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日本外交の反省と転換 このページをアンテナに追加

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2015-03-02

沸き立つユーラシア

15:22 | 沸き立つユーラシアを含むブックマーク

二〇〇〇年に発足したユーラシア経済共同体(ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン加盟)は、これら各国と隣接地域の「統一経済圏」創設をめざしているが、そうしたユ上フシア概念を機構名称としている。ユーラシア大陸はロシアを含むアジア大陸とヨーロッパ半島(ユーラシアの地図を見れば、ヨーロッパは大陸ではなく、まさに左端にくっついた半島だと分かる)の全体を指している。だが、そうした旧来の理解を離れて、ここでは、ヨーロッパ半島を除いた全体を「ユーラシア地域」と考えたい。ヨーロッパは「近代」を生み出して世界史をリードしてきた特別な地域であり、それ以外の地域は非ヨーロッパとしての独白の歴史をもっているからだ。しかも、二一世紀の今日、まさにその独自の性格が注目に値するものになっているからでもある。

その「ユーラシア地域」が今、沸き立っている。「ユーラシア地域」は三〇〇年余にわたり、帝政ロシアと清が対立と力の措抗をはらみながら支配をつづけてきた。その基本的な構図は、ソ連と中華人民共和国の時代になってもさして変わらなかった。両者による対立と緊張がつづいていたことで、この「地域」は政治的、経済的に分断されていた。否、「地域」そのものが成立していなかったのである。それを根底から揺るがしたのは、一九九一年一二月のソ連邦解体によるロシアの体制転換と中央アジアやカフカース、ロシア各地に存在するチュルク(トルコ)系諸民族の独立・台頭、そして一九九〇年代から本格化した中国の「改革・開放」路線による、世界の工場化だった。

まず、国境の画定が先行した。七三〇〇キロにわたる中ソ両国の国境線は、モンゴルをはさんでユーラシアを貫く分断線だった。双方の領土要求がぶつかり合い、ユーラシア地域における緊張と対立の源だった。それが、ソ連のペレストロイカに続く解体と中国の「改革・開放」の進展のなかで一九九〇年代前半から、段階的に解決されていったのである。今日、中国・ロシア国境の四三〇〇キロ、中国とカザフスタン、キルギス、タジキスタン三力国との三〇〇〇キロの国境線は最終的に画定している。双方が承認する、法的に確認された国境線が確立されたのは、この地域では歴史上初めてのことだ。互恵の精神に立った双方の譲歩という「フィフティーフィフティ」戦略と、双方とも「敗者」にならない「ウィンーウィン(Win-Win)」戦略によるものである。

これによって、ユ上フシアに引かれている七三〇〇キロの国境地帯は、「緊張と紛争」の地帯から「安定と発展」のベルトに変身しようとしている。それは、一三−一四世紀の「パクスーモンゴリカ(モンゴル帝国支配による平和)」時代以来の状況である。その変化のなかで、国境を越える人と物の流れが、目覚ましい勢いで復活している。そして、中露国境貿易が活発化しノ甲国と中央アジア各国を結ぶシルクロードが甦っている。中露貿易、中国と中央アジア各国との貿易は、ソ連邦解体とともに急速に増えた。ユーラシア北部を走るシベリア鉄道、中国から中央アジア、ロシアを経てヨーロッパに至るユーラシア鉄道、上海から新疆ウイグル自治区を経て中央アジアそしてトルコに通じる高速道路などが整備されてきた。

ユーラシア西部からヨーロッパへと張り巡らされている石油・天然ガスのパイプラインも、ユーラシア東部へと建設されつつある。ロシアと中央アジアの石油・天然ガスは今日、東へ東へと流れようとしているのだ。インドと中国、インドとパキスタン、そして中央アジアとイランとの政治的・経済的関係も従来の対立・停滞からさまざまな問題をはらみながらも正常化、互恵の協力関係へと転換しようとしている。いまユーラシアに、注目すべきダイナミズムが生まれつつあるのだ。この沸き立つ「地域」を政治的・経済的にゆるやかに束ねているのが、上海協力機構(SCO‐Shanghai Cooperation Organization)だ。

2015-02-02

一転して労働力不足へ

10:27 | 一転して労働力不足へを含むブックマーク

87年以降、経済が拡大するにつれて、雇用面での不安は急速に薄れていった。まず、87年4月〜6月頃から残業時間が増えてきた。次に7月〜9月頃から求人数が増え始めた。そして、88年に入ると常用雇用が増えてきた。

雇用関係の指標は軒並み改善した。有効求人倍率(企業からの求人数を求職者数で割ったもの)は、「円高不況」の最中には0.6前後だったが、88年6月にはついに1を超えた。求人数が求職者数を上回ったのである。これは74年以来の現象であり、日本経済が労働力不足時代に入ったことを示している。

