Hatena::ブログ(Diary)

はてこはだいたい家にいる

2015-06-16

ディズニーツムツムとアカレンジャー系ヒロイン

夫のスマホアプリにはまる

 

去年からディズニーツムツムというスマホの消しゲーアプリにはまっている。時間内に落ちてくるツムをなぞって消す。たくさんなぞると点が高い。それだけ。夫の職場にどはまりしている人がいて「協力してくれ」と頼まれたのがきっかけ。

 

はじめは夫がやっているのを見て「やりすぎだ!」と怒っていたが、なんどか貸してもらっているうちにわたしがはまった。スマホを充電しながら眠る夫の横で、幾晩朝までディズニーキャラを消しまくったことか。*1

 

最初は得点をあげること、コインを稼いでキャラを増やすことに燃えていた。ゲーム自体は単調なのでそれだけでは飽きる。飽きたところでイベントが開催される。またはまる。毎月何かしらイベントが開かれている。

 

今月は「お片付け大作戦」という、キャラクターを性別にわけて加点するイベントが開かれている。プレイするキャラクターを選び、選んだキャラクターと同性のツムを消すとイベント得点になる。

 

ミッキードナルドといった男の子ツムを消すと、プーやティガーといった男の子ツムが得点対象。ミニーやデイジーのような女の子ツムを消すと、ティンカーベルアリスといった女の子ツムが得点対象になる。選んだツムと異性になるツムは消しても得点にならない。

 

こういうイベントではアイテムを使うと捗る。コインを使ってアイテムを買うと、時間を延長したり、ボムを増やしたり、通常5種類落ちてくるツムを4種類にすることが出来る。

 

わたしは日頃蜂プーと呼ばれるツムでコインを荒稼ぎしているので、こういうときはここぞとばかりにコインを使う。コインを潤沢に使えばだいたいなんとかなると夢と魔法の王国は教えてくれる。

 

コインで解決できない問題

 

ところがですよ。女の子キャラを選んでアイテムをフル活用しても、5種類中4種類、ツムを減らしているときでも4種類中3種類が男の子キャラということがよくある。はじめのころは「ついてない」と思っていた。しかし何度かそういうことが続いてやっと気が付いた。ディズニーツムツムは女の子キャラが少ない。

 

わたしが女の子キャラをあまり持っていないというわけではない。むしろ持っている方だと思う。だから女の子と男の子のキャラは半々くらいの割合だと思っていた。しかしよく見たら圧倒的に男の子キャラのツムの方が多い。

 

試しに今日付けで公開されている全種類のツムを数えてみた。72種類のうち男の子ツム47、女の子ツムは25。このうち1種類はイベントクリアで登場するので、イベント開始時の女の子ツムは男の子ツムの約半分。落ちてこないツムは消しようがないので、ちっともはかどらない。

 

特別な女の子とふつうの男の子

 

女の子ツムがこんなに少なかったとは知らなかった。なぜ気付かなかったのか考えてみたんだけど、プリンセス登場!と大々的な宣伝とともに鳴物入りで登場した女の子ツムが多かったからだと思う。「お、またプリンセスか」と思っていた。

 

わたしがゲームを始めてからまだ1年経たないけれど、その間にちょいちょいプリンセスお披露目があった。少なくとも13個、女の子のツムが増えた。現在公開されている女の子のキャラの大半が登場1年未満ということになる。

 

それに対して男の子ツムは特に「男の子!」という印象がない。女の子のツムは主役か*2主役の恋人*3だけど、男の子のツムは主役もいれば脇役もいる。恋人もいたりいなかったりで、年齢層も広い。わたしはふと昭和の特撮ヒーローものを思い出した。

 

ゴレンジャーごっこキャスティング問題

 

甥姪を見てるといまはあまりやらないようだけど、昭和の子供らはごっこ遊びをこよなく愛した。筋書きにはおかあさんごっこ、学校ごっこといった日常系のほかに、映画やアニメのなりきり系として特撮ヒーローものごっこもあった。

 

当時は「秘密戦隊ゴレンジャー」が放送開始されたころで、教室や校庭でゴレンジャーごっこをする男子がちょいちょいいた。ゴレンジャーはそれぞれテーマカラーを持っている。アカレンジャーはリーダー、アオレンジャーはクール、ミドレンジャーはナチュラル系、そしてキレンジャーカレー好きでお笑い担当、最後に紅一点というか、桃色のモモレンジャーがいる。

