やっぱりラテンだぜ!(ラテンの秘伝書外伝)by 風樹茂

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  • 2018-03-14 戦場の性の真実 慰安婦のリアルティ3

    []戦場の性の真実 慰安婦のリアルティ

    戦場と戦争こそが格差を残酷にあぶり出す
     彼らの駐屯していた山西省の奥地にも、鉄道沿線の街には、芸妓と称する日本のしょうばい女たちも、いなくはなかった。だが、彼女たちは、決して鉄道沿線の街から、生命の危険の多い、もう一つ奥地へはいってこようとはしなかった。街での彼女たちは将校専用で、小粋な部屋に起居し、そこには、たまに街へ出ても、兵隊たちは立入禁止になっていた。
     兵隊たちは、奥地で指定された場所にいる中国人の女か、また別の、ちがった場所にいる朝鮮人の女たちのところへかようことになっていた。

    軍隊は当然のことながら、地位による格差の世界である。将校や高級参謀と一兵卒は別の世界に生きている。
     最近はこの日本でも、威勢のよいことを書いったり言ったりする作家や論者が目立つ。彼らの多くは若くはないし、識者とされる人々である。戦場には出ない。その威勢のよさに乗せられる若者、とりわけ格差社会の下部にいる人々こそ、戦場でもっとも苦難をなめる。慰安婦も当然のように貧困家庭の出が多かった。慰安婦の日常を描いた『春婦傳』にも以下のような文章がある。

    将校たちのなかには自分をよっぽどえらいものと思いあがっていて、女たちを人間のようには思っていない者が多かった」
    「ところが、兵隊たちは、たまに沿線の町へ出張しても、肩の星と、うすよごれた服装とで、日本の女たちから軽蔑されて、問題にされないので、みんな日本の女たちを罵りながら、ゆくさきはやっぱり彼の女たちのところである。彼の女たちは、さういふ兵隊に真剣になって立ちむかってくれるのだ。兵隊たちは彼の女たちと、愛しあったり、泣きあったり、喧嘩したり、罵りあったりして、わづかに生甲斐を感じた」

    従軍慰安婦といわれる理由
     列車は黄河北岸までしか通じていなかった。それからさきは、列車から降り、みんな、徒歩で、こんどの作戦のために工兵隊が王河に架けた仮橋を渡らなければならなかった。
     昼間の渡河は、いつ敵の戦闘機P四〇の銃撃を受けるかも知れないので、危険であり、大部隊の行動は夜間にきめられていた。地上は日本軍の制圧下にあっても、制空権は敵ににぎられていた。(中略)
     夜どおしの行軍で、行軍部隊の兵隊たちはあかるいうちは、死んだように横たわり、家のなかで眠っているので、女たちは彼らにつかまる気づかいはないが、それでも原田は、彼女たちに宿泊している家から、そとへ出ることを厳重に戒めた。

    ―ただの慰安婦なのか従軍なのかという論争があったように記憶している。従軍という言葉は、看護婦、通訳官などの軍属を連想するらしい。「蝗」に登場する慰安婦は軍といっしょに行動している。筆者はむしろ、その意味で従軍が相応しいと考える。だから、彼女らの運命はいっそう軍の運命と重なる。

    慰安婦の運命
    「アア、コンナイイテンキハ、ユジヲデテカラハジメテタヨ、ハラタ」
     ヒロ子はヒロ子なりに、心の底から、そう思うのだろう。お互いに扉の上に横たわったまま、ヒロ子は青白い腕をのばして、原田の手をにぎりにきた。(中略)
     ここが戦場のなかであるということを、どうしても自分の心に納得させることが出来ないような、のどかで、静寂な時間が、そこにあった。みんなは、その時間のなかにひたり、陶酔していた。そのとき、だしぬけに、原田は眼の前の石畳に、轟音とともに、黄いろい火柱が立ち、耳のあたりがなにかで殴りつけられるのをおぼえた。鼓膜がひどい衝撃を受け、無感覚になった。

