2012-02-11
2012年02月10日のツイート
@the_mathnawi: 「もしも私が…していたら」「あるいは…だったなら」。偽善者は、死の間際までそう言い続ける。「もしも」という言葉によって彼らが一生のうちに得るものなど、後悔の他には何も無い。 (【貪欲な破産者の物語】・了)
@the_mathnawi: あなたが「もしも」の牢獄に、囚われることのないように!決して口にするな、「もしも私が…していたら」「あるいは…だったなら」などと。誠実なる預言者は人々に、「もしも」と言うことを禁じた。そしてこうも告げた、「それは偽善から発せられる言葉である」と。
@the_mathnawi: 体が動いている限り、生計は立てねばならぬ。生計を立てることは、宝物を掘り当てることの邪魔にはならぬ。仕事は続けねばならぬ、身を引いてはならぬ。何故なら真の宝物は、まさに仕事の後ろにこそ控えているからだ。
@the_mathnawi: 生の食べ物は食べるな、おお、若者よ。生の食べ物は病気をもたらす。「誰それが宝物を見つけたそうだ。俺にも同じ事が起きてくれたら良いのに!一生働かずに遊んで暮らせるぞ」などと言うものではない。それは天命の為せること、しかも極めて稀なこと。
@the_mathnawi: 荷を負う者は他の者の荷を背負うことは出来ない、何かを植え付けない限り、収穫を得ることも出来ないだろう。ただで手に入れようなどと思うな、甘いが不合理な夢など見るな、それは生(なま)のままの食べ物のようなものだ。
@the_mathnawi: あなたの我欲を杭につなげ。一体どれほどの長い間、為さねばならぬ仕事から、運ばねばならぬ重荷から逃げ続けるつもりなのか ? 一体いつまで逃げ続けるか。ロバは調教せねばならない、百年だろうが、三十年だろうが二十年だろうが、忍耐と感謝という積み荷を運ばねばならぬ事には変わりがないのだ。
@the_mathnawi: ぐずぐずするな、とっととロバに乗れ!鞍が無かろうが構うものか。預言者でさえ、鞍無しのロバに乗っていたではないか。預言者は裸のけものの背にまたがった。そしてまた、預言者は自分の足で旅することも厭わなかった。ロバ ? あなたの我欲 ? を野放しにするな。
@the_mathnawi: ロバ無しに鞍を持って何になるだろうか。ロバを手に入れさえすれば、鞍など後からいくらでも手に入る。あなたにその気があって初めて、パンもあなたの力になるのだ。ロバの背には、店(仕事)と財、戦利品とが積まれるだろう。心に宿された真珠の粒は、百人の胃を満たすだろう。
@the_mathnawi: コーランの字義にしがみつく者は鞍にしがみつく者、ロバそのものを見失った者。目の見える者ならロバをこそ見よ、あなたから逃げ出したロバの後を追え。一体いつまで鞍にこだわり続けるつもりか、おお、鞍を崇拝する者よ。
@the_mathnawi: 【続・貪欲な破産者の物語】見ようともせぬ者に与えられる分け前など、苦痛をいや増す気まぐれだけだ。精神の目が開いた者なら、分け与えられるのはファナー(自我の消滅)の夢である。見えぬ者には大量のコーランが、それもコーランの文字ばかりが詰まっている。
2012-02-10
2012年02月09日のツイート
@the_mathnawi: あなたを夢中にさせるお遊びを全て奪い去り、あなたを囲むあらゆるフォルムを剥ぎ取るもの ? それこそがリアリティである。リアリティとは、あなたの目を奪い、あなたの耳を塞ぐものではない。フォルムへの執着を増やすようなら、それはリアリティなどでは断じてない。 (続)
@the_mathnawi: あなたがリアリティと呼ぶものは、時間と空間に区切られたフォルムに過ぎない、そしてそれさえも借り物に過ぎないのだ。あなたは未だに自らの理解出来る範囲でのみ喜び、二番煎じの韻を踏んでは喜ぶ。
@the_mathnawi: ? あなたが「あなた」という名の古い護符を捨て去った時にこそ、ばらばらであった三者が<ひとつ>になる。この統一、この<ひとつ>は、理論によって推し量ることが出来るものではない。奉仕をするならば神にこそせよ、おお、分別を弁えぬ愚か者よ!
@the_mathnawi: 何故なら魂の美こそは、変わらずに永続する美なのだから ? その唇は、生命の水を飲むために与えられたもの。真実のところ、それは生命の水であると同時に、生命の水を注ぐ者でもあり、更に水を飲む者でもあるのだ。酔わせる水、酔わせる者、そして酔う者 ?
