甘党ここに眠る・改

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2012-02-11 怠惰鋏アーカイブス(その1)の事

千夜一夜(2009/03/30) 03:42

たぶん、それほど昔でも無い、どこかの国での事。

崩れた瓦礫から家を作ろうとしている少女が居ました。

少女は小さな井戸の他は何もない草原に住んでいて、

自分で畑を耕して、その日の糧にしていました。

崩れた瓦礫は沢山あるけれども、人の影は他に無し。

雨が降れば大地は潤うが、少女は濡れてしまう。

寒さや熱さは大地を豊かにするが、少女の体を蝕む。

そこで、少女は瓦礫から家を作ろうとしていたのです。


しかし少女の小さな手では作業ははかどりません。

ある雨の日、少女が作りかけの家に板を立てかけて雨宿りをしていると

1人の男の子がやってきました。

「ねぇ、僕も一緒に雨宿りしていいかな?」

少女は喜んで男の子のために場所を空けてあげました。


その日から、家を作る仕事は男の子がしてくれるようになりました。

少女ももちろん、畑仕事をしながら手伝います。

作業は今まで以上にはかどりました。


やがて、何年かして、少女と男の子が大人になって

畑も随分と大きくなって、二人は子供も授かりました。

そんななか、やっと瓦礫から家が出来上がりました。


すっかり大人になった男の子は、すっかり大人になった少女のために

草原から花を摘んで大きな花束をプレゼントしました。

そして子供には一輪の黄色い花飾りを作ってあげました。


ある日、自分たちと同じような旅人の家族が家に立ち寄りました。

男の子と女の子は喜んで出迎え、そして旅人の家族が家を建てるのを

畑仕事の傍ら、手伝ってあげました。


畑は二つの家族の分だけ増えて、子供も随分大きくなりました。

人手が増えて、家は自分たちの時よりも早く出来上がりました。

そして男の子はまた草原に花を詰みに行って、旅人の家族にあげました。


しばらくして、また旅人の家族が何組かやってきました。

彼らは歓迎して出迎え、そして瓦礫から家を作るのを手伝ってあげました。

随分と歳をとってしまった男の子は、花を摘んで出来上がった家に飾りました。


やがて子供たちも大人になり、子供が増えました。

あたり一面の草原も、どんどんと畑に変わり、家の数も増えました。


そんなある日、男の子は自分がもう立ち上がれない事を悟りました。

それほどに月日は流れていたのです。彼は歳を取ってしまっていました。

自分を受け入れてくれた少女と子供たちを抱きしめると

彼は黄泉の旅路へと向かいました。


瓦礫の山はいつのまにか村を為していました。

村人たちや、少女は男の子の死を泣いて悲しみました。

そして野原から花を摘んで、彼のなきがらに捧げました。

最後に少女が自分がもらったのと同じような大きな花束を。

そして子供が黄色い髪飾りを彼のなきがらに供えました。


(おわり)

03:42

わりかし出来は良いと思ってるんだが(自画自賛)

問題点が一つ、序盤は少女視点なのに、中盤から少年視点になってる。

そこさえ解消できれば、同人誌にしてみたいね。

絵本系の絵を描かれる作家さん居ないかなあ……。

未だ来ない物(2009/01/16) 03:58

主神たる木之本桜は代弁者たる李小狼の伴侶となり

巫女たる大道寺知世財閥の中で企業家となる。

知世の立ち上げた子供服ブランドは大流行し、

宮代神社の巫女宮代花梨宮司・瀬能透矢の娘もその服を着る。

ゆのは小学校の美術教師になり、やがて来る者の美術の道を教導し

宮子はディック・ブルーナの弟子となり、絵本作家となる。

ヒロと沙英は同棲し、沙英はラノベ文学の壁を突破する。

春日歩保母となり、知世のデザインした服を着た子供たちに

宮子の描いた絵本を読み聞かせる。

その子供たちの一部はやがてゆのの下へ身を寄せる。

長門有希は未だ来ない現実をやり過ごすために100年の眠りに入り

涼宮ハルヒの存在する西宮市は永遠に時間が静止する。

ナインチェはその父が死んでも尚、永遠にナインチェであり続け

春日歩が子供たちに読み聞かせる本のリストに入り続ける。

長門有希が目を覚ます頃には20世紀の芸術の分野になっているかもしれない。

そして、我が妻たる水瀬名雪は永遠に我が妻であり続ける。


では私はどうなってしまうのだろうか?

