kuwachannの日記 - 食道癌治療・回復の記録

2013-02-27 足掛け7年目(正確には6年半)の検診

[] 02:23

ここ2週間で放射線科の医者と腫瘍内科医の2人にお会いした。食道摘出をしてから6年半。体重、体温、血圧の測定、血液検査の後は殆ど雑談。スマートフォンアプリケーションの話やキルケゴールの話が出て「忙しいお医者さんとこんな話していいのかしら」と思っちゃったぐらい。でも、以下はちょっと医学的な部分。


放射線科の医者にはなかにし礼さんが選択した陽子線治療について聞いてみた(私はIMRTの放射線治療を彼から受けた。)まだまだ解明、研究されなければならない治療法ではあるけれど、多額の助成金が出ている分野であり、彼もその研究に参画しているとのことだった。


私の場合体重が全然増えないのがネックといえばネック。年齢的にも筋肉が落ちて来る年代なので、アンクルウェイト(腕や足首にマジックテープでくっつけて運動に負荷をかけるもの)を薦められた。


腫瘍内科の先生によると、新しい食道癌の患者が増えていて現在彼の監視の下、2人の患者が手術待ちであるとのことだった。


ところで、雄三さんのサイトに出ていた記事が気になった。『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(宝島社新書/中村仁一共著)を上梓した近藤誠氏へのインタビュー記事だ。

確かに患者は様々な治療法を年齢、体調、病期などと共に秤にかけて最適な方法を選ぶべきだ。化学治療が命を奪うことも、縮めることがあることもある。治療を拒否することも選択肢の一つに入っていなければならない。しかし、以下の食道癌についての記事には絶対に賛成できない。


早期発見努力をせずに、例えば肺がんであれば少し呼吸が苦しいとか、食道がん胃がんは食べ物が通らないとか、そのような自覚症状が出てがんが見つかった場合は、それは「がんもどき」ではなく、本物のがんですね。それに対しては体が一番楽な治療、つまり外科手術は避け、臓器を残す非手術的な治療を選ぶことです。

選択の道は2つあります。例えば食道がんだと、1つは、食べられなくなっても完全放置することです。そうすると、最後には水も飲めなくなって餓死することになります。健康な人が食べたいのに食べられないというのは悲惨ですが、体が衰弱して食べようと思っても無理というときには、心理的な飢餓感は少なくなるようです。この道を選ぶのはなかなか難しいのですが、体は楽なまま死ねます。

まず、食道癌に関しては、内視鏡手術技術が進み「早期発見」であれば内視鏡手術で治療できる。私のような開腹手術も腹腔鏡をつかったりして侵襲性が小さい形が開発されている。また物が食べられなくなっている状態だとすでにリンパ節転移している可能性が非常に高い。

また以下の放射線治療に関する情報も古い。放射線治療だけでは不十分あったことがすでに様々な形で伝えられている。


もう1つの道は、放射線治療を選択する道です。食事をすることができるようにもなりますし、長生きできる。それに臓器を残すわけですから、QOL生活の質の面でもいいですね。12時間もかかる、開胸・開腹手術をしなくても済みます。しかも、比較試験の結果を見れば、外科手術より放射線治療のほうが成績がいい。

癌にかかった時に一番嫌だったのが、こういう類いの「癌ひとからげ」の情報だった。そこに引用されているデータは古く、暴力的に一画的だ。大事なのは患者一人一人が個々の癌に特化した最新の情報を得た上で判断して行くことだ。


放射線治療抗がん剤治療、臓器摘出手術を経ても元気で生きている「元患者」がここにいます。もし、早期発見(と言っても2期と3期の間でしたが)がなかったら、今私は生きていません。

