Hatena::ブログ(Diary)

はてこはだいたい家にいる

2010-04-20

あなたの魂に安らぎあれ

丑三つ時にどうしても髪を洗いたくなり、洗っていたらふいに書きたいことが浮かびました。

風呂上りの濡れた頭であの小説のタイトルを思い出そうとしたのですが、どうしても思い出せません。

なんだっけ、シャーロームとかそういう意味の言葉だよね。平安がありますように? 安らかでありますように? あなたに神のお恵みを? それはローズウォーターさんだよね。

あー、駄目だ。タイトルでググれない。いいや、誰か教えてくれるだろう。なんか、お大事にみたいな意味だよね。

 

正解は「あなたの魂に安らぎあれ」でした。意外な人からタレコミがありました。ありがとうございました。

 

コメント欄とブクマは回答ゼロだったけどね! 凹んでなんかないやい。

 

2010-03-16

自覚をもって

私は止まらない脳内ファンタジーに苦悩する人たちに元気をだして欲しいと思っている。

おかずがゲテモノでもいいじゃないか、人間だもの。

でも自分がゲテモノ喰いだという自覚は必要だと思う。

 

大野左紀子さんの“「女」が邪魔をする”から抜き出してノートに書き写したところ。

漫画、アニメの表現、消費には女性をモノ、性的商品とみなす差別的視線がある、という批判は当然起こってくる。一部のオタク向け商品や、ネットなどで公開されるフェティシズム丸だしの萌え言説に、強い不快感を覚える女性は少なくない。もちろんそれらを一律に規制することはできない。だがそこで主張される「表現の自由」が、女性への暴力的欲望の肯定であることは、はっきり認識されるべきである。そのことについて、当事者の多くがわりと無自覚であるようにも見える。妄想には暴力が常に存在しているという自覚なしにコンテンツを消費したり、「少女を愛でる平和な心」としてだけ語っているとしたら、鈍感と言わざるを得ないだろう。

P225 第九章 「女」はどこにもいない より

「女」が邪魔をする 大野左紀子

 

ぜひ自分が個人的な性欲を満たすために食い物にされる側に苦痛や脅威を与えながらおかずを楽しんでいるという自覚をもっていただきたい

そして社会生活を営む上で、公にすると周囲の人々に不快感を与える行為があるということを思い出してほしい。

日本ではたいていのトイレのドアに鍵がついているでしょ。

 

自分の好きなもの、興奮したものについて人と分かち合いたいというのは自然な気持ち。

でも部屋に鍵をかけてこっそり書き込んでも、ネットで発言したことは大勢の見知らぬ人の前で喋ってるのと同じだってことも忘れないでね。

『「女」が邪魔をする』刊行のお知らせOhnoblog 2

2010-03-15

叶恭子の知のジュエリー12ヶ月

はてなで知った「叶恭子の知のジュエリー12ヶ月」を図書館で借りた。

書店とブコフで探したけれど、見つからなかった。図書館ならやってくれると思った。

セクシータレント叶恭子本でありながら真面目な児童向け人生訓の書だから、書店もどこに置いたものか悩んでしまうのかもしれない。

 

ところでこの「…教えて、恭子おねえさま。」という帯がまた誤解のもとなんじゃないのか。

どんな刺激的なめくるめく世界を教えてくれる本かと思う人続出だろう。

恭子お姉さまが教えてくれる「純度の高い、知性のテクニーク」とは、いたって地味で堅実な人生訓。誰しも避けることのできない人生のさまざまな問題にいかに力強く立ち向かうか。戦後少女雑誌の道徳欄のようなお話。

 

装丁は日めくりカレンダーに箴言がついてるスタイルで、二三日置きに恭子お姉さまのお言葉がある。

また月と月との間には十代の読者からのお悩み相談があり、恭子お姉さまが丁寧に答えている。

 

恭子お姉さまの格言には月ごとにテーマがある。

1月 「知性」について

2月 「ブス」について

3月 「発見」について

4月 「恋愛」について

5月 「関係」について

6月 「友だち」について

7月 「思いやり」について

8月 「欲望」について

9月 「お金」について

10月 「失敗」について

11月 「肉親」について

12月 「孤独」について

 