     扉をはずして、院子に持ちだし、その上に横たわって、さっきから快さそうな昼寝をむさぼっていたヒロ子の身体が、その瞬間、弾かれたみたいに、二、三回、回転して、両肢を思いっきり伸ばし、小刻みに痙攣するのを見た。だが、そのように見えたのは、原田の眼の錯覚で、右の肢は左肢のように伸びてはいなかった。伸びていないどころか、それは、普通、誰でも知っている肢というものの形ではなかった。膝関節から下の部分は、単にぶらさがっているにすぎないように思えた。それを見たとき、彼は一種いうにいえない不快感をおぼえた。そこになければならない、足の形をした部分がなくて、別の場所に、その欠落した部分がくっついているのである。

    ―原田と彼の部下は瀕死のヒロ子(朝鮮名ではなく源氏名で呼ばれた)を患者収容所へトラックでつれて行ってもらおうと必死に頼み込むが、食糧他の物資で山積みの車輛部隊の隊長は、あっさりと断るのだった。
    「廃品はどんどん捨てて行くんだ。いつまでも、そんなものを抱えこんでいたんでは、戦闘は出来んぞ、身軽になれ、身軽に」

     朝鮮半島出身の慰安婦を含め、慰安婦は多くは帰国できたようだが、一兵卒たちといっしょに、東南アジアの密林で、中国の平原で、太平洋で、戦死したものもいたのである。たとえ自分の意思としても、より前線へと派遣されたのだから、朝鮮半島慰安婦のほうが、日本人慰安婦よりも死亡率は高かったことだろう。

     また、田村は中国戦線から20数年後にこうも書いている。
    「か弱い、無力な花々にしかすぎなかった彼女たちを、私自身は、裏にいかつい鉄の鋲のついた軍靴で、情け容赦もなく、ふみにじり、銃弾のとびかい、硝煙のたちこめる前線へすすみつづけ、敗戦によって、故国へ帰ることができ、いま、半身の自由がきかなくなったとはいいながらも、妻子とともに生きていることは、なんという明暗のちがいであることだろう。
     すべては運命という言葉で片づけてしまって、いいことだろうか。
     いまの私にはわからないが、強いてわかろうとも思わないのである」(昨日の花々)


    机上の戦略・戦術と戦場は別だ
     現在の朝鮮半島危機にあって、シンクタンクにいるとき、随分昔に仕事上会ったことのある戦略家のエドワード・ルトワック氏のように北朝鮮への先制予防攻撃を唱えている識者もいる。彼ら、平和ボケの人々には田村の次の言葉を返したい。

    「兵隊は敵と戦闘する場合、どんなに地形地物を利用しても、自分の銃弾を発射する場合は、すくなくとも自分のノド元から上を、敵の銃弾のとんでくる空間へ露出させなければならない。いかに用心深い兵隊といえども、彼が兵隊であるかぎり、最小限それだけの生命の危険を冒さねばならない。将校や、報道班員と、兵隊とのちがいは、ノド元から上を敵の銃弾に曝すか曝さないかのちがいである。そして、それだけのちがいは、決定的であるように、私には思える。(「戦場と私」)」

    2018-03-10 戦場の性の真実 慰安婦のリアリティの2

    []戦場の性の真実 慰安婦リアリティの2

    田村村泰次郎は生き証人だった
     田村泰次郎は、戦後の性風俗を描いた『肉体の門』の作家とされるが、『肉体の悪魔』『裸女のいる隊列』などの事実を反映している、戦場の性を扱った作品のほうにこそ秀作がある。
    田村は昭和15年招集され、21年の復員まで、山西省で6年弱、一兵卒として戦っている。属したのは独立混成第4旅団の独立歩兵第13大隊の旅団司令部の演芸宣撫班や工作班(=情報収集)である。隣の第14大隊は中国人慰安婦らに山西省孟県で性暴力を振るったと提訴されている。田村と親しかった文芸評論家奥野健男は、田村は実際に慰安婦と係る任務についたという意味のことを書いている(末尾 筑摩現代文学大系第62巻)。まさに生き証人であり、しかも慰安婦に向ける視線は、研究書などと違い、上目使いではない。いっしょに釜の飯を食べた仲間の目線なのだ。
     そこで、慰安婦を列車で移動させる任務に就いた軍曹を主人公にした「蝗」を中心に一部抜粋して紹介しよう。差別用語や残酷な場面があるが、そのまま掲載する。

