目の前にある簾の向こうになにがあるのかを
簾の前で見えていることをことばにしながら伝えるのは難しい・・・。
目に見えるものが総てという風潮、でも希望がもてる。心は取り出して見られるモノではないけれど皆それぞれがそれを痛いほどに感じている。「こころ」って鈴のような音。ころころと動いて変化するから「こころ」と呼んだと昔ききました。
そして耳や目でなく、こころで響き合うとき、次元の違う世界が広がり始めるのを、誰もが体験しています。
そういう語り会にしたい〜〜〜


 ちょうど8年目、そしてお盆に「鈴虫」の巻に向かい合うのはなんとも不思議な巡り合わせです。
この物語のことばのむこうにある世界をどう表現したらいいのか・・・・・
五十四帖の中でもっとも語るのが難しい巻ではないかと思います。
目指すはイタコ状態でなおかつ冷静な語り女房・・・
書かれてあることばからどれだけ引っ張ってこられるのか。。。
これまでにおこった総ての出来事が今源氏の君を宙に浮かせているというイメージです。
あはひの旅人よ。
私を導いておくれ

8月20日、21日の土日午後3時開演
東京明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて
お申し込みフォームやあらすじなどの詳細はこちらに

お誘いあわせの上是非お運び下さい













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おおきに

無限のあわいに 鈴虫

8月で、東京での源氏物語連続語り会は8年目に突入します。
初回は8年前の8月8日、∞/∞無限の企画と思われたこの会も、皆様のお支えのお陰で43回会をかさね、第三十八帖に届きました。
8月は「鈴虫」の巻。

静かな静かなこの巻で交わされる言葉の向こうから黄泉の風がほのかに吹いて来るのを感じます。
平安時代の鈴虫は現在の松虫。「鈴虫」という巻名で、りりりー という涼しげな声を想像しがちですが、物語に聞こえてくるのは
チリ  チリリ  チリ・・・・・・
というひそやかな声。遠い遠いどこかからかすかに聞こえてくる鈴の音のようです。  誰がならしているのでしょう。
「物語」が、出来事を伝えるのではなく、遠い世界とつながるために編まれたのだということに気付かされる巻。
嵐のように壮大な「若菜」の大波を越えて 今目の前に広がる海の静けさ
凪いで光をかえすおもてからは見得ないわたつみの深さに潜る心を、虫の音を聞き分けそこにあはれを見いだすやまとの心を、私達が本質として受け継いでいることに喜びを感じています。
そんなことを 実感する巻。

蟬の声がふりしきるような暑い時期に、一足早く秋の静けさを。
「鈴虫」の巻 8月20日(土)、21日(日)の両日3時より
東京明大前駅徒歩2分のキッド・アイラック・アート・ホールにて。











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おおきに

京都五十四帖語り会

2016年1月 いよいよ京都での五十四帖連続語り会がはじまりました。
せっかく物語が生まれた地で語るのだから と、巻ごとに物語にちなんだ場や相応しい空間で開催することに致しました。お越し下さる方が物語だけでなくその世界全体を味わっていただけることを楽しみにしてくださるような会にしたいと思います。


第一回【桐壺】は、ザ・ターミナル・キョウト 素晴らしい京町家。
新年の気配ののこるしずもった清らかな空気。

ちょうど一年前の成人の日、東本願寺涉成園で、宗教学者山折哲雄先生に公演を御願いして六条院の栄華を語らせていただいた折に、山折先生は、平安時代には十二歳のころであった元服の儀と現代の成人式にかさねて、青年期の心と身体の成熟についておはなし下さいました。奇しくも次期を同じくしての源氏の君の誕生と元服、婚礼、そして藤壺の宮への幼い恋心がほのかに揺らめいて、いよいよ壮大な物語の船出です。

そして3月27日には、中井和子先生が愛された野仏庵さんでの第二帖【帚木】〜「雨夜の品定め」の段をお聞きいただきました。お庭に点在するお茶席などを散策していただき、坪庭のあるゆったりと素晴らしい母屋でお抹茶と御菓子をお楽しみいただいてから、講堂で語り会が始まります。


深々とした格調の鳥の子紙の白屏風、見事な細工の燭台に和蝋燭を灯し、雨音につつまれる物忌みの夜の密室劇・・・。モノトーンの世界に紅の蝋燭の灯りがゆらめき、色恋談義の対極にある源氏の君の心中が闇の中に浮かび上がります。声にする言葉のむこうにある このなまめかしい心、お伝えできたでしょうか・・・。源氏物語には希な、男性の台詞が九割という大変に難しい段でした。

