現できて(それを聞いたひとが「ああ、たしかにユジャっぽい」いえるくらいに)、その上で、自分はそういう弾き方はしない、ということをできなければ、説得力ないし、格好悪いと、自分は感じるなあ。

 音楽という大きな大きな枠組みのなかで、器楽演奏という分野は、まるでスポーツを彷彿とさせるようなメカニック要求されることがある。ピアノはその部分で他の器楽と比べても1、2を争う楽器だ。それは器楽演奏の本質のすべてではないが、一部だとおもっている。

 器楽演奏がフィギュアスケートくらい厳密な採点競技になり得るなら(それは不可能な話だと自分は思っている、それでもあえてそういうことを想像してみるなら)、ピアノ金メダル候補の最有力は、ユジャ・ワンではないだろうか。

 トップフィギュアスケーターがアーティストでもあるならば、それに逆の側からなぞらえて、ユジャはアスリートの魅力の側面もあり、それが輝いているように見える。そう。トップスポーツ選手がアーティストでもでもあるならば、ユジャはクラシックピアニストの側からそれらが時に表裏一体だったり同根のものではないのか、を体現する存在にも、自分は思える。

2016-01-09 宮下奈都 著「羊と鋼の森」(文藝春秋)を読む

宮下奈都 著「羊と鋼の森」(文藝春秋)を読む(ネタバレありのつもりはないけど)

歌人(57577の短歌を作るひと)の枡野浩一短歌形式以外にしたほうが(つまり、映像、音楽、など)おもしろいものは、短歌にすべきではない、という。極端な意見だなあとおもうかもしれないけれども、その意見には考えさせられるものがある。

「羊と鋼の森」を読み進めながら、これ、もしかしてずいぶん丹念で精緻な取材を元にしてるんではなかろうか、ということをヒシヒシと感じさせられた。そして、その丹念さ、と精緻さは、そのままこの小説の美点となっている。丹念さと、精緻さを、小説の美点としたのは、ひとえに、この作者の技量といえる。なぜなら一つに、これは小説であり、物語であり、ノンフィクションではないからである。それだけの取材をしたのなら、もしかしてノンフィクションとして提示したほうがより、読者に届くということも、考えられたかもしれない。しかしそこは小説家としての、物語を紡ぐものとしてのプライドといったらいいのか、習性といったらいいのか、そんな熱やエネルギーがあったのだろう。そしてそれは見事に成功していると、自分は感じた。

小説だから嘘を盛り込んでもいいし、超常現象を起こしてもいい。ワープしてもいいし、タイムマシンで時空を飛び越えたっていい。そうしたものいいは言い過ぎだけど、物語を推し進める起爆材として、主要登場人物を殺したり、悲恋エピソードを盛り込んだり、ということはよくある。それか時にアクロバティックなほどにうまいのが村上春樹だったりするわけで、近年の村上春樹の話題作は物語を推し進める(読者にページをめくらせる)仕掛けでしかないんじゃないの、と思うこともあるくらい。

「羊と鋼の森」には、物語を物語たらしめている要素が、本当に必要最小限にしかない。表現したいとおもう主題があって、その主題に深く関わる取材対象があったとき、それをノンフィクションではなく、物語として提示することの難しさ。それがノンフィクションっぽい小説ではなく、ちゃんと物語としての、最小限の仕掛けやファンタジー(ファンタジー的な要素はこの物語にはほぼ100パーセントでてこないけど)に収まっている。そのぎりぎりさ。こんなにけれんみのない小説なのに、でも小説らしく、描写は、「盛って」描かれていたりする。「盛る」という言葉のマイナス面が、この小説には申し訳ないほど、見事な微量さ、分量の適切さ、だった。だから(それでも)自分は、この話にのめり込み、少なくても三カ所で、あふれでる涙を押さえきれなかった。

そして、「羊と鋼の森」の登場人物のすべてのキャラクターを、いつでも、小説を読んでいるだけで、読んだ後も、鮮明に自分の脳内に再現できる。たとえば田中芳樹銀河英雄伝説を読んでるときとか、キングダムなんか漫画にもかかわらず、登場人物をメモ用紙に整理整頓しないとわけがわからなくなるのに。