恭子お姉さま、興味深い人だ。美香さんがあれだけ尽くすのもわかる気がする。

浮世離れしているように見えるけれど、お金のことも人間関係も地に足の着いた話ばかりだった。

逆にああいう生活をするにはこれくらいの信念がないと難しいのかも。

 

印象に残ったところをいくつか写しておく。

整形を親に反対されている、という相談への回答から。

「化粧」と「整形」は歴然とちがうものです。(中略)お化粧は顔を洗えば落ちますが、整形は「もとの自分に戻らない」ことが前提です。

もとの自分に戻らない。深い。

整形のリスクとして「整形後周囲の人たちが自分や家族にどう接してくるか」も考えるように、という一文も。

「なぜ友だち同士群れる必要があるのかまったくわからない」

「人目を気にすることはありません」

と再三書いている恭子お姉さまが整形のリスクとして周囲の反応をあげているのが興味深かった。

そうなっても後悔しないくらい大切なことなのかどうか、ということだと思う。

 

さて、実は投資に明るく、投資で暮らしているという噂もある恭子お姉さま。

9月の「お金」について、より、「冷静な消費者」。

冷静な消費者

しかし、それ以前に、当然のことながら、

わたくしは「冷静な消費者」であるのです。

「もの」の性質とそのクオリティ

示されている値段のバランスはどうか。

かつてわたくしはそのことを考え、

バナナをとても研究したことがあります。

 P178

バナナを研究。恭子お姉さまは研究好きで、図鑑などがお好き。

妖怪が大好きで書店で長いこと妖怪図鑑を読みふけって美香さんを困らせる恭子お姉さま。

それでどのバナナがバランスよかったんだろう。

 

次は美香さんとの二人暮らしが長い恭子お姉さまの語る親子関係。

金を無心に来た父親から傘で殴られたことで有名な恭子お姉さまが語る親子関係は綺麗事ではない。

助けを求める

「家庭」とは、本来子どもにとって

安心できる場所であるはずですが、

子どもの成長を親がおびやかしている場合、

その「家庭」は、できるだけ迅速に

逃げ出さなければならない場所となります。

また、逃げるためには、ときには第三者の力を借りることも

辞してはならない場合があるのです。

 P225

そして逃げたあとのこと。

不幸の選択

「自分の話をよく聞いてくれなかった」と

親への恨みをつのらせるあまり、あてつけに

わざわざ不幸になることばかり選択して、

自分の人生をこじらせてしまう人がいますが、

親が話を聞いてくれなければ、自分で自分の声に耳を傾けて、

後悔しない選択をしていくしかないのです。

「自分の不幸は親のせい」と考えることからは

できるだけ自由になることが、幸せへの近道です。

 P222

親との関係で人生をこじらせる。あるある。いるいる。結論。

あなたの人生

家族との関係があまりにも辛く、

「いま」が苦痛そのものであったとしても、

将来にわたる時間まで、苦痛一色であると

あきらめた想像をするのはやめましょう。

あなたの人生はあなたのものであり、それは本来

誰からもスポイルされてはならないものなのです。

 P227

逃げた人も逃げないことを選んだ人も希望を捨てちゃいけませんよ。

 

さらに恭子お姉さまは上品に率直に性と肉体関係についても語る。

奔放な性を謳歌しているかに見える恭子お姉さまの回答は驚くほど真面目。

どうやら体目当てだった男性と「どうしたら、また会えるようになりますか」という相談への回答より。

ライオンの場合、狩りをするのはオスではなくメスですが、その光景は、欲求を満たすためには手軽な対象にまず目をつけるという意味で、性的な興味のみで行動してしまう男女の比喩ととらえることもできなくはないでしょう。「わたしって困るくらいモテるな」と勘違いしている女の子は、水辺で一匹だけで無防備にたたずむ弱い個体、たとえて言えば水牛の子どものようなもの。

あたしって小悪魔子猫ちゃんだと思っていたら水辺の仔牛だったでござるの巻。

そして言うまでもないことをあえて言ってくださる恭子お姉さま。

言うまでもないから言わないんだけど、いつのまにか忘れられている事実。

当然の事実

当然のことながら、

避妊をしないでセックスすれば妊娠します。

幼い子どもだけでなく、

世の中には信じられないことに、

大人でもこの当然の事実をわかっていない人がたくさんいます。

P157

童貞捨てたい」「やりたい」とかいう人たち、こういうことわかって言ってるのか。大丈夫なの、やって?

