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2007-04-21-Sat

[] (21) 学生がその後どうなるのか  (21) 学生がその後どうなるのかを含むブックマーク  (21) 学生がその後どうなるのかのブックマークコメント

大学にいる時には、人材育成の概念に非常に疑問を持ちました。学生の進路が定まらない理由の中には、自己責任の部類に含まれることも多いとは思いますが、根本的に、大学院の研究室というところは、進学してきた学生がその後どうなろうが知ったこっちゃないというところに非常に問題があるように思えます。


この問題については、かなり思うところが強いので、この機に少し書き留めておきます。

大学では、学生が途中で研究室を辞めて出て行っても、学位取得ができず留年することになっても、基本的に教官は別に何ら傷付かないのです。研究室運営の全般的な流れからするとそれほど問題にならないのです。学生の将来が自分の経歴に影響するわけでもないし、ずるずるといたとしても自腹の給料を払うわけではないからです。別に大きなデメリットはないんです。


かなりきつく書いたが、もちろん、能力がない、やる気がない、感性が合わない人間を向かい入れれば、研究がうまくいかなくなる可能性は高くなるだろうし、研究室全体としてもよろしくはない。

だから、研究がうまくいきそうな人材を選ぶし、研究がうまくいくように指導もする。

また、教官らも一人の人間なのだから、学生が停滞すれば心は傷付いているかもしれない。誠意を尽くして、学生の指導にあたり、能力や経験に恵まれて素晴らしい学生が巣立っていくように教育する良心的な教官がいることも決して否定はしない。

また、研究というものはうまくいくかどうかはわからないのだから、それを全て教官のせいにするというのは酷なのかもしれない。


しかし、例えば、偏っているかもしれないが悪い例を出せば、10に1つ当たるような研究課題を10人に与えて、9人がやめても、1つ大きく当たればほくそえむ研究指導者もたくさんいるだろうと感じます。ライフサイエンス分野はそもそも性質的に博打的要素が強く、特にそういう傾向が強い気がするし、実際横でそういう人的資源の量活用による博打ものを幾度となく見てきました。また、研究競争の苛烈さが、そういった人的資源の使い捨てを加速している気がします。他人の将来など構ってる暇がなくなってきているんです。自分の将来に全てを注ぐために。


教官や指導者が、学生に真摯に教育・指導するという場合も根本の意図はどうでしょうか。多くの場合、それは学生の研究成果が彼らに還元されるからという理由ではないでしょうか。つまり、学生の成果が、彼らの成果の一部となり、彼らの利益になるからです。

そうでない場合、学生の面倒を見る、学生の将来を考えるということは、見返りのない、なるべく避けたいことになるのではないでしょうか。競争が熾烈化している昨今の状態では特に。

ゆえに、例えば、アカデミア以外でも学生がしっかり進路設計できるように指導するのは、教官にとって魅力的なことには決してなり得ません。一切、彼らの利益にならないから。


大学院や研究室管理者は、在学生の修士課程・博士課程の質、及びその後の進路設計に責任を持たなくてもよいという、こういった現状は非常に問題なのではなかろうかと思います。

学生の将来は、ほとんど指導教官の『良心の呵責』に支えられていると言っても過言ではないのではないでしょうか。

たしかに学生自身の能力も重要な因子です。また、教官と喧嘩しながら関係を断絶しながらも研究を進め、完成させる人も大勢いるでしょう。しかし、学生の教育、研究指導、学位取得、就職斡旋などに、指導教官の存在が大きく影響することは明らかだと思います。

最近、こういうことを益々強く思うようになりました。というのも、若手PIや研究員の間の競争も益々熾烈化してきているから、学生やポスドクを「うまく使って」キャリアアップを計るという場面が多くなってきていると思うからです。残念ながら、この状況は益々悪化すると予想します。