大崎善生が、若くしてなくなった天才棋士ノンフィクションにしたとき、作者の思いいれが強すぎで、取材で伝聞したことと、作者が実際に体験したことの記述があやふやになっている、それがノンフィクションとしての体裁に傷をつけてる印象を与えるのが、残念だ、と批判されたことがあった。

宮下は、この小説において、その大崎が受けた批判に応えるかのごとく、ノンフィクションではなく、小説の立場から、見事に「だったら」の一つの形を、提示したとおもう。

現在直木賞候補にノミネートされている。とるかなあ。小説の構成や技法として目新しいことがない、ということが仇になりませんように。職人の手によるいぶし銀の佳作ではないかと。賞にもふさわしく、俺は思う。選考会は今月19日という話です。

クラシック音楽がもっと裾野からてっぺんまで活性化してほしいとおもう自分は、そういう理由からも、この小説が直木賞になってほしいとも思う。

2015-11-17 コンテンポラリー性・考

コンテンポラリー性・考

 2015年、自分が向き合ったコンテンポラリー性のある、といえる作曲作品が二つある。一つ目は、吉川和夫作曲、まど・みちお詩、混声合唱のための「どうしてあんなに」より、「風景」である。吉川先生は大学時代の恩師である。以下吉川先生と呼ぶ。

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2011年の3月に書かれた3曲がもとになって、その後に作曲者が受けた委嘱を契機として、連作の合唱曲になり、発表された。東京混声合唱団の定期でも取り上げれられている。楽譜は2013年に出版された。

 自分は勤務先の中学校で行われる校内合唱コンクールの課題曲としてこの曲を取り上げようと考えた。2014年にも考えたのだが、一年、あたためることとなり、2015年に三年生の課題曲として生徒とともに取り組んだ。

 代筆事件で一躍有名になった新垣隆は音楽史の延長上で勝負がしたい、といったことを新聞のインタビューか何かに答えた記事で目にした。吉川先生の書いた「風景」の楽譜を見ながら、自分はこの曲を書いた作曲家の耳が、音楽史を通過していることを想像したとき、興奮を呼び起こす熱が体の奥にポッと点火したようだった。

 授業でこの曲をやりはじめの頃のこと。音を取って生徒に歌わせる授業だった。授業と授業の合間の休憩時間には、その最初のフレーズを生徒たちが口ずさみながら、廊下を移動していた。この曲を扱って一時間目の授業からである。生徒たちにとっては今まで楽譜をみたこともない曲だろうし、演奏を聴いたこともない、曲に関して、である。

 後に行われた合唱コンクールには吉川先生ご本人に審査員として会場まで来ていただいたのだが、この曲の感想を自分が本当に伝えたいようには肉声ではなかなか言えなかった。

 そう、この曲には、愛唱性があるのである。それも濃く。このことも、吉川先生に直接伝えられなかった、でも伝えたかったひとつだ。

 合唱コンクールのその週になると、職員室のなかでも、「風景」のフレーズを口ずさむものもいた。

 それはそうだろう、親しみやすい旋律で書かれているのだから、と言うこともできよう。もちろん。

 でも、この曲にはそういってしまってそれだけでは終わらない、誤解を恐れず言えば、未聴感のある、不思議な、なんともいえない奥行きのある、ひっかかりのある、曲に思う。

 冒頭のピアノ。フレーズの収まりは4の倍数だとちょうどよく感じたりもする。しかし、この曲の冒頭は7小節目までのフレーズを、もう7小節繰り返すといったような(旋律は変化するけれど)構成になっている。繰り返す直前、つまり、7小節目、ルバートをどうするか、ちょっと考えてしまう場所だとおもう。正解は絶対にルバートしない、だと自分は思うけれども、フレーズというか、音楽のほうから「この部分ルバートどうしますか」という問いかけがあることは、心に留めておかなくてはならないとおもう。