コンドーム性病を防ぐもので、ピルを飲んでいない限り妊娠の可能性はあるということがわかっていない人もいる。

つけ方が悪かったりするとけっこう破れるらしいね。

 

次は年上に囲まれていた十代の自分の手から谷川俊太郎の"愛について"を取り上げて、この本を読ませたいと思った一文。

犯罪であるもの

彼氏にするなら同級生よりも年上、と背伸びしたい女の子へ。

あなたの気持ちに水をさすようですが、

二十歳以上の成人が、未成年を相手にした場合、

合意があろうとなかろうとそのセックスは、

この社会では多くの場合、

犯罪行為となる「淫行」と呼ばれることは、

目をそらさずに知っておきましょう。

 P158

これと、その翌日のAUG21・22のコメント。

狩りをするライオンは子どもからねらう

自分と同じ歳の男の子の

未熟な身勝手さよりも、あなたが

まだ未成年であることに目をつぶる、

大人の男性の狡猾さには、

くれぐれもだまされないように。

P159

全国の中学高校の司書さんと図書委員は、この本を学校の書架に数冊置くといいと思う。

年若いお嬢さまや姪御さんをお持ちのみなさんにもおすすめしたい。今からでも遅くない。

ご子息、甥御さんに進呈するときは大胆に胸元を開けた恭子お姉さまを写した帯をとってからにすることをおすすめする。

 

最後に4月の「恋愛」について、より。

焦りは不要

何かに夢中になっている最中にふと、

「そういえばわたし、最近恋愛してないわ」などと

我に返ることがあったとしても、

焦る必要はまったくありません。

いま夢中になっていることを、

心から楽しんですごせばよいのです。

叶恭子『知のジュエリー12ヶ月』、純度の高いテクニーク こどものもうそうblog

『知のジュエリー 12ヶ月』叶恭子 雨宮まみの「弟よ!」 …「泣きながら読んだ」とのこと。

2010-01-15

庶民の家に家庭内お殿さま養成計画が流行るまで

家庭でお殿さまを育てよう運動はいかにして始まったのでしょうか。

ブコメで尋ねられたはてこは「えー息子いないしわかんなーい」と思ったのですが、そういえばなんか一族の存亡が男子の出世にかかっていた、という話を読んだことがあります。

 

昭和五十二年に文化出版局から出された桑井いね著「続・おばあさんの知恵袋」、そうそうこれこれ。

この本は「おそれ多くも今上天皇、そのむかしの迪宮久仁親王(みちのみやひさひとしんのう=昭和天皇)さまと同じ年、明治三十四年」1901年生まれの桑井いねさんという方がお書きになった本です。

 

「という設定で、母の世代のことを書いた本でございます。」と21世紀に入って壮大なネタばれをしてくれた、ある女性の本です。

これは私にとってはネッシーが捏造だったことより大きな衝撃でした。

手元にネタばれ版がないので詳細がわからないのですが、著者はおそらく大正十年代にお生まれの方のようです。

 

大正から昭和にかけての暮らしぶりが生き生きと書かれたとても貴重な本なのですが、このころの男女の生き方、扱われ方がどれほど違うものだったかとてもよくわかります。

 この食い初めが終わると、それまでの黄色いきものから男は男らしいきもの、女は女らしいきものを着せ、ひと目で男女の別がわかるようにいたします。今のように、大人になってからも判別がつかないようなマネは絶対にいたしませんでした。

 着るもの、食べるもの、ことばづかい、ものの解釈、すべて男と女とは扱いが違うのが当然で、人生の目的が違うのですから、それに応じた育て方をするのが親のつとめでございました。

