柳田國男シンポジウムに想う

今日から明日にかけ東北大で柳田國男シンポジウムが開催されるらしい、
姉がメールでお袋が「柳田國男とお嫁さん」ってタイトルで30分話すと言って来た、一瞬目を疑ったギャグじゃないのかと、姉の口ぶりからして又自分も参加したいって思ってるなと感じたが、案の定又メールが来た、僕は何が嫌だって言うと、お袋とか姉とか身内が祖父の事何も知らないで祖父を肴に社交に明け暮れてる事だ。

彼女達は本当に日本の事を考えているのか、いないだろう、以前谷川健一氏と話した時、「人間古今東西争いをしてここまで来た、世界を良くする事など不可能だ」と無常論を唱えたので、卑しくも柳田國男の後継者を標榜し神道を研究する立場にあるものが仏教の無常論を唱えるとは何事だと猛烈に反論した事があるが、今回姉も同じような事を書いて来た。

「日本がどうなってしまうのか分かりませんが、1億何千万人かの人が、ここしばらくは日本人として暮らして行くと思います。」
「国家やメディアに騙されながらも、どうにか日々を過ごして行くと思います。」
「9条を守る会、に最近では脱原発を要求する署名活動も盛んです。できる事をして行くより仕方がありませんね。」

いかにも諭すような口調で舐めているとしか思えない。

何故この国難の時期に柳田國男のシンポジウムなのか理解出来ないそれも東北で、今東北に人を集めるのは殺人行為だとまで言われている、福島駅伝が海外メディアで死の駅伝と紹介されたばかりだと言うのに。

柳田國男没後50周年は良いが、彼が危惧していた事が今ここで現実となって日本を襲い掛かっているにも拘わらず、お祭り騒ぎをやっている場合じゃないだろう、一体日本人は何を考えているのか理解出来ない。

僕の終戦記念日の日記を見て頂けば判るように、柳田國男はその時点で既に諦めていた、その反省をする為のシンポジウムならまだしも、以前の後藤総一郎の「民俗学は永遠です」、読売ジャイアンツでもあるまいに、谷川健一に至っては「日本は何故か大切なものを失ってしまった」、すべて西欧普遍主義に傷ついた軟な男の情緒である。

最近気がついたのだが、今まで「日本は終わってる」と二言目には口を揃えたように言っていた日本人がパタッと言わなくなった、現実味を帯びて来るとさすが言えないのか、結局今までは自虐的に言ってただけで、未だに誰かさんの「日本の底力」なんて迷信を信じてたんだろう。