    「蝗」

    同国人の女衒に連れられてきた女たちを輸送する任務についた
     白木の空箱を宰領して、黄河を渡り、洛陽をめざして、そこに近い、河南の平野のどこかにいる兵団司令部まで送りとどけるのが、原田軍曹の役目であった。(中略) 彼の任務は、実はそれだけではなかった。この車輛のなかで、夜ふけだというのに、狂ったように声をはりあげて歌っている五人の女たちを、原駐地からそこへつれて行くのも、彼の別の任務にちがいなかった。
     そのほかに、もう一人の男が同行していた。女たちの抱え主で、朝鮮人の金正順である。前線の兵隊たちの欲望を満たさせるために、自分の抱えの女たちを、そこへつれて行くという、りっぱな名目の裏で、憲兵隊の眼の光らない場所で、阿片を売買しようとするのが、この男の目的であった。

    朝鮮半島慰安婦は同国人によりリクルートされたと考えるのが自然だろう。現地の言葉や現地の事情に通じた人間が接するほうが何事もうまくいく。しかも女衒なのだから、犯罪傾向がある人間も中にはいたであろう。国に係らず、売春覚せい剤の販売は、マフィアヤクザの主業務である。
     なお、白木の空箱とは戦死者の遺灰などを納めるためのものである。


    輸送中に女たちは明日の命を知らない兵士たちに蹂躙された
    「貴様が、引率者か。チョーセン・ピーたちを、すぐ降ろせっ。おれは、ここの高射砲の隊長だ。降りろ」(中略)
    「自分たちは、石部隊の者です。この車輛のなかには、前線にいる自分たちの部隊へ輸送する遺骨箱が載っているだけであります」
     風の唸り声に、原田の声はかすれて吹きちぎれた。
    「嘘をいうな。前から八輌目の車輛のなかには、五名のチョウセン・ピーが乗っていることはわかっているんだ。新郷から無線連絡があったんだ。命令だ。女たちを降ろせといったら、降ろせっ」
     酔っ払い特有の、テンポの狂ったねちっこい語調で、そう叫びながら、将校は腰から、刀を抜いた。刀身は、腐りかけた魚腹のように、きらりと鈍く光った(中略)。 
     ここへくるまでに、開封を出発しでまもなく、新郷と、もう一箇所、すでに二回も、彼女たちは、ひきずり降されていた。そのたびに、その地点に駐留している兵隊たちが、つぎつぎと休む間もなく、五名の女たちの肉体に襲いかかった。

    直接軍や官憲が慰安婦リクルートしたかどうかが、賠償という面からは法律的には重要になる。けれども女衒がリクルートしようが、業者が運営しようが、慰安所は軍が監督していたのである。彼女らの輸送にも軍が関わった。
     筆者は政府機関に委託された業者として働いたことは何度もある。第三者、とりわけ外国人から見れば、政府機関の一員と見られたものだ。


    金を支払わないこともあった
    「チキショー、パカニシヤガッテ。アイツラ、アソプナラ、アソプテ、ナゼカネハラワナイカ。カネハラワズニ、ナニスルカ」
     空っぽの遺骨箱のあいだのもとの座に戻った彼女たちを見降ろしながら、原田は彼女たちの口々の叫び声を聞いていた。兵隊たちは彼女たちを抱くだけ抱くと、まるで汚物を捨てるように、未練気もなく、その場に放り出した。

    5人は別の街で売春婦として働いていた女性である。当然、支払いを要求するし、前線に行くので希少価値があり、「街にいりよりも儲けが多い」といわれて勧誘されていたのは、想像に難くない。また慰安所に行けば、経営者が悪質でない限り、金は支払われたのである。けれども、時にレープまがいのことが行われていた。


