身につけるべき技術と情報

実務家は、自らの理念や思想と時代の激変との相剋、ジレンマに引き裂かれる宿命をもっているが、こうしたことに耐えていくには、まず第一に技術的なものは徹底的に身につけなくてはならないだろう。新しい情報や新しいメディアに対して、はじめから反発していては実務家としては立ち行かない。

マルチメディア、コンピュータ、パソコン、インターネットといったカタカナ語を聞いただけで拒否反応を示す人がいるが、やはり改める必要があろう。なぜなら、情報の分野では、日本はいま大変遅れているといっていい。とりわけソフトの分野、メディアの分野は、決して自慢できる状況ではない。したがってこの分野の技術は、徹底的に身につけ、追いつくことが必要だ。個人で身につけるか、知識としてそうするのかはさておき、結果として、組織全体が常に世界の動きに対応できるようにしておかなくてはならない。

実はこうした一種の技術主義は、明治以降の日本には伝統的にあった。そして、欧米発の技術を身につけ、自家薬箇中のものにしたからこそ、日本経済の発展があったのである。その意味で、私は技術に対するレスペクト(尊重)は捨ててはいけないと思っている。一般に組織が硬くなってくると、スペシャリストあるいは特別な技術を軽視する傾向が出てくるものだ。しかし、それは危険であろう。

第二に、情報に対してもっと敏感になる必要がある。グローバリゼーションというのは同時に情報革命でもあって、情報そのものが非常に重要な要素になってきている。ビジネスで優位に立つかなりの部分は、人と違う情報をもっていることによって可能になる。コンピュータのソフトウェアもたしかに情報だが、それだけではなく、国際間の生の情報が重要になってきた。

例えば中国でどういうことが行われているか、中央アジアでどういうことが起こっているのか、あるいは何が起きようとしているのか、そういうことをすべて知ったうえで、その情報を使い分けながら仕事をすることが不可欠になってきている。とりわけ国際金融の場では、こうした情報の価値がどんどん増している。そして、情報の価値を選別するには、実は組織の中に多様性を育てていかなくては難しい。また、そうした多様な人間をかかえられるような組織にしていかないと情報は入ってこない。