ゆうゆう 2013/05/26 01:23 kuwachannさん、お元気でいらっしゃいますか
オクラホマの竜巻は甚大な被害でしたね
自然の脅威ですが、このような被害が繰り返されないことを祈ります
すでにご存じでしたら、結構です 念のためです
お世話になっていた、室川さんのその後を気にしていたのですが、以下の新規のプログ(25.1時点)を発見いたしました 大きな苦労を乗り越え、退院できるようになったとの記録です その後、更新されていません まずはご報告まで

http://blogs.yahoo.co.jp/atusi732000/folder/1043778.html 検索ワード:室川さん、パーキットリンパ腫

kuwachann-2_0kuwachann-2_0 2013/05/31 23:49 ゆうさん、有難うございます。お知らせ頂いた時は出張中で、お返事が遅れました。このブログのことは知りませんでした。というか私の中では癌の罹病経験自体がかなり風化しています。

室川さんのブログざっと読ませていただいたのですが、さすが、というか、やっぱり超人だ、と言うべきか。きつい化学治療に耐えられたのですね。週末にじっくり読ませていただこうと思っております。今私の周りには口内癌、メラノーマ、乳癌で治療中の友人がいます。私にできることは、化学治療に連れて行ってあげるぐらいです。友人達も私には苦しいことや愚痴を吐けるようですが、これは私が勝ち得た特権だと思っています。ほんの少しですが、社会への貢献です。

ところでゆうさん、お具合はどうですか。私は食べ過ぎると未だにしばらく動けませんが、今の私を見て既往症があったと思う人はいないと思います。

こちらはやっと初夏がやって来ました。昨日は雨上がりの庭の草取りをしました。小さな喜びを感じました。

2012-11-14 81歳と27歳の勇気

[] 04:19

10日程前久しぶりに行った教会で友人のCさん(81歳女性)と会った。

Cさんは3年前に2番目のご主人を亡くし、この8月に50代の娘さんを突然に亡くした。彼女の最初のご主人は若い時に病死、もう一人いたお嬢さんも大分前になくしている。

この4月には彼女自身も末期の喉頭がんの診断を受けている。

8月にお嬢さんのメモリアルサービスでお会いした時、彼女の私への言葉は「I am totally broken(私、打ちのめされちゃった)」だった。4月に自分の末期癌が分かった時、彼女は治療をしない選択をし、自分の遺産、不動産を娘さんに遺すよう手配を始めた。その手配が終わった時に娘さんを失ってしまったのだから当然だ。

10日前に会った時は8月に較べるとずっと元気になっていた。

病状を聞いたら

放射線の姑息治療(QOL向上のための治療)をしておよそ3週間目。腫瘍はすごく小さくなって楽になったんだけど」との答え。

「じゃ、今週仕事のない日に私が放射線医のオフィスにドライブして上げる。そしたら車の中や医者のオフィスで色々お喋りできるじゃない?」と安易に提案したところ、「とんでもない!私、まだ一人で運転できるわよ。せっかく時間を一緒にすごすんなら楽しいことしましょ。お茶をご馳走するから家に来てよ」と言われた。

そこで大統領選の翌日彼女の家を訪ね、一緒にお茶をした。家の中は掃除が行き届いてきれいだ。「放射線医がびっくりするほど効果があって、腫瘍が殆ど消えちゃったのよ。放射された部分がかなりヒリヒリするから食べるのは大変だけどね」「それに、御陰さまで元気があるのよ。だからまだ自分で掃除もできるし、ご飯もつくれるし」「あ、ところで肺にも転移しちゃったの。今2センチぐらい。口内の治療が終わったらこの治療をするかもしれない」

その日は今年初めての雪が降り始めたので早めに失礼したのだが、会話の殆どは「オバマが勝って良かったよね。アメリカのミドルクラスも捨てたもんじゃないね」などのごく普通のものだった。

癌が彼女の体内で猛威をふるい出す日は近いのかもしれない。でも彼女はきっと一歩一歩自然体で向き合って行くにちがいない。そして私は彼女と過ごして行く時間から沢山の勇気と元気を貰って行くに違いない。

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台湾人の彼女は37歳。仕事に空きのある日は彼女の車の運転の練習につきあっている。

「Student Driver」のマグネットスティッカーをベタベタ貼って彼女は運転を開始する。助手席に座って「車線変更の時はちゃんと後ろを確認してね」とか「あ〜〜スピード出し過ぎ」と優しく言ってあげるのが私の役目。

