『鬼滅の刃』考【ネタばれあり】

随分前に書こうとして準備していたのだけど、しっかりやろうとすると永遠に無理だと思うので、軽く骨子だけ『鬼滅の刃』について書きます。

 

鬼滅の刃』は見た目より単純なところと、見た目より複雑なところを含む、意外と難しい作品だ。しかし、そのメッセージは魅力的で、受け取ろうとすればちゃんと受け取れる。大ヒットしたのは、単に映像的迫力に富んでいたからでも、子どもに受ける表現だったからだけでもない(そういう要素はもちろん含まれているが、それだけではない)。漫画的、映像的にどうであるか、という話はたくさんあるので、ここでは作品のモチーフの話をしたい。ネタバレは最小限にするつもりだが、おそらく全体のストーリーの行方は読み取れてしまうと思う。そういうことも知りたくない、という方は、ここで読むのをやめることをお勧めする。

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さて、
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鬼滅の刃』のコミックの後半の巻に、キャラクターの一人が経文を唱えるシーンが出てくる。
普通、そういうところで引用されるのは般若心経だ。ところが、この作品では阿弥陀経が引用される。ただの偶然か、たまたま作者の手元にあったのがそれだったかのか、とも思うが、丁寧に見ていくと作者が「あとがき」的なところに報恩という言葉を使っていたりして、この作品には妙に浄土教系(浄土真宗および浄土宗)っぽいニュアンスがあちこちにある。
じゃあ、これは宗教的なマンガなのか、というとそういうことはない。作品にも、およそ浄土教にそぐわない神秘信仰っぽいところがいくつも出てくる。だけど、ここで個人がその努力によって成仏できるという世界観の般若心経ではなく、全ての人は等しく無力であり、菩薩に救済されるほかないという世界観の阿弥陀経が持ち出されることには意図がある、と僕は思う。作者はこのモチーフが自分のテーマに合致しているからこそこれを使っている。
そのテーマとは、端的に言えば超越の否定だ。
鬼滅の刃における「鬼」はあきらかに吸血鬼をモチーフにしていて、そして西洋のモダンホラーにおける吸血鬼と同じく、人間のみを捕食する生物として食物連鎖において人間の上位にあるものとされ、進化樹において人間よりも進歩したものとして位置付けられている。それは食物連鎖や進化という概念の誤用なのだが、作者はとりあえずその観念を使う。
この作品で悪役として登場する上級の鬼たちは、何らかの形で人間が能力として捉えるものを拡張し、超人間的な存在に飛躍しようとする。それは、例えば身体能力であったり、外見の美しさであったり、美的センスであったり、エモーショナルな感受性であったり、洞察力であったり、論理的思考能力であったりする。
鬼殺隊はそうした超越志向に一つ一つ立ち向かう。その姿は、自力による成仏を否定して凡人であることを肯定する浄土教の教理と重なる。もちろん、その時に罠としてあるのは、主人公たち自身が超人的な能力を身に付けようとするという誘惑である。
作品の中で、それは鬼による誘惑として表れるし(最終巻に至るまで、そのモチーフは執拗に繰り返される)、また、読者が鬼殺隊の訓練を人知を超える境地への到達の試みとして捉えるという形でも出現しうる。
そのため、作者は繰り返して「これらの能力は単に限界まで引き出された普通人の能力でしかない」と表明し、またその限界への到達に代償が伴うという設定を強調する。
これらの表現は、もちろん「努力と友情と協力」という、少年誌的な価値観の表明でもある。しかしそれは同時に、無限の成長を求めようとする我々の社会への警告としても機能しうる。そして、この作品のモチーフは(多くの人がそう共感したように)新自由主義による勝者の称賛と際限のない努力の強要がはびこる社会において、無力で平凡であることの肯定になりうるのだ。
進化したから偉いのではない、人より抜きん出るから価値があるのではない。命は、いのちとして存在していること自体に既に価値がある。作品はそのメッセージを繰り返す。
もちろん、超人志向に対比されるものが集団性であり、自己犠牲であるという大変残念な結論もそこにはある。それはルサンチマンでもあれば誤った力への意思でもあり、容易に日本型ファシズムに回収されうる。その意味で、この作品に泣くことには警戒しなくてはならない。けれど、僕たちが感じている、そしてもっと大事にしなくてはならない、ある違和感の表明として、そして社会全体のそれへの共感として、『鬼滅の刃』は記憶される価値があるだろう。

「ドネツクの虐殺」について調べたこと

 

