やっぱりラテンだぜ!(ラテンの秘伝書外伝)by 風樹茂

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  • 2018-10-21 仮面を剥がされたサウジアラビア ムハンマド皇太子

    []仮面を剥がされたサウジアラビア ムハンマド皇太子

     もともとサウジアラビアは、独裁警察国家である。以前より、フィリピンなどから来る家事手伝い
    メイド他は、家族にパスポートをとられ、自由のない暮らしをするどころか、行方不明となることもあった。
    フィリピン領事館には不明者捜索の担当官もいた。

     2014年にはサウジアラビアでは日本に先駆けて「テロテロ資金に対する対策法」が施工されている。
    もちろんそれは、テロリストの摘発だけではなく、同時に人権活動家、ジャーナリスト、ブロガ―などにも適応され、
    テロと無関係な人間が監禁され、国民の口封じの手段となっている。 

     今回は、ジャマル・カショギ記者という著名なジャーナリストが、トルコイスタンブールサウジ領事館で、生きたまま
    切断され殺されるという劇的な殺害方法だったので、世界の目を惹いている。けれども 国の基層文化・政府の出自を白日の下に
    曝しただけで、もともとそのような国の仮面が杜撰な手口のせいで剥がされただけである。

     以下は以前WEDGEInfinityに掲載された 
    サウジアラビアイスラム開発銀行に雇われてみた」独裁の命運7
     の引用と公になる文章には、書けない訂正と加筆(青字)である。つまり、マスコミには隠されてしまう、本当に大事な
    ことや、瑣末に見えるようだが、読者の関心を書きたてたり、お笑いにつながったり、あるいは物事の本質を浮かびあがらせたりすることを、今回青字で記載する。

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     サウジアラビアは、昔からの文化、社会の規範をそのまま続けてきた国だ。日本は極端に欧米化したが、石油の恵みのあるサウジは超然として宗教を軸とした君主制をつい最近までは続けてきた。そんな国の商業都市ジェッダに拠点を置くイスラム開発銀行に雇われたことがある。 

    スポーツ新聞は空港で没収だ

     ジェッダのキング・アブドゥルアズィーズ国際空港では、どの国と比べても緊張した覚えがある。パスポートコントロールと税関で厳重に審査され、回りの女性たちの黒ずくめのニカーブから眼だけを晒している姿が、中東は初めてだった筆者に威圧感を与えていた。

     「女の裸の掲載された週刊誌は当然だけど、スポーツ新聞だって没収だよ。相撲の裸だって女か男かわからないっていうからね。聖地のメッカメディナがあるから厳しい」

     そう言ったのは、筆者ら調査団を迎えてくれた商社駐在員のK氏だった。彼は大阪外語大学(2007年大阪大学に吸収)のアラビア語学科を卒業していた。外国人向けの瀟洒なプールつきのコンパウンドに単身で住んでいる。

     筆者が所属した研究所にコンタクトしてきたイスラム開発銀行は、1975年設立され、加盟57カ国の経済・社会開発のための資金供与が主な目的である。世界銀行アジア開発銀行イスラム版だが、金融はシャリア(イスラム法)に則って無利子である。

     そこで銀行の賢い人は自身と加盟国の利益を同時にあげるうまい逃げ道を考え出した。加盟国の工業化のためにリース産業を勃興させようというのである。銀行ローンではInterest(利子)が収益となるが、リース産業ではそれをReturn(収益)と言い変えることができる。彼らは欧米よりも日本のほうが好ましいと思っていたらしく、ある商社を通して我々に話が回ってきた。

     イスラム開発銀行のカウンターパートはスーツ姿のパキスタン人の集団だった。シャリアに係る税務会計のルールは白いトーブに身を包み、頭に赤いシュマーフを被ったサウジアラビア人の会計士から仕入れることができた。銀行には礼拝場が設けられ、仕事の最中でも彼らは中座した。どこからか礼拝を呼び掛けるアザ―ンが聞こえてくる。

     最初の候補地となる調査対象国を2カ国に絞る段階では、銀行側はアフリカ中東の砂漠の国を選びたいようだったが、筆者はトルコマレーシアとすることで押し切った。その2カ国はリース産業がすでにある程度発展していた。「イスラム金融のリース産業」の成功モデルを作る必要があるし、熱い砂漠で調査活動をする気にはなれなかった。