 

男の子向けの番組なので、男の子にはさまざまなキャラが用意されている。リーダーはやっぱ俺だな。いやクールな青のサブリーダーのがすきだからそっちやりたい。弟を緑で入れてやってよ。俺カレー好きだから黄色ね!という感じでキャスティングが決まる。

 

そういうところに「わたしもやりたーい!」と女子が入ると、採用は当然桃色のみになる。

 

いや、桃色、いいですよ。わたし桃色すきだったし、いまも好きだし。でもね、モモレンジャーってヒロインじゃん。女子力高くてハードル高いんですよ。柄じゃないっていうか。男子もね、やっぱかわいい子にやってほしいわけ。入れてくれるけど微妙な感じ。なんかいたたまれないから「じゃあ怪人側でいいかなー」って思うわけ。

 

この紅一点女子力高いというのはゴレンジャーだけの話ではなかった。「ウルトラセブン」のアンヌ隊員を見よ。「キカイダー01」の女性キャラなんか名前が「ビジンダー」だ。「ビジンダー!」って言いながら登場する。ごっこ遊びの最中でも、素に戻らざるを得ない。

 

男子には一般人の役がある。悪の親玉や雑魚の役もある。博士や隊長の役もある。しかし女子には紅一点ヒロイン以外で名前のある役は、ほぼない。単発登場しても、誘拐されて人質にとられるのが関の山だ。

 

いっぽう女の子向け番組にはもう少し色々なタイプの女子が登場する。ヒロインの友だちはかわいこちゃん女子、しっかりもの女子、お笑い担当と女子とつっこみ担当女子などがいた。男子も、ヒロインが恋するヒーローのほかに幅広い年齢層の男性キャラがそれなりに登場していたように思う。*4もちろんヒロインは意中の彼以外には歯牙にもかけないんだけど。

 

こうして見てみると、意外なことにディズニーツムツムは男の子向け番組に近いような気がする。ディズニーツムツムに登場する女の子キャラはプリンセスなど物語の主人公や、妖精、魔女など特殊能力の持ち主か、ヒーローの恋人に限られる。脇役キャラのツムは男の子ばかりで、独り身の一般人、サブキャラ女子は採用されない。

 

これはミソジニー大国と呼ばれるアメリカが意図的に女性を排除した結果ではなく、これまで女性に与えられてきた役割のせいだと思う。

 

アカレンジャー系プリンセス

 

近年のディズニー映画を観ていると、女の子に背負わせているものがものすごい。そのうち宇宙とか救うと思う。それ自体は別にいい。男の子だってさんざん人類の危機を救ってきているんだからそれくらい出来るだろう。女の子だって世界を救えるのよ。

 

ただ、男の子がヒーローになるときは彼を支える仲間がいて、恋人(かどうか微妙なのも含めて)がいて、応援してくれる大衆がいることが多い。バットマンなんか実質おじいちゃん二人が手取り足取り坊ちゃんを甘やかすし、アイアンマンも会社の金と技術と美人秘書の手助けで好き放題出来ている。

 

でも女の子はそうじゃない。誰にも頼らずたった一人で立ち向かう。自分を信じてがんばらなくちゃ、特に男には頼っちゃダメ!ハッピーエンドでキスして愛を告白したり、家庭を持ったりしたらダメ!結婚はあなたを縛るものなのよ。3Dになったアリス・イン・ワンダーランドの唐突で強引なラストを見たとき、これは国策か何かなんだろうかとわたしは思った。

 

確かに世界を背負って立つ女の子はいるだろう。全宇宙の運命を握る特別な女子が人類の未来を変えることもあるだろう。でも大半の女子はそうならない。それは大半の男子がそうならないのと同じだ。たった一人の選ばれた誰かが使命を遂行するためには、地味で目立たない仕事を陰で黙々とこなす人が必ずいる。バッドマンの世話を焼いていたじいちゃん達のように。

 