    明日の命が儚い戦場で生は性と重なった
     彼らはその地域の守備隊ではなかった。こんどの作戦のために、大陸のあちらこちらから、ひき抜かれて、そこへ移動してき、また明日、どこへ移動して行くかも知れない、そして、同時にそのことは、明日の自分たちの生命の保証を、誰もしてくれはしない運命のなかにおかれた兵隊たちなのだ。束の間の短い時間のそれは、彼らが頭のなかで、いつも想像しつづけている豊かな、重い、熱い性とは似ても似つかぬ、もの足りぬ、不毛のものではあったが、しかし、それは彼らがこの世で味わう最後の性かもしれないのだ。飢え、渇いた、角のない昆虫のように、彼らは砂地の二本の白い太腿をあけっぴろげにした女体の中心部へ蝟集した。

    戦場に自分がいると仮定して、自分だけは超然としていると言える人はどれだけいるだろうか? 筆者は自信がない。「蝗」の後書きにはこうある。
    「そこにある絶望的な勇気、他人に知られたくない卑怯さ、集団のなかの孤独、生命への慢性的な不安、気ちがいじみた情欲、あらゆる瞬間における獣への安易な変身、戦場にある、そういう一人の兵隊に執拗につきまとうものを、私はどこまでも追求して行きたい」
     また、田村は54歳になってこう書いている。
    「かつての戦場で、自分が人間以外のものであったことをみずから認めるために、そのときの原体験の忠実な表現者でなければならないという気がしている」(「戦争と私 戦争文学のもう一つの眼」)
     続く

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    ところで米朝対話が始まりそうだね。一部の新聞は、戦争だ、斬首作戦だ、などと煽っていたが、そのようなものは被害甚大だし、しかもできるわけがない。キューバ危機のときにもし米海兵隊が島に侵攻していたら、全滅していたのだから。イラクとは違う。
     ご参考:北朝鮮危機を前にトランプ大統領に読ませたい珠玉の一冊

    2018-03-04 戦場の性の真実 慰安婦のリアリティの1

    []*戦場の性の真実 慰安婦リアリティの1

     戦場は平時の悪が善になり、善が悪になる価値が転倒した世界である。平然と人を殺せる人間こそが英雄となる。モラルは簡単に瓦解する。人の地金が現れる。あるいは人間が人間でなくなる。そんな戦場の性のリアルティを描いたのは作家の田村泰次郎をおいて他にいない。  
    (本文はどのマスコミも尻ごみをして掲載できない真実を描く目的で掲載することにした。また、田村のような事実を知る人間が、さほど触れられないことにも私は長年疑念を抱いていたのである)

    なぜ今田村泰次郎を取り上げるのか

    他者の感情に寄り添う
     平昌オリンピックでもっとも印象に残るのは、女子500m決勝で勝利した小平奈緒選手がレース終了後、2位に終わった李相花(イ・サンファ)選手を抱きかかえていた場面だろう。国と国がどうあれ、個人は仲良くなれる。

     けれども国民感情や国の政治は別だ。オリンピックが終わるとさっそく康外相国連慰安婦問題を持ち出し、文大統領も「慰安婦問題は終わっていない」と演説し、韓国は、再び慰安婦の問題を蒸し返している。日韓合意は基本的に履行するようではあるが、それでも国民が心情的に受け入れられないという。戦後の賠償請求にしろ、今回の日韓合意にしろ、それぞれ完全かつ最終的な解決、最終かつ不可逆的な解決という文言が入っている。

     条約外交的合意は、法律的、すなわち合理に根ざしている。けれども、感情や心情は、理性や理屈ではないのだから、治まることはない。ましてや水に流す日本と違い、恨(ハン)の文化といわれる韓国である。日本でさえ、いまだ民族の記憶として700年以上前の元寇が生き続け、機会がある度に、神風とかむごい(蒙古(もんご)い)などという関連する言葉が蘇って来る。
     外交上は、日本は終結した問題であるという方針で押し通すとしても、他民族の感情を理解しようとする姿勢は不可欠と考える。


    第二次世界大戦は遠い記憶となった
     筆者はベネズエラで仕事をしていたときに、韓国人の若者と何度も接する機会があった。彼らの中には第二次世界大戦で日本と韓国が戦ったと誤解している者がいたし、他のベネズエラ人やドイツ人もそう考えていた。もしかしたら日本の若者の一部もそのように考えているかもしれない。そのようなありさまなのだから、慰安婦について実情を知っている人は少ないことだろう。