     歓迎の昼食会で筆者は仕事よりも知りたい質問をサウジ人に投げかけた。
    「好きな女性や結婚相手の候補を選ぶのはどうするんだい。顔を見れないようだけど」
    「自分の姉妹がいれば、彼女らに相手の容姿や性格を聞くんだよ」
    「姉妹がいなければ、母親?」
    「うーん、母親の友人の女性では年がずっと上だから、ちょっとね」
     そういって彼は笑った。


    ジェッダの娯楽
     街は清潔で綺麗で近代的だった。夜にはレストランなどが煌びやかなネオンサインに彩られた。サウジ産の野菜もオマーンからの輸入ものも、乾燥した厳しい環境で育ったせいか、美味だった。子羊の脳みそなどの珍味も味わった。

     ワッハーブ派は音楽も禁止だと聞いていたが、街の土産店でアラブ音楽のCDを何枚か購入することができた。ジェッダは国際商業都市なので内陸部の首都リャドなどよりも、イスラム戒律は緩いのだろう。

     ゴルフ場では、欧米人が真昼にプレーしていた。土漠の中なのですべてバンカーで、気温は40度を越え日射しは熱刺というのが相応しかった。車のボンネットの上で目玉焼きができるという。治安の悪い中米に長く駐在した同僚は「ここなら住んでもいい」といったが、筆者はこの凶暴な日射しに晒されて生活するのは願い下げだと思った。

     K氏のおかげで、紅海のプライベートビーチで泳ぐ機会があった。隣は女性専用ビーチで、ニカーブ姿でそのまま海に入っている女性たちが、遠目に認められた。泳ぎが下手な筆者はシュノーケルで恐る恐るリーフのそばまで行き海底を覗くと、カラフルな熱帯魚の集団が遊泳していた。沖縄小笠原カリブ海、南太平洋の海よりも美しかった。

     しかしその海底は何10メートルの距離があった。海辺に戻って気がついたが、シュノーケルの口を加える部分が切り裂かれていた。小心な私は怖くて歯を食いしばっていたのだ。つまりシュノーケルを噛み切った。恐るべし歯先よ。恥ずかしいので、「いやー、美しかった」とだけいって借りていたシュノーケルをK氏に戻したのだった。 
     さて、今回の殺害事件でサウジ王室は恥ずかしく思っているのだろうか。 否! へまをやらかしたと考えているだけだろう。次はうまくやると。
     つまり殺害部隊が罪に問われるとすれば、その目的ではなく、行為の方法にあるといえよう。



    宗教の桎梏と都市伝説
     ゴルフや水泳はできても、映画館は禁じられていた。男女は公共バス、学校、浜辺などで隔離されていた。女性の写真を写しただけで宗教警察(勧善懲悪委員会=ムタワ)に捕まって刑務所にぶちこまれるかもしれない、とK氏に脅された。

     「フィリピン人のメイドがたくさんいるけど、行方不明になっているのも多いんだよ。家政婦のパスポートは雇い主が預かっている。で、言うことを聞かないとキリスト教を布教したとかの理由で訴えられるのさ」。フィリピン大使館には行方不明者を探すための担当官がいるという。

     870万人前後(2016年)いるインド東南アジアアフリカ、欧米、日本などの外人労働者は、サウジアラビア人の中では心理的に身分が区分されているようだ。2400万人前後の自国民も階層が大きく別れ、格差が大きい。日本では金満サウジなどといわれるが、カタールなどと比べて誰もが金満なのではない。

     筆者の知人は90年代後半に「掘立小屋に住んでいるあきらかに奴隷を見た」と驚いていた。サウジアラビアには、もともと奴隷階級が存在していた。公式な奴隷解放令は1962年であるが、社会慣習として奴隷がまだ存在している可能性がある。

     もちろん、お金よりも生活スタイルを守りたいという人々がいる。ジェッダの街には高層ビルのマンションがいくつかあった。ベドウィン用に建てられたものだという。「空いている部屋が多い。彼らは定着しないんだよ。移動と砂漠が好きなんだ」(K氏)

     現在の王朝サウード家は20世紀初頭にベドウィンイスラム原理主義ワッハーブ派へ改悛させ、定住させることで各部族を征服・支配下に置いてきた(イフワーン運動)。それに恭順しない部族もまだいるのだろう。