「『女子だから』ふつうは世界を救えない」ということではない。男女を問わず、人類が種として共存するためには先頭で偉業をなすひとと、ひっそりシャドウワークを果たすひとがどうしても必要だからだ。(おおげさ。)操縦席はひとつでも、操縦士だけじゃ飛行機は飛ばせない。バッドマンはじいさんあってこそ、紅の豚はばあさんあってこそ飛べるのだ。

 

近年のハリウッドとディズニーが描くヒロイン像ってエクスカリバー抜けちゃった系だ。そこを目指さないと敗北で挫折で志低いみたいに書かれてる。結婚恋愛コースか、救世主、生き神様コースの二択。男なんて!という結末が希望と結びついてる。ヒーローは家庭を持てるのに。

「青年が大志を抱くべきなら乙女も大志を抱くべきだ」ということなのかもしれないけれど、これじゃモモレンジャーアカレンジャーになっただけなんじゃないかな。わたしは女の子が*5もっとカラフルな役を選べたらいいと思うよ。

 

名脇役が世界を救う

 

昭和には「おまえは女じゃない」「あたし中身は男だから」という人がたくさんいた。女が出来る役が少なかったから、それにはまらないと女じゃないと思う人が多かったんだと思う。でも「キレンジャーアカレンジャーじゃないから女の子だ」とは誰も言わなかった。モモレンジャーじゃない女の子もいる。

 

主役じゃないけど印象に残る男性はヒーローものによく登場する。バッドマンのじいさんとか。*6そういう、主役じゃないけどすごい女性や、恋人候補じゃないけど魅力的な女性、カレー大好きお笑い担当女性なんかが脇役として登場するお話が、もっとあればいいのにと思う。 

 

もちろん一般向けのヒューマンドラマにはそういう女性が多数登場する。でも子供向けにそういう男女が登場することは違う意味でさらに大事だと思う。「若くてかわいい美人」「野性的で男まさり」以外にもいろいろな活躍の仕方があると、特に子供たちに知ってほしい。

 

ディズニーはヒロイン以外の、脇を固める女性にもっとスポットライトを当ててくれたらいいのに。たとえば美女と野獣のポット婦人とか。ツムツムにはティンカーベルが登場するけどウェンディーは登場しない。模範的なおりこうちゃんではダメなのだ。個性があって、独自の哲学がある、でもごくふつうの人。*7

 

ディズニーツムツム制作側がこのアンバランスに気付いてくれるといいんだけどね。そして親玉のディズニーも女の子に赤レンジャー系ヒロイン以外の道も、もっと示してほしいよ。

 

*1:そして「レベル上げておいたよ!」と恩着せがましく言う。

*2:おしゃれキャットのマリーやプリンセス系

*3:ミニー、デイジーなど

*4:弟とかヒロインにデレデレする三枚目とか味のある親族とか。

*5:そして男の子も

*6:じじい好きすぎうざいですか。

*7宮崎駿アニメのいいところは、全年齢で活躍する女性が大勢出てくるところだ。もちろん男性も。子供のころから見てきたけれど、お姉さんになったら、大人になったら、歳を取ったらこうなりたいと憧れる女性が宮崎アニメのなかには何人もいる。

2015-06-03

フェミ叩き厨の姑根性

先日弱者男性関連のエントリーを上げた。わたしの結論は経済的、肉体的、また知的能力の点で困窮状態にある男性を女性だけで助けるのは難しいので、男性の協力が必要だと思う、ということだった。

 

わたしの書き方が誤読を誘うものだったのかもしれないけれど(長いから最後まで読んでない人もいたと思う)、あの話を「男は困ったら福祉に頼れ」という話だと受け止めた人が少なからずいた。そして「フェミは自分たちを助けろと言いながら男を助ける気がない」という趣旨のことを、ブクマ増田でわめいていた。

 

わたしは17歳で親元を離れて自活し始めた。世間も知らず、体力もあまりなく、経済的にも、いま振り返れば何度かひどい困窮状態に陥ったけれど、そこで何度も助けてくれたのは公的制度や福祉ではなく、身近なコミュニティにいた人たちだった。

 

だから大人になったいま、自分を助けてくれたような大人になりたいと思う。もちろんその人たちはわたしの人生を完璧に救ってくれたわけじゃなかった。だからわたしも完璧に助けられないからと尻込みしないでいたいと思う。

 