 男の子の寝ている枕もとは通らない。そんなことをすると出世しないと申しました。男の子の衣類は、緯切れ(よこぎれ)は使わない、たとえつぎ一つあてるにしても、布目を確かめて、緯に使うことはいたしませんでした。紐は、縦結びにならないように、オッタテ結びなどすると出世しないと申しました。

 「冷や飯食い」といいますように、冷やご飯は男、とくに長男には食べさせませんでした。お魚の切り身も頭のついたほうは男が、尾のほうは女が食べることに決まっていました。

男子の待遇をよくするという域を超えて、なんだか一種の宗教のようですね。

桑井いねさんは学者の奥さまという設定なのですが、当時の中流、上流階級ではこれがふつうだったようです。

どうしてこんなライフスタイルが定着していたのでしょう。

 昨今のように、日本じゅうが豊かになりましたら、ぼんやりしていても餓死することはありませんが、貧しい時代には立身出世をしないことには人間らしい暮らしはできなかったのでございます。ですから、赤ちゃんのときから偉くなるようにと、みんなで気をつかったものでございます。また、ひとりの男性が偉くなると、周囲の何十人かの人々があやかって、よい生活ができた時代でした。

 「子育て」より

一族の中で誰かが突出して稼いでくれるとみんなが生きていける。

稼ぎ頭をたいせつにすることは結局一族みんなのためになる。

そういう考え方だったようです。

 

誰かが稼いでくれたらいいけど、女が外で名を上げる口はそうそうない。

だから女は家を守って子どもをしっかり育ててね、ということでしょうか。

はたしてこんな生活で主婦に不満はなかったのか。

むかしの嫁姑は、嫁は姑に絶対服従という考えがぴーんと通っておりましたから、今のようではございませんでした。また嫁は、この姑に、そしてこの家に選ばれた誇りがございましたから、少々のことなどこたえませんし、さらには月日が経過いたしますと今の姑と同じ権力を持つこともわかっておりました。

なんという縦社会。

しかし家を磨き上げ、夫と舅姑に尽くすことは、自分が立派な家の立派な旦那様のもとに嫁いでいるという誇りにつながっていたのですね。

 

昭和の奥さまが書いた本をほかに何冊か読んだのですが、確かに虐げられていると鬱屈した感じばかりではありませんでした。

家事はいまとは比べ物にならないほどたいへんですが、手を抜くなんて恥! 家事の手抜きなんて誰よりあたくしがいちばん納得できません! という雰囲気。

この当時の主婦の本ってすごいもんね。野生のプロっていうか、家庭のプロっていうか。主婦雑誌カリスマ主婦とか鼻で笑われそうなレベル。

 

もちろんそれについていけない人も中にはいたようで、そういう方はずいぶんご近所から陰口を言われたとのこと。

この陰口のすごさも一読の価値がありますよ。

 

いつか自分も嫁に権力を振るえる日がくることが支えになっていたとありますが、こういう方は自分の番だと思ったら嫁の下克上が認められる社会になっているなんて、さぞ不公平な感じがしたことでしょう。

 

さて、お殿さまに話を戻しますが、これに続く部分に「これはもしやニートの原型では」と思う部分がありました。

 長男の嫁にはまた、本家の嫁としての誇りがあり、本家と分家の差別というか財力も月とスッポンでした。同じ親の息子として生まれながら、先に生まれたか、あとから生まれたかで身分と責任は大いに違い、それぞれの嫁の実家の財力も違っておりました。主人の兄は京大を出ましたが「勤めに出るなんてみっともない」といわれて、終世自分の家で、年貢米を数えたり、親類の冠婚葬祭に出席したり、震災と聞けば大和からお米を持って東京まで見舞いに駆けつけ、分家のお嫁さんが亡くなったら「あと入りさん」がくるまで幼児を何人も引き取って育てたり、肺病で寝ている人には応分の見舞いを持参するなど、桑井一族の世話で一生、結構忙しく暮らしておりました。

 「おばあさんの仕事」

“主人の兄は京大を出ましたが「勤めに出るなんてみっともない」といわれて”

