柿の葉日記

主にテレビドラマ「あばれはっちゃく」について語る個人ブログです。国際放映、テレビ朝日とは一切関係がありません。

喧嘩(ドラマを見て分かる設定83)

『俺はあばれはっちゃく』第26話(脚本・安藤豊弘、監督・山際永三)で長太郎と公一が喧嘩をした時、夏休みの登校日で遅刻してきた長太郎がいつものように公一に接した時公一が長太郎の手を払いのけるのが、やけにリアルだなと感じました。

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『俺はあばれはっちゃく』26話より

見ながら昔の心の傷が疼くような感じを受けました。それは、私も同じように仲の良い友達と喧嘩して、いつものようにすぐ仲良くなれると思っていたのに許してもらえなくて、友達に公一と同じような態度を取られた思い出があるからです。

あの拒絶は常に仲が良かっただけに物凄く絶対に近くに行く事が出来ない果てしない距離を感じさせました。長太郎は公一の態度に怒り、「そっちがその気なら」と張り合う態度を取りましたが、どうしようもない悔しさや淋しさがあったように思います。

最初、長太郎はそんなに公一に悪い事をしたかな?と感じていましたが、公一の態度と周りの言葉の中で悪い事をしたな、公一はもう自分を許してくれないのかなという不安やそれを認めたい気持ちがありながらも、それを認めたくない悔しい気持ちが入り混じっていたんじゃないかなって思うんです。

公一だって意地を張っていたけれど、長太郎が自分の事で厄介な事に巻き込まれてしまってどうしようと思っていたと思います。意地を張って少し長太郎にダメージを与えて少しすっきりするどころか、どんどん気まずくなってちっとも心が楽にならない。

それは、長太郎の言葉が強すぎて自分の心が傷つけれれたのもあったとしても、その長太郎の言葉が自分でも分かっている情けない部分をズバリ指摘していたから、自分でも自分のダメなところが分かっていたから、でも、それを認めるのが悔しかったから素直になれなかったんじゃないかなって……。

長太郎も公一も自分のダメなところ、悪い所が分かっていても、自分が傷ついた気持ちがあってその悔しさが互いに素直に相手を許す事が出来なかったんじゃないかなと思います。それでも、許す事の出来なかった気持ちよりも、相手を心配する気持ちの方が上回った時に2人はそれぞれに行動を起こせたんだろうなと思うのです。

それには、2人だけではなくてその周りの父ちゃんやてるほ、ヒトミちゃん、正彦達が2人の態度を心配し、怒ってくれたから出来た事なんだなあと第26話を見ていて思います。

一人では素直になれない。分かっていても行動できない。でも、周囲のアドバイスや指摘や心配、叱ってくれると動く事が出来る。人は周囲の人々によって成長させてもらえるんだな、成長していくんだなと思うのです。

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