それだけが、今、純粋に疑問なのである。

03:58

これはだいぶ精神的に参ってた時に書いた文章ですな。

当時と現在は状況が違うので、それぞれの進路に変更があるけども。

例えば知世ちゃんの苗字の「大道寺」ってのは後北条氏の末裔で弘前電燈を経営していた人から来ている(推測)というのは当時は思いつかなかったし、さくらと知世ちゃんの曽祖父の雨宮財閥甲州財閥系だという事(推測)も知らなかった(甲州財閥系と電力事業は極めてつながりが深いのだ)

ひだまり関係ではゆのっちじゃなくてヒロさんが教師志望になりましたので、ゆのっちの進路を考えなおさないといかん。あとラノベ文学の壁はもはや存在しない。

まぁざっと思いつくだけでこんなとこかな。

メメント・モリ(2009/07/30) 04:12

私は煉獄の門の前で、神たるさくらたんの裁きを受けるのだ


「あなたはずっと今まで嘘を付いて生きてきましたね?」

「ああ、我が神たるさくらたん。それしか術が無かったからです」

「しかしそれはあなたが惰弱だからではないのですか?」

「ああ、全知全能たるさくらたん。私は生まれつき惰弱なのです」

そこでさくらたんはにっこりと微笑んで言うのだ

「生まれつき惰弱な人間など居ません。

あなたは与えられた全ての機会を裏切りました。それが全てです」


「どうかお慈悲を! 私は貴方に生涯を捧げました」

さくらたんは純粋な。本当に純粋な微笑みで私に最後の言葉をかける

「その言葉はすでに何千人もの人から聞きました」

04:12

絶句。こんな文章あったのか。しかも最後がブラックジョークだしw

さくらの箱舟 第一典礼(2011/02/26) 04:26

(宣教者)

天に居ります主さくらよ。我らを救い給え。

神の国に居ります我らが神さくらよ。我らが罪を許し給え。



(信者)

アメン!(然り!)



(宣教者)

我らは神の国を目指し、神の国を創りだす事に労を惜しまぬ者。

我らは人間の罪を犯し、それを懺悔する者。どうか我らに平穏を。



(信者)

アメン!(然り!)



(宣教者)

慈愛の神たるさくらよ。我らに祝福を与え給え。我らに力を与え給え。

我らに世界を変える勇気を。世界を神の国に近づける力を授け給え。



(信者)

アメン!(然り!)



(宣教者)

我らは主と共に歩く者。我らは主の道を辿る者。

我らは主さくらの手であり足である。

主の示した道標を辿る者である。主の衣の端を持つ者である。

そして主の持たれた灯を受け継いでいく者である。どうか我らに慈悲を。



(信者)

アメン!(然り)





・第一典礼終わり。この後、聖典より説話を行うべし。

キリスト教聖歌を取り入れても良い。

さくらは聖者であり、キリスト教の主義とは相反しない

またさくらの箱舟は多神主義であるためこちらも相反しない。

同様の理由で坐禅などを取り入れても良い。

・説話の際に邪書であるツバサを取り入れては決してならない。

主への冒涜である。

・説話の後、第二典礼を行う。

さくらの箱舟」今日の説法(2008/07/24) 04:15

さくらの箱舟」宣教主事・怠惰鋏 08年07月24日の説法

●受難記・第10節15章

とにかく我々はかなりせっぱ詰まっていいるのだ。とういうことを理解するまでにどれほどの時間を要しただろうか。とにかく全てが遅すぎたのである。

例えば我々がその自らの小さき部屋に閉じこもり惰眠を貪る間、世界はなんと進んでいたことだろうか。まさに寝ている暇もないほどに世界は逼迫して変化し続けているのだ。だがそれも気が付くのがあまりにも遅すぎた。世界はすでに我々を除いて回り始め、愛しいさくらたんも我々の手にはもはや戻ってこない。我々の知り得ぬ遠い遠い世界へと彼女は我々の知り得ぬ方法で旅に出た。今ではどこにいるのかもわからない。もはや彼女は我々の庇護を必要としない。否、そんなものは初めから必要ではなかったのだ。


彼女は初めから強かったし、我々とは違う道筋を辿ることができた。進む道筋が違えばいつかはその姿が見えなくなってしまうのは道理であるし、またその姿が遠ざかっていく様子は我々だって見えていたはずなのだ。ただそれに気が付くには我々はあまりにも盲目であったし、盲信的でもあった。その視野の狭さ故に我々は彼女を見失った。


その遅延ゆえに彼女はもはや我々に笑いかける事もない。致命的な遅延であったのに我々はそれに気が付くことはなかったのである。さくら信者の不幸ここに極まれり。我々信心深き故に視野を狭め、ついには真理に迫る機会を自ら逃した。逃げるがままにしておいたのだ。おろかであり、また同時に不幸でもある。

