2012-01-26 2月17日(金)19日(日)臨時休業致します。
■[旅日記]一枚の絵のふるさとを訪ねて倉敷紀行。
明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。
今年のみんなの思いは一つ「どうか平和な明るい2012年になります様に。復興が進みます様に。」ですね。
嬉しい事にはお正月から私の回りでは良いニュースばかりです。
☆新年初日1月8日Hassel Houseの可愛いお客様が婚約され彼氏様といらして下さいました。
穏やかで優しそうなお方!良いお方と出逢われ幸運ですね。「ご婚約おめでとうございます。末永いお幸せお祈り致します。」
☆1月12日お隣に新しいお店がオープンしました。
「Naturaleza」自然志向の小物のお店です。ハッセルの帰りにお寄りになって下さいね。
☆お向かいに建築中だったアパートが完成しました。スパニッシュ風、名前は「L’Olive」
入り口にはオリーブの木が植えられました。とても素敵な間取りと設備に住みたくなりました。
☆1月21日「野村誠&近藤浩平&RossCarey」ポータブル・コンサート
1月のサントリー音楽財団推薦コンサートに選ばれました。
生憎の寒い雨の夕べでしたが盛況のコンサートになりました。ハッセルハウスのお客様もいらして下さり有難うございました。
一枚の絵のふるさとを訪ねて倉敷紀行。
約40年前倉敷の備前焼のお店で見つけた一枚の絵。「その絵を分けて下さいませんか?」と無理にお願いして買いました。
10年位前倉敷に行った時絵を買ったのはこのお店だったはずとお店に入ると「あの絵はどうしましたか」と声を掛けられびっくり。
亡きお父様の絵だったのです。今回は写真に撮り持参することにしました。まだお店があるといいのですが、、、
絵は不思議なもの40年この風景を眺めながら暮らしています。
日本人の描いた油絵、素朴な筆使いと色彩。小出楢重画伯の絵等と共通する懐かしい郷愁を憶える絵は毎日眺めても飽きませんね。
1月10日〜11日一枚の絵のふるさとを訪ねて倉敷1泊旅行に行きました。
岡山は近くなりました。神戸を出て2時間後には倉敷の美観地区をもう散策しています。絵が描かれた場所をまず探して歩きました。
絵にある火の見櫓の位置がうまく合いません。ともかく考古館への橋を渡り右折して川沿いの備前焼のお店を探しながら歩いてゆくとありました!紛れもない絵を買った備前焼のお店です。
看板の横に「茶房・井戸」とあります。お茶が飲める様になったのですね!
お店に入り絵の事をお話しするととても喜んで下さいました。
絵との出逢いがこうして又人との出逢いになるとは!
中に通されました。
ガラスの蓋を取って見せて下さいました。
天井からの光も明るく其処ここに備前の壺に生けられた花もしっくり美しく絵を描かれた方の息子様ご夫妻とのお話はまるで親類にお邪魔したようで心に残る感動のひと時でした。
今夜の宿はすぐ近くの「アイビースクエア」
元紡績工場を改造したホテルは煉瓦や天井に昔の名残が残って素敵でした。
2011-12-26 年末年始の休業日のお知らせ
■[音楽会]電子ブックと「持ち運びできる協奏曲の世界」演奏会へのお誘い
今年も皆様のお蔭でお店を続けることが出来ました。有難うございました。
年末年始の営業日をお知らせ致します。
12月27日より1月7日まで休ませて頂きます。
新年は8日(日曜日)から営業致します。
来年も宜しくお願い申し上げます。
今年はとても大変な年でしたが後数日で新しい年を迎えますね。
大災害と原子炉の事故はみんなが今後どうやって豊かに安全にくらして行けば良いのか考えるきっかけを作ってくれました。
子や孫が幸せに暮らせるような未来が来ます様に。
来年は明るい平和な一年になりますように。
12月14日兵庫県立芸術文化センターでのケルティック・コーラス「ANUNA」の透明な歌声。(今日の一枚の写真・右上)22日ベガホールでの[被災地に届け!]「宝塚からの贈り物」コンサートでは左手のピアニスト智内威雄様の素晴らしいピアノの音色、チェロとの合奏、中学生の清らかななコーラスなど心に響く音楽と共にクリスマスシーズンを過ごすことが出来ました。