 波打つようなフレーズの、ゆったりと円を描きながらくりかえす、その折り返しの部分が7小節目だからである。つまりルバートは7小説フレーズが二回繰り返すという構造に内包されている。その元々にたたずむ内在的なルバートが足りなければ演奏者の方で強調しなければならないし、十分であればなにも加えずなにも引かず、そこをそのままに解釈しなければならない。その「そのまま」性、はそれなりに問題だとおもう。どう演奏するか、の上で。

 単に楽譜通り演奏すれば、内在するルバートを無視したことにもなりかねない。よって、内在するルバートの存在を確実に感じ取って楽譜通り演奏するのが正解だと自分は考える。

 内在するルバートはどこから来ているのか。冒頭7小節のフレーズは、自分は3+4と捉える。4、が安定して満ちていてちょうど良いフレーズの単位に感じる前提ならば、3は一つ欠けている。歌の冒頭も「めーを と/じーてーいた/いー」の三小節フレーズである。橋本祥路なら「めーを/とーじ/てーい/たーい」と日本語の音韻(感)を犠牲にして4小節フレーズの安定性をとるかもしれないなあ、と自分は思ったりもするけど。

 この、3、という4から一つ欠けていることに、奥行きや間合いがある。そしてそれはルバートを内在させている一因だと自分は思う。ペダンチックな、と同じく大学時代の恩師である森田稔先生は言うかな、ともおもう。おまえは(ピアノを弾かなくていいよ、)評論家になれば、とも言われた記憶がよみがえる。弾くし。って答えておきたい。

 

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 俺は、校内合唱コンクール伴奏者の誰しもが、つまり、三人が三人とも、7小節目で、恣意的なルバートがなかったのは、吉川先生に「なかったでしょ?」とちょっと言いたかった。自分がそのことを各学級のピアニストの誰にも練習段階で話題にしたことはない。20年前、大学の付属中学校で講師をしていたとき、恣意的なルバートが多い中学生は、いた。そのことを直さない、ピアノ教師がいた、ということだと、自分は理解している。

 合唱曲にしては長い14小節の前奏。歌いだし直前に「せーの」といったアインザッツを出さなくても、歌い手である合唱は、はっきりと歌い始まりを実感できる。これほど「せーの」の補助のいらない前奏は、なかなかないと思う。

 完璧な前奏なんである。歌を導く上で。

 楽曲ははっきりとした調性で書かれている。E-durではじまり平行調のcis-mollで終わる。楽曲のすべての部分にコードネームを記入することができる。

 E-durではじまりcis-mollで終わることは起承転結の結をあえて取り去り、起承転を提示し、この曲の表現を受け取る側に、結論をゆだねさせているような印象を抱く。ここにも4から一つ欠いた3を感じる。欠けているけれども、だからこそ、はやり奥行きや広がりを感じる。「永劫」や「一億年に一度」といったとてつもないスケールを、カニッツァの三角形といった、錯視を使って表現しているような感じがする。前衛性を感じる。表現として攻めている。欠く、ということの、ものすごいエネルギーを感じる。なにかありえたものがない、という静寂や、無。なにかありえるかもしれない可能性としての、静寂や、無。

 さっき日本語としての音韻(感)-という言い方を自分は選んでいるけど-に話題としてふれた。機能和声法に象徴される西洋音楽のシステムが注射器で注入されるように歴史のある部分から急に内部に入ってきて、日本の歌は、言葉と旋律の狭間にいつも苦しんできたように思う。日本の歌が、どのように作られ歌われてきたか、も、日本語そのものにも影響を及ぼしてきたのではないか。歌を聞いただけでは意味がすぐにはわからない歌は未だにたくさんあるとおもうが、歌をどう理解するか、その感受の仕方の有様にも、考えを及ばせる必要がある。歌は聞いただけではわからないのは当然、歌詞の意味をしりたかったら視覚媒体で確認すべし、という表現物だってあっていい。外国語を字幕で理解する表現物だって当たり前にある。歌は聞いてわかるものであるべき、という規制はない。しかし、母語が使われているのに関わらず、聞いてわからない歌にどんな意味や意義があるのか、という問いには答えることは難しいのだが。ここでたとえば、参考楽曲として、タンドゥンの「19個記念的”fuck”」のことを考えたりしている。