もしも、「他人の人生設計まで面倒見切れない、自己責任だ。」というなら、それを前もって明らかにしておくべきです。あくまで、大学は教育機関であるのだから。


さて、今後、企業やその他アカデミア以外の選択肢を取る博士が増える時代が来ると(来ざるを得ないと思いますが)、卒業していった先輩学生達が、その後どのような進路を取ったかという情報は、研究室の運営に深く関ってくるように思えます。「毎年5人進学しているけど、誰も卒業していない」では、もはや人間は集まらないでしょう。個人によるキャリア設計を推し進めるなら、学生自身が研究室の卒業状況を確認するようになるのは自明の理であるように思えます。


ところで、企業では人材育成の考え方はどうでしょうか。企業の方が素晴らしいという気は毛頭ありません。今はまだ研修中なので何とも言えませんが、感じをつかめてきたら、また書きたいと思います。おそらく、アカデミアの良い所悪い所、企業の良い所悪い所があるでしょう。

fortuneoriginfortuneorigin 2007/04/22 04:23 博士号取得おめでとうございました。色々なケースがあるようですが、皆自分の経験でしか解らないのが辛いですね。システムを作るという意味で、経験の多い人がなかなか上に立てないので、一体感に欠けているとは確かに思うのですけれども。所変われば、というのは実感しています。

ktatchyktatchy 2007/04/25 22:02 お久しぶりです。元気にしてますか?前のエントリが色々なところで話題になっているようですが、まえ話したような気もするので割愛。
僕も日々「大学と企業の差」を感じています。どっちがいいとか悪いとか言う気はありませんけど、多分スタンスの違いだと思います。君の言うとおり、会社というところは社会に対してとても責任感を感じて行動しているし、社員にもそのことを植え付ける努力をしています。そして、教育機関としても昨今の大学よりも優秀なように僕には思えました。もちろん、そこには利潤が絡んでいるのでしょうが、それでもその環境を僕は享受し、もっと成長したいと思っています。
また近いうちに飲みに行きましょう。色々語れることがありそうだね(笑)。

通りすがり通りすがり 2007/04/26 03:58 博士課程のエントリー、大変興味深く拝見させていただきました。
指導教官にとって自身の成果に繋がらない研究テーマを志向し、そこで藻掻く学生は居ても居なくてもいいという風な視点は、非常に辛く悔しい思いと共に痛快ですらありました。個人的なことを記させていただくと、私自身はいくつかの理由で学位取得を諦めたまま月日を浪費してしまい、結果、自業自得で未だに厳しい就活に身を委ねております。当時は閉塞感や焦燥感、挫折感や空虚感に支配されて客観的に状況を把握するという発想も無く、他の博士課程所属者にも同じような問題を抱えている人が居るかもしれないといった考え方が、何故出来なかったのか。他研究室の教官には、アカハラじゃないかと慰めていただけましたが、研究室の空気や指導教官によるものだと言ってしまえれば楽なのですが、それだけでは決して無く、私の能力や限界がそこにあったということであり、私のような立場と現状では、何を言っても負け犬の遠吠えになってしまいます。
lanzentraegerさん初め他の方も書かれているように、博士課程進学者には研究さえ上手く行けばという甘い見込みが少なからずありますし、夢現な部分があります。現実的な問題が生じても、研究に没頭するという格好の逃げ場が用意されています。しかしながら、一端躓いてしまった場合は想像以上に厳しいわけで、このようなエントリーが後輩達にとって現実的な一助になって欲しいと切に思います。
詮無い事ですが、願わくばもう数年早くこういった記事に出会いたかったものです。それだけで変わったかは甚だ疑問ではありますが。

企業ー>大学出戻り人企業ー>大学出戻り人 2007/04/27 05:56 私も退院して企業の研究所に入所できた時は、全て新鮮で、大学のシステムに激しく疑問を感じていただけに、大分はしゃいでいたものです。