☆電子ブック公開中のお知らせ☆
マスター先生 - 東日本大震災支援プロジェクト - JPublisher Japan Aid Project -電子絵本・電子書籍で笑顔を届けたい- « wook
阪神大震災がきっかけとなりオペラの世界へ入った長男が東北大震災チャリティー参加作品に応募した作品「マスター先生」現在無料公開中です。リンクしますので絵の下の欄をクリックして下さいね。
☆野村誠&近藤浩平&RossCareyポータブル・コンチェルト演奏会のお知らせ☆
演奏会の説明は山の作曲家の日記へリンクしてください。
チケットはHasselHouseでもお取次ぎ致します。
宜しくお願い申し上げます。
皆様よいお年を迎えられます様に。Kyoko
2011-11-30 明日はとうとう12月です
■[家族]家族の一員。二代目ミャーです。宜しく
暖かい日々から急に温度が下がったからでしょうか街の紅葉の鮮やかな事。
Hassel Houseの玄関前の煉瓦の上にかさかさと落ち葉が積もります。
風情があるので残しておきましょうか?
この秋はHassel Houseのお向かいは建築ラッシュ!仁川に長くお住まいの方は阪神銀行があったのを憶えていられますか?
其処へ1戸建ての住宅が4棟建ちました。只今公開中です。
又お向かいのアパートが建て直されて今日カバーが取り外されました。一寸Hasselに似た赤い瓦の連棟ハウスです。
さて明日からは12月です。ぼうっとばかりもしていられません。
まず一つ目の片づけ?として春に描いてHassel Houseの2階に立てかけたままにしていた「残雪の室堂平」を長男の家の玄関に飾る事にしました。このところすっかりご無沙汰している長男の家ですが犬の[メル]と猫の[ミャーちゃん]が大歓迎してくれました。
その歓迎ぶりに驚き「何方が見えてもこうなの?」と嫁にきいたのですが「とんでもない!」との返事。
家族と思ってくれていたのですね!こちらもとても嬉しくなりました。
メロメロのメルちゃんです。ミャーちゃんより少し先輩なのに猫には勝てないみたいです。
孫娘が中学受験勉強中、母親が「受かったらご褒美に何でも一つ買ってあげましょう!」と約束し、さて受かって「何が好いの?」と聞くと[猫]との返事!いつも無理を言わない娘なのでびっくりしたそうです。犬がいて到底無理と思いましたが約束なので仕方がありません。
孫娘は赤ちゃんの時から我が家のミャーと慣れ親しんでいたからでしょうか?
あれから8年の歳月が過ぎましたが犬の「メル」と兄弟と思っているのでしょうか。仲良く?暮らしています。
■[デザイン]セーターで作る暖かいクッション
2つ目の片づけは納戸の整理。もう人生の整理、物の整理にかからないといけないと思いつつ中々実行出来ません。
一番の整理はもう一度復活して使える物にすることですね。
そう思うと納戸は宝の山!愉しいアイデアが夢見心地にしてくれます。やっぱり綺麗さっぱり捨てるのは延ばしましょう!
前身ごろと後身ごろでクッションの袋を作ります。出来上がり寸法45×45cm
前後の身ごろの長さの差を利用してファスナーを後ろ側に付けてておきます。糸は中細の毛糸で返し針で縫いました。
回り用の部品を袖からとります。縁取り用はくるくると巻いて最後は端を折り畳んでくけて長い棒状にしておきます。コーナーのボンボンは回りを細かくグシ縫いにして絞りポリエステル綿花を詰めます。
2011-10-29 シンガーミシン
■[デザイン]NHK朝の連続小説「カーネーション」と重ねて。
秋晴れの26日 Hassel Houseに珍しいお客様が集いました。
なんと私の小学校時代のクラスメート7人です。どうしても宝塚歌劇を観たいと遠路はるばる宝塚まで来られたのです。
みんなそれぞれの人生を歩んで来ましたがお話するといっぺんに昔の顔に戻りました。
秋の陽だまりの中の愉しいひと時は又忘れがたい思い出になることでしょう。
学校の校庭で幸せになれると探した四葉のクローバー。まだ宝塚歌劇に憧れる乙女心を失っていません!