     思考の幅を広げて見ると、アメリカ合衆国建国からの由来のひとつは西部開拓であり、西へ西へと先住民を征服しながら進出し、最後には日本と出会い、日本を征服した。それと同様に、たとえ政府が関与していなくてもサウジアラビアワッハーブ派の布教を別の国へと広げようとするのは、宗教に内在する拡張の意志と国家統一の歴史の由来から来ているといえるかもしれない。それは悪くするとテロ支援や戦争へと繋がる(続く)。

    2018-09-30 炎上死した新潮45と劣化するマスコミと社会の行きつく先(2)

    []炎上死した新潮45と劣化するマスコミと社会の行きつく先(2)

    f:id:latinos:20180929114917j:image:left 少なくとも次の号を出すべきだったのではないか
     それにしても新潮45がこんな簡単に白旗を上げるとは意外だった。少なくとも、次号で編集長自らが、なぜこのような特集を組んだのか、
    なぜそうせざるをえなかったのかを書いて、それを最終号にしてもらいたかった。雑誌が抱える問題を世間に訴えるきっかけにもなったし、連載を持っていたり、
    すでに企画が通って原稿に手をつけていた書き手や担当編集者に対する配慮でもある。

     この炎上死により、新潮社は、最終号に掲載されたレポートの書き手を2重の意味で棄損してしまったのである。
    経営者側は、いつ廃刊にするかチャンスを待っていていい機会だ、と思ったに違いない。

     それにしても、安倍首相の周囲に群がるマスコミ人や執筆者はろくなものがいない。小川栄太郎は安倍よいしょ本でデビューし、
    組織買によりベストセラーとなっているような著者であるという。類は類を呼ぶとまで言いたくないが、いかんともしがたい。

    子供たちに顔向けできるのか
     今回の新潮45炎上死を見て、雑誌の編集長、編集者は寒からぬ思いをしたものも少なくないだろう。
    私が雑誌や新聞に書くようになったのは、2001年頃からだった。そのころはまだ日本は左寄りだったのでないか。私はむしろ国家を忘れた日本人の咎について書いていた。

     ところが、あっという間に世間は驚くほど右寄りになった。バブルの崩壊韓国中国の勃興が影響しているのだろう。マスコミは商売右翼として、乗じるようになった。
    一杯の毒は、2杯、3杯と増えて行った。編集者たちはそのうち毒を煽り過ぎて、以前は信じてもいなかった毒の中の現実を本物と錯覚し始めたに違いない。
     現実を見失って行くコカイン中毒者のようなものである。

     世間が右ならばそれを越えなくては本は売れない。ヘイト、少数者叩き、韓国中国への侮蔑、それにより酒場で溜飲が下がる者も多いのだろう。
    危険な兆候だ。ナチスゲッベルスデマゴーグを思い出す。中身のないデマにドイツ国民は熱狂したのである。

     新潮45の炎上死を他山の石として、数少なくなった総合誌の編集長、編集者、加えて書籍の編集者もデマに加担し、社会をいっそう劣化させるのは、もうやめたほうがいい。
     歴史は必ずはデマゴーグの跋扈に加担するあなたたちを裁断するときがくる。そんなとき、あなたたちは子供や孫に顔向けすることができるのか!

     合掌! 新潮45に

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    2018-09-29 炎上死した新潮45と劣化するマスコミと社会の行きつく先(1)

    []炎上死した新潮45と劣化するマスコミと社会の行きつく先(1)

    f:id:latinos:20180929115226j:image:left 
    新潮45が炎上死してしまった。
     私の書斎には編集部から送られてきた掲載誌が11冊以上ある。いつから書いたのかを調べて見ると、2006年の12月号だ。
    見開きを見ると、そのときの特集記事は「狂宴! エロセレブ」13の怪事件簿。筆者の多くは女性フリーライター。その隣が私の「ここで終わりやで」母子道行き心中、そして佐藤優さんの「北朝鮮狂気のシナリオ」、また以前風靡した中村うさぎさんの「人前でセックスしてみました!」 編集長は今は文芸部門にいる太っちょのおばさんだ。当時は5万部前後は発刊されていたと思う。

