柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

一期一会

「出会いがあるっていう事は必ず別れがあると言う事なんだ」

最終話で佐々木先生がヒトミちゃんの転校する事を話す前に長太郎にそう説明する。第41話でノリコちゃんが引っ越した時、長太郎はノリコちゃんの乗るタクシーを追いかけて悲しさを堪えて笑顔でノリコちゃんを見送った。

「俺、君のこと忘れない!絶対、忘れないよ」
「私も、長太郎君の事、忘れないわ」

その後で長太郎は泣いた。泣いた長太郎の傍にいてくれたのはヒトミちゃんだった。

「泣いている長太郎君は嫌いよ!」

そう言って長太郎にハンカチを差し出した。長太郎はタマエとも別れを経験したが、その時も涙は見せなかった。タマエの時は一方的に好かれて迷惑していたのもあっただろうが、それでも皆に隠れてタマエを見送る為に港に来ていた。
徒名(ドラマを見て分かる設定6) - 柿の葉日記ここでも書いたが、この時も長太郎はタマエともいい別れ方をしたのだと思う。この時も長太郎の傍にはヒトミちゃんがいた。

なんだかんだいって長太郎の傍には最初からヒトミちゃんがいて2人はいつまでも一緒にいられると思っていた。でも、そのヒトミちゃんとも別れの時がくる。振り返ってみれば長い人生の中で人と人が一緒にいられる時間なんて短いのかもしれない。毎日、顔を合わせていた同級生と転校したり卒業したりしてそれっきり会えない人がたくさんいる。長太郎とヒトミちゃんが一緒にいた時間も人生の時間から見たら僅かだったと思う。

別れが早いか遅いかの違いだけで人と人は必ず別れを経験する。例え、結婚して一緒になったとしても「死」という別れが待っている。ずっと、一緒にいてあげたいけれどいてあげる事が出来ない。今日会えても明日会えるとは限らない。一瞬、一瞬の出会いが貴重で大切なのだとそう感じる。「一期一会」子供の頃はこの意味が分からなかった。でも、今なら分かる。

長太郎が何度か別れを経験しても笑顔でさよならを言えたのは、振り返ればヒトミちゃんがいたからかもしれない。でも、そのヒトミちゃんがいなくなる別れは長太郎にとっては笑顔でさよなら出来る別れではなかったのだろう。だから、ヒトミちゃんの転校を阻止しようとした。ヒトミちゃんはそんな長太郎の行動を知って残念に思ったと思う。長太郎は父ちゃんによく叩かれていたが、最後に長太郎を叩いたのはヒトミちゃんだった。それだけ長太郎の行動が残念だったと思う。

「私、長太郎君なら笑って『さよなら』言ってくれると思っていたのに」

ヒトミちゃんはタマエやノリコちゃんと別れた時の長太郎を知っているから余計に残念だったに違いない。長太郎がそれを否定するとヒトミちゃんが言う。

「だって、そう教えてくれたのは長太郎君なのよ!」

ヒトミちゃんの言葉を受けて長太郎はヒトミちゃんとの別れを受け入れる。今までは寂しい時、泣いた時、振り返ればそこにヒトミちゃんの笑顔があって別れに泣いた長太郎を慰めてくれた。でも、もうそこにヒトミちゃんはいない。

原作の長太郎とヒトミちゃんも同じようにヒトミちゃんが北海道に転校し別れを経験する。原作のヒトミちゃんは「こんど会うときはおとなになったときだけど、がんばります」とクラスの皆にあいさつする。頑張るというのは辛い別れを乗り越えて大人になって皆と再び会える時に、ちゃんとした人間になっているようにという事なのだと思った。

ドラマの長太郎が最終回でヒトミちゃんの乗る飛行機に向かって叫ぶ。

「ヒトミちゃん、約束するぞ、俺はあばれはっちゃくだ!これからもジャンジャン暴れるぞ!」

とここで長太郎が言った「暴れる」という意味は文字通りの意味と言うより、どんなことでも前向きに頑張って、元気よく、泣きごとを言わずいつまでも泣いてないで生きる事に一生懸命である事なのだと思う。

ヒトミちゃんが長太郎と河原で話す場面でヒトミちゃんは言っていた。

「長太郎君は『あばれはっちゃく』でしょ?泣き言言ったり、涙を流すなんて、ちっとも似合わないわ!それに私、そんな『あばれはっちゃく』って大嫌い」

だから、長太郎はヒトミちゃんに「あばれはっちゃく」のままでいる事を約束したのだと思う。

あばれはっちゃく」でいる事は大変な事だ。常に強くないといけない。泣く事があってもいいけれど、いつまでも泣いていてはいけない。目の前の悲しさや辛さと立ち向かってちゃんと頑張って大人にならないといけない事なのだと思う。ちゃんんとした大人ってどんな大人だろう?原作のヒトミちゃんが「がんばります!」と言ったようにドラマの長太郎が「ジャンジャン暴れるぞ」と約束したように生きるのは大変だ。

時々、忘れるけれど辛い時は思い出す。そして、辛うじて何度か踏ん張って生きてみた。人との出会い、別れ、生きてから死ぬまでの間のいろんな嫌な事、辛い事に出会った時に元気な長太郎を思い出してる自分がいる。私はもう子供と呼べる年齢ではないのだから少しはしっかりしないとね。

「当時、ご覧になっていた方でお子さんがいらっしゃる方は、子供と接する時に是非はっちゃくのことを思い出して欲しいです。自分は教育者ではないですが、やはり大人がしっかりしないと子供に教育が出来ないと思うんです。子供をもっと遊ばせて、自由に選択肢を与えてあげて欲しいですね」

DVDのブックレットにあるインタビューにある吉田友紀さんの言葉を読むと、そうだなって思う。私に子供はいないけど、でも、子供がいない大人でもしっかりしてないとね。