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日本外交の反省と転換 このページをアンテナに追加

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2016-02-01

したたかな社会党

16:50 | したたかな社会党を含むブックマーク

羽田にはそうした策略をめぐらすしたたかさはなかった。人を裏切るようなことは、人柄の羽田には相応しくなかった。実際、そうした羽田の人柄を買い、社会党にも支持者は少くなかった。社会党が連立与党を離脱し、政権基盤が一挙に弱体化したとき、用意していた大臣ポストを羽田自ら全て兼任しようとしたのも、「改新」問題で社会党を裏切ったことへの申し訳なさの現れであった。もっとも、羽田の「誠意」が通じるほど現実の政治は甘くはなかった。

社会党内でも、総辞職後の内閣は、右派を中心に羽田の再登板でよいという考えもあった(久保亘「連立政権の真実」)が、左派の多くは野坂のように「総辞職ということになれば、いわば墓に入るようなもので」あり、羽田には反対であった(野坂浩賢「政権」)。小沢も別の理由で反対であった。再選されたいがために総辞職し、社会党は政権復帰のきっかけとして総辞職を利用する。これでは、国民を愚弄することになるというのである(小沢一郎「語る」)。

政治家としての権謀術数をこらしたのは、何も小沢だけではなかった。水面下で続けられていた自社の接触は、この頃になると社会党の野坂らのイニシアティブで本格化した。六月二二日には、自民党および与党各党に社会党の新政権構想が提示された。

連立与党側とは、羽田内閣発足前と同様に税制改革などで対立し、協議は進展しなかったが、その間、村山の首相候補などを含め、さきがけとは政策合意が成立した。社会党はその後自民党と接触する。六月二七日まで待ったものの、連立与党からの回答が得られなかったからである。野坂浩賢は、既に小沢や市川よりも「自民党の一部良識派」に親近感を感じつつあった。羽田内閣発足前に、自民党の森幹事長に「憲法を守る意識かおるか」を尋ねて、明快に「守る」との回答を得ていたからである。さきがけと社民リベラル勢力、それに自民党とで政権を担うことができる、そう思いつつあった。

2016-01-04

肥大化するカネ食い虫

09:40 | 肥大化するカネ食い虫を含むブックマーク

表紙の色が与える印象とは裏腹に、これはパリに本部のある経済協力開発機構(OECD)が毎年発行する重さ二キロもある年鑑で『ナショナルーアカウンツ』と呼ばれている。加盟二十四力国の財政の姿がさまざまな角度から統計としてまとめられている。ここに掲げたグラフは最新の一九九八年版から作成したものだ。

すぐに分かるのは、中央・地方政府の公共事業費にほぼ匹敵する。般政府総閥定資本形成の国内総生産(GDP)に占める割合が、日本はほかの諸国に比べて群を抜いて高く、一から三倍に達していることだ。しかも、これには、バブル崩壊後でも異常に高い用地費、特殊法人、公的住宅の費用は含まれていないのだ。こうした支出を加算すれば、日本の公共有業費はさらに突出するだろう。

日本では、国民が払う税金や社会保険料の半分も社会保障給付として返ってこない大きな理由がこれではっきりした。公共事業がみんなのみ込んでいたのだ。

そして社会保険料、とくに厚生年金の保険料は諸外国に比べると払い過ぎており、年間の給付金総額の五年分以上の積み立て金があり、その一部が財政投融資に組み込まれ公共事業に回っているという、あくまでも公共事業最優先のお国柄なのである。多くの国では、積み立て金は一年分以下である。

筆者たちは社会保障費を食いっぶしている公共事業の現状や仕組みを前著『公共事業をどうするか』で分析し、外国にも知られるようになった土建田家を解体する方法を提示した。しかし、不況になればなるほど景気対策のために、補助予算で公共投資が追加され、土建国家は肥人化している。最近の特徴をみておこう。

2015-12-01

源資の短期性

10:42 | 源資の短期性を含むブックマーク

短期の預金の集積により、その期間の延長または預け替えによる資金全体の長期化を図ること、小口長期ものよりも大口短期ものを主に定型的ユニット取引化を図ること、迅速・正確かつ源泉課税なき利息支払いなどの市場慣行が徐々に形成され、これらの資金を利用して大口、長期のユーロ・ダラー・ターム・ローンまたはシンジケート・ローンの世界が展開していくこととなる。貸出しは多数のユーロ・バンキング機関が同一ローンに参加して、金額の巨額化・長期化が達成され、リスクの分散も同時に図られることとなる。

また、源資の短期性から、適用金利も短期間の市場金利に連動して、その上に若干の利ザヤを上乗せすることにより、貸手、借手ともに満足する金利条件を設定する方式も創成された。さらにユーロ市場参加者も相互に信頼感をもって結ばれている、比較的狭いバンキング業務関係者に限局され、比較的大口の、かつ金利動向に鋭敏な取引が中心になってきた。