 

働らくなんてみっともない。

 

京大出の方が先日ゆとりのあるニートの代表としてテレビに出演されたのを思い出しました。

本家の長男が働くなんて恥ですよ、恥! そういう文化があったのですね。

でも一般的な本家の長男はけして分家に威張り散らしていたわけではなく、分家パトロールに余念なく終世忙しくすごすもののようです。

 

ところで本家の長男なんて人口比率からしたらほんの一握りしかいなかったはず。

ではなぜど庶民の末端にまで、家庭内お殿さま計画は浸透していったのでしょうか。

 

これは私の推測なのですが、社会が変わる速度に教育が追いつかなかったからではないかと思います。

当時両家の子女を教えていた女学校にこういった男尊女卑思想が深く根付いていたことは明らかです。

そして教育を受ける機会をもつ人が増えたとき、こういった思想の流れを汲む教科書なり教師なりを通して、一般家庭の子どもたちも当時の男女のあるべき姿を学んでいったのではないでしょうか。

 

これらの子どもたちは本家も分家もない百姓の家の子が大半だったのではないかと思いますが、教わったとおりに男を立て、女がかしずく文化が徐々に根付いていったのではないかと思います。

むろんそれ以前に「嫁は家の中でいちばんきつい仕事をするもの」という公然の序列が、程度の差こそあれどの家がもあったことでしょう。

しかしそれがあるべき姿として謳われ、大いに褒められていった背景には公の男尊女卑教育があったのではないかなと、はてこは思いました。

 

だったらそのとき一緒に

「一族の長たる男子は常に親族に気を配り、終世東奔西走するものだ」

という思想も根付いていくとよかったのに。残念です。

まあ、教わってもそういうところはやんぴーと思う方が多かったのかもしれませんね。

 

アラフォーの知人のお母さまは確か戦前の生まれ。

もすこし下がって、ウーマンリブを叫び、私に“新しい女”になれ、とおっかないことを言った団塊世代の私の母も、やはり根底にはこの家庭内お殿さま思想があります。しかもなぜか年を取るごとに強くなっている様子。

 

すずめ百まで踊り忘れず。男尊女卑をはっきりと口に出して謳っていた世代よりも、団塊世代の私の母のような、無意識に“女は本来殿にお仕えするもの”と思っている人々の方が、自覚がないぶんやっかいな気がします。

戦争を知らない子どもたちとして自由を謳歌してきたはずの母は、まさか自分に男尊女卑傾向があるとは、夢にも思わないと思うのです。

 

日本の母と息子、姑と旦那のすてきな夢

世界でいちばんクイーンメリーを贈りたい女優、姫川亜弓

タイプ2の解説で「亜弓さんが自分と無関係な乙部のりえの不正を許さなかった」と書きましたが、亜弓さんにとってマヤは特別でしょ!と思われた方へ。

 

こちらのエントリーのブックマークコメントを拝読していたら、思いがけずガラスの仮面についてのご意見がありました。

ブックマークのリンクが出ない方はこちら

みなさん、大きな紙面にザラ紙の、あの素敵なデラックス版はお読みになっていらっしゃいますか?

 

追記として書いてみたら長くなったので改めて書くことにしました。

 

確かに亜弓さんにとってマヤはただ一人の友だちであり、命を懸けて戦うライバルです。

しかし客観的に見るとマヤと亜弓さんの関係は顔見知りの同業者です。

あのころはまだゆっくり話をしたことさえなく、お互い遠くから仕事ぶりを見て目を白黒させていたという仲でした。

 

そんなマヤを卑劣な手段で貶めた乙部のりえですが、あゆみさんは正々堂々忠告するでも、マスコミに対してマヤのスキャンダルの誤解を解くでもなく、“女優の喧嘩は舞台の上で”というまったくの個人的な哲学から主義をまげてまで父親のコネを使い、練習用、本番用二通りのカーミラをひそかに完成させ、本番当日乙部を叩きのめすという壮大な計画を齢十七にしてたったひとりで成し遂げました。やはり屈折していると言わざるをえません。