    現場にいた人間だけが分かる真実
     慰安婦については文献調査、聞き書き調査など夥しい数の書籍や文章があり、『慰安婦と戦場の性』(秦 郁彦 新潮選書)のような労作もある。けれども実際に現場にいた加害者側の作品でリアリティのあるものは少ない。
     筆者の経験からいうと、目的は全く別としても海外投資や援助は文化や価値観の違う人々と接するという意味で戦場と似ている。これまでアマゾン中東の砂漠や犯罪がうずまく世界で働いてきたが、実情はやはりその場にいた人間でなくては分からないという気持ちがある。

     田村はこう語る。「いまも私は、一兵士でなかったひとの戦争小説は信じる気持になれない。その点は、実に頑迷なものがある。実戦の体験者だけが、戦争小説を書ける資格があると、私は本気で考えている」(『春婦傳』自序 東方社) 続く

    2017-12-28 猫属の掟は厳しいニャン

    []猫属の掟は厳しいニャン

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    三毛君などは人間が所有権という事を解していないといって大に憤慨している。元来我々同族間では目刺の頭でも
    鰡の臍でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ
    腕力に訴えて善いくらいのものだ
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     ニャオン、ニョンゥオン、シャー
     ぐっすり寝ていた吾輩は、同属のそんな威嚇の声に目を覚ました。黄色いイチョウの葉をかき分けて、顔を出してみると、朝日を浴びて真っ黒々の吾輩よりも2倍はありそうな猫が、凄い形相で吾輩を睨みつけている。

    「おい、まだら、お前は何者だ?」    
    「まだら?おいらにはちゃんと名前がある」
    「なんていう名だ」
    漱石
    「ふん、へんな名前だ」
    「きみは」
    大黒だ」
    大黒?」
    「大きな黒、つまりこのあたりのボスだ。ここはだれの寝場所だと思っている」
    「さあ?」
    「枯葉のにおいをかいてみろ」
    f:id:latinos:20171129081228j:image:left
     吾輩はそういうので、イチョウの葉をくんくん嗅いでみた。ほんのりと、いやな臭いがする。だが昨日、雨が降ったせいか、その臭いはさほど強くない。目の前にいる大黒の臭いとは判別できない。
    「さっぱり臭いなんかしないや」というと、大黒は吾輩に前足を差し出して、
    「鼻詰まり、よく嗅いでみろ!」
    その前足をくんくん嗅いでみると、オロルンとボンガレのまじった、つまり、ジャングルの腐るほど熟乱して咲き乱れた植物と、犯罪者がかもしだす臭いがする。おえー! 
    「くせー!」
    「なんだと!」
     大黒は吾輩の顔に自分の顔をちかづけ、ガオン、ガオン、ガオーンと威嚇してきた。物凄い形相だ。これが有名なネコの睨みあいだ。
     吾輩もまけずにギャ、ギャオンと鳴いてみたが、いかんせん相手は百戦錬磨、身体は吾輩の倍、それに口から出す異臭が耐えがたい。
     吾輩は後ずさりして、ひゅーんと一目散に逃げだした。
    「ぎゃははは、覚えておけ、おれはボスの大黒だ!」
     大黒の高笑いが聞こえてきた。

     こうして公園にはルールがあることを知って、その日の昼は自分の場所を確保することについやした。
     
     今は大黒を習って、寝るのは森の中、昼はベンチの上か下と二か所が吾輩の陣地と決めている。もちろん、吾輩の陣地に他の猫が侵入したときには、大国を見習う。
    許さないとうことニャン!

     さあ、今年も終わり。人間族のみなさん、よいお年をお迎えください!