NHK朝の連続小説「カーネーション」に重ねて。
お店のお客様とのお話でまず私に近い年代の方々は子供の頃の洋服は殆んど手作りでシンガーミシンは多くの家庭にあったので思い出深いと話して下さいます。
私も若き母がミシンに向かう姿を思い出しつつ、、、
母が結婚したのが昭和8年頃(1934年)丁度ドラマで今進行中と同じ年代です。
母はミシンで洋裁をすることに憧れていて無理を言ってミシンを買って貰ったそうです。当時は余程高価な物だったのでしょう!
ドラマの中でお父さんが買ってきたミシンとほぼ同じ型でした。
母は一生家庭の主婦でしたがこの一台のミシンがどれ程家族の暮らしに役立ったでしょう!
それから日本が戦争に負けてすべての物に不自由したときも魔法のように色々な物が生み出されました。
私は母の手元を見つめつつ出来る事をお手伝いしたのです。
母の洋裁の先生はミシンを買った時ついていた分厚い洋裁読本でした。
洋服は急激に浸透していったのでしょう。後列向かって右より2人目が父です。父方の親類の人たちと。
数え5歳の私と姉妹といとこ達と。前列右端が私です。変わっていませんね!
この日いとこ達が岡山から遊びにきてくれたので写真屋さんを呼び記念撮影をしました。
出来上がったばかりのワンピースでおすましをして写真におさまりました。
その後が大変!戦争も身近に迫ってきて市役所が「防火用水」として2m×2m位のコンクリート製の水槽をお隣との間に設置したのです。その夕方ペンキで「防火用水」と書いたのを知らず其処へもたれてしまったのです。
真っ新の洋服が真っ黒いペンキだらけになりました。このふじ絹のピンクの花模様の洋服はこの時一度だけの晴れの日。悔しく悲しい思いをしたことが忘れられません。
我が家もテレビと同じ様に3姉妹。(あっ!テレビでは4姉妹でした!)後に弟が生まれましたが、、、
毎朝朝食に合わせてテレビを見るのが楽しみです。
きっとこんごは洋服の草分けとして飛躍して行かれるのしょうが、それも楽しみにしています。
先日Hassel Houseのお隣で手つくり品のバザーがありました。若いお母様方が集まり細々とした愛情溢れるものを作っていられる様子にほっとします。
ついでにリフォームを1点紹介致します。
旅先で買ってもらったバッグですがなで肩の私が持つとひもが肩からずりおちてしまいます。色と形はお気に入りですがついにお蔵入りして20年も眠っていました。何とか使えないかと工夫して絵を描き靴とカバンのリフォーム屋さんにお願いしてみました。
うまく使いやすくなりました。お店の人もこんなリフォームは初めてと言われましたので紹介致します。Kyoko
2011-09-27 秋空に誘われて
■[旅日記]秋空に誘われて、六甲山へ。小豆島へ。
台風12号15号と今年の日本は災難続きで本当に大変な年です。
でも空は高く澄んだ青空が広がっています。さあ!元気に何処かへ秋を探しに出かけましょう。
《初秋の六甲山へ》逆瀬川上流から六甲山頂へはほんの30分程のドライブ、直ぐに山の雰囲気が愉しめます。
トン助さんのお嫁さん?豚のさくらちゃんはのびたのびたのこの有様。
レトロな感覚の六甲山牧場、のんびり癒しの一日になりました。
暖炉に火が燃える木造りの素朴なレストランがあればなお素敵でしょうね。
みかん類も色づいて来ました。近くの小学校からは運動会の練習の音楽と掛け声が聞こえて来ます。
こうして実りの秋を迎えていますが、思うのは福島の人たちの暮らしです。何が大切か今後の事を考えてしまいますね。
10月3日学生時代にアルバイトをして下さっていた3人娘がHassel Houseに訪ねて来られ久しぶり大輪の花が咲いたような晴れやかな1日になりました。みんなお嬢ちゃまでお嫁に行けるかしらと思っていましたのに見事なミセスになられましたね。
カップ等の洗い物も「勝手知ったる我が家!」と瞬く間に片づけて下さいました。
20年昔に帰った愉しいハッセルハウスになりました!