     さて、炎上死の最終号の特集は、「野党 百害」、そして特別企画「そんなにおかしいか杉田水脈論文」と続く。執筆者で目立つのは、ケントギルバードとか小川栄太郎とか。私にいわせればデマゴーグである。まったく別の雑誌のようである。




    f:id:latinos:20180929172531j:image:left f:id:latinos:20180929182439p:image:left

















    思えば新潮45との付き合いは12年にもなる。
     11本か12本しか原稿を書いていないのだから、新潮45はまるで1年に一度会う恋人のようだ。最初は、2006年は炎天下の夏に、介護殺人の取材のために、京都に2度も出張し、犯人が母親といっしょに住んでいたアパート、関係していた介護施設、留置所などを歩きまわり、刑事のように聞き込み、そして裁判を傍聴した。取材は長くかかった。経費を送って、「えーこんなにかかったんですか」と担当編集者に怒られたが、今では考えられないが、原稿料以上に取材費が出たのである。

     その後国内ものでは、介護失明、恋愛塾、震災時の東電の問題、などを取り上げ、海外ものでは、ベネズエラミスユニバース、カリブの変態寿司カリブのオタクキュラソーへのココ・バレンティーンの凱旋などを取り上げた。

     思えば当時はよくこのような企画が通ったものだと思う。本来の新潮社の路線とはほとんど関係がない。その意味では当時の編集長や担当編集はに感謝したい。
    書き手にとっていい雑誌とは自分の文章を取り上げてくれる雑誌である。今は私の海外ものの企画など通らない。昨年の「いつまで続く猫ブーム」が最後の掲載となった。

     現在の発刊部数は1万6千冊前後だという。これでは貧すれば鈍する。編集長は、廃刊の危機を感じ続けていたことだろう。安易な行きつく先は、少数者叩き、ヘイト韓国、中国叩きであろう。

     
    新潮45の選択肢は限られていた
     月刊誌の王様「文芸春秋」は王道をいっている。反安倍政権の立場だ。短期的な経済的利益よりも、国民のモラルを落としたり、言論弾圧することのほうが、ずっと問題と考えているのだろう。
     独裁国家にいた私も同じ立場である。安倍政権が終わったあと、その政権が残した負の遺産による苦い現実が日本に待っていることだろう。(参考 「民主政権下、こうしてメディアは殺される

     いずれにしろ、文芸春秋と同じ路線でいくわけにはいかない。さらに、エログロに戻るわけにはいかない。新潮の路線では左翼系というわけにもいかない。もともとスキャンダルが信条なのだ。
     そこで、右寄り、ヘイト、少数者叩きしか残っていないというわけだ。そして、ぎりぎりのところを踏み越えてしまった。

     残念だ。実は私は特集などに呼ばれたことはないが、一筆者、せいぜい原稿用紙10枚ぐらいで、舌足らずになりがちである。内容は薄く、グラビアのように人を呼び込む見世物なのである。
    むしろ、最終号には、私も愛読していた「マトリ」、「廃炉という仕事」などという興味深いドキュメンタリーがあったのである。執筆者は、次の原稿にもとりかかっていただろうに、稿料の支払いとかはどうなってしまうのだろうか。

    校閲は最強だったのに
     それにしても思う。なぜこんなことがおこったのか? なぜぎりぎりの則を踏み外したのか?
    痴漢の触る権利を社会は保障すべきではないのか」(小川)という部分には、校閲者の赤が入ったと私は想像する。 か、たとえば、痴漢だとて性少数者なのだから、彼らに少しは寛容であってもいいのではないか」とか、私の経験からし新潮校閲はどこよりもきちんとしているはずだ。あるいは小川が、ママとしたのか、それともリテラにあるように、幹部の押す特集なので忖度が働いたのか(続く)。

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    2018-09-24 釜山の甘川文化村の資料を探してみたが(2)

    []釜山の甘川文化村の資料を探してみたが(2)

    f:id:latinos:20180819112632j:image:w360:leftf:id:latinos:20180819104345j:image:w360:left











    f:id:latinos:20180819110352j:image:w360:left
     前回までは韓国旅行の前半で、実は最も私が訪れたかったのは、甘川文化村である。ここはスラム開発の世界のお手本となるべき場所だ。
     空港の観光案内所でまずは情報を仕入れて見る。釜山朝鮮戦争で何十万という避難民でごったがえしていたが、その丘に住みついたのは太極道という宗教関係者だったとのこと。
     訪れてみてわかるが、水さえ出ないような場所で、何十年か前までまさにスラムとして取り残されていたのである。






    f:id:latinos:20180819111300j:image:w360:leftf:id:latinos:20180819111859j:image:w360:left
     それが2009年にはじまったプロジェクトで美術の街として何十万人もの観光客を呼ぶことができる文化村に変身した。釜山マチュピチュなどと呼ばれるそうだが、マチュピチュとは似ても似つかない。似ているならばチリのバルパライッソだ。