彼女のご主人は去年の秋メラノーマのステージ4の診断を受け手術を受けた。その後の治験薬治療がうまくいかず、転移はどんどん広がっている。

彼女のご主人は大学の助教授。去年の秋やっとテニュア(終身雇用資格)のある仕事に赴任でき、結婚して10年目でやっと子供や家族の可能性を考え出ることができるようになった。進行してしまった癌が発見されたのはそんな時だった。

現在はフェーズ1の新しい治験薬を試みているのだが、副作用、あるいは転移の進行によって彼が車を運転できなくなる日が来るのは目に見えている。だから今彼女がスキルとしてまず身につけなければならないのは運転技術/免許証。

彼女と私はこの練習時間をつかって美味しそうなランチを出してくれるレストランに出掛けることにしている。

昨日のことだ。何時もケラケラ笑ってばかりいる彼女が真顔になった。

化学治療の前にスパームバンク精子を預けてるの。年間保管費がおよそ10万。そろそろ更新時期なんだけど、人工授精をして妊娠しようかと思ってるの」「私は英語もあまりできないから、夫がなくなれば台湾にもどって子供を育てることになると思う。保険の心配もしなくていいし」「でも子供はここで生みたいの」

「友人はね、子供がいたら再婚してくれる人がいなくなるからやめろって言うんだけど」「親からはバカだって言われてる」

私には「最終的にはアナタが決定することよね。でも生むんだったら、育児をどうするか、社会制度をどう使って行くかをちゃんと考えなきゃだめよ。シングルマザーのプロにならなきゃ」としか言えなかった。

10年間結婚していて、そのパートナーを癌に奪われる。その人の子供が欲しいという気持ちは当然だ。

「生きる」って一体何なんだろう。「愛する人の子供が欲しい」という気持ちを貫くことこそが生きるってことなんじゃないだろうか。

ふと、昨日ツイートで流れて来た村上龍の言葉を思い出した。

「それが退屈だと知らずに、平穏だと勘違いして退屈な人生を生きている大勢の人たちがいる。最悪なのはそういう人たちだろう」

ゆうゆう 2012/12/08 15:22 kuwachannさん お久しぶりです。お元気ですか。
少し長くなります。お許し下さいね。
自分は、5年目の定期検査中で、内視鏡、頚部エコーはクリア、PET-CT・腹部エコー・全身CT検査をもうすぐ終えるところです。
十八代目中村勘三郎さん(享年57)のあまりにも早すぎる死は、とても衝撃的でしたね。
食道癌摘出手術から4カ月余り、死因は急性呼吸窮迫症候群(ARDS)ということでしたが、手術は成功したとは、言い難い面もありますね。
早期発見にもかかわらず、開胸手術という負担の大きな施術になり、かつ人工肺装着とのことでした。2度の転院もありましたが、最初、入院の病院で手術をしたが、思ったよりも状態が悪かったらしいですね。癌を全て切除し術後2日目にはICUの中を歩いていた。12時間に及ぶ手術で身体への負担が大き過ぎ、肺水腫を併発してしまったのとのことであるけど、病院側の措置、対応に問題がなかったのか、ということです。
入院した病院への不信感、回復を焦ったして術後に病院を2度替えて、日本医科大付属病院での闘病生活が最期となりました。
転院を繰り返したのは、勘三郎さんが“癌は切除したのにどうして治らないんだ”と怒り出したからだそうです。手術をすればすぐに舞台復帰できると思っていたようです。もっとも、大手術の後にARDSを患うケースは珍しくないようです。他人事とは思えない、勘三郎さんのケースは、とてもショックな出来事でした。合併症で、重篤な急性呼吸不全ですね。「肺炎をこじらせ、肺水腫を併発し、それよりさらに悪化し発症するのは、特異なケースではありません。」との病院関係者のコメントです。「ICUに入った患者の15%、人工呼吸器を装着した20%の患者がARDSを発症します。その4割が死亡する。十分な酸素が体中の臓器に行き届かない危険な状況になるため、一刻も早い治療開始が求められます。一分一秒でも遅れれば、あっという間です。」との同コメントもありました。
とても、入院前に、肺活量訓練、痰切除の練習も大事なこと、再認識しました。
以上です。
どうぞ寒い季節、お身体、大切にお過ごし下さい。