 「風景」の旋律と言葉は、日本語の音韻(感)は損なわれていない、大切にされている、と言ったとき、いや、「損なう」の対義が「大切にする」で、そういう評価軸を持ち出していいのか、という疑問も沸く。「風景」の旋律と言葉は、そういう日本語の音韻(感)の提示になっている、という言い方のほうが自分もすっきりする。

 そうあるべきものとしての、日本語のアクセント辞典イントネーション辞典は、歌にどれほど有効なのだろうか。今。木下牧子混声合唱組曲「箱舟」を書くとき、日本語のアクセントやイントネーションに徹底してこだわったという。そのこだわりは、そのやり方のままその後どれだけ有効だったのだろうか。今でも有効だろうか。

 吉川先生の「風景」における旋律と言葉は、和声を伴って、まさに、2011年以降のコンテンポラリー性を考えさせる提示になっているとおもう。現代曲という言葉は多くの偏見を伴いがちだが、それも、あえて言いたい、なんという現代曲だろう。中田喜直現代音楽か、ということを自分は学生時代に吉川先生と話した記憶があります。「風景」は現代音楽だとおもいます。

そして、調性について。

 吉川先生は1980年代に出版された、'83音楽の友・音楽芸術別冊「日本の作曲家」の石田一志が執筆した吉川和夫の項目の記事で、「前衛>だから正当的な現代音楽、<調性>だから非<前衛>で大時代的、とりあえずもういい加減に、こういう馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう。歴史に寄与するために作曲するのではない。言いたいことを言うために、どの音が、どのスタイルが必要かを大命題としよう」という発言が紹介されている。それは自分にとってすごく鮮烈な、作曲家としての立場の表明であった。

 1980年代、現代音楽というのは、19世紀までの作曲の方法論をいかに更新するのか、それがまず前提に色濃くあったとおもう。それこそ、「もういい加減にしましょう、」と言いたいくらい、の空気感があったのではなかったか。現代音楽文脈で、もしくは、その関わりを背景としながら、はっきりと調性を方法論の中心に据えて作曲していた人は、「反現代音楽」を標榜に掲げる吉松隆くらいしか思い当たらない。多くの現代音楽作曲家は無調をはじめ19世紀とは袂をいかにして分かつようにしているか、な20世紀の方法論を模索しながら作曲行為に向き合っていたと自分は考える。新しい旋法のシステムを編み出したり、偶然性や、具体音、ノイズ、を導入したり、図形楽譜を採用したりなど。もちろん調性で音楽を書くことはあっても、それは商業ベースからの要請としてであって、そこと、自分のメインとなる実験性、前衛性は、きっぱりと分かれていることが時代の趨勢であったと実感している。

 そういう時代の空気を背景として「馬鹿げた判断や不可解なタブーはやめることにしよう」という当たり前のことを、きっぱりといえるのは、なんというか、逆に外連味を感じるほどの鮮烈さだった。

 調性は汎用性がありとても便利なシステムである。しかし、作曲家が未聴感を求めるなら、調性というシステムは使い尽くされており、選びづらい。

 前出の吉松隆は佐村河内名義(新垣隆作曲)の前時代的なスタイルで書かれた作曲作品を評価し、批判された。代筆事件の文脈において。

 自分は東京佼成ウインドオーケストラによる「祈り」を、客席で生演奏で聴き、感動した。新垣作品であると知ったいまも、その評価は変わらない。

 調性、ということにしても、然り、使い尽くされた、とおもっていたシステムが、だったら、前衛精神にあふれた、実験的な、未聴感をもとめた新しい創作に全く使えないのか、というと、そうではない。そうではない、細い可能性の実践を、吉川先生は担って「も」、いたと、自分は思うのだ。

 吉川先生が、音友別冊で語っていた言葉は、2015年現在、そこにあったかもしれない外連味はない。作曲家自身がかつて語った重みのある、あたりまえの言葉になっていると思う。

 調性、といった歴史ある深い、こんなにまで熟成したシステムを論考したり、使用したりするのは、なんと難儀なことか、と思う。吉川先生がかつて語ったことばを、自分の言葉として捉え直すなら、調性が一般向け、調性をあえて避けたそれ以外の方法論の駆使がアカデミックということは、ありえない。もはやありえない、とも、言えるのか。やはり、ありえない、なのか。いずれにしても、それは20世紀の100年間が図らずも証明してしまったのではないか。それが絶望的なことなのか希望にあふれることなのか、はわからない。