2014年にウクライナ東部で、ロシア系住民の虐殺が行われたという話があります。「ドネツクの虐殺」と呼ばれるこの事件は、ウクライナ民兵(国家親衛隊)によって起こされたとされ、今年(2022年)2月に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻の理由を説明するものとされることがあります。
この件について、正確なことを知りたいという気持ちが高まってきたので、少し時間を使って調べてみました。

まず、どんな話が流通しているのか、典型的と思われるものをリンクします。「日本のマスコミが黙殺するウクライナ東部の大虐殺」という記事です(あとで解説しますが、この情報は真実でない可能性が非常に高いです。ご注意ください.)。
https://www.kazan-glocal.com/official-blog/2014/11/24/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%81%8C%E9%BB%99%E6%AE%BA%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%9D%B1%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%A4%A7%E8%99%90/

 

かいつまんで説明しますと、ここには次のような情報が含まれています。

  • 2014年10月4日、ロシアのラブロフ外相がウクライナ東部で400人以上の人が埋葬された集団墓地が見つかり、これは戦争犯罪であると述べた
  • 最初に発見されたのは9月23日で、場所はドネツク近郊のコンナムル村である
  • 犠牲者は男性1人、女性3人である遺体には戦争犯罪を示す跡があった
  • 郊外のニジニャ・クルインカ村の炭鉱場敷地内でも複数の遺体が見つかった
  • 9月26日までに40の遺体が見つかった安保協力機構(OSCE)、国連人権高等弁務官事務所(引用者注:OHCHR。リンク先にUNHCRとあるのは誤りです)も調査を行った
  • ロシアのリア・ノーボスチ通信社がこれに関する報道を行った
ここで背景を確認しておきますと、2014年というのは、年初からウクライナでマイダン革命と呼ばれる親ロシア政権に対する市民の抗議/騒乱/革命があって政権が倒れ、その後2月にロシアがウクライナ領のクリミア半島に侵攻して併合、さらに4月以降はウクライナ東部のドンバス地方でロシアへの編入を求めるロシア系住民の蜂起があり、その武装組織(ドネツク民共和国とその軍と自称)とウクライナ軍およびウクライナ民兵が事実上の戦争を始め、その状態が秋まで続いた、という年でした。その中でこの虐殺の話ができたわけです。
さて、改めて確認すると、先の記事でも触れられていたOSCEとOHCHRの報告書がネットで公開されていました。OSCEの最も詳しい報告は2014年9月26日のものです。第8段落目にあります。
https://www.osce.org/ukraine-smm/124216
「『ドネツク民共和国』(訳注:DPR, Donetsk People’s Republic)の『軍警察』がSMM(訳注:OSCEのスペシャル・モニタリング・ミッション)に複数の遺体を収めた未登録の墓地が発見されたと連絡してきた。そのうちの二つはNyzhnia Krynka村(ドネツク北東35キロ)のKomunar炭鉱の中にあり、ひとつは村の中にある。SMMはそれぞれ50m離れている炭鉱の現場視察を進めた。それぞれに2体の死体があり、腐敗が進んでいた。SMMは、また、遺体から約5mのところに9ミリのマカロフ拳銃の薬きょうを発見した。村の道路の終点の近くに、SMMは墓のような盛り土を認めた。文字盤をつけた棒がさしてあり、ロシア語で5人の氏名(またはイニシャル)を含む文字が書かれていた。文字盤は人々が2014年8月27日に死亡したことを示していた。文字盤の最上部には「プーチンの嘘のために死す」という碑文が書かれていた。炭鉱および村のどちらでも、SMMは犯罪捜査の専門家には出会わなかった。
コメント:SMMはこの現場に犯罪捜査を提供することはできない」
OHCHRも2014年11月15日にレポートを出しています。下記からたどれるPDFの5ページ、パラグラフ番号7にあります。
https://www.ohchr.org/en/documents/country-reports/report-human-rights-situation-ukraine-3
かいつまんで言いますと、埋葬箇所は3か所で、埋葬された人は9人である、という内容です。
さらに探すと、国際人権団体のアムネスティも現地を査察して報告を出していました。下のリンクからPDFファイルがダウンロードできます。
https://www.amnesty.org/en/documents/eur50/042/2014/en/
報告書の12ページからがこの事件に当てられています。アムネスティはまず9月23日にロシアのテレビでこの件が報道された、と述べていますが、その内容はKomunar とNyzhnya Krynkaで三か所の埋葬地が発見され、うち4人は女性、戦争犯罪の形跡があり、さらに40人の遺体が発見、外相が400人の犠牲者がいると述べた、というものです。これは冒頭で紹介した日本で知られている記事と同じ内容ですので、問題の記事のソースがロシアのテレビであることが分かります。
以下、報告書を少し訳します。
アムネスティの国際代表団は9月26日、墓地の発見直後に現地を訪ねた。地元住民、地元当局、この地方で作戦行動をしているDNR(訳注:ドネツク民共和国、Donetskaya Narodnaya Respublika)兵士、発掘を目撃したジャーナリストへのインタビューによって、代表団はキエフ政府配下の軍隊が少なくとも4件の超法規的処刑を行ったことを発見した。しかしながら、いくつかのDNRの情報源と、ロシアの放送局、そしてロシア当局そのものが、発見された遺体の数と犯された戦争犯罪の規模を大幅に誇張したことは明らかである。アムネスティ・インターナショナルは合計9体の遺体を収めた3つの埋葬箇所を確認できた。遺体のうちつは、敵対的行為の中で殺されたDNRの兵士であるとみられる。二つの埋葬地点から発見された4つの遺体は、現時点ではキエフ政府配下の軍によって超法規的に処刑されたという強い証拠がある」
以下、報告の内容を要約します。
  • 村の墓地から発見された5人の遺体は、DNR軍の偵察隊のメンバーのもの(同僚が確認)。戦闘中に死亡したか、捕虜となってから殺されたかは不明。
  • 炭鉱から発見された4人の遺体は全員男性で、近くの村の住民のもの。いずれもDNRの支持者として知られた人たちで、8月から9月にかけて行方不明となった。
  • この地域は8月16日から9月22日までキエフ側の軍隊によって占領されていた
従って、この件は
ということになります。アムネスティのこの結論を疑うべき理由は僕には発見できません。
そこで、次の問題は「40人」「400人」というような数字がどこから出てきたのか、ということです。検索していくと、この件に関して、「ラジオ・フリーヨーロッパ/ラジオ・リバティ(RFE/RL)」という微妙なメディアの記事が見つかりました。微妙、というのは名前からもわかる通り、このメディアはアメリカ政府が出資している放送局だからです(局自体は「われわれは政府から独立している」と主張しています)。ですので、100%信用できるというわけではないのですが、とりあえず記事がこちらです。
Murders and Gang Rapes: Moscow Spins OSCE Probe Into Ukraine 'Mass Graves'
RFE/RLによれば、一連のロシアでの報道のソースになっているのは、「OSCEの専門家」として紹介されるEinars Graudinsさんというラトビア人の方なのだそうです。しかし、実際にはこの人はOSCEとは関係がない活動家で、親ロシア、反移民の活動を行っておられる退役軍人のようです(こちらに紹介があります)。
https://www.fakeobservers.org/biased-observation-database/details/einars-graudins.htm
しかも、この方がコメントしたのは、400人が殺されたということではなく、ドネツクの遺体置き場には400の行き場のない遺体がある、ということだったようです。それが、どこかのプロセスで「400の遺体が発見された」という話になったようです。
当時、戦闘のために多くの犠牲が出て埋葬の見込みがつかず、遺体置き場に多くの遺体が滞留してしまったというのは事実らしく、アメリカのジャーナリストの人がそういう記事を書いています。
https://authory.com/ChristopherMiller/Luhansk-Ukraine-City-of-Ghosts-ad1628c617c5347359a2cab8594d55a26
また、この2014年に戦争犯罪が多発したことは事実らしく、これ以外にも様々な勢力による不法な民間人や捕虜の殺害の報告書が見つかりました(規模はおおむね数人というところのようです)。