2015-11-02

差別観念むき出しの取調べ

11:10 | 差別観念むき出しの取調べを含むブックマーク

「僕が部落民であることを誰にもいいたくなかったし、いわなかった。それどころか、僕自身徹底的な差別者でした。先日、解放同盟都連の若林さん(都連書記長)にも、きつく指摘されました。僕は部落に住んだことが一度もないんです。部落に住んでいる人とは、感覚がやっぱり違うし、かくそうと思えばかくせることも、実際にあったわけです。僕の兄弟はいまでも、部落民であることをかくして暮しているんです。一番上の姉さんは結婚して、一九歳の娘もいるんです。『部落民宣言』をふぐむ手記の載った雑誌『展望』(七五年六月号)を、五十冊ほど大阪の姉に送りましたが、姉さんはそれを全部、押入れに隠したといいます。僕自身、部落民をひじょうに差別してきたから、姉さんの気持もわかるんです」。

犯人でないものが犯行を自供するという、常識では考えられない事態があるとき、そこには、供述することを余儀なくされる。追いこまれ”が存在する。それ以外、こうした非合理な事態を説明することができない。具体的には、肉体と精神の両面におよぶ拷問、脅迫である。加納さんの場合は、その生育歴にはりついたようにある被差別の諸状況を、権力が公表するという脅迫に、現実の肉体的拷問か重ねられ、やってもいない放火をやりましたといわせられたのであった。警察はいったい何をしたのか。

「家系を調べたら、軸ま免の祖父は部落民じゃないか。狭山事件のように、部落の人間は、たと免人を殺していても、『私は無実です』という人非人の種族だ」。警察官は取調べ中、加納さんにむかって何度も、部落民をもちだした。「部落の人間は何をしでかすかしれない恐しい人間」という、社会意識としての差別観念は、世の中に根強く、深く浸透しており、加納さん自身も、その差別観念から逃れて自由であったわけではたい。だから、それは相当な影響力をもって、加納さんにせまってきたであろう、と思われる。

加納さんは「取調べ官が部落の話を持ち出してくると、きょくりょくその話から身をかわし。逃げようとした」といっている。部落の話から身をかわそうとする場合、放火の核心に話をも?ていくことしか痙い。警察にしてみれば、なんとしても、自白を得ることが目的であるから、加納さんが自白さえすれば、部落民であろうがなかろうが。問題ではないわけである。加納さんは当時の心境について、「自分か部落民であることを新聞に公表されることか、何よりもこわかった」と述べている。

ひたすら隠し、なりきることでしか身を守れなかった加納さんは、部落解放運動の何であるかといった地平からも、無縁であったのである。放火の核心に話をもっていくことは、みずから犯人に仕立てあげられにいくようなものであるが、加納さんはそうまでしても、部落民を隠そうとしたのであった。客観的には被差別者である加納さんが、主観的には部落を差別することによって、みずからの被差別から自由にたれると思い込まされてきた、その生育歴を考えるとき、警察官のしめあげ方は、その意味で。実に効巣的であった。

あとで述べるように、同性愛者ということも、警察が利用した脅迫材料であった。だか、加納さんにとってはやはり、部落出身ということのほうが、圧倒的に重かったのである。同性愛のことは、親も兄弟も知っていることで、それかかりに公表さ。れたところで、それほどのこともない。だが、部落出身のほうは違う。加納さんは「親も兄弟も、部落をひたすらかくして生きているんです。僕が部落民であることか公表されたら、親兄弟へ与えるダメージはもう決定的でしょう。親兄弟ばかりではない、その子の世代、孫め世代までも僕はそれがこわかった」と述べている。

2015-10-01

外需がもたらした錯覚

15:26 | 外需がもたらした錯覚を含むブックマーク

こうして設備投資が売上高の増加に結びつかず、営業利益率は減少すらするということになると。企業にとって決定的な資本収益率(投下資本がいかに効率よく収益を生み出すかという指標)、資本の効率性が趨勢的に下落していくのも当然であった。図は製造業全体の資本収益率(ここでは営業利益額/有形固定資産額)の低落を鮮やかに示している。そして以上見てきたようないくつかの傾向は、なによりも自動車、電機といった加工組立型産業によって生み出されたものであった。

ME化は多品種戦略に伴うムダを摘み取り、もしそれが新たな消費を掘り起こし全体としての量産効果と結びつくならば、設備投資コストを償って余りあるコスト削減効果を持まず最初の理由が「外需」である。つまり収益率も増加するはずであった。だが市場競争の激しさとME技術のあまりに速い進歩は、全体としての量産効果が十分に出るまもなく、過大な研究開発投資や新製品のための投資を個別企業に迫ることになった。

しかし収益率(利潤率)の低下は必ずしも利潤の絶対量の減少ではない。だから利潤率の低下を利潤量で補える間は、無理は顕在化しない。そして実際に、ME化と日本的経営を武器とする多品種戦略の無理。つまり高コスト体質の問題点は「平成不況」が始まるまで顕在化することはなかった。なぜであろうか?その限度を超えた多品種戦略高コスト体質の吸収と深化が必要である。

1974年〜1975年の不況から脱出するさい、自動車、家電などの加工組立型産業に活路を与えたのは外需、とりわけアメリカの輸入増加・貿易赤字拡大であった。そして自動車、自動車部品、家電、電機、精密機械、一般機械などの輸出産業こそ、世界的低成長期における日本のリーディング産業であり、またME化投資の担い手でもあった。

もちろん、1970年代後半の輸出市場における日本車の伸びが、燃費のいい小型車生産における日本企業の優位に支えられていたことからも分かるように、日本企業の武器も多品種化戦略だけであったのではない。またこの時期から始まるME化も、当時はなによりも減量経営の一環としての合理化・省力化投資という側面が強かった。

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