そこで助けてくれた大人や子供の中には男性も女性もいた。ただ、女性の方がより身体に近い親密なケアをしてくれたし、わたしもそれを受け入れることが出来た。同じことを男性からしてもうらうのは社会的に問題があり、実際迂闊にそれを受け入れてかえって大事になったこともあった。

 

さて、フェミ叩き厨のみなさんは、どうしてこういう真面目で切実な話にもフェミガーフェミガーをねじこんでくるのでしょうか。人がみな老いていき、病に倒れ、職を失う可能性がないとはいえないこの世の中で「それは性差と関係ない福祉の問題」と切って捨て、他人事にしておける人がどれほどいらっしゃるでしょう。明日は我が身ではないのでしょうか。

 

ここでこじれたら後々自分が困るのに、相手が既婚女性と見るとダラ主婦だとか夫を搾取しているとか騒ぐ。子供を産むことを躊躇する、あるいは望まないと言う女性に群がっては口を極めて叩く。少女や乙女を見ると自分の理想像に沿って成長するよう圧力をかける。それらを一人で表立ってはやらず、人目につかないところでネチネチやったり、同好の仲間と集団でやる。

 

おや!これは、家庭版のまとめなどでよく目にする悪い姑像そのままじゃないですか。どうして似てくるのかしら?

 

嫁から姑へのクラスチェンジ

 

家族や親戚の女性が徐々に年老いていく経過を目にする機会がある。女性作家も初期の作品から高齢になってからのエッセイなど順を追って読むと作風の変化がわかる。

 

見ていると、若い頃はむしろ「女性はけして男性に劣った存在ではない、自由に羽ばたいていくべきだ」と唱えていたような人が、長ずるにつれ「いまの女性はなっていない」「妻とはこうあるべきだ」とぐちぐち言っていたりして、驚く。佐藤愛子とか。

 

中には「おまえもやってなかっただろ!」ということを妻の、また母の条件としてあげ、「出来ていない、旦那さんが可哀そうだ」と大真面目に言いだす人もいる。*1

 

身近で見てきた範囲では、こういう女性はだいたい現在夫と上手くいっていないか、夫がいない。そして息子が妻を迎えたとき「自分はよくいる姑のようなタイプじゃない」と鷹揚な気持ちで、寛大に嫁を迎える気持ちでいる。「姑だからって怖がることはないのよ。ベタベタする気もないからね!」

 

しかし嫁に来た方は、そもそも嫁に来たと思ってすらいないこともある。「夫の身内か。平和につきあえたらな」くらいの認識である。家事育児を指南してもらおうとも思っていない。

 

前提の違い

 

新入社員であれ、転校生であれ、ニューカマーを無意識に下に見ている人はいる。ある種の職業や成育環境に優越感を感じている人もいる。そういう人は上から下にかがみこむ気持ちで隣に並んでやった相手が、自分に対等に接して来ると尊厳を傷つけられたように感じる。

 

昔、白人男性が奨学金欲しさに、黒人のふりをして大学に入る映画があった。彼は「私は黒人のあなたに差別心なんかまったくないのよ!」と非常に恩着せがましくアピールしてくる女性に困惑する。彼女は差別心のない自分を印象付けようと彼を家に招待し、家族に紹介して食事をふるまい、総仕上げとしてベッドに誘う。彼にも選ぶ権利があるとは考えもせずに。

 

「私は嫁いびりなんかしない」と誇らしげに宣言していた女性たちを見ているとこの白人女性を思い出す。その言葉には「自分は姑であり、あなたが仕えるべき夫の母親であり、敬われるべき年長者で、あなたはこの家庭に後から入ってくるよそ者だけど」という前置きがあるのだと思う。

 

フェミ叩き厨のみなさんがこのような姑に似てくるのは「自分は男であり、女が仕えるべき夫と同様の立場であり、生まれたときから女より優れた力と能力を持った性で、女はこの社会で生かしてもらっている立場なのに」という前提が根底にあるからじゃないかと思う。

 

フェミ叩き厨のみなさんの中には「女に暴力を振るったこともない」とこぼす方がよくいる。「フェミニズムを真に受けてきたがモテなかった」というtogetterが少し前に話題になった。これは「一生懸命家族に仕えてきた」とこぼす姑と似ているように思う。役割をきちんと果たせば当然のこととして敬意や好意を得られるはずだ、という理屈だ。