というわけで、疑えばきりがないのですが、合理的に推測すればこの件は

  • 戦争犯罪
  • 犠牲者は4-9人
  • 何らかの理由で誇張された
ということになるかと思います。以上です。

ロシア軍とマイノリティ兵士(連続ツイートの仮訳)

ロシアの反体制派で、民族的マイノリティの問題を扱っている近代史学者の人が今回の戦争とロシア軍の状態について連続ツイートしておられたので、ざっと訳した。ロシア軍は人口比よりも大幅に多くマイノリティの兵士を使っていて、しかもこの侵攻はロシア民族主義に基づいて行われている。兵士にとっては何重にも割に合わない、という話。こういう視点はこれまでになかったと思う。

連続ツイートのリンクはこちら:

https://twitter.com/kamilkazani/status/1506479259866394625

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ウクライナ戦争でのロシア軍のマイノリティの要素はたいへんに過小評価されてる。第一に、そこではマイノリティは少数派じゃない。負傷者リストから判断すると、マイノリティは弾除けとして戦場に大量に存在してる(続く)」
「ロシア軍全体のデータは集約できない。でもロストフの病院にいるロシアの負傷兵のデータからウクライナで誰が闘っているのか考えることはできる。半分以上があきらかにダゲスタン人だ。負傷者リストに一番多いのは、モグメド(ムハンマド)という名前」
「これは意味が分かる。ほぼすべてのロシアの地方で出生率が高いのは民族共和国か民族自治区だ。コーカサス人とシベリア先住民が徴兵可能な男性を産みだしている。更に彼らはだいたい貧しいので、軍隊に誘惑されやすい」
「これは地方レベルで見ると国全般に言える。社会人類学者の@TBaktemirが研究したアストラハン管区について考える。
沢山の民族集団が複雑な人種的ヒエラルキーの中にいる。その67.6%がロシア人、14.8%がカザフ人だ」
「アストラハン管区当局はウクライナで7人が戦死したことを確認している。
Arman Narynbaev
Ali Batyrov
Temirlan Jasagulov
Rysbek Nurpeysov
Anwar Irkaliev
Aynur Nurmakov
Alexander Bezusov
6人がカザフ人で、1人がロシア人。人口の14%のカザフ人が、犠牲者の85%を占めている。ロシア人は67%だけど犠牲者の14%だ」
「なぜか?答えは明らかだ。アストラハンではカザフ人は人種的ヒエラルキーの下位にいる。大部分は貧しい田舎の住人で、教育を受けておらず、現実的な社会移動のチャンスも全くない。この人たちは社会の階梯の市場下にいて、もちろん他の民族から見下されている」
「はっきりさせておきたいが、カザフ人がロシア全体で人種的ヒエラルキーの下位にいるといいたいわけではない。彼らは特定の地方で下位にいる。ここでは彼らは田舎者で、テュルク人やイスラム教徒などのほかの民族もこの人たちとの結婚を避ける。それは下方婚になる」
「アストラハンで恵まれない地位にいるカザフ人が、公式統計によれば、ウクライナでの軍事的犠牲のほぼすべてを占めているというのは興味深いことじゃないか?実際、これは意味がある。ロシア軍は貧しい人とマイノリティの軍隊だ。他に道がないのだ」
「どうやったらロシア軍に入れるか?そう、まず徴兵される必要がある。裕福な人たちはこの段階で除外される。社会的資本を持っている人たちは軍務を負け犬の運命だと思っている。だから、貧しいか素朴で、どうやって(あるいはなぜ)ごまかすかを知らない人が徴兵される」
「それから契約がある。彼らは説得し、恥じ入らせ、誘惑し、騙して契約させようとする。間違って徴兵された社会資本を持っている人は、あらゆる方法を使ってそれを避ける。弁護士や人権活動家に電話する。大抵は逃れられる」
「契約はふつう自発的なので(いつもそうではないが)、当局は地方の田舎者にすごく集中する。第一に、彼らにはプレッシャーをかけやすい。彼らは自分たちの権利を知らない。第二に、彼らは給与で買収しやすい。彼らにはどのみちキャリアはない」