     私は観光センターや書店まで尋ねて、この街のプロジェクトについての資料を求めたが、ないのである。英語も韓国語も。薄っぺらいガイドブックがあるだけで。
     このような意図的なスラムの変身プロジェクトはなかなか成功しないものだ。リオ・デ・ジャネイロベネズエラのスラムは、ずっと巨大で、中には犯罪の温床となっているところもあるので、プロジェクトの成功はおぼつかない。

     けれども小説でもノンフィクションでも研究書でもいいから、世界の公共財としてその知見や歴史は共有するべきものであろう。残念だ。もし、どなたかこの街にかかわる詳細な文献などあれば教えてもらいたい。


     さて、次は10回前後寄稿した、「新潮45」炎上商法について考えて見たい。

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    2018-09-23 釜山の甘川文化村の資料を探してみたが

    []釜山の甘川文化村の資料を探してみたが(1)

    f:id:latinos:20180820082215j:image:w360:left食と温泉

     この夏、韓国釜山を訪れた。近隣の国は、せいぜい香港中国深センや広東しか訪れたことがない。北東アジアは初めてだった。家族で遊びにいったのである。

     しかしのっけの大韓航空機から恥ずかしい目にあった。息子がビールとピーナツをおかわりし、むしゃむしゃぐびぐび飲んだせいで、私と彼のところに、嬉しそうそうにスチャ―ドが何十袋もの余ったピーナッツを持って来てくれたのである。息子も嬉しそう。その後、着陸態勢に入った時に、山もりになったピーナツの袋のいくつかが落下し、前方の席へとスーと流れて行った。これがピーナッツリターンか。

     女ども(妻と娘)の顰蹙を買うことはなはだしい。小さい頃にホームレスといっしょにホームレス食を恵んでもらったくせが出てしまったのだ。

     それはさておき、今回の目的はうまい海産物を食おうというものだった。チャガルチ市場でアワビの刺身やタコの踊り食いやらを食べたが、やはり北海道で小さい頃に食べて巨大な生きたアワビと比べるべきもない。

    f:id:latinos:20180818192327j:image:w360:left
     ネットで調べてうまいという海水浴場のヘウンデにある店のヘルムタン(海鮮鍋)も微妙。香港のほうが一枚上か。
     もちろん、それらがまずいというわけではない。値段と味を考慮すると日本で食べるよりもお得感はある。けれども、世界中の珍味を食べつくしている私にはなかなか満足が得られない不幸がある。
     そんな中、これはいいと満足したのは、釜山名物のデジクッパクッパはもともと牛肉のはずだが、かつて牛肉不足で豚を使ったところ、なかなかうまく定着したらしい。
    私たちが訪れたのは、下町サンドゥンイデジクッパ。店は大いり、回転が早い。韓国の肝っ玉母さんのようなおばさんたちが、注文をとり、デジクッパを配り、さげる。あわただしい。千円前後で、腹が満たされ、美味と満足するB級グルメのお手本だ。

     さて、食のほかの目的は韓国のサウナ、チムジルバン。韓国一の海水浴場だというので、ヘウンデにある海雲台温泉センターを訪れた。まずは5階の風呂へ。
     これはひどい。夏休みとあって子供たちが風呂の中で、シュノーケルや水中メガネをかけて大騒ぎでじゃぶじゃぶやっている。
    しかも私が身体を洗うために、座った場所の蛇口をひねると、お湯が勢いよく出るのはいいが止まらなくなってしまった。そこで周りを見渡し、静かに他の場所へ。うーん風呂はだめだ。
    その上の階のチムジルバンへ。ここは別料金。なるほど、こちらは大騒ぎもなく、身を横たえれるサウナなので、いい気分だ。
     さて、これは韓国旅行の前半で、実は最も私が訪れたかったのは、甘川文化村である。ここはスラム開発の世界のお手本となるべき場所なのだが(続く)。

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