杉山洋一指揮ワークショップに参加してきた

昨年度に引き続き、自分としては二回目の参加になる。

杉山さんのことを思い出すと幸せな気分になる。心がきゅーんとする。それは杉山さんがプロの音楽家として謙虚で虚飾がなく、音楽表現に、これほどまでにフェアに向き合っているひとはいないからである。指揮者として。作曲家として。そしてその音楽家としてのメソッドを後進に指導する教育者として。

表面的にはなにも、必要以上に優しげであることもないし、必要以上に厳しくもない。今回は中級編ということで、前回の初級とは違う。少なくとも過去に一回以上の受講歴があるといったことが条件になっている。しかしワークショップが始まってみればなんとエブリバディカムカムなアットホームな雰囲気ともちがうんだけど、オープンな雰囲気で始まる。譜読みや基礎テクニックに参加してその後聴講予定だった方も、指揮のレッスンが始まれば「やってみましょうよ」と呼ばれる。

自分は明らかな準備不足で臨んだ。「ため息」をつきながらガッカリされるということはないんだけど、「ため息」をつきながらガッカリというものは、虚飾なんである。その虚飾をとっぱらって、必要な厳しさで対応される。自分の心が裸になっていくのがわかる。杉山さんが自分の右手を取り、「力を抜いて」ということを何回もいって、杉山さんが自分の手を使って振る。それだけでものすごい経験になるが、もっと準備して受講すればそういう段階の根拠となるような、奥深い部分にも触れることができたんだよ、って、虚心で言われたような気がする。

シューマン交響曲第一番では、自分に似合う曲として第二楽章を振ってみなさい、といわれる。「やっぱり似合うと思った」といわれる。第二楽章は技術的にはさほどメカニカルな部分はない。ああ、自分は、励まされていると感じる。杉山さんに、その意図があるかどうかはわからないけど、フォローが入っている感じがする。なんだか申し訳なくなると同時に、泣きたくもなる。おれ、もうちょっとやってきます。また来ます。また教えてください、って、思う。できれば杉山さんのように、虚心で思いたい。

いまも杉山さんのことを思い出し、とても幸せな気分である。芥川作曲賞の公開選考会のための演奏会で、プロオーケストラ(新日本フィルハーモニー)を指揮する指揮者として、昨年に引き続き今年も招聘されている。イタリア在住の、作曲家、指揮者である。

俺が中学三年生のとき、杉山さんも中学三年生だったのではないだろうか。俺が高校三年生の時、桐朋学園の夏期講習会に参加したとき、桐朋の高校生だった杉山さんも、同じ場所にいたのだろうか。

杉山さんには、サン=テグジュペリの星の王子様、のようなイメージがある。難曲を指揮する上でのポイントとなることを、エネルギッシュとクールさがほんとうにこれ以上ないバランスで同居して混じっている勢いで、解説しながら指揮をふる杉山さんは、北斗の拳ラオウを、解説しながらノックアウトする、星の王子様のような、えも言われなさ、がある。

こんな人、見たことない。自分の人生に杉山さんとの出会いがあって、自分は本当に、本当に首を垂れる。

また、ワークショップを開催してください。

また、指揮を、音楽を、教えてください。

また、行きます。