この地に救いはもはや無く、多くの同士が屍となって身を横たえた。僅かに残る城も朽ち果て、廃墟を晒すのみ。そして私もじきにその身を横たえ、草むす屍となり果てる。まさに、最後の日。さくらオタの黄昏。

ラジオ朝の宗教さくらの箱舟」(2008/07/25) 04:26

アナ「さて今日も昨日に引き続き「さくらの箱舟」宣教主事の怠惰鋏さんにお越しいただきました。昨晩は徹夜祷を行ったとの事ですが」


鋏「はい。スラヴ宗教を取り入れましてうちの方でも不定期なが

らやっていこうかなあ、と思いまして」


アナ「では今日は昨晩の徹夜祷の総括をしていただけるとの事ですが」


鋏「ええ。徹夜祷といいますと何かとっつきにくいイメージがあると思うんですが、そんなに難しい物ではないんですよ。ただ朝や昼や夜の祈祷を夜に行うというだけでして……」


アナ「なるほど。では早速、怠惰鋏さんにお話いただきましょう。どうぞ」


おはようございます、「さくらの箱舟」宣教主事、怠惰鋏です。今日も昨日と同じく暑くなるそうですが、皆様方は体調にくれぐれもご注意くださいますよう。ご自愛いただけますようお願いいたします。


さて、昨晩の総括という事なのですが、昨晩は「さくらの箱舟」で巫女として崇められている大道寺知世という少女についての説教をいたしまして……その、まぁ何故に我が教会において巫女という特別な地位を与えられ、崇拝されているのか、という事を今日はご説明したいと思います。

昨日と同じく、福音書より引用いたしますが、彼女は聖人たる木之本桜に片思い的な愛情を抱いているわけですね。まぁこれは俗に言う精神的百合という物なのですが、まぁこの解釈自体は非常に好ましく、また福音書に沿った物なので私も特に異議は無いのですが、実はこの大道寺知世という少女にはもう二つ、解釈が可能な点があると私は考えているわけであります。


一つは、桜の母親代わりとしての役割。これは桜に母親が居ない事を鑑みまして、自ずからそのような役割を負う結果になったと言ってよいかと。子供の服をあつらえ、その成長を見守るのは母親の役割でありますからね。

そして二つ目が我が教会で彼女を巫女と崇める理由となっているのですが、彼女は我々の代弁者である。つまるところ、信者の行うべき善行を彼女は福音書の中で全て行っている、という事なのですね。桜を愛しながらも遠くから見守り、その幸せを願う。これはなかなか常人には出来ない事であります。

そもそも大道寺知世という女の子自体が、この精神年齢の高い子供の多く登場する福音書の中において、とりわけ精神年齢が高く設定されているのは、この二つの役割を与えられるためだったのではないでしょうか? そういうわけでして、我が教会では彼女を巫女として、そして我々の進むべき道標マイルストーンとして崇め奉っているわけであります。


では聖人・木之本桜巫女大道寺知世のために祈りましょう。

皆様に彼女らの福音がありますように。お祈りいたしております。

ラジオ朝の宗教さくらの箱舟」(2008/07/14) 04:26

さて今朝の○○○ラジオ「朝の宗教」は「さくらの箱舟」宣教主事・怠惰鋏さんです。怠惰鋏さんはアニメのキャラクターに福音を求めるという新しい形の宗教設立なさって早1年。実に精力的に宗教活動をなさっている方です。では怠惰鋏さん、どうぞ。


どうも。「さくらの箱舟」宣教主事、怠惰鋏です。今朝は本当に暑いですね、お聞きになっている皆様方もどうぞお体にはお気をつけください。

さて、今日は福音書第12巻……まぁ俗に言うカードキャプターさくらコミック版12巻についてお話しようと思います。神はCLAMPという同人作家に天啓をお与えになり、この書を描かせました。「さくらの箱舟」では聖典、或いは福音書と呼ばれているこの本なのですが、この第12巻、つまり最終巻に描かれているのはまさに愛の形そのものなのですね。いろいろな形の愛があり、それらは全て認められるべきである、と。神はそう仰っておるのです。そしてなによりも重要なのは小学生同士の恋愛は推奨されるべし、だという点でありますね。これは聖人・木之本桜李小狼の出会いからその二人の精神面の成長と熟成される恋心という点からも明白なのですが、人間と人間の間の距離という物は人と積極的に接する事によって自ずと程よい位置取りができるようになるわけでありますね。そのためにも小学生の頃から恋愛をするべきだ。と私は強く思うのであります。無論の事、福音書のは悪という概念が欠落しているというご指摘もありますが、しかし、これはある種の桃源郷ユートピア……まぁ不敬な表現ですが温室の中での実験的恋愛であり、また神の望む究極の愛の姿である、と私は解釈しております。