「第三に、彼らは使い捨てにできる。モスクワのインテリの子どもたちが死ぬことを考えよう。それは頭が痛い。彼らの家族は弁護士やメディア、人権団体に電話してインタビューを受ける。地方の田舎者のお母さんは枕の上で泣くだけだ。素晴らしい!」
「これがロシア軍がどんどんマイノリティの軍隊になっていく理由だ。そう、ロシア軍はいつも民衆の軍隊だった。だけどかつては彼らはほとんどロシア民族だった。しかし今では地方にはロシア民族の若者はあまり残っていない」
「当局は中央アジアからの移民を強制徴募したいくらいに人材に飢えている。技術的には、この人たちは契約を拒んでどこにでも行くことができる。募集担当は怒鳴り、罵り、拳を机にたたきつけるだけだ。実際には彼は何もできない。だけど彼らはそれを知らない」
外国人労働者の徴集は絶望の契約だ。それは単に、彼らは入隊しなくてならないと説得し、そうしないと大変なことになると脅すことで行われる。法的な権利があるから大変なことにはならない。だけど彼らはそれを知らない」
「僕が亡命とサボタージュの働きかけを勧めるのはこれが理由だ。すぐにロシア軍はロシア帝国の神話を共有しない、たまたまそこに連れてこられた人たちで一杯になる。彼らのモチベーションはとても、とても低い」
「これは第二次世界大戦でもそうだった。こうした事例は「ソヴィエト人民の団結」の維持のために公表されなかったが、実際には中央アジアの部隊の士気は大変低く、彼らはロシア人よりも多くドイツに集団投降した。彼らはこれを自分たちの戦争だと思わなかったのだ」
「それはわかる。ウズベク人だと想像してみよう。あなたは自分がロシア人だと思うだろうか?もちろん思わない。共産主義を信じるか?そう、当局が命令するからすべての儀式をこなさなくてはならないが、深く内面化しているわけではない。僕はこのウズベキスタンでの富農撲滅運動の写真が好きだ」
「注:僕は普通のマイノリティの話をしているので、チェチェン人の話はしていない。チェチェンは違う。チェチェンはもっと封建的な王国で、普通の軍隊よりは治安部隊のような働きをするチェンチェン人部隊とロシアとの個人的なつながりがある。彼らは監視と統制のためにいて、闘うためではない。ストレルコフはそれを証明してる」
「カディロフは自らチェチェン人は闘わないということを否定しなくてはならない:
「私はしばしばチェチェン人が闘わない、第二列や第三列に行く、または民間人とともに記録を取っていて本当の闘いを避けている、と告発されているという話を読む」。
そして「本当の闘い」の映像を投稿する」
「正直言って、説得力があるとは言えない。彼の姿勢と筋肉からして、この死体は数時間以内に死んだ人のものだ。おそらくこのきれいでぱりっとしたチェチェン人は、カディロフがテレグラムに投稿できたチェチェン人の本当の闘いのだいぶん後にそこに来たのだろう」
「面白い話:ドンバスの軍隊の野戦指揮官であるホドルコフスキーはチェチェン人が本当の闘いを避けていると告発している。それでカディロフの取り巻きのデリムカノフが彼と「話」をした。もちろん、ホドルコフスキーはチェチェン人が絶対に闘って「Akhmad Sila!」と言っているとカメラの前で訂正した。カディロフの部隊は更に内務省軍に似ている。
「本当に戦うチェチェン人はいるが、ロシア側にではない。これはイチケリア移民からなるシェイク・マンスール大隊で、ウクライナのために闘っている。カディロフの動画との違いに注意。これは本物の兵士で、カディロフの治安&PR部隊ではない」
「Z侵攻では、(チェチェン人でない)マイノリティがロシアの民族主義者のために闘って死ぬ。この人たちは何を得るだろう?まあ、同化。このポスターに注目。これは「私はウェールズ人だが、今はみんなイギリス人だ」的なもの。アイデンティティを捨てる人は祝福される」
「マイノリティの立場からすれば、Z侵攻は取引の歴史の中でも最悪の取引みたいなものだ。人々は戦争の不均衡な重みに耐え、多くの犠牲を出す。もしZ侵攻が成功したら、人々は同化を強要され、自治権を失うことになる」
「Z侵攻はだいたいロシアの民族主義者の暴走だ。ウクライナでの成功を許せば、ロシアのマイノリティが次の標的に選ばれるのは明らかだ。簡単に予想できることだ。なぜこの人たちは協力するのか?それが今日話したかったことだ」