 

言うまでもなく姑になった女性がみなこうなるわけではなく、舅になった男性がこのような傾向を免れているわけでもない。小姑小舅についても同様である。*2 *3

 

ただ、それまで嫁として立場が弱かった女性が、自分より立場が弱い者を得たと思うことではっちゃけてしまうように、男性社会で立場が弱い男性は自分より下にいるはずと考える女性にある種の期待をして、それが叶えられないことで鬼姑化してしまうのだとしたら、そこには相通じるものがあると思う。

 

嫁姑関係で苦労した女性がその関係に固執するのは傍から見ているとおかしな感じがする。また男性社会の構造で苦労した男性が、その構造に疑問を投げかける女性に喰ってかかるのも変だなーと思う。でもそこには「そんなことが認められるなら自分の苦労はなんだったんだ」というやりきれない怒りがあるのかもしれない。*4

 

ピラミッドを作った側に手が出せないから、下にいると思ってる相手に鞭をふるっているんだろうけど、そういうのを情状酌量してもらえると期待するのは間違ってるよ。

*1:もっとも驚いたのは姑を蛇蝎の如く憎んで連絡を絶っていた母が、最近どんなに姑に可愛がられ、仲が良かったかを滔々と語っていることだ。

*2:嫁を迫害する舅姑は2chではクソトメ、クソウトと呼ばれ、そうでない場合はウト、トメ、尊敬できる人物である場合良ウト、良トメと呼ばれる。

*3:ちなみにうちのトメさんはウトさんに愛されて鬱陶しがっています。ウトの嫁べったりは息子に遺伝しているなと常々思います。

*4:嫁が息子とラブラブだったり、恋人や夫がいる女性をビッチ呼ばわりしたりするのも、そういう満たされないところから来ているのかもな

2015-05-26

「家事は女がやるもの」社会は男子にとっても悲劇

「男性でもやる気があれば家事は出来るはず、だから自己責任」について思うこと。

 

二十代半ばの男の子と知り合った。

彼は母親と二人暮らしだけれど、まともに食事をしていない。

「そんな食生活では将来たいへんなことになる、せめてご飯を炊いて惣菜を買っちゃどうなの」

と、おばちゃんは口を酸っぱくして言った。

「えー。飯炊くとか無理」

「なんでよ、ちゃっちゃと研いでスイッチ入れておけばいいのよ」

よく聞いてみると彼の家には炊飯器がなかった。彼のお母さんは根っから料理をしない人だった。

 

「お母さんは食事どうしてるの」

「あいつは適当に食べてるだろ」

お互い外で何か買ってはその日その日をしのいでいるらしい。

わたしは三十代に入るなり倒れて寝込んで今に至るので、二十代の自己過信には過敏なところがある。

それで「まともな食事を!」とぎゃーぎゃーしつこく言い続けて、彼はついに中古で炊飯器を買った。

 

「炊き立てのご飯、うめぇ!」

「よかったね!」

 

しばらくしてどんなおかずを作っているのか聞いてみた。

一度炊いて以来炊飯器は使っていないという。

 

「なんで使わないのよ」

「だって入れておいたら黄色くなって臭くなってたから…」

「ご飯は炊いたら一食分ずつラップに包むか、タッパーに入れて冷蔵庫か冷凍庫に入れるのよ!」

「そうなのか」

彼は料理の常識というか、料理以前のことで知らないことがたくさんあった。

 

包丁を使うのが面倒だというのでピーラーを使えと言ったら、ピーラーを知らなかった。

カット野菜がスーパーで売っているのを知らなかった。

野菜や肉を混ぜるだけで出来る調味の元の存在を知らなかった。

冷蔵庫に入れた玉子が一週間で食べられなくなると思っていた。

こういう知識はテレビやネットからではなく、家庭で親を見て学ぶものだということがよくわかった。

 

わたしが特に驚いたのは、ここまで困っている二十代男が

「男が料理をするなんてみっともない、気持ち悪い、モテない」と言い張ることだった。

 