しかし正直、1年もいると「奴隷」という言葉が本当はどういう意味なのかが良く理解できてきました。まあ大学院生はそれに比べると、貧しい浪人のようなものです。

心の自由がやはり一番、ということを強く感じていたとき、知り合いの先生の引きで、結局大学業界に戻っちゃいました。

まああまり性急に物事の結論ださずに。。。どこにいてもプロに徹していい仕事をコンスタントに出してください。捨てる神あればひろう神在り、です。

lanzentraegerlanzentraeger 2007/04/29 13:35 >fortuneoriginさん
いつもコメントありがとうございます。お祝いの言葉、ありがとうございました!
おっしゃるとおり、自分が経験したことと、その周りの見聞きしたことで物事を考えるので、とても狭い領域しか実際のところカバーできていないように思えます。なので、所変わればというのはその通りだと思います。教授陣にしても、民間人というか、企業就職をも経験したような人が入れば考えは変わるのかもしれませんね。

lanzentraegerlanzentraeger 2007/04/29 13:36 >ktatchyさん
お久しぶり!元気にしてるよ。今はまだ研修中なので、それほど仕事も忙しくない感じ。もうすぐ研究グループの配属が決まって、それから実際にどんな分野で働くのかが決まるよう。不安と楽しみが混じった感じかな。
「大学と企業の差」という点では、正直なところでは、僕の頭は、大学に対する不満と企業に対する希望を強く感じているんだけど、実はこれは少し危険な状況だとも考えています。というのは、僕の心は、企業に対して希望を持って(少なくともポジティブな気持ちで)これから働こうとしているわけで、なんというか、ひいき目というのができてしまっている気がするからです。企業の方が美しく見えるというか、美しく見ようとしている感じがします。なので、実際に企業がどうなのかは、もうしばらくしてから考えることにしようかな。
また、飲みに行こう!たぶん、企業が変われば異なることもあるし、同じこともあるかもしれない。そういうことを語るのは楽しそう!あと、業界的にも、今後お世話になることもあると思う。よろしくお願いします(笑)

lanzentraegerlanzentraeger 2007/04/29 13:36 >通りすがりさん
コメントありがとうございます。研究が順調なときはいいですが、研究の方向性が変わってきたり、価値が下がってきたりすると、露骨に興味を失われる教官などもいらっしゃいますね。後から思い返したり、他人の出来事と比べたりすると、自分が経験したことはさほどのことでもなかった、なぜあんなに苦しい状況に自分を追い込んだのだろうか、と思うこともありますが、自分が苦境に陥っているときというのは、得てして客観的な判断ができなくなるものだと思います。
実際、僕の場合でも、同じような状況に陥っている方が過去や現在に必ずいるはずだと思い、散々探しましたが、残酷物語は少々は見つけることができても、状況をどう打開したのかについては記述されていないものがほとんどでした。そういう意味では、こっ恥ずかしいかもしれませんが、先人が自分の過去を残していくのは重要なことではないかと思われます。
通りすがりさんのおっしゃるように、研究以外の現実的な問題はあると思います。自分が学生だった時にはそういうことにはあまり目が向かず、「できる人は研究が進み、研究が進めば未来は明るい」という発想でしたが、僕はそれだけではないと感じました。まあ、どのような状態であれ、それを打破するぐらいの意気込みがないと、研究者としてやっていけないよと言われればそれでおしまいなのですが、個人が打破できる限界や、限度を超えたことも多々あると思います。

lanzentraegerlanzentraeger 2007/04/29 13:36 >企業ー>大学出戻り人さん
それを恐れているというか、一種冷めた気持ちがあります。ブログでは企業に来てよかったという夢と希望に満ちている感じの表現になってしまいましたが、実際のところはこれから知ることになる企業研究の悪いところに不安を持っています。自分の性質が企業に合うのか大学に合うのか、それは今後もう少ししたらわかりそうです。
大学→企業の情報が出ないのは、僕が思ってしまったように、おさらばして良かったという思いがあるのも一つの原因のような気がします。
とりあえず、場を観察しながら、場に順応して、その中で成果を出せるように頑張ります。不満がない職場なんてないでしょうし…。