吉村市長への反論

はじめに

このメモは、2018年10月2日付で吉村大阪市長からサンフランシスコ市長あてに送られた公開書簡(現在、大阪市のサイトからは削除されています。国立図書館によるアーカイブによって、ここから読めます)に対する反論の試みの一つです。

このメモでは、「4.サンフランシスコ市の慰安婦像及び碑の問題点」というセクションを中心に、歴史認識のテクニカルな論点についての反論を試みました。他のセクションについては検討していません。

全体で9つの反論があります。反論対象の該当箇所は「参照和訳」のPDFファイルのページ数と書簡の抜粋で示しました。

 

1. 日本軍「慰安婦」犠牲者の人数について

 

反論1

[該当箇所]
碑文には、1931 年から 1945 年に日本帝国軍に性的に奴隷化されたアジア・太平洋地域 13 ヶ国の何十万もの女性と少女、いわゆる「慰安婦」の苦しみを証言するものである。これらの女性のほとんどが戦時中の捕らわれの身のまま亡くなった。(以下略)」と刻まれていますが、これは歴史的事実として確認されていない言説です

 

[要約]日本政府は「数多くの」被害者が存在したと認めており、これは碑文の「何十万人」という表現と矛盾しない。おかしいのは吉村市長のほうである。

 

[詳しい説明]吉村市長は、碑文にある「何十万もの女性と少女」という文言を(マグロウヒル社の歴史教科書の「20万人もの」という記述とも合わせて)問題にしている。

吉村市長は碑文の内容を「歴史的事実として確認されていない」と批判する。しかし、日本軍慰安婦被害者の総数が確定できないのは、この点に関する日本軍の資料が破棄されたか、または隠蔽されているために、発見されていないからである。この事実に触れずに「確認されていないから記載すべきでない」と日本側から表明するのは、控えめに言って不誠実である。