@the_mathnawi: 御方は、少しづつ、貸し出していた美を連れ去りたもう。若木は、少しづつ枯れてゆく。行って書物を読め、「長寿を授けてやった者の、体力を衰えさせることもできる(コーラン36章68節)」。魂を探し求めよ。魂を、骨と骨の間に置き忘れたままにするな。
@the_mathnawi: ヒトの美というのは金メッキのようなものだ。そうでなければ、どうしてあなたの恋人が、年老いたロバのように成り果ててしまうのか。かつては天使のようだった恋人も、やがては悪魔のように醜く変わる。何故ならヒトがまとう美は、ほんのひと時、借りてきただけのものだからだ。
@the_mathnawi: 一方で、自らの知性を愛する者よ。偶像を崇拝する者達よりも、自分の方が優れているとみなす者よ。あなたが「知性」と考えるそれは、あなたの所有ではない。全的知性の光によって、あなたの感覚認識が照らされているに過ぎない。あなたという銅貨を元手に、金貨を借りているに過ぎないのだと心得よ。
@the_mathnawi: 【続・貪欲な破産者の物語】変わることのない忠誠をいや増すのは、目には見えぬ愛の為せるわざ。やがては消える姿形に、愛を深まらせることなど出来はしない。太陽の光が壁を照らす、借りものの光で壁が輝く。単純な者よ、あなたはいつまで煉瓦に心を奪われ続けるのか。輝きの根源にこそ目を向けよ。
2012-02-09
2012年02月08日のツイート
@the_mathnawi: わが友人よ、自らに尋ねよ、あなたが真に愛するものとは何なのか、あなたを真に愛するものとは誰なのかを ? もしも我らが「愛する者」が、身体の感覚によって捉えられるものならば、感覚を持つ誰しもが、愛を知らずにはおれないだろうに。 (続)
@the_mathnawi: 愛とはフォルムに注ぐものではない。フォルムはあなたに愛を返しはしない、愛はフォルムを持たない。姿形に惹かれて愛そうとしたところで、魂が伴わなければ引き下がるだろう。何故に引き下がるのか、何故に捨てるのか?姿も形も、未だにそこにあるというのに。何故に嫌気をさしたのか?
@the_mathnawi: 顕われるのは御方の愛。御方を愛する者は隠される。我らが友は外側に在る。けれどその美は内側に在る ? 一切を捨てよ、此処を立ち去れ。形有るものに注ぐ愛に、何の価値があるだろうか?女の顔の美醜が、女自身のためになった試しがあっただろうか?
@the_mathnawi: あなたは、彼らを親族や縁者から、また彼ら自身の性質そのものからも切り離して解放したもう。彼らの目には、美しいものも醜いものと映る ? 彼らの目は、もはや美醜に囚われない。見えるもの、感覚が与えるものを全て断ち切ることを選び、見えざるもの、純粋なるものの方へと歩み寄る。
@the_mathnawi: あなたは彼に配偶を与え、血縁を与えたもう。母方を造り、父方を造り、千の思考と感情を、歓喜を、悲哀を与えたもう。そしてまた、その中の幾人かには救いの手を差し伸べたもう ? 彼らを悲哀と歓喜から切り離し、移ろい乱れる感情から解放したもう。
@the_mathnawi: あなたの錬金術を用いて、何であれ如何様にも変じたもう ? ナイルの川を、血の川に変じたように。そうした錬金術の御業こそは御方に属するもの、万能薬の秘密は御方の御手の裡にある。あなたは水と土とを共にこね、水と土からアダムの身体を造りたもう。
@the_mathnawi: 祈りも、祈りへの応えも、いずれもが御方の許より届けられるもの。平安も、畏怖も、いずれもが御方の許より届けられるもの。我らが過ちを語ったなら、主よ、我らをただしたまえ。御方こそは過ちをただす者、御方こそは言葉を統べるスルタン。
@the_mathnawi: 無こそは神の工房。工房の外にあるものなど、役立たずのがらくたばかりだ。おお、御方よ。我らが心に精妙なる言葉を与えたまえ ? 我らは与えられた言葉もて祈るだろう、おお、栄光の<一>なる御方よ、あなたの慈悲がもたらされますように、と。
@the_mathnawi: こちら側から、あちら側へと引き返さねばならぬ ? もしもあなたが主を探し求める者ならば、もしもあなたが主に属する者ならば。逃げ出すな、有から無へと引き返せ。何故なら無のあちら側こそが、あなたに有をもたらす。多いの、少ないのと移り変わるこちら側は、費やす他には何の実入りも無い。
@the_mathnawi: 【続・貪欲な破産者の物語】「何処」という場所を持つこの世界も、元はと言えば「何処」という場所とは関わり無きところから生じている。こちら側の世界は、あちら側の世界から多くを受け取っている。