「なんでよ。食べなきゃ生きていけないでしょ。結婚したって奥さん倒れたらどうするの」

「そんときは外で適当に食べる」

「奥さんどうするのよ」

「え?なにが?」

「奥さんお腹すくでしょ!」

「あ、そうか。じゃあ適当に買って帰る」

「そういうときはおかゆとか消化のいいもの食べたいでしょうよ」

話を聞くと、どうやら彼は病床で病人食を出してもらったことがないらしかった。

 

彼の中では女性と結婚できればその女性が料理をしてくれるはずで、それまでは適当に買って食べていればいいという話になっている。

「母ちゃん料理してないじゃない、女が料理してくれるもんだって思ったら大間違いよ」

と話すけれど、なかなか信じられない。それどころか

「男が料理をするなんて女子力高くて気持ち悪い」とまで言う。

 

料理好きのわたしの母に彼のことを話したら、母は言った。

「母親がいけないのよ。男の子だからって過保護に育てて」。

母は自分の友人と、彼女が溺愛している息子のことを思い浮かべたらしかった。

これが女の子の話だったら、母は同じようには言わなかったと思う。

もう少し詳しく事情を話すと愕然として絶句した。

母には母親が料理を作らない家庭というのが想像できないらしかった。

 

漢民族は男が料理を作って女性にふるまいますよ」

漢民族の男性から聞いたことがある。そういう文化で育ったら少なくとも性差で料理に抵抗はないと思う。

エマ・ワトソンが「男性も男性のジェンダーロールから解放されるべきだ」と言ったのはこの辺だよね。

家事や育児、身だしなみに気を遣うことは男らしさと対立しないという文化になれば、男性は生きる術をもっと楽に身に着けられる。

そりゃ「面倒だからやりたくない!」と言う人もいると思うけれど、よっしゃやるかと思っても現状「そっちは女の子用」という状態だ。

 

女性同士には料理を教え合うという文化が定着していて、女の子に「料理を教えてあげようか」という人は割といる。言われた側もおいしそうだと思えば喜んで教えてもらう。楽しい。こういうことが男の子にもあればいいのにと思う。

Cookpadとやる気があれば何でもできる時代のように思えるけれど、料理って一緒に作ると本じゃわからないこといろいろ気が付く。何より楽しい。人と食べる体験が出来るところもいい。もちろん相手によるけれども。

 

けれどもたとえばわたしが二十代男子を家に呼んで、手取り足取り料理を教えるには、まずは夫の予定を確認しないといけない。一人暮らしのときだったらもっといろいろ考えるところだ。ということで、おばちゃんは一度買い物につきあって最低限の調味料と食材の選び方を教えるところで手を引いた。Good Luck.

2015-05-25

なぜ弱者男性は弱者女性より深刻に詰んでいるのか

 

はてなフェミチームメンバーとして記憶されているわたくしですが、弱者男性の詰み具合はある面で確かに女性より深刻だと思う。今日はそのことについて苦い思い出話をします。

 

スーパーのレジで働いていたときに、毎日ボンカレーとサトウのご飯を買っていくおじいさんがいた。毎日おなじ薄汚れたつなぎを着て、脂じみた髪をほつれさせておじいさんはやって来る。姿だけ見るとホームレスのようだったが、おじいさんは一人暮らしで店のすぐ近くに住んでいた。

 

おじいさんを見るたび(こんな生活を続けていたら栄養失調になるんじゃないだろうか、身の回りのことは大丈夫なんだろうか)と心配した。でも結果的に最後まで何も手助けしなかった。

 

地元の同僚によると歩いていける距離に飲食店を営む娘夫婦が住んでいるということだったので、娘さんが世話をしてくれるだろう、そうだったらいいなと都合のいいように考えて自分の心を安らげていた。

 

あるときおじいさんは数日店に来なかった。スーパーは観光地の山奥にあり、冬は雪に閉ざされる。さすがに娘さん夫婦のところへ身を寄せているのだろうか、まともな食事が出来ているならいいな、と思った。おじいさんはいつも薄くて固そうなつなぎを着ているだけで、冬場もあまり暖かそうではなかった。

 

おじいさんを見かけなくなって数日後、不審に思った近所の人が様子を見に行った。おじいさんは風呂場で凍死していた。

 

