みかんをもらうが悲しい現実に苛まれ

 先日、近所の顔見知りのおじさん、というかおじいちゃんみたいな人がフラフラと歩いていたので、おはようございますと挨拶をすると、その人はいつも以上にぺらぺらと何事かを話し、ちょっとそこで待っていろと近くに停めてあった車の中をごそごそとやり、オレンジ色のものを持ってきた。

『食え』 とそのおじちゃんは言い、手渡されたものを見るとそれは若干干からびたミカンで、ありがとうございますとは言ったもののそれを食すかどうか正直迷った。

 そのミカンは市販されているような袋に入っているわけでもなく、思いっきり幹からぽきりと折ったのがみえみえで、ポジティブに考えればそのおじちゃんの畑で出来たものを僕にくれたのだと判断したいが、ネガティブに考えるとそれはよその家から頂いてきたような気がして、これは困ったと正直迷った。

 おじちゃんはいつもだらしなく、くわえタバコでそこらをふらふらと歩き、知り合いに会うとよく話す。


 決して悪い人ではないのだが、このミカンに関してだけは、なぜかずっと疑心が消えず今もバスケットの中で食されるのを待っている。