 

これはいうなればオフで何度か会ったことのある密かにライバルブロガーとして認める誰かが売られた喧嘩に、横から黙って参戦して自分のコネと才能と時間をフルに出し切り、ライバルブロガーに喧嘩を売った縁もゆかりもない人のブログを全力で封鎖に追い込む勢いです。

尋常なことではありません。

 

でも、傍から見れば赤の他人である人にわが身以上に入れあげる、それでこそタイプ2、それでこそ亜弓さんだと私は思います。

こういう方々は日頃はけしておせっかい焼きではなく、自分がかまわれるのも人にかまうのも嫌いなのではないかと思います。

基本的に自分がされて嫌なことは極力人にもしない。

 

しかし自分の正しさの基準を侵害するような問題になると話は違います。

不正に遭っているとみなした人を擁護することで自分に得があろうがなかろうが肉親以上に味方する。

その擁護の仕方が自分の属する社会で異端とされることであったとしても、信じた道を突き進む。

それがこのタイプの方々らしい仁義の切り方だとはてこは思います。

 

亜弓さんは愛犬家でありながら、役作りのためには無邪気に足元に寄ってきた仔犬も情け容赦なく蹴っ飛ばします。

亜弓さんは外の雑種なんか蹴り上げるぐらいがお似合いよ、と思っていたわけではなく、周囲に自分の生存価値を認めさせるため命がけで女優業に励んでいるので、あの場合生き抜くためにはやむをえなかったのだと思います。

たぶん実家の犬やばあやであっても、場合によってはやる。

 

亜弓さんが役作りの妨げになるものを認めることがあるならば、その何かは亜弓さんが命以上に大切だと認める人か、命そのものである哲学に係わる問題なのでしょう。

 

つり橋でマヤを助けたのはマヤちゃんが落ちたらたいへん!というまっとうな倫理観によるものだったのか、そんな卑劣な真似をしたら一生自分が許せないととっさに悟ったのか、微妙なところだと思います。

 

なんだかんだで彼氏も作り、人並みの高校生活も送り、いつも仲間に囲まれながら人間らしさと女優生活を両立させているマヤと比べて、亜弓さんの青春は明日のジョーばりに戦い一色。

マヤが青春スターと仕事ほっぽらかしてデートしていた間、亜弓さんは役作りとしておじさまとの擬似恋愛に励んでいたなんて悲惨すぎる。

あれだけの資格をとって維持するには毎日舞妓さんもびっくりなお稽古のメニューが組まれているに違いありません。

 

そんな亜弓さんが人並みの青春と引き換えに手に入れた演技力はまさに血と汗と涙の賜物。

「わーすごーい」とのん気に一喜一憂しているマヤは、「あたしってやっぱり生まれ付いてダメな子なんだ」と亜弓さんの努力を巧みに遺伝的特質に摩り替えてしまいます。

これは裏を返せば「生まれつきだから出来て当たり前だよね! あたしが出来ないのも生まれつきだもん!」ということですね。

 

「天才には、叶わない…! こいつがいる限り…! あたしの女優人生は、無駄…!」

と、一度はマヤが命を落とすのを見過ごそうとまで思いつめた亜弓さんとはなんと対照的なのでしょう。

もしかするとマヤに流れる天才女優の血が、無駄に消耗する自責の念を抱くことを自然に阻止しているのかもしれません。

 

というわけで、私が念頭に置くタイプ2にぴったりな条件の権化のような亜弓さん。

それにしても娼婦役なんかがまわってこなくて本当によかったです。どんな危険な役作りを始めるかわかったものではない。

“たけくらべ”の結末があの辺で助かりました。

 

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ガラスの仮面

2010-01-13

“主張”には行動も反応も必要ない。

聖子ちゃんタイプの解説にあった、

「自己主張とは本来人を説得するようなものではなく、何も言わなくても周囲を納得させてしまうものです。」

ってどういう意味? という方へ。

 

三省堂新明解国語辞典では主張とは

「自分の意見を相手に認めさせようとして押し通すこと。またその意見」

と説明されています。

だから“青年の主張”では青年は自分の意見を出し、聴衆にそれを認めさせようとします。

  