お客様には賑やかで申し訳ありませんでした。<m(__)m>
《小豆島への船旅》
今年の7月からジャンボフェリーが神戸港より小豆島へ行くことになりました。
午後2時神戸港を出て3時間の船旅午後5時小豆島の坂手港着、お手軽に船旅を楽しめるコースが出来ました。
10月はオリーブの収穫期。未だ寒霞渓の紅葉の時期には早いけれど思い立って10月5日生憎の雨の中懐かしいジャンボフェリーに乗船し小豆島へ向かいました。
重く垂れ下がった雲から未だ雨つゆが落ちてくる中坂手港が見えてきました。
Hiroshiさんは昔の思い出話「終戦後関西汽船の女王丸がここの沖で魚雷に当たり沈没したこと、知人が亡くなられ、、、」私は郷里の港で女王丸を見かけた気がしますけれどだんだん記憶は遠ざかってゆきます。
坂手港までお迎えのサービスがあるので決めた「ベイリゾートホテル」ですがホテルの人たちが暖かく迎えて下さりお部屋は和室を改造したベッドルームでしたが広々ゆったり田舎の家に帰った様なほっとする時間が持てました。
翌朝窓の外は晴れ渡った青空。何という幸運でしょう!
早速ホテルよりタクシーで約15分の岬の小学校へ。
「24の瞳」の映画のモデル「岬の分教所」から藍色の海を眺めつつ歩いて10分程で「映画村」へ。
置いていた竹馬に乗って童心に帰るHiroshiさん。
2年前小豆島への旅の日記で書きましたが映画での先生(高峰秀子様)のモデルと言われている作家壺井榮のお妹様とHiroshiさんの母親と叔母は師範学校の同級生だったとか。そして叔母は100歳をとうに超えてまだ生きています!(義母も同じ様に香川の辺鄙な岬の小学校の教師になりました。)こうしてここへ惹かれて来るのは若き日の母親を偲べるからでしょうか?
映画村からいつもは観光客のために昔の様に渡し船が運航されていますが今日は少し波立っていますので欠航とか。
丁度来合わせたバスに乗りオリーブ公園へ。
青みがかった緑色のオリーブの木が広がる丘の風景はのどかでまるで遠く外国へ来たように思えます。丘の上まで上がって円形のオリーブ記念館の2階でスペイン風ランチを頂きました。盛沢山でした!写真を撮らなかったのが残念!
窓からは青い空、碧い海、並んだオリーブの木々、収穫中の人々等が光に包まれまるで絵の様な風景でした。
(この翌日何気なく毎日TVを見ていましたらこの春福島から5人のお子様のいられる一家が小豆島に移住された日々の様子が放送されていました。何とご主人様はスペイン料理のシェフをされていたので新しい職場としてオリーブ公園のレストランで働くことになったとか!ええ!確かに昨日お逢いしたシェフでした。観光客もおいしいスペイン料理が頂けて幸せです。宜しくお願い致します。)
このあたりは昔のままの雰囲気です。映画のセットに紛れ込んだ様。
おしゃれな大工さんがいたのでしょうか?赤いステンドグラスが素敵な表戸。
青い海が金色に染まりやがて黒い海に変わりゆく夕暮れの瀬戸内海を船尾より堪能しつつ帰途につきました。Kyoko
2011-08-28 9月19日(祝・月)臨時休業のお知らせ
■[音楽会]「カンテリーノ」秋の演奏会のお知らせ
暑さも力をなくし秋の気配が感じられる晩夏、Hassel houseの2階から眺める六甲の山々と夕焼け雲の美しい季節になりました。
8月は思いがけず久しぶりの出逢いがあり感激!感謝の嬉しい夏になりました。
同窓会で関西学院大学に集まるので学生時代に通ったHasselHouseへ是非寄りたいといらして下さったメンバー。年齢をお伺いすると53歳とか!その翌週に問い合わせていらして下さった方々は49歳。年月の経つのは速いもの。
皆様の面影は変わりませんが、よくぞHasselを憶えていて下さったと嬉しい限りでした。
皆様曰く「まだ昔と変わらずお店があって良かった!」
すっかり老いぼれましたが未だ続けていけたらと欲張りな気持ちでいます。宜しくお願い致します。
メニューはオープンサンドとお庭のサラダ、お飲物+デザート等でした(本当は記念写真を載せたいのですがね〜。)
右上の今日の1枚の写真は「二階への階段」です。もう30年以上何回この階段を昇り降りしたことでしょう!