また、吉村市長はマグロウヒル社の教科書ついての部分では、20万人という人数を含む記述を「虚偽の記載」「事実とは全く異なる誤った認識に基づく内容」であると批判するが、この意見は1993年に発表された日本政府の調査報告にある「慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる」という記述と矛盾する(なお、書簡のこの部分は2015年8月27日付サンフランシスコ市議会あて書簡からの引用であるが、本文と一体となって主張と展開している部分であるのでこの反論では特に区別しない。以下同じ)。

 

(いわゆる従軍慰安婦問題について(内閣府官房外政審議室) http://www.awf.or.jp/6/statement-03.html

 

反論2

[該当箇所]
碑文には、1931 年から 1945 年に日本帝国軍に性的に奴隷化されたアジア・太平洋地域 13 ヶ国の何十万もの女性と少女、いわゆる「慰安婦」の苦しみを証言するものである。これらの女性のほとんどが戦時中の捕らわれの身のまま亡くなった。(以下略)」と刻まれていますが、これは歴史的事実として確認されていない言説です

 

[要約]学者による人数の推計には2万人から41万人までの幅がある。そのなかで「何十万人」という表現を選ぶことは特におかしなことではない。

 

[詳しい説明]歴史学者による推計には2万人から41万人までの幅がある(言うまでもないことだが、2万人も決して少ない数ではない)。これらの数字は、「日本軍兵士の総数の推計」「日本軍兵士何人につき『慰安婦』が一人いたかの推計」「戦争中にどれほどの『慰安婦』が入れ替わっていたか(死亡、病気、逃亡、満期等によって)の推計」にかかわる。

もっとも低い推計を行う秦(1999)は、日本軍兵士数を250万人、兵士150人に「慰安婦」1人、「交代率」1.5人として総数2万人という数字をはじき出す。しかし、この数字は少なすぎるというべきだ。

吉見義明は日本軍兵士数を300万人、兵士100人につき「慰安婦」1人(1939年の上海第21軍の報告による)、「交代率」1.5人として総数4万5千人という数字を「下限」として計算している(吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』)。吉見による「上限」の数字は、日本軍兵士数を300万人、兵士30人につき「慰安婦」1人(鉱山などの「産業慰安所」の配置状況による)、「交代率」2人として20万人である(吉見義明『従軍慰安婦』)。

なお、これらの数字は日本政府が公式に動員した女性の数の推計であることにも注意が必要である。中国や東南アジアなどでは、現地の部隊が独断で女性を拉致・連行して「慰安婦」にした事例が多数あることが確認されており、この人数を加算すると被害者の推計はさらに大きくなる。 蘇智良による「日本軍兵士300万人」「兵士30人につき慰安婦1人」「交代率4人」という計算による総数41万人という推計はこうしたものだと考えてよい。

こうした数値はもちろんすべて推測の域を出ないが、だからといって数値を過小に見積もってよいことにはならない。20万人という数字が極端に過大だともいえない。

 

(これらの推計については、「女性基金」のホームページにまとめがある。 http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html

 

2. クマラスワミ報告について

 

反論3

[該当箇所]

少し具体的にお話しますと、例えば、いわゆるクマラスワミ報告(クマラスワミ氏による 1996 年の国連人権委員会特別報告)では「慰安婦」を「軍性奴隷」と断じています。

 

[要約]「クマラスワミ報告」についての吉村市長の批判は98年の「マクドゥーガル報告」で解消されている。なぜ古い方の報告書にこだわるのかわからない。

 

[詳しい説明]吉村市長は「具体例を挙げて反論する」箇所で、マグロウヒル社の歴史教科書と「クマラスワミ報告」の2つに対する反論を展開する。このうち「クマラスワミ報告」は、1996年に国連人権委員会に提出されたものだが、実はこの2年後に同じ人権委員会に「マクドゥーガル報告」が提出されており、吉村市長がおこなう批判のほとんどはこの報告書によって解消されている。吉村市長がこの点に全く言及しないのは奇妙である。

 

(クマラスワミ報告について http://fightforjustice.info/?page_id=2469

反論4

[該当箇所]

根拠の1つとして、「1000 人もの女性を慰安婦として連行した奴隷狩りに加わった」という吉田清治氏の告白をあげていますが、吉田清治氏は、一方でこの告白が創作であることを認めており

 

[要約]「クマラスワミ報告」の誤り、として指摘されているものはあまり重要性がない。吉村市長の主張は些細な点をあげつらうものである。

 

[詳しい説明]

