2011-12-31
2011年12月30日(24年と7ヶ月)
体力がもたないというより、気力がないのだろう。こんなんじゃない、と思いながら、結局毎回、もう踊れないことを確認して帰ってきている。
正直なところ、仕事場には前日からいく気がなかった。あらかじめ連絡をしておいて、携帯電話のアラームを設定せずに14時間続けて眠った。こんなに眠ったのは久しぶりだ。去年の冬を思い出した。
昼夜が逆転した。21時にお腹を空かせて起きる。宅配業者がこの前買った本を届けてくれた。千葉県船橋市に倉庫のある古本屋から運ばれてきた包みに「取扱注意」の真っ赤なシールが貼ってあった。本には猫のイラストが印刷されたシールが貼られていて、0.7ミリの水性ボールペンで「有意義な時間をお過ごしください」と書かれていた。
有意義な時間を過ごすためにキッシュを作った。かぼちゃ、りんご、玉ねぎ、ベーコンを炒めて、パイシートに入れて焼く。キッシュ用の型なんておしゃれなものはうちにないから、グラタン用の耐熱皿に、いつだか2割引で買った冷凍パイシートを敷いてから焼きして、その上から炒めた具材をのせてもう一度オーブンに入れる。あとは機械のお仕事。卵を入れ忘れたが、美味しかった。このあいだ借りてきた映画を一本観た。一年の終わりと同じくらい、一日の終わりが大切だと思った。
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今年は忘年会には一度も行かなかった。どこにも属していないということは、こういうことなのだと知る。
不思議な一年だった。去年の今頃には会社の不満を散々周りに言っていた。年明けしばらくしてあった社員旅行を当日ドタキャンしたあと、連休を取りハワイへ行った。やっと仕事を辞めた。
毎月数百万、一千万円を動かして、世の中を回している気になることにうんざりしていた。これが数千万でも数億でも変わらない。どんな仕事にも汚い部分はあって、雇われている以上(多分、雇っているほうも)、きれいな仕事ばかり選んでいられない。ろくでもない人間とろくでもないことをするのは、仕方のないことだ。私は会社が嫌いだったし、仕事内容も多分そんなに好きになれなかったのだろうけど、今思えば耐えられなかったのはそれじゃない。
職に就いてさえいれば、毎月安定した収入があれば、誰も何も言わない。誰も何も言わなければ、それでよいと思えたら楽なのだ。そういう楽なほうにいなければ身がもたない気がして、そういようと努力したこともあるし、苦しいほうを選びたかったわけでもない。でも、嫌なことはやっぱり嫌で、嫌なことに耐え続ける必要はどこにもなかった。
今年はどこの誰ではなかった。どこの誰ではない私を必要とする人は、ほとんどいなかった。しかし、どこにも繋がっていないというのは不安なことかと思いきや、なんてことはなかった。私が今までに築いた様々な人間関係は何なのだろうと思った。手を切ろうとしたのは私だけど、どれも呆気なくて妙に清々しかった。こういうものなのだろうとぼんやり考える程度で処理した。
仕事をしているということそれだけで、世の中を知った気になったり、世の中を回している気になるのは、やっぱり私には耐えられないと思う。仕事をすることで世の中に貢献できることには間違いなくて、しかもその姿勢が傲慢だと言っているわけではない。皆、自分のことにとても無関心で、だから他人に遠慮しない。なんかおかしいのは外側の世界だけじゃない。