わたしがおじいさんに何もしなかったことにはいくつか理由がある。

おじいさんは以前息子と暮らしていたのだけれど、この息子はわたしの家へ風呂をのぞきに来たり、深夜ベランダを歩き回ったりした形跡があった。警察も呼んだけれど犯人は捕まらず、後日息子は婦女暴行の現行犯で捕まった。おじいさんに怨みはないけれど、いつ出所してくるかわからない息子の家と関わるのは怖い気がした。

 

でも今回の弱者男性論争で再認識したけれど、わたしがおじいさんを助けなかったのはおじいさんが男性で、不潔で、知性が感じられなかったからだと思う。カレーを買いに来ていたのが女性で、清潔で、知的な輝きがあったら、わたしはもう少し立ち入って力になろうとしたんじゃないかと思う。可愛かったり素敵だったりしたらなおさらだ。たとえ息子がいつか出所して来るとしても「親と子は別です、世間の偏見に負けないで!」と熱く語ったかもしれない。

 

おじいさんは酒臭くも煙草臭くもなかった。ただ貧しく体力が衰え、身の回りのことが出来なくなっているということは火を見るより明らかだった。でも臭かったから近づきたくなかったし、不潔だから触りたくなかった。それがわたしがおじいさんを助けることを躊躇し、誰か他人がやってくれないかなと思った最大の理由じゃないかと思う。

 

おじいさんのつなぎはある時から股間に大きなシミが出来ていた。失禁したあとだということは一目瞭然だった。わたしは「そのつなぎを洗いましょうか」と言うこともなかった。服を洗って店で手渡すくらいのことは簡単に出来た。家にいかなくても店で野菜料理だって野菜ジュースだって渡せた。皮肉なことにそこは関東を支える農業地帯の一つで、辺りは野菜畑でいっぱいだった。

 

ではおじいさんが清潔で知的だったら助けたかというと、それでもわたしは同じ状態にある女性を助けるようには考えられなかった。おじいさんが男だったからだ。もう少し若いときか、子供の頃だったらそんな風に考えなかったと思う。年老いていても男の人の一人暮らしに一人で近づくのは危ないということをわたしは何度か痛い経験を通して学んだ後だった。

 

このおじいさんのことだけじゃなく、わたしは何度か助けが必要だと思える男性を見捨てて離れたことがある。食生活がよくない人の口臭や強烈な体臭、垢じみた服の山が放つ悪臭には寒気がする。ギトギトの髪の毛と抜けた歯を見ると怖気が走る。でも子供がそういう状態にあったなら、相手が女性だったら、相手が男性だったときほど心は萎えない。相手が男性の時ほど警戒することがないからだ。

 

わたしは男性を前にしているとき無意識に「襲われないように身を守らなければ」と思っているし、「好意を勘違いされないように」と思っている。男を獣扱いするな、自分は女性を虐げたことなどないと、どんなに言われてもそれはもう仕方がない。事が起きたとき責められるのはこちらだし、起きた後では取り返しがつかない。

 

そしてこういう自衛本能は女性なら誰でも、程度の差こそあれ、社会性を身に着けるのと同時に身に着けていくものだと思う。だから弱者男性は女性からの支援を受ける点で不利だ。また弱者であることはそれだけで人に生理的嫌悪を催される状態になりやすいということで不利だ。

 

そうして考えると男性は同性からの支援をいっそう必要としているように思う。結婚して夫がいる今だったら、カレーのおじいさんが気になると言えば夫は間に入ってきっと力になってくれる。おじいさんの息子だって夫がいたらあれほど図々しくやってこなかったかもしれない。

 

言うまでもなくこれは女だったら誰かが助けてくれるという意味ではない。ホームレスには女児もいる。けれども弱者であり、男性であるということには他の立場で得られる場合がある支援から除外されやすい要因がある。

 

フェミニズム弱者男性を生んでいるとは思わない。でも女性が男性を助けることには肉体的、社会的な難しさがはある。だから個人的にはやっぱり男の人たちと一緒に力になることを模索していきたい。自分の父や兄弟たちが、夫が、そんな立場になったら助けてほしいと思うもんな。

 