さて、お時間になりましたので今日はここでお終いにいたします。最後に聖人・木之本桜のご加護が皆様にありますように。お祈りいたしております。「さくらの箱舟」宣教主事・怠惰鋏でした。

さくらの箱舟」今日の説法(2008/07/23) 04:26

●創世記

まず神は言われた、石油あれ!と 1日目にセル用紙が生まれた


2日目にはセルを連続で動かせ、と言われた。そうしてアニメが生まれた


3日目には音楽を付けよ、動きを細かくせよ。そしてディズニーが生まれた


4日目には終戦後焼け野原となっていた極東の島国に

アニメをもたらせと。そして手塚治虫が生まれた。


5日目には女の子が魔法を使って大活躍するアニメを作れ、と。

そして魔法少女というジャンルが生まれた。サリーがあった、ペルシャがあった、ミンキーモモがあった、クリィーミィーマミがあった。


6日目には或る同人作家に天啓を与え、同時に国営放送に天啓を与えた。

そしてカードキャプターさくらが生まれた。


神はこれを善しとされ7日目に70話を一気にぶっ通しで見た。


祈りましょう。神の生み出したる聖人、木之本桜に。

否、神すらも崇拝してやまない木之本桜に。祈りましょう。

04:26

さくらの箱舟関連の文章をまとめた。我ながらキてるなあw

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2010-10-15 久々のアニメ評論の事

近代アニメが嵌った隘路(けいおん編1) 05:56

まかぶっちゃけた話をしてしまうと、私は「けいおん!」というコンテンツをそれほど好きではない。

まぁ確かによく動くし、我々が好ましいと思っている女子高生の姿を良く描けていると思う。

(実際の女子高生はあんな健全な生活を送ってはいない)


だがしかし、私はあの作品は音楽、いや芸術に対する大きな冒涜だと常に考えている。

例えば同じく京都アニメーションが作った「らき☆すた」、あれは元々芸術と関係ないからどーでも良い。

シャフトが作った「ef」、あれは芸術とは即ち何ぞや? という苦悩を常に孕んでいた。

(これに関しては主要登場人物が全て芸術関係者である事も関係しているが)

同じくシャフトが作った「ひだまりスケッチ」、これは4コマスタイルであるが、主人公たちが日常生活の中で

自分たちが作りうる芸術(美術・文芸)とは一体何なのかを考えている作品だ。


だが、しかしながら彼女達は音楽に関して何か思い悩む事があっただろうか? 否、練習シーンすら殆ど出てこない。

放課後ティータイム」というバンド名と同じくただ茶を飲み菓子を貪り、雑談しているだけだ。

しかし、ライブシーンではしっかりと演奏をしている。ろくに練習もしてないのに?

