我もまた

私だって、「無理解な所蔵者」と批判される可能性は充分ある。背表紙を切り落としてADFスキャナに掛けるという蛮行を行っているのだから。

図書館が館蔵資料をマイクロフィルム等に収めた場合、原資料は破棄すべきであるという恐るべき議論がある(加戸守行『全訂著作権法逐条講義』、1989)。「本の見掛け」情報についての理解を全く欠いたこのような議論がまかり通ること自体悲しむべきであるが、こうした野蛮な行為が図書館の手によって行われることのないよう、願って止まない。
豊島正之「本の見掛けからのメッセージ」(『三省堂ぶっくれっと』94,1991.9 p63)

しかし、言い訳をすれば背表紙を切り落とした本は、「一粒の麦」なのだ。「死なずば」なのだ。(パパパヤ〜)
また「捨てる紙あれば拾う情報あり」なのだ。
もちろん、絶滅危懼種を「一粒の麦」にしたりはしない。


マイクロフィルム等に収め」もしないし、電子化もしないで、「古い情報だし歴史的価値もないから捨てる」とは違うのだ。