いい加減“弱者男性”をフェミニズム批判の道具にするのをやめろよ。

「弱者男性」の敵はマチズモ

2015-03-27

フェミニストであることとモテは両立する

フェミニズムを信じてきたけどその対応じゃ女にモテなかった、どうしてくれる」

という趣旨のテキストをここ数日あちこちで読んだ。はじめ、何を言っているのかわからなかった。女性の権利を侵害しないと女性に愛されないとな?まとめてみるとだいたいこんな感じ。

 

フェミニズムとは女性を男性と同等に扱うことである」と考える

→対等なので奢らない。対等だからリーダーシップを取らない。対等だから特別扱いしない。

→モテない

 

そりゃモテないよ。人として対等だということと特別に扱うことは両立できる。そして対等とは同質ということではない。子供の人権を守るとは子供に大人並みの知能と体力を要求することではないし、高齢者を尊重することと高齢者を人として対等に接することは両立できる。

 

同性間であっても親友と面識のない人との間には接し方に差が出る。親友には提供したいけどよく知らない人には提供したくないものがあるだろう。特別な関係になりたい女性を特別に扱うことは女性の人権を侵害することではない。仕事だって取引したい相手には特別な配慮を示す。それは相手を侮辱することではない。

 

もちろん関係性によっては拒絶されることもある。それは同性であっても同じことだ。親友の家で語り明かして朝まで飲むのは楽しい思い出かもしれないけど、一方的に好意を抱く相手の家に押しかければ警察を呼ばれることもある。

 

フェミフェミ言う人たちを見ていて思うのは、女性を自分たちと違うものとして考えすぎだということ。そりゃまあ違うところはあるんだけど、少し置き換えたらわかることもたくさんある。

 

仲良くなりたい人がいた場合、相手の出方をうかがうばかりでは仲良くなれない。それは友情でも恋愛でも同じだ。女性ばかりが、恋愛ばかりが難しいということではない。

 

先日映画「Back to the future」を観なおした。「女が男に迫るのははしたないこと」とされていた時代のコメディだけど、ヒロインのロレインは主人公のマーティにめっちゃ迫っていた。実際には女性から迫っているんだけど、形として男性から誘われたというところに落ち着けないと体面が保てない時代は「女の子からはっきり言わせないで。でも誘ってくれたらOKよ」というサインを送る方法が非常に発達していたのではないかと思った。この技術が失われたのは惜しい。*1

 

ロレインはマーティーに迫っている真っ最中に不良のビフに襲われる。上映当時は強引にキスを迫られているくらいに思っていたが、いま観たらどう見てもレイプだ。21世紀的にアウト。しかし1985年当時は「青春映画によくあるちょっと困った風景」くらいの扱いだった。これは正していかないといけないし、実際表向きは正されてきたんじゃないかと思う。*2フェミニズムの、あるいはジェンダー問題の進歩とはこういうことだと思う。

 

DQNセクハラまがいの迫り方をしたり、強引に壁ドンとかやってせまっているおかげでモテているというのは幻想だ。彼らは人の心の機微を直感的に理解しているから相手選びに成功しているというだけで、誰がやっても相手選びに失敗すれば大いに問題になる。

 

恋愛は結局人間関係なので、そこに硬直したルールを入れるのはあまり現実的ではない。人と知り合おうと思ったら相手に自分を知ってもらって、誠実につきあっていくしかない。フェミニスト、あるいは性差によらず人に誠実であろうと考えている人でパートナーを得ている人はたくさんいる。

 

とはいえ「男性から誘うべきなのに最近の男は不甲斐ない」というのはまったくフェミニズムと関係ないとわたしは思う。それはただ「好みの相手に強引に迫られたい」という男女共に抱く幻想の発露で、それを旧態依然な「女の子から誘うなんてみっともない」で正当化するのはフェミニズムと真っ向から対立することだと思う。

 

「男性をデートに誘ったら『自分から告白する女とか引く』と言われた」とか「『騎乗位の女は受け付けない』と言われた」とか、そういうのだったらわかるけどさ。多いよね、ロマンチックアラフォー女性。男子が不甲斐ないとか言ってないで素敵な誘い方を研究した方が実りが多いと思うよ。男性も女性もね。

*1小泉今日子の「渚のハイカラ人魚」にも「こっそりビーチで 口説かれちゃったら 大きくNG 小さくOK」という歌詞がある。

*2:言うまでもなくレイプ描写そのものが問題ということではなく、扱われ方として。