これから始まる壮大な物語に登場する女君達の目次のようなこの段、そして言葉にはなっていないけれど、かさねらたもう一つの禁断の恋の世界・・・ 女房語りのテーマでもある「かさね」がここにも色濃く通奏低音として流れています。私にとってはそれが源氏物語の醍醐味、独りよがりでなくこれこそをお伝えでしたい と願っています。

次回は5月21日(土)法然院さん方丈の間での【空蝉】。【帚木】の後半、帚木の女君との出逢いを前段にお聞きいただきます。









公式サイト kyokotoba.jp/kyoto%E9%80%A3%E7%B6%9A%E8%AA%9E%E3%82%8A%E4%BC%9A/:title= 京都五十四帖連続語り会]
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おおきに

光のなかから現れ出る闇

 源氏物語連続語り会は7年目をむかえ、昨年暮れに壮大な「若菜」上下巻を語り終えました。
さまざまの出来事があり、ブログも停滞していましたが、源氏物語を語るなかに人生における気づきもまた様々戴きました。

目前に迫った語り会「柏木」の巻
「柏木」という人物の名をいただいた巻名でありながらこの巻は
源氏の君が生涯心に抱えてきた、藤壺密通という「闇に葬った過去の大罪」が、
今、罪の赤子 という生々しい実体をもって報いられるのを目の当たりにするという恐ろしい物語です。
 柏木衛門督は源氏の正妻女三宮を密通により懐妊させたという、絶望的な不倫に対する源氏の怒りを恐れ 死に至る病に伏しますが、知らずして 源氏自身に栄華の陰に隠された真実をつきつけることになるのです。
罪が同じ形をとって罰として今生にふりかかる
この世で地獄を味わうような恐ろしさです。

 正妻女三宮はこの苦しみから逃れるために出家を望みますが、このとき源氏に気づきが訪れます。けれども紫式部はさらに残酷な罰を源氏のために用意しているのです・・・・・。

 京ことば源氏物語「柏木」その一 は2月13(土)14日(日)の両日3時より、
明大前キッド・アイラック・アート・ホールにて開演です。
粗筋、お申込みフォームなどの詳細は http://tinyurl.com/zenm5dm
にあります。お誘い合わせの上どうぞお運び下さい。







公式サイト
東京連続語り会は http://tinyurl.com/zenm5dm
facebook http://tinyurl.com/zvptb3x






感謝をこめて

日本 ゆらぎの感覚

「明日の京都プラットフォーム」無事終了しました。今回のテーマは
「日本の美 手と技の世界」
無形の文化をどのように遺産とするのか
この中で「桐壺」の巻をお聴き頂きました。
500名のお客様が しん・・・・ とお耳を傾けてくださいました。

無形文化は有形のものとちがって形を変えながら受け継がれてゆくもの、
そこをふまえて文化遺産として繋いでゆくことが大事だとのお話に、
言葉もまさにそうなのだと思いました。
言葉こそはその土地の風土を生き抜いてゆくための叡智がこめられた財産。それが千年の時の中でこんなにも変化し、標準化ばかりでなく記号化が進んでいます。CDでは音として聞こえない波長をカットしてしまったためにクリアーだけれども気配のない音楽になってしまったことでした。言葉も同じ。情報の確実な伝達だけが言葉の役割になってしまったら、人間の想像力とやわらかなこころは失われてしまいます。

触れずしてふれる、言わずしていう というゆらぎの感覚には信頼や覚悟が必要ですが、そこから推しはかる心が生まれる  日本の文化の素晴らしいところだと感じますし、中世の文化があれだけ自由闊達に花開いたのはそこに人々の意識があったからではないかと思います。

生粋の京都人の先輩方のまえで京ことばを語るのはとても怖いこと。でも中井和子先生の京ことば源氏物語をお聞きになって、今はもう使わなくなってしまった京ことばをふと思い出して私達に語りかけて下さるきっかけになったら、それはどんなに素敵なことでしょうか。御孫さんには通じないからと、古い言葉を押し込めてしまわれるのはとても勿体ないことだと思います。京都の大先輩の皆様、どうぞ私達に豊かな京ことばを教えて下さい。京都に限らず、どうぞ各地の皆様、土地が育んだ豊かな言葉とその心を若い人に伝えて上げて下さい。心からそう感じた一日でした。










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若菜の狂気をくぐって


 
「若菜下」 その三回目は特別に恐ろしい段でした。六条御息所の死霊が紫上の息を止め、恨みを抱いて苦しむ我が身の哀れを源氏に訴える間に、六条院では柏木がこちらは生きた物の怪のように女三宮に密通、懐妊、取り返しのつかない事態に女三宮はなすすべもなく、その事実は源氏の知るところに。登場人物のすべてが狂ったような物の怪の世界に取り込まれて呻き叫びます。初めての方はいきなりこんな激しい段にお疲れになったのではと思います。

