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2008-07-11 学術的正しさと教養主義 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

id:thirが言ってもわからないようなので、記事にしてみる。


まず述べておくが、

あのー、それ、普通にいじめなんですけど

http://d.hatena.ne.jp/thir/20080706/p1

およびこれに派生した分析の正しさに異議を唱えるつもりはまったくない。いじめの構造分析に関しては先行研究が多くあり、それを踏まえた上で、適用範囲を把握した上できちんと分析していると考えられる。この分析自体への学術的反論があったとしても、十分にそれを理解して答えることができるだろう。


さて、学術的生産物を理解するためには、当然当該学術コミュニティで使われている言語を理解しなければならない。これはただ大学生であるだけでは駄目で、少なくとも共通の専門用語、理論を扱っている学部群に所属していないといけない。もちろん、教養学部がきちんと機能しているごく一部の大学の出身者なら、それは問題にはならないだろう。


となると、特にはてなにおいて、それを持っていない人間は数多い、と言うことは容易に理解できる。そして、彼らは、この記事に対して「学術的バックボーンがある」こと自体を知らないか、もしくはバックボーンを持っていてもこの記事を学術的であるとは解さない場合もある。その場合、この分析の正しさの土台になる知識、プロセスまで読み手に伝わるかどうかは、もはや保障できない。繰り返して言うが、これでもこの分析の正しさが反故になったわけではない。


さて、ブログという個人メディアでは、さまざまな人が記事を読みうるし、書きうる。となると、共通の学術的バックボーンのあるなしでブログの読み手を分類することができる。そこで、ここが私が権力的だと思うのだが、彼は他の記事を書いた人間、あるいはおっさん本人が「共通の学術的バックボーンがない」、つまり「教養がない」からという理由で反論記事を書いているように思われるのだ。これは一種の教養主義だ。例えば、記事中の


バカ野郎。


と言う言葉にも見られるし、また彼のネット上の別のこの騒動に関する言動にも見ることができる。また、彼を支持するユーザーにもそのような傾向がある。それがまさに

学級委員長たちは自分の意見を何としても正当化したいのですね、わかります

http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20080709/p1

で「委員長」と呼ばれる理由でもあると思われる。はっきり言うと、彼がこれだけいい議論展開をしているにもかかわらず、これだけの反感を買っているのも、これが理由だろう。さらに、ハゲのおっさんにもハゲである以外に「教養がないおっさん」という新たなレッテルすら存在しうる。


つまり、まとめると、id:thir教養主義を振りかさしており、学術的な真偽の基準ではなく教養のあるなしで人の記事を判断している。私はそれが気に食わない。また、これはまさにいじめによる排除の構造に近いものだ。はてななら大丈夫だが、例えば駒場で同じ議論をしている中に私が入り込んだ場合、そこではいじめが発生するだろう。

thirthir 2008/07/11 22:28 はてブだと言いたいことが全く分からないことが多いので、このように記事にしていただけると大変に助かります。特に、今回のkybernetesさんのブクマコメントは、僕自身としても結構気になっておりましたので。

あー、なるほど、「権力」の意味がようやく分かりました。「バカ野郎」ってのはアニメのパロディなのでちょっと違うのですが、「共通の学術的バックボーンがない」という点について(あるいは、「学術的なバックボーンを理解しようとしない」事に対して)不快感を持っており、それが文章に現れておりますのは確かだと思います。

今回の場合、なぜ私は私が前提としていたことを正しいとしていたのか、その根拠と歴史的な事実について、つまり「言論外」の共通了解事項に関し、少しながらも記述しておくべきであったと痛感しております。その上で「共通了解に対する疑問なのか、それともそれは認められているのか」といった点から、議論を積み重ねていけば、このような混乱は起こらなかったでしょう。何はともあれインターネットでは議論の方向が様々な方向に波及・分節し易いので、少なくとも以前よりはてな内での影響力が強くなった以上、そのことを考えざるを得ないのは仰るとおりでございます。

#まあ、実際東大の教養学部がどうなのかというのは、このさい置いておきましょう。

それでは。

kyberneteskybernetes 2008/07/12 00:56 こんにちは。
個人的に、どうも対立点がたたき台としての構造分析ではない方向に行っているのではないかというのを感じていました。実際オンラインで個人の情報発信、共有ができるようになった上で、巨大な知識のシステムである学術的な知識をどう扱うかという点については、まだ注意深くなければならないと考えています。ブクマでの論争の際は、どちらかというとどんな受け手がいるかわからないというメディアリテラシーに近い問題として考えていたのですが、それこそ個人メディアの情報発信のリテラシーについてはまだ何か共通了解を見出すのは難しいため、ある意味水掛け論になってしまったのは反省しています。

そうなると何が問題とされているかという問題に戻るわけですね。そこで、やはり(特に人文系の)学問のバックボーンのあるなし自体を扱ってしまうのは問題ではないかと感じた次第です。

最後に、個人的に駒場の先生、学生とはいろいろあるので、それについて言及してしまいました。失礼しました。

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