 あ、この、絶望的なことなのか、希望にあふれるのかわからない、っていつか俺がどっかでも使った言い回しだ。

 自分は教員という職業にあって、教科は音楽を担当している。学校教育現場に教材として提示されている楽曲の数々の質は、もはや惨状といっても差し支えない。自分は、日本の作曲家にチャンスがあればそのことを肉声で訴えつづけてきた。そういってもいいくらいの機会が、おかげ様であった。記憶の古いほうからいうなら、故・三善晃、一番新しい記憶は長生淳氏。

 長生さんとの話はすごくおもしろかった。一般ピープルの自分の勝手な熱気を真摯に受け止めてくれた。佼成ウインドオーケストラに「深層の祭」というタイトルのCDがあり、タイトルチューンである深層の祭(三善晃)のほかにクロスバイマーチ(三善晃)とレミニサンス(長生淳)が並んで収録されている。自分はその並びがすごく好きなことを伝えた。ロックフェスティバルでRCサクセションの忌野清志郎がすごいパフォーマンスをみせ、このあとどうするんだろうというところで、ブルーハーツ登場。その緊張感のなかでこれ以上ない歌を披露した甲本ヒロト。それを彷彿させると。クロスバイマーチにはある種の狂気がある。さて、と思うと、レミニサンスはそれを越えてくる。作曲者三善に、真っ向勝負を挑んで互角以上の勝負を展開している、ということを伝えた。

 作曲という行為について、そういう勝負の意識というか、緊張感は大切じゃないか、ということを、長生さんと話した。それは調性を選ぶかどうか、ということじゃない。調性を選んだら緊張感がなく、調性以外を選択すれば緊張感が得られるとか、そんな表層なことではなくて。

 そのとき長生さんから、吉松隆の話がでた。吉松氏は自分が、自分の、その方法論を選択するとき、このやり方で書いたら、もしかしたら、表現者として抹殺されるかもしれない、といった覚悟があったということを。

 また、中島みゆき礼賛、ショパン礼賛の話にもなった。中島みゆきは、もはやクラシックであると。中学校の音楽の教科書はもっと中島みゆきの曲を採用すべきだ、という話でも、盛り上がった。

 創作をするということの緊張感について書きたい。高橋源一郎のデビュー作について講談社文芸文庫の解説で加藤典洋が次のようなことをいっている。

「 だいだい、文才にめぐまれているよいうような物書きは、文を書くと、氷上を華麗に滑るスケーター、のように見える。詩人なんかはまるでそうで、また、最近、高橋の延長上で仕事しつつある文才ある若い小説家の多くも、できるだけ、かっこよくターンを切ろうとか、四回転半のウルトラEを決めてやろうとか、考えていることは意外に単純であることが多い。しかし、日本文学というこのスケートリンクに、高橋が出てくると、様相はガラリと変わる。彼が出てくるとぐーっと会場に重力が増す。Gがかかる。竜骨はきしみ、スケートリンクの氷面がみしみしと音をたてて割れかかり、ボルトというボルトがぽろりと落ち、今にも会場全体が崩れそう。そのスケートリンクを衣装もよれよれ、げっそりやせた貧弱な高橋が、ただ、スケートをはいた足で、文字通り、今は薄氷となった氷面を踏んで、そろり、そろり、リンクを斜めに横切るのである。 」

「 わたしが高橋の書いたエッセイで忘れられないのは、彼が二十歳の頃、いまでいう過激派の一員として捕らえられ、東京拘置所に入っていた時の話である。彼は毎週ガールフレンドと面会したり、友人と手紙のやりとりをしているうち、だんだん苦しくなってくる。会う前にはいいたいことは山ほどあるのに『何をどんな風にそこでしゃべればよいのか全くわからな』い。やがて、それがこうじて面会になると『動悸がし、顔があつくなり、一語でもしゃべろうとすると舌がもつれ、どもってしまう。』『ペンを握り便せんにむかうと、恥ずかしくててがふるえるのです。言いたいこと、かきたいことがあるのに、いざ、しゃべり、かこうとすると、まるで強制されているようなきがする』、そしてその『強制されているという感覚』は、いつまでも長く残ったという。 」