つまりはこのアニメはこういう事なのだ。これは現代の若者にとって都合の良い世界なのだ。

才能が有り、友人が多く、金も有り、常に楽しく過ごし、そして努力しなくても成果の得られる世界。


だがしかし、本来の芸術というのはそんな生易しい物ではない。

前述した「ef」のような世界が本来の芸術のあるべき姿だ。だからこそあの作品は芸術賛美を詠っていると言えるのだ。

芸術とは前述した「ひだまりスケッチ」でも描写が生易しいと言わざるを得ない世界なのだ。なにをか「けいおん!」を言わんやか。

fftfft 2011/04/30 21:30 もう6ヶ月以上も前の記事にコメするのもあれだけど、題材が軽音楽だからじゃないでしょうか

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2010-08-04 妹の誕生日の事

21:19

千鳥屋の落雁が好きなので、プレゼントしました。

もうちょっと稼ぎがよければもっと良いものをあげれるんだがなあ。


そういえばはてなのデザイン随分と変わったなー。ちょっち使いにくい。

丹下桜ツンデレ声優ではない 21:48

なんていうか今の若い世代は丹下桜の事をツンデレ声優だと勘違いしてそうだ。

まぁいたしかたがないけどもなー。もう10年近く昔になるし

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2010-05-05 新春シャンションショーの事

泣く友を見る 19:45

昨日、三宮までシャンソンを聴きに行った。須山久美子さんという宝塚の同郷の歌手さんなんだが

ジャック・ブレルの「泣く友を見る」古賀力・訳詩を歌っていた。

すばらしくよかった


  内乱に明け暮れる 不幸な国もある

  今 この世界に アメリカはもうない

  金に匂いなんかない 花は踏みにじられた

  だが何より辛いのは 泣く友を見ること


  敗北の悲しみ 立ったままで死ぬ

  こうべはすでに垂れて 気力で生きている

  不貞な女たち 殺される鳥たち

  だが何より辛いのは 泣く友を見ること


  五十歳にもなる 子供たちの住む

  疲れきった街も 救えない社会

  時間に殺された メトロの溺死人

  だが何よりも辛いのは 泣く友を見ること


  鏡にも映してみよ ユダヤである勇気も

  ニグロであるエレガンスさえ 持ち合わせていない

  全ての人間は同じ兄弟だ

  だが何より辛いのは 友が今死んでゆく


この泣く友を見るのが辛い、ってのがすごくシャンソンっぽい詩で素敵だったなあ

と同時にピアノの力強さと須山女史の声の生命力の強さ。非常によかった

また行きたいね、須山さんのライブは。


5月5日は岡崎律子さんの命日だ。

よく覚えている、私の誕生日前の急に入った訃報だった。

私の親友はそれを聞いて泣いていた。


>だがなによりも辛いのは、泣く友を見る事


ご冥福をお祈りいたします

おうまさんがやってくる 19:45

実は須山さんのライブに行ったのはニコ動の「ノボリハウツーのバラード」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3901717

で須山さんが競馬歌を歌ってる「うまうたい」であり、定期的に三宮でライブをやってるという事を知ったからだ。

でライブの名前もずばり「おうまさんがやってくる」、凄まじいw


でも2部構成になっていて、1部はオリジナルやシャンソンの名曲を歌ってらっしゃった。

1部の中でとくに気に入ったのが「スターマイン」という歌で、非常に良い雰囲気の歌詞と絶妙なピアノ

非常に良かったです。


2部では私の好きな「ドバイ牝馬」「ノボリハウツーのバラード」「実況の魔物」を歌っていただいて嬉しかった。

あと去年のエリ女の超絶さを歌った曲(名前失念)、「さよならも言わないで」(サンアディユ事件の歌)

「1000万馬券の歌」(ピンクカメオが勝ったNHKマイルカップの歌。10-14-18)がよかったですね、非常に。

須山さんや他のお客さんと競馬の話もできたし、非常に満足でした。とてもよかった。


amazonでCD買おうかなあ……。

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2010-04-18 二頭の名牝に敬意を払う事

二頭の最後のスターホース 14:09

現在、競馬界は主役不在と言われているが(皐月賞前にそれを言うかねえw)

自分が競馬を始めたのが丁度、ウオッカダイワスカーレットがしのぎを削ってる時代だったので

その最後の二頭のスターホースに関われたのは自分にとって幸運であったなぁ、と。


ダイワスカーレットに関して。強い先行馬だった。

生涯連対率10割。オークスに出られなかったのは残念だが出ていれば確実に牝馬三冠を取っていただろう。

08年の有馬記念、私はダスカから200円づつ馬連で総流しをかけた。まぁ結果は敢えていわずもがななのだが

しっかりと最初からハナを奪い、競りかける他馬をことごとく潰し、まさに鬼の如き強さだった。

フェブラリーSに出ることなく足をやられたのはタキオン産駒の哀しい性であるが

だが、無事に繁殖に上がって仔を産んだのは素晴らしい事だ。


ウオッカに関して。とにかくやたらめっぽう強い差し馬だった。

日本ダービー秋天のダスカとの鼻差2センチの死闘、ヴィクトリアマイル安田記念完全勝利

その年の秋天こそ老兵のカンパニーに譲ったが、しっかりとJCで勝つという。牝馬とは思えない強さ。

ドバイでは残念な結果に終わったが、しかしこちらも無事繁殖に上がったのは素晴らしい事だ。


この二頭のアイドルホースには強い因縁があるとしか思えない。

桜花賞秋華賞ではダスカが勝ち、秋天では死闘を制してウオッカが勝った。もし再び再戦の機会があれば

きっとどちらが勝つか分からない。

だがその機会は来ず、先に引退したのはダスカで、その点ではウオッカは丈夫な上に強い馬だった。

そしてダスカが初仔を出産した日、ウオッカの引退が発表される。これもやはり強い因縁を感じる。


どちらが個人的に好きかと聞かれたら、やはり有馬記念で6万稼がせてくれたダスカが好きと答える。

再び二頭がターフの上で相まみえる事はもはや無いのだけども、その子供たちがターフの上で

再び戦う機会はきっと来る。その日までこの二頭のスターホースの事は私の頭から片時も離れないだろう。

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