    2017-12-18 公園でカラスと決闘してみたニャン

    []公園でカラスと決闘してみたニャン


    f:id:latinos:20171218183348j:image
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    茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。
    彼は吾輩の近づくのも一向心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きな鼾(いびき)をして長々と体を横たえて眠っている。他の庭内に忍び入りたるものがかくまで平気に睡(ねむ)られるものかと、吾輩は窃(ひそ)かにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。
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     吾輩が捨てられたのは真夜中だった。ポーンと公園に投げ出された。でも、暗闇の中でも三半規管の発達している吾輩はひゅーん、ひょいっと地面に立った。人間なら大怪我をしていただろう。
     でもあたりはまっ暗闇。ブランコ、滑り台、砂場はわずかに街灯に照らされている。そばまで歩いた。回りは草むら、木々、その間に青いテントがぽつりとある。どこで寝たらいいのかさっぱりわからない。

     ヒューと冷たい風が吹いた。舞い上がっていた落ち葉が、吾輩の身体に降ってきた。寒い! 
    ぶるっと震える。もう秋だ。吾輩は冷暖房完備の家がほんのちょっと懐かしくなった。
    公園には、どこにも我が猫属も見当たらず、心細くもある。

     とりあえず、地面より少し低くなっている砂場に入ってみた。砂がふわりとして、家にあったマットのように柔らかい。でも、表面はひんやりと冷たい。砂場と地面の境目にダンボールの切れ端があるのを見つけて、それを前足の爪でずらし、口で加え、どうにか砂場に降ろし、その上にごろんと寝転んでみた。

    悪くない。砂より暖かいし、地面よりも風があたらない。遠い昔に車屋に飼われていた、無学の黒が大胆にも吾輩の家の庭でゴーゴーいびきをかいて、眠っていたのを思い出した。吾輩もそれを見習おう。そう思って、うとうとし始めた。ところがー

    バタバタバタ、ビューン!

    と、風を切る音にはっと目覚めた。猫属はサムライのように熟睡しない。いつ襲われるかもしれない野生の習性がしみついている。ましてや初めての公園寝だ。

     黒い影が吾輩の頭めがけて、物凄い凄いスピードで、舞い降りてきていた。

     バタバタバタ、ビューン

    はっとよけた。それはビューンと急上昇し、砂場の横にあるサクラの木の枝にとまった。あとから、わかったがカラスという真っ黒い醜い鳥だ。

     にゃん、シャー!

     吾輩は上を向いて威嚇の声をあげた。ところがカラスの奴、怯まずにカー、カーと吾輩をバカにするように鳴き返すと、ブーンと零戦のように急降下してきた。
    シャー!

    吾輩は怒りの声をあげさっと二本足で立ち、前足の爪を立てて防御の姿勢をとった。奴は吾輩の目を狙っている。“目には目を”の精神にのっとり、カラスのみじめなほどに細っこい目を狙った。
    シャー!

    危い。顔をひょいっとよけた。だが、吾輩の爪も空を切った。カラスはブーンと上昇し、カー、カーと威嚇したと思ったら、ポト、ポトンと爆弾のようなものを落としてきた。そのひとつが吾輩の顔を直撃した。
    それは吾輩の体温に温められ、たちまち半液体化した。

    臭――い!

    因果応報 天網恢恢疎にして漏らさず。主人にやったような行為をカラスにやられるとは!
    吾輩は脱兎のごとく、森の中へと駆け込んだ。糞攻撃はたまらない。

    木の枝でカーーカーカーとカラス勝利雄叫びをあげた。吾輩には「わははは、ばかもん」と主人が嘲笑っているように聞こえた。幸いカラスは満足したのか、追ってくる様子はない。

    カラスの糞を舐めて顔を綺麗にするのも気味が悪い。臭くて、汚くて、悔しくて、涙が出てきた。ところが、思いがけなくもその涙が汚いカラスの落し物を顔から流し落としてくれた。

    ふっと我にかえると、吾輩は山のように折り重なった落ち葉のベットの只中にいた。さっそく、葉っぱ‐後にイチョウと知るーに顔をなすりつけ、汚れを綺麗に落とし、カラスの攻撃を受けないように少し木の枝から離れた地点で葉っぱの中に入り込んだ。ところどころごりごりする丸いものーあとから銀杏と知るーがあるので、それを足で蹴散らした。

    葉っぱの中は温かく、やわらかく吾輩はやっと安心する場所を得た。公園にも自然のベットがあった。吾輩はすやすやと眠ることができた。
    ところが翌朝、思ってもない事態に遭遇したニャン。

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