「 高橋の言葉がやっているのは、ちょうど、スケートでいうと、ここに池がある。氷が溶けてしまっている。その池の上に足をかざし、それを瞬間、凍らせつつ、その上を滑る、というようなことだ。一人二役。ちゃんと、三十センチの分厚い氷が用意してるのにのっかって華麗に踊る、気のいいスケーターのあんちゃん達とは、もとからそこのところがだいぶ、違っているののである。 」

「 中学校の教室で、大昔、教師富士山は高さはヒマラヤの高峰に比べればそれほどでもないが、海抜ゼロの海辺からそのまま裾野にんって峨々とした山容をなしているところがほかと違う。他の山は最初からの土台分数千メートルを加算しているが富士は山だけで三千七百七十六メートル、そこが偉い、といった。高橋源一郎の言葉は才気があって切れがよくて、わたしは好きだが、そうである以上にわたしが高橋の小説にひかれるのは、そこで、言葉が、世界とつながる言葉の初期のたたずまいを、失っていないからである。彼は、何遍小説を書いても、あの東京拘置所失語症海抜ゼロメートル地帯に戻っていく。彼は小説家としては富士山だ。いつも失語からそのまま山頂まで、一気にのびていく稜線を描いて、その小説を書く。 」

 

 2011年の3月11日を機に作曲された曲といえば、菅野よう子作曲「花は咲く」がある。この曲についてのウエブページに記載された菅野の言葉は、曲のすばらしさと相まうように感動的だ。

  

 復興支援ソング「花は咲く」| 明日へ つなげよう - NHK

 

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 しかし、それでも、菅野のこの曲は、氷上でいかに華麗に舞うか、をねらっているように思う。もっと厳密にいうなら、華麗さを避けても、いかにシンプルに美しく表現するか、を考えており、スケートリンクそのものを構築しようとは考えていない。そんなことをいわれても菅野は「は?」、いや、作曲家本人ならずとも、「は?」な話だ。フィギュアスケートはいつからリンクの構築、デザイン、設計、施工から、価値判断の対象含まれるようになったのか、と。なってねーし。

 それでも吉川先生は「風景」は、愛唱性のあるシンプルな曲であることとは裏腹に、バリバリと割れただろうスケートリンクが喰らった重力波の、おそろしい形跡を感じる。作曲家として、その根本思想として、リンクの構築、デザイン、設計、施工をふまえている。誤解をおそれずいえば、そこまで「引き受け」ている。と思う。

 もう一つの曲は、本年度、2015年度全日本吹奏楽コンクール課題曲、西村朗作曲「秘技iii」。

 これが発表されたばかりのときの、2チャンネルでの受け止められ方、予想は、鮮やかに裏切られたような流行っぷりだった。

 2015年度課題曲について語ろう [転載禁止]©2ch.net

 地区大会ではこの曲を採用する学校は少なく、上位大会にいくに従ってこの曲を演奏する割合が増えていった。課題曲で、無調の現代音楽っぽい作品はかつてもあったし、毎年そういう枠なんだろうな、ということで、登場する。そして実力のある一部の学校が譜読みの力を誇示するような演奏をし、上位大会に駆け抜けていく。

 そういう感じとは、裏腹に、「秘技iii」は流行った。みんな共感し、感動し、この曲を堪能した。

 地区の代表になるレベル、県の中くらいの成績で終わる学校から、全国に出場する学校まで。

 そして吹奏楽コンクールを主催する朝日新聞もこの曲について語り紙面を割いた。

 家のものはいうのだけど「毎年、秘技みたいなの課題曲にいれてもいいんじゃないの?」と、でも、それは難しいんじゃないか。

 

 次に紹介するYoutubeのリンクは地区の代表になるレベルで県の中くらいの成績の秘儀である。

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 西村朗はさすがの一曲を書いたと思う。