吉村市長は「クマラスワミ報告」において、吉田清治氏の(真偽の定かならぬ)証言が取り上げられたことを問題視している。しかし、この証言は「慰安婦」の徴集についての記述(23-31節)のうち、戦争後半の時期について取り上げた第29節の一部をなすにすぎず、セクション全体、あるいは報告書全体に重大な影響を及ぼすものではない。また、同報告書には吉田氏の証言に対する歴史学者秦郁彦氏)の批判も収録されており(40節)、吉田証言を収録したことをもって同報告書を否定することはできない。

また、吉村市長は吉田証言の撤回を理由とした報告書全体の撤回をクマラスワミ氏が否定したことにも触れているが、クマラスワミ報告は日本や朝鮮半島での証言聴取および資料収集によって書かれており、「吉田証言のみに拠って報告書を書いたものではない」という氏の反論はその通りとしかいいようがない。

 

(クマラスワミ報告全文 http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf

 

反論5

 

[該当箇所]

決議の中で特別報告者の作業 を「歓迎(welcome)」し、当該付属文書の報告内容に対しては「歓迎」よりも評価の 低い「留意する(take note)」と触れただけにとどまります。このことが示すことは つまり、クマラスワミ報告本体が最も高く評価されたのであれば用いられたであろう 「賛意(commend)」が示されたわけでもありません。よって国連人権委員会として、 「慰安婦」を「軍性奴隷」と断定する内容を容認(endorse)したものでは決してな いのです。

 

[要約]「クマラスワミ報告」が国連で「歓迎」されなかったから価値が低い、というが、そうなったのは日本政府が強硬に反対したから。吉村市長は20年前の日本政府の主張を繰り返しているに過ぎない。

 

[詳しい説明]

吉村市長は、「クマラスワミ報告」は国連人権委員会において「賛同」「歓迎」よりも程度の低い「留意」されたにとどまる、と指摘し、それゆえにこの報告の価値が低いと主張する。しかし、国連人権委員会が「賛同」や「歓迎」を行えなかったのは、全会一致を原則とするため、日本政府の強硬な反対を退けることができなかったためである。日本政府の反論はほとんど反論の体を成しておらず、抗議文書を撤回する(公式には差し替えとなっている)破目になったが、政府代表は態度を変えなかった。ちなみに、最終的に決議案に投票した56カ国のうち、報告書に反論していたのは日本のみ。

 

(この間の経緯は、http://maeda-akira.blogspot.com/2014/10/blog-post_17.html に詳しい)

 

反論6

[該当箇所]

クマラスワミ報告自体はジ ョージ・ヒックスというジャーナリストによる“The Comfort Women”という著作に多 く依拠していますが、この著作は実証性に乏しいものであると複数の研究者から指摘 されているものだということを、申し添えておきます

 

[要約]

「クマラスワミ報告」について吉村市長が指摘する些細な問題点は、2年後の「マクドゥーガル報告」によって解消されている。吉村市長がこの点に触れないのは奇妙である。

 

[詳しい説明]1998年、国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会は「マクドゥーガル報告書」を採択した。この報告書には日本軍「慰安婦」制度や関係者の法的責任に詳しく触れた部分がある。同報告書はほぼ全面的に学術書、および政府提出の資料にもとづいており、さらに委員会によって「歓迎」されている。あらゆる文書に誤りが生じることは避けられないが、それはしばしば後発の報告によって改善される。吉村市長が「クマラスワミ報告」にだけこだわって、「マクドゥーガル報告」に触れないのは奇妙である。

 

マクドゥーガル報告について http://fightforjustice.info/?page_id=2467

マクドゥーガル報告全文:http://www.awf.or.jp/pdf/0199.pdf

 

3. マグロウヒル社の教科書について

反論7

[該当箇所]
アメリカの大手教育出版社であるマグロウヒル社の高校の世界史教科書「伝統と交流」では、第2次世界大戦を扱った章の中で、「日本軍は 14歳から 20 歳までの 20 万人もの女性を強制的に連行・徴用し軍用売春施設で働かせた」、「逃げようとしたり性病にかかったりした者は日本兵に殺された」、「戦争が終わる頃には、慰安所でやっていたことを隠すために多数の慰安婦を虐殺した」など多数の虚偽の記述があり、事実とは全く異なる誤った認識に基づく内容があたかも史実であるかのように教育現場に持ち込まれています。

 

[要約]

吉村市長はマグロウヒル社の教科書の記述を虚偽であると批判するが、それには根拠がない。

 

[詳しい説明]

吉村市長は、マグロウヒル社の教科書の記述に「日本軍は14歳から20歳までの20万人もの女性を強制的に連行・徴用し軍用売春施設で働かせた」、「逃げようとしたり性病にかかったりした者は日本兵に殺された」、「戦争が終わる頃には、慰安所でやっていたことを隠すために多数の慰安婦を虐殺した」とあることを「虚偽」として問題にする。しかし、これらの記述は日本政府を含む公的機関の調査結果および被害者や目撃者の証言と一致する。他方、日本軍・政府が手厚く病気の治療を行ったり、帰国の支援をしたという証言や証拠はない。