言葉を声にするというのは書物の中に収められている時とは違う力を帯びてしまうもので、あのように恨みや悲しみや狂気の台詞満載の今回の段、お稽古中から本当に具合が悪くなってしまって、しんどい語り会になってしまいました。そこが地の文で語る朗読とはまた違うところなのかと思いますが、このところ頸椎に異常があって、おまけに足は痛めるわ、肌にアレルギーまで出始めて瞼が真っ赤に腫れてしまっていて、なんだか私自身が取り憑かれたみたいな感じの公演でした。
けれど六条御息所や柏木の情念、源氏や女三宮の苦しみ、紫上の新たな心情・・・とそれぞれの人物を通して自身がその思いを体験しているかのような醍醐味がありました。



中井和子先生は生前「若菜をこそ語ってほしい」とたびたび仰っていました。彼岸で聞き耳を立てて下さっているかと思います。「ことだまのくに」ビジター投稿にあまりにも嬉しい御感想を戴いて涙ぐみ、先生がご存命だったらこの喜びを分かち合えたのにと思わず「先生!」と声に出してしまいました。

きらびやかな六条院が一転、苦しみ、狂気、後悔、恨みの泥沼と化し、そこから光を求めて一本の蓮の蕾がほどけようとする 紫式部はこの蓮の花をこそ描きたかったのだと思いました。これに気付かされたとき私は言葉を失ってただ泣きました。本当に偉大な物語だと改めて感じます。今や紫式部は物語の作者ではなく人生の師です。








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人形浄瑠璃ヌーベルバーグ

 源氏物語をしばし離れて、文樂人形芝居とのコラボレーションで郡上大和におりました。
 文楽界から独立、木偶舎を立ち上げ人形浄瑠璃ヌーベルバーグと称して新しい作品を次々と創作される勘緑さんと、作曲家住友紀人さんのユニットに加えていただき、浄瑠璃節に代わって語りをさせていただきました。
 昨年までの「姥捨山」に続き今年は「母情落日斧」。この土地で起こった大変重く不条理な悲劇に基づいた作品、「助けて!」「こわい!」「恨めしや」「ぎえええええ〜!!」・・・と絶叫台詞が目白押し。お家でお稽古したら「あの家で何かが起こっています」と通報されるに違いないので思い切って「一人カラオケ」なるスペースに出張。一人で入るのにものすごおおく勇気がいりましたが行ってみタラバ何でもないことじゃ。受付のお兄さんは感じのええ方でのう、おのが機器を持ち込むことなど事情を話すと「それなれば」と孤立した部屋に案内してくれたにはおおきにじゃ。驚くほど狭い独房には歌うおのれの姿を映すカメラとモニタ、こはいかに(怖いカニ?)!?!? 即OFFじゃ。この叫び、閉所恐怖症の絶叫かと漏れ聞いた衆は思うたとか思わなんだとか・・・と 物語はめでたくしめくくられま せん。

 親が、心底愛する子供を我が手にかけるという、世間的には不条理な「事件」 でもそこにはまったく外の世界の私達の尺では計れない深い心の淵が口を開けています。そこにまっすぐ潜ってゆくのは自分でも恐ろしいし、果たして自分にできるのか、本当の叫びは絶叫の台詞ではなく 声にならない心でしょう。
 一瞬の狂気を呼び覚ます、魔性の太陽を私も垣間見られるのか、死と引き換えの心の叫び、死ぬ気になって空に届けたい、そして物語のその土地での上演が供養となりますように・・・・そんな思いで現地入りしました。

 深い緑に包まれた郡上大和明建神社の拝殿をそっくり舞台にしてしまうという大掛かりな演出、当日はお風呂をひっくり返したような大雨の中、ずぶ濡れになって舞台を設営してくださる土地の方々はじめチームの皆さんの情熱に支えられ、勘緑さんのダイナミックな人形遣い、心の底から響きあう音楽に、普段の源氏物語の語りではありえないような激しい語り口調、絶叫。。。
 人の哀切、口惜しさ、苦しみをくぐり抜けた慈愛、生ののぞみ死ののぞみ・・・この土地に籠もった無言の思いを言葉にし、音に奏で、声にのせ・・・発せられたそれら願いが世界を包み込むかような雨音を貫いて大いなる自然に受けとられてゆく 素晴らしい体験をさせていただきました。

 苦難に満ちた現世を一心に生きて離れてゆくいのちに、あはれと願いを以て鎮魂する人の営みがやがてのぞみという力にかわってゆく、本当の祭りとはきっとこうしたものではないかと、何に対しても等しくふりしきる雨は自然からの応えなのかもしれないと思いました。










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