キース・ムーンの遺灰が撒かれた芝生

http://homepage2.nifty.com/kajipon/haka/h-rock.htm

はてなダイアリー」以外のThe Whoライブレポサイトを探してたら偶然発見。と思ったら、有名なサイトの1カテゴリでした。この方が書かれた、The Who大阪ドーム公演のレポートはこちら。

http://homepage2.nifty.com/kajipon/yougaku2.html

 

どっちがロックだ?

音楽性に関しては、「どうしても異質感を感じてしまうのはブルーズやR&Bを通ってきていないからではないか」というご意見になるほど、と思う。

B'zやその他、一部の和製ロックバンドなどを非難する場合に、パクリの指摘と並んでよく言われるのが、このテの言い分。

ただ単に“B'zがキライ”という意見を正当化する為に、R&Bやブルーズといったキーワードを引っ張りだしてきて、いかにも“ごもっとも”と思わせる、ウルサ型ロックオヤジがよく用いる手法。

B'zがR&Bやブルーズから全く影響を受けていない、というウラを取ったワケでも無し、あなたの好きなロックバンドは、全てR&Bやブルーズから影響を受けているのか、といったら、そうでもなかったり。

別に“B'zがキライ”、の一言でいいじゃん。何でR&Bだブルーズだ、ってキーワードを引っ張りだして、自分の“B'zがキライ”という気持ちを正当化したがるんだろう?

そういった根拠の無い、“いかにももっともらしい正論”に見せかけた戯言を、ネットや雑誌、飲み屋の片隅などで、したり顔して語ってる腐ったロックマニア体質と、何を言われても涼しい顔して流してる、我が道を行くB'zの二人。

どっちが“ロック”だ?

 

↓のtaideomouhibi氏のコメントに対するレス

若いミュージシャンでもセッションできる人もいればできない人もいるだろうから、「今の若いミュージシャン」と一括りに言ってしまうのは乱暴だと思いますよ。そもそもセッションできたから偉いワケでもないし、できないからダメというワケでもないと思うし。

近年では、楽器ができなくても作曲やアレンジをして、一人で完パケまで仕上げることが可能となりました。そんな人達に“セッションしようぜ”といったところでできるハズもなく、だからといって彼らの作った音楽が全てダメというワケでもない。つまり、「セッションできるorできない」ということが、ミュージシャンとしての資質には何ら影響するものではない、といえると思います。

そんな「楽器のできないミュージシャン」が作った音楽にも、R&Bやブルーズを感じるものは多い。ただ、個人的な心情としては、“R&Bやブルーズを演るなら楽器くらいできて欲しい”というのはあるし、そのほうが説得力があるのは確かだろう。

しかし、この「説得力」というのが、実は何の意味も持たないものでして、よく“○○って楽譜読めないんだろ?”と、楽譜の読めないミュージシャンを見下したような(ミュージシャンとして劣っているかのような)言い方をする人がいますが、「楽譜が読めるor読めない」ということが、ミュージシャンとしての資質には何ら影響するものではない、なんてことは、今さら力説することでもないでしょう。「読めたほうが便利」というのは確かにあるけど、「楽譜が読める」ということは、ある一部の層に対する、「説得力」の一部でしかないのです。

「楽器ができるorできない」ということも、もはや、ある一部の層に対する、「説得力」の一部になりつつあると思う。その「ある一部の層」にとっては、「楽器ができない」ということは、叩く材料としては格好のネタだろう。「楽器ができない」=「ダメ」、「セッションできない」=「ダメ」、といったところか。そんなことは全く無意味なんだけどね。

リスナーとしては、出来上がった音源もしくはライブで、好きか嫌いか判断すればいいワケで、そのミュージシャンのバックボーンとか音源が出来上がった過程とか、そんなことは後から考えればいい。一番大事なのは音源orライブだと思う。CD買う時に、“この人は楽器できるから”とか“この人は楽譜読めるから”とか“この人はR&B通ってるから”、なんてこと気にして選んでないでしょ?叩きたい時になって初めて、“こいつはR&Bを通ってない”とか言い出すんだよね。つまり何度も書いてるように、叩きたいが為の理由探しをして、自分の意見が正論だと主張したい、悦に入りたい、見下したい。そういうことでしょ。

違いますかね?