 

(戦後女性たちはどうなったか http://fightforjustice.info/?page_id=2346

 

4.歴史家の意見について

 反論8

[該当箇所]
慰安婦の数や募集における旧日本軍の関与について歴史研究者の間でも議論が分か
れていることは 2015 年 5 月 5 日の『日本の歴史家を支持する声明』の中で米国を中心とする 187 名の歴史研究者らが自ら認めています

 

[要約]吉村市長はアメリカを中心とする187人の歴史研究者の声明をひいているが、その要約は原文の意味を全く逆にとらえて歪曲するものである。

 

[詳しい説明]

吉村市長は「慰安婦の数や募集における旧日本軍の関与について歴史研究者の間でも議論が分かれていることは2015年5月5日の『日本の歴史家を支持する声明』の中で米国を中心とする187名の歴史研究者が自ら認めています」と主張する。しかし、この声明の該当部分は

「確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません」

「歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです」

「特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません」

と述べている。これは、「人数について諸説があっても、女性たちが尊厳を奪われたという事実は否定できない」「些細な用語にこだわっても、女性たち意に反する強制を受けたことは否定できない」という意味であって、吉村市長の主張とは内容が逆であり、この箇所を根拠として声明を否定するのはナンセンスとしか言いようがない。

 

(「日本の歴史家を支持する声明」日本語訳 https://mainichi.jp/articles/20150512/mog/00m/040/022000c

 

 

5.「アジア女性基金」について

 反論9

[該当箇所]

慰安婦の方々へ償い金をお渡しし、総理大臣の直筆署名入りのお詫びの手紙と日本国民からのメッセージを添えて、あらためてお詫び申し上げたほか、女性の尊厳を傷付けた過去の反省にたち、女性に対する暴力など今日的な問題に対処する事業を援助するなどの女性の尊厳事業を行なうことで、日本政府はアジア女性基金とともに、誠実に対応してきたのです。

 

[要約]吉村市長は日本は既に道義的責任を果たしたと主張する。しかし、問われているのは法的責任である。

 

[詳しい説明]

吉村市長は、日本は「アジア女性基金」を通じて日本軍「慰安婦」被害者に対して、誠実に対応してきたと主張する。実際、この基金は道義的な責任に対する日本政府の対応として「クマラスワミ報告」や「マクドゥーガル報告」でも高く評価されてきた。しかし、両報告を含む国際社会の提言が日本政府に対して一貫して要求してきたのは、法的な責任を果たすことである。日本政府は正当な司法手続きによって責任者を処罰し、被害者に対して賠償を行わねばならない。日本軍「慰安婦」制度は、奴隷制度、人道に対する罪、戦争犯罪のいずれか、あるはすべてであるとみなされるが、これらが当時すでに違法であったこと、戦後の種々の条約によって解決されていないこと、およびこれらの犯罪には時効がないことは、マクドゥーガル報告によって指摘されている。また、女性基金からの「償い金」は日本政府も言うように、法的な賠償金ではない。

 

(市民団体による解決への提言 http://fightforjustice.info/?page_id=2477

 

 

維新の政策を読んでみた

日本維新の会の政策集、「日本大改革:経済成長と格差解消を実現するグレートリセット」を読んでみました(広告代理店の手が入ってるらしい、なかなか上手いタイトルだと思います)。
日本の危機のところ

この政策集(というかパワポのスライドです)は、三部構成になっているのですが、全体として「今の日本は危機」「こう改革する」という話になっています(急いでつくったのか、内部学習会の資料みたいな「今後の維新はこうあるべき」というパートも混ざっています)。
まず日本の危機についてみると「経済成長がなく、諸外国に比べて所得落ちていること」「企業の内部留保が多過ぎ、労働分配率が低いこと」「貧困」「少子・高齢化」「教育費の高騰」を挙げていて、まあ普通に社会派です(ちょっと意外)。

税制改革のところ
メインの改革は、「税制改革」「社会保障改革」「労働市場改革」の三つからなります。
税制改革は、減税と制度の簡素化。法人税と消費税を減税し、所得税は10%と30%の二つの税率にします。分離課税や所得控除は全廃します。
金融所得にも普通に課税するために今の逆進性は改善されるのですが、累進課税に触れていないところが根本的にアカン感じがします。所得控除も、障害者控除や寡婦控除などもなくなってしまいます。基礎控除、給与所得控除もなくなるので、