自己主張なら自分自身を主張して相手に認めさせて納得させればいいんですね。

聖子ちゃんタイプは自分という人間を人に認めさせ、その価値を納得させている人だと思います。

それは自分が立派だとか賢いとか何か秀でたところがあると思わせることではなく、

人としての基本的な価値を認めさせているという意味で。

それで周囲はなんとなく、この人を無下に扱うわけにはいかない、思ってしまいます。

 

(もちろん聖子ちゃんタイプを支持する人は熱狂的に彼・彼女に入れあげることがあります。

 人心掌握に長けた聖子ちゃんタイプは人を喜ばせるのが得意です。それでこそ聖子。

 でも、彼・彼女を支持する人たちは、彼らの弱さだって大歓迎。むしろ力になりたい。

 間違ってもそんなことも出来ないとは見損なった、とはなりません。

 やはり福岡出身ののりピーの涙にどれほどの人が胸をうたれたことでしょう。)

 

いかがでしょうか、少しお分かりいただけたでしょうか。

要するに顔か、と思われた方。そうではありません。

 

あなたの愛する馬鹿猫や老いぼれ犬、あいつらがあなたに対してする自己主張。

こいつらに保険の利かない治療をする価値があるとあなたに思わせるその力。

それが私の言う自己主張です。

 

自分がただ生きていること、一人の人間であることに価値があると周囲に思わせ納得させる。

つまり自己主張ができている。私が念頭においている自己主張とはこういうものです。

そしてそのような自己主張は、まず自分自身に対してなされるものです。

 

「身体がノーと言うとき 抑圧された感情の代価」ガボール・マテ著より

アサーション (Assertion) 主張

 

 受容し、感情に気づき、怒りを実感し、自立性を育み、人とふれあう能力を大いに高めたなら、今度は“主張”の番である。主張とは自分と世間に向かって、「私はここにいる」「私はこういう人間だ」と宣言することである。

 この本には、行動していないと空っぽな気がする、恐ろしく空虚な気持ちになると言う人が何人も出てきた。何かを恐れるあまり、忙しいこと、いつも行動していること、何かを達成することが自分の本質だと間違って思い込んでしまうのだ。自律あるいは自由とは、自分の望むように行動あるいは反応することだと私たちは思い込んでいる。だがみずから宣言するという意味での主張には、おのずと限度ある行動の自由よりも深い意味がある。それは私たちの経歴とも性格とも能力とも世間の評価とも関係のない、自己の存在そのものの表明、自分に対する肯定的な評価である。主張(アサーション)は、自分の存在を正当化しなければならないという心の奥の思い込みに、異を唱えるものである。

 “主張”には行動も反応も必要ない。それは、行動とはかかわりなく、ただ存在することなのだ。

 したがって主張は行動の対極にあるといってもいい。したくないことを拒否するという狭い意味だけではなく、行動する必要そのものから解放されるという意味で。

※原文では赤字部分傍点。

  

私が非モテ・非コミュ・自分に自信のない人が性犯罪やデートレイプから身を守るために大事なこととして

「今日からまずご自分のことを絶世の美女並みに配慮されるとよいと思います。」

と書いたのはこのためです。

そして自分を守るには「元気でいられるように面倒をみて、ないがしろにしないこと」が大事だと書いたのも同じ理由からです。

 

人が自分の人としての価値を自覚すればするほど、周囲に強く自己主張することができる。

そして人としての価値がはっきり伝わってくる人をむげにするのはなかなか難しいことなのです。

 

だからこそ、虐待者は「お前には価値がない」というメッセージを口を酸っぱくして送ってきます。

だって恐れ多くも基本的人権を生まれながらに備えた人を自分が虐待しているなんてことになると、たいへんですからね。

価値がないと思っているわけではなく、価値を下げないといろいろ困ってしまうのです。

価値がないということで双方合意していれば周囲にも目立ちませんし。

 

でもあなたが自分の真価を自覚するようになると事態は虐待者にとって厳しい展開になるのです。