kuwachann-2_0kuwachann-2_0 2012/12/08 16:05 ゆうさん、コメント有り難うございました。勘三郎さんは私と学年が一緒になる方です。またこのぶろぐでも書きましたが2004年に平成中村座がアメリカ公演をした時に一緒にお仕事をし会話をしたこともあったのでとても近く感じていました。

「早期発見で私と同じ学年だから絶対大丈夫!」と思っていたので、本当にショックでした。

私も「2日目にはICUの中を歩いていた」というニュースを読み「あ、私と一緒だ!大丈夫だ!」と思ったのを覚えています。

私の医者は肺の水に凄く神経を使っていました。肺水腫と言うかどうかは分かりませんが、すこし水が入っていたので、それを取るか、自然治癒を選ぶか2、3日様子をみていました。結局は自然治癒の方が選ばれましたが、代わりに3日目以降、かなり歩かされました。

改めてゆうさんや私、長時間に亘る開腹手術を受けた患者がいかに危険にさらされているかを自覚しますね。

七之助さんとの連獅子、ニューヨーク公演のびっくり仰天の斬新さ。誠に惜しい人を亡くしました。

ゆうさんの5年目のチェックがとても精密なので驚いています。私の場合は内視鏡もペットもありませんでした。

私は今でも食べる速度が遅いですが、量は少し増えたような気がします。とても元気で、出張をしながら連日の仕事をこなしています。

私達、お互いにとても幸運ですね。毎日を貪欲に生きて行きたいです。

2012-09-18 食道癌のプログの新しいURL

[] 11:54

食道癌患者にとって大切なケン三郎先生のブログの新しいURLはhttp://furuhata.exblog.jp/です。


ところで、8月4日から21日まで18日間、ヨーロッパ5カ国を回って来ました。2006年5月に食道癌発覚、夏の間の化学治療+放射線治療の後、9月に食道摘出手術。


旅行の大好きな私にとって旅は回復トレーニングでした。2007年の2月にはスコットランドとイギリス。その2か月後には日本へと様々な旅行を始めました。


今回の旅は1日5キロから10キロは歩き、午前3時起きで飛行場に向うという様な無茶もしましたが、食道のないハンディを殆ど感じない旅になりました。やはり6年です。旅の詳細はここをどうぞ。

okumanookumano 2012/10/08 08:23 お久しぶりです。私は今年の6月に直腸に原発性癌が発見され、7月に腹腔鏡下直腸超低位前方切除(一時的人工肛門造設)術をうけました。
久しぶりにケンザブロー先生のブログを拝見しようとPCをつけたら、リンク切れ。焦りましたが、kuwachannのほうで新しいブログのURLが記されてあり大助かりです。
今後ともよろしくお願いいたします。

はっさんはっさん 2012/10/11 06:57 お久しぶりです。
お元気そうで何よりです( ´ ▽ ` )ノ
また、ロングランな旅を満喫されたんですね。
疲れは大丈夫でしたか?
こちら、日本はノーベル賞で村上春樹さんが話題になりkuwachannさんを思い出しつつ…
いま、私の周りでは脳梗塞やガンの方が増え(;´Д`A
父も塩分取り過ぎの高血圧で生活が一変。
毎日が大変です。

少し落ち着いて来たのでまた来ますね。

kuwachann-2_0kuwachann-2_0 2012/10/12 11:03 okumanoさん、お久しぶりです。そうでしたか、直腸の手術でしたか。腹腔鏡の手術とはいえ大変だったことと思います。回復が順調なことをお祈りいたします。

食道の方の「食べる訓練」は如何ですか。私は今日の仕事でお昼を食べる時間が20分しかなく、急いで飲んだスムージーが小さくなった胃に入らず吐き出すはめに陥りました。でも、それでも仕事をすることはできます。