失業率も低下し、89年初めには2.3%となった。89年に入ると、ミスマッチを心配するどころか、労働力不足が景気上昇を制約するのではないかという議論まで現われてきた。企業の積極的な雇用態度はまだ続きそうである。

89年三月の経済企画庁企業アンケート調査によると、89〜91年にかけて雇用を増加させるとした企業の割合は、53%に達しており、減少させるという企業の割合(14%)を大きく上回っている。こうして雇用情勢が改善してきた最大の理由は、企業の中長期的な成長期待が高まってきたことである。

経済企画庁では毎年、企業が今後三年間についてどの程度の成長を予想しているかを調査している。これによると、円高前には4.5%だった期待成長率が、円高後の87年初めには2.7%まで低下した。企業の期待成長率が下方にシフトすると、企業は既存の設備こ雇用ストックを下方に調整する。これが雇用の悪化につながったわけである。

しかし、その後景気が回復していったので、企業の成長期待も次第に上方に修正され、88年初めには3.2%、89年初めには7%まで上昇してきた。こうして企業の成長期待が上方修正されると、雇用についても積極的な姿勢で臨むようになる。これが雇用情勢の好転につながってきたのである。

また、企業が円高後の構造変化に積極的に対応していこうとしていることも雇用面に好影響をもたらしている。経済企画庁の企業アンケート調査で、企業がどのような分野で雇用水準を高めようとしているかをみると、「販売・営業分野」「研究開発分野」の比率が圧倒的に高い。

円高後の企業は、内需中心の成長に対応して、国内販売を強化し、新製品・新分野への進出のための研究開発に力を入れてきている。それが雇用面でも現われているのである。

2015-01-05

日本の物価のふしぎ

11:54 | 日本の物価のふしぎを含むブックマーク

それでも、顧客がもっているはずの電子マネーやクレジットカードを使わずに支払いをしてしまえば、個人情報は手に入りません。消費者金融業者やTSUTAYAのように、なにかを貸すサービスを本業としている企業は、情報戦略の面ではかなり有利なのです。また、無料ビジネスの手法を試そうとする企業は、ITツールでの情報ルート整備を検討するだけでなく、金融サービスの要素をいかに入れるかも、可能であれば考えてみるべきでしょう。たとえば、なにかの無料サービスを提供する際に、それなりに価値がある機器を貸し出したうえで、あとで返却してもらうシステムにしておけば、高いレベルの個人情報を集めやすいはずです。

物価であっても将来予測はむずかしく、インフレとデフレ、どちらの予測が正しいかは結果をみるしかありません。しかし、資源価格の高騰が日本の物価にどう影響するかは、データで確認できます。じつは2010年まで、資源価格の高騰は。日本の物価にさほど影響してきませんでした。これをどう考えるかがポイントになりそうです。たしかに、原油などの資源の国際価格(国際的な商品相場)を、日本銀行発表の「日本銀行国際商品指数(米ドル建て)」でみると、1998年を境に、急勾配の上昇トレントに転じています。98年からみているのは、90年代で一番安い年だったからです。また日本銀行国際商品指数は、約3分の2は原油(精製してガソリンなどの石油製品にする前の石油)の値動きを反映し、銅、金、トウモロコシ、コーヒ大旦、豚肉などの価格も加味した指数です。

ところが、同じ1998年を境に、日本の消費者物価は下落傾向に転じています。両者のグラフだけをみると、「国際的な資源価格が高騰しているときは、日本の消費者物価は下落してデフレが生じている」という比較的はっきりした関係が読み取れます。それなりに経済の知識がある人ほど、この関係に驚くでしざつ。「資源価格の高騰は、資源がない日本のような国の物価を上昇させ、インフレにつながるはずだ」と思い込んでいるからです。しかし、それは石油ショックが起きたころには正しかったのでしさつが、いまは、明らかにまちかっています(少なくとも、1990年から2010年にかけての日本には、まったく当てはまりません)。

1990年代のうち、1998年までは、資源価格が下落傾向にあるなかで、日本の物価は少しずつ上がっていました。そして、1998年から2010年にかけて、日本銀行国際商品指数は3・5倍になりました。プラス250%という大幅上昇です。2008年までの数年間で特に急上昇し、リーマンショ″クの影響で2009年は一時的に下がりましたが、すぐまた2010年には上がり、上昇トレントを維持しているようにみえます。ところが同じ1998年から2010年までのあいだに、日本の消費者物価は約4%下落しています。物価についての代表的な指標のもうぴとつであるGDPデフレーターは、同時期に約14%も下落しています。とにかく、日本の物価は下がり、明らかにデフレが進みました。

