2011-11-09
11月9日 「知っている」という責任2
くわっちです (*´ω`)ゝ
「かっこちゃん」
こと山元加津子さんのお話を続きです。
今日のメルマガ
11326 専門家のひとの言葉は信じてしまい易い
この中の文面を抜粋してご紹介させていただきます
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講演会のときに、お医者様からこんな質問というかお話があったのです。
「山元さん、病院関係者、医者は、意思伝達の方法とかはみんな誰もが知ってるでしょう。知ってると思いますよ。いろんな方法を試すはずです」
もちろん、宮ぷーのときもたくさん試してくださいました。「手をにぎってみて」「宮田さん、宮田さん」・・・「意識なし」そういう会話がなされました。
そして、そのとき、宮ぷーは何も反応ができなかったのです。
けれども、そのときに表出できなかったとしても、だから、何も考えることができないというようなことも断定はできず、また、その後、何度にも亘っておそらくは、意識が表出できるようになるには、時間がかかるのだと思います。
そして、確認が長期に亘ってなされていないことにも問題点があるのでしょうか?
それから、他に、こんなご意見がありました。
「かっこちゃんが介護法について別に一生懸命にならなくても、専門家の看護師や介護士は誰でも知っているよ」
私はそうではないと思っています。
いえ、そうでないと知っています。
もちろん、簡単な方法で移乗されたり、ベッドから起こすことができたり、足下の方へ体がさがってしまったときに、頭の方へ体を移動させる方法をご存じの方もおられるでしょう。
けれど、その数は本当にひとにぎりだと思います。
いろいろなところを回って、介護法をお伝えすると、現場で頑張っておられる看護師さんや介護士さんが、「今までしていたことは何だったの?」「こんな方法をどうして知らなかったの?」とよくおっしゃられています。
そして、介護されているご家族はさらにご存知ないのです。
そしてもうひとつ。もし、一人でできる介護法が病院でも使われたなら、おむつ替え、体交が、看護師さんや介護士さんが今まで二人でされていたことが一人でできることになります。
それも二人でするよりもさらに小さな力で・・。そこにあいた時間ができれば、看護師さんの余裕につながります。
その余裕の時間に、足を曲げたり、話しかけたりする時間が生まれるかもしれないと私は思えてならないのです。
「あなたがつたえなくても、誰かが伝えるでしょう?」ということもよく言われます。
そのときに、私はとても悲しくなります。
その奥に、「医療関係者でもないあなたがどうして?」という思いや、「専門家でもないあなたのすることに信憑性や説得力がない」というニュアンスが含まれていることがあるのです。
私は知っている人は伝える義務があると思っています。
それは先日の講演会のキーワードともなりました。
誰かが伝えるという人任せではだめなのです。
知っている者が伝える。
それが大切なのだと思います。
だってそうだよ。もし伝えていたら、一人の方が、よく座れるようになって、意識障害から戻ってくることができるかもしれない。
そしてお一人の生きようが変わってくる。
その責任がひとりひとりにはあるのです。
靖子ちゃんにお願いして、私のしている介護法を動画にしていただきました。
本当にわかり易くまとめてくださっています。
すごく驚きました。きっとこれならしっかりと伝えていただけます。

ところで、私はこの動画を見てくださったみなさんは、知っている」という責任ができちゃったように思うのです。
なんだか脅迫みたいなんだけど、どうぞ、このユーチューブ伝えていただけたらと思います。
お一人の生きようのうれしい変化のために。お願いします。
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ということで、くわっちはブログでご紹介させていただきました。
正しいことが、専門家の意見に曲げられずに伝わる社会になりますように。
みんなが幸せでありますように (´∀`)ノ