きっと様々なことでフラストレーションを感じることが多いかと思いますが、諦めず焦らずお歩みください。

kuwachann-2_0kuwachann-2_0 2012/10/12 11:11 はっさん、書き込み有難うございます。お子さんもドンドン大きくなり、はっさん自身の状況も変化し、頑張っていらっしゃいますね。

今回の旅は本当に楽しかったです。クタクタにつかれ、帰国した翌日には仕事でしたが、どうにかこなすことができました。好きなことでの疲れはプラスに作用するようです。

私の周りでも再発、転移、膠原病の難病にかかる方が多いです。でも多くの方が驚く程明るくて、こちらの方が沢山の勇気や元気を貰っています。

お父様の食事管理大変ですね。私はこの夏夫のコレステロール管理で食事を一変させました。頑固なお父様だと管理大変だと思いますが、頑張って下さいね。夫のコレステロールは30以上下がりました♪

2012-07-24 丸々6年目の検診

[] 10:45

今日は1年に1度の外科医との検診。仕事とぶつかったとか、旅行に出掛けると言ってははアポイントメントを伸ばしていたために、ちょうど術前の化学治療、放射線治療から丸6年のタイミング。今年の9月には術後丸6年を迎えることになる。


「さすが6年」とでも言うべきか、CTスキャンさえもコントラストなしだったので朝ご飯を抜く必要もなし。お医者さんとの会話も「元気?うん」程度。体重が未だに43キロだったのはちょっとショックだったけれど、ここのところ仕事が忙しかったからにちがいない。


「僕がここで仕事をしている限り1年に1度は検診する」と言われた。そういえば腫瘍内科医も放射線科の医師もそう言っている。多分統計をとっているのだろう。日本ではどうなのかしら。

2012-06-30 中村勘三郎さんの食道癌

[] 23:14

仕事、出張、旅行とバタバタしているうちに癌治療を開始した2006年6月から丸6年が過ぎた。その様子はid:kuwachann-2_0ここに記した。


ところで、中村勘三郎さんが初期の食道癌というニュースを読んでびっくりした。なぜなら、私は勘三郎さんがまだ勘九郎と名乗っていた2004年に間接的ではあったけれど一緒にお仕事をし、お話をする機会があったからだ。


2004年の7月、勘三郎さんは平成中村座を率いてNY公演をなさった。NY公演はNY市警察を舞台にのせる大々的なものだったのだが、その1週間前ボストンのCutler Majestic Theatreで「棒しばり」と「連獅子」(息子の七之助さんと共演)の小さな公演をなさった。その時私はジャパンソサエティを通じて照明係の通訳として雇われ、舞台の設営、練習、本番まで3日にわたる仕事をさせていただいた。それはそれは興味深かった。


このCutler Majestic Theatreと言う劇場はボザール様式の1908年にオープンした美しい劇場だがすっかり廃墟化していた。しかし1980年代に巨額を費やして補修作業が行われ往年の姿に戻され、とても話題になっていた。


さて、どうやら設営が終わった最初の日の夕方のこと。ぼーっと一人で美しく出来上がった舞台を見ていると、横に勘三郎さんが来て「美しい劇場ですよね。こんなところで公演できるのは感激です」とおっしゃった。あの有名な勘九郎(当時)さんが私に話しかけている!すっかり舞い上がったのだが、「ほんときれいですよね」ぐらいの受け答えしかできなかった。でも、その瞬間の思い出は私の宝物になった。


舞台の裏方のお仕事をすると色々な特典がある。その仕事のおかげでニューヨーク公演のドレスリハーサルのチケットも頂き、ニューヨーク公演も見せて頂いた。


***


その勘三郎さんが私と同じ食道癌。私は本当に普通の人で芸能界などとの接点は全くない。なのに、私がたまたま会ったなかにし礼さん、そして勘三郎さんが食道癌にかかった。とっても不思議だ。


なかにし礼さんは手術をしない治療法を選ばれた。勘三郎さんの癌は初期とのこと。どうか内視鏡手術で治療できますように。