一人のお客様がこの手作りの階段が気に入られて写真を撮って下さいましたので建築当時のお話を致しました。
当時は既製品が無かったものですからHasselに今も置いている洋館の本を参考に大きな楢の木からロクロで刳って手摺棒を作って下さいました。建築して下さったのは九州出身の大工さんでしたがその後プロの建築屋さんもこの細工は難しいと言われました。
身近で気が付かなかったのですが改めて眺め私も写真に撮ってみました。有難うございました。
♪「モーツアルトオペラの魅力」声楽グループ[カンテリーノ]第17回演奏会のお知らせ。
今秋の演奏会は仁川からとても近い阪急甲東園駅前の甲東ホールです。
Hassel Houseにてもチケットお求め頂けます。チケットお買い上げのお客様にはお飲物代をサービス致します。
どうかご支援をお願いいたします。
又勝手ですがHassel Houseは臨時休業をさせて頂きます。宜しくお願い申し上げます。
20日皆様のご支援のお蔭で今年の「カンテリーノ演奏会」も無事終わることが出来ました。有難うございました。
舞台用モーツアルトの肖像画。今年はシンプルな舞台で頼まれたのはこの絵1枚でした。
上塗りしてキャンバスとして又使おうと思っていましたら、長男修平が自宅の音楽室(名ばかりですが)に掛けるからと持って帰ってくれました。捨てずに済んで嬉しいです!Kyoko
2011-07-28 蝉しぐれの夏
■[家族]蝉しぐれを聞きつつ。
玄関脇の欅の木に又蝉たちの大合唱が聞こえる季節になりました。
hassel Houseのカウンターには次々と夏を迎えた我が家の庭の収穫品が並びます。
桑の実〜山桃〜トマト〜胡瓜〜今は栗かぼちゃです。
その日の収穫は食べきれませんのでお客様のおみやげになります!
今年の山桃は生り年かたくさん収穫しました。ジュースやジャムにしても多すぎます。
つれづれなるままにスケッチしてみました。絵の具でいきなり描きましたのでデッサンが出来ていませんが。
【家族の一員】我が家の歴史は「チロちゃん」との時代、「みゃーちゃん」との時代として思い出されます。家族の一員になった犬ちゃんと猫ちゃんの役割は大きいのです。
つれづれついでに思い出の絵を描いてみました。
次男が4歳位の時友人から貰った「チロちゃん」。親から別れて寂しそうなチロを慰める浩平。
hassel Houseをオープンした時はまだいましたのですが、、、
我が家の溝に生後1ヶ月位の時捨てられていたみゃーちゃん。17年間もいました。
Hassel Houseから帰ると道の真ん中のマンホールの上でいつも正座して待ってくれていました。
次男が綴った文章があります。クリックするとリンクします!動物との暮らしは思いがけない発見がありますね!</span
>http://koheikondo.web.infoseek.co.jp/myatan/mya-tan.htm丹精込めた作物の収穫の喜び、なにげなく暮らした動物たちとの心のふれあい。今放射能に汚染され根底から人間の暮らしが出来ない原子力発電の事故。どんなに困難でもこの際に英断を下し科学力と技術力日本人の知恵の結集で新しい未来を築いていけます様に。Kyoko



















