なぜ、こんな不思議な現象が起きるのでしきつか。大きな理由は2つありそうですが、本書に関係が深いひとつだけを、ここで説明します。その理由とは、日本の消費者物価は、資源の価格よりも、労働コスト(賃金)に左右されやすいこと。このあたりは、日本経済についての基本データ、たった2つで簡単に説明できます。まず日本経済全体で、1年間で消費や投資などに使ったモノやサービスのなかで。海外から輸入したモノやサービスがどの程度を占めるかを、2009年度でみると、19・7%しかありません。これを「輸入依存度」といいますが、日本の輸入依存度は、ブラジルに次いで世界最低レベルです(かつては、10%を下回っていました)。たぶん、多くの人には意外な話でしょうが、経済の専門家のあいだでは常識とされてきたことです。

2014-12-01

ヨーロッパにおける参審制度の活用法

13:54 | ヨーロッパにおける参審制度の活用法を含むブックマーク

もっとも、民事事件の場合は刑事事件と異なって、技術的な複雑さかおり、素人には向かないのではないかという懸念かおることは私も十分承知しています。しかし、日本より法制度が複雑とさえ思えるアメリカでも民事陪審をやっているのです。

争点の整理、裁判官の説示、弁論等をうまくできれば、この点は解決できる問題であり、そうしたことが民事陪審導入のための課題だと考えるべきでしょう。刑事裁判への国民参加実現の足を引っ張るといけないので、刑事裁判がどれだけ難しいかはあまり述べませんが、それと比べて、民事裁判の方が市民にとって親しみやすく、取り組みやすく、従って導入しやすい理由は沢山あるのです。

問題は、そういう本当に意義のある陪審制の実現について、ヤル気かおるのかどうか、それに向けて努力するかしないか、なのです。ところで、改革審が「裁判員制度」を打ち出したことから、政党までこれに引きずられてしまっているようです。各政党の意見も先にふれたように、「裁判員制度」構想を受け入れてしまったかのように見えます。

裁判員制度とは、「日本型参審制度」とも言われ、ヨーロッパで盛んな参審制度をベースに陪審制の要素を取り込んだ制度です。陪審制では、陪審員は事実判断をするだけで、裁判官は法律専門家として法律判断と訴訟手続の進行を担当します。それぞれが役割を分担し、事実はとうかを決める権限が一般の市民にあるという点に第一の特徴かあります。

2014-11-01

高齢化の根本問題

11:20 | 高齢化の根本問題を含むブックマーク

われわれは政府も含めて今世紀の後半から、かなり真剣に社会保障・社会福祉の充実に努めてきたわけで、それを二一世紀になって、財政難であるからという理由で一挙に極端な改革をするということは国民の理解も得られないだろう。同時にこの種の選択は、本来国民自身によって行なわれるものである。きちんとした情報を政府が提供したうえで、どのようなものを国民が選択するか決定すべきだ。

たとえば、極端な例をあげれば、いくら負担がふえてもよいから、国民に必要な医療・福祉はすべて国が面倒をみる、という方法もある。もちろん、これはあまりにも飛躍した議論で、現実的ではないだろう。どのような情報を国民に開示し、それをどういった形で国民に選択してもらうか、という新しい方式を編み出さなくてはならない。

これまでの厚生省は政策立案に努力はしてきたが、この種の情報提供については必ずしも得意ではない。現に介護保険の問題をめぐって、世の中一般の人々から、「はっきりわからない」という批判も受けている。厚生省は具体的なケースを解説し、選択肢を提示しながら、国民にたいして意見を求める形にすべきではないだろうか。

多くの人々は、高齢社会とは、老人が長生きし、人口全体のなかでその比率が大きくなり、その負担が国にかかってくる社会だと思っていて、どちらかといえば、暗いイメージでとらえられている。こういう見方はまちぷいとはいえないかもしれないが、十分に理解のある見方ともいえない。

極論する人は「老人がいくらふえてもかまわない。問題は、老人を支える若い人たちが減っていくことがたいへんなのである」という。たしかにそのとおりで、老人がいくらふえても、その老人たちを支える若い人だもの数もふえれば、さして問題はないということになる。

ところが、人口問題研究所の予測によると、未婚率の予測は一三・八パーセント(前回の国勢調査後の予測は一一・〇パーセント)で、一組の夫婦が一生の間に産むこどもの数は二〇〇〇年で一・三八で、一九五七年には二・〇四だったのにくらべると大きな差がある。高齢化のピークになるとされている二〇二五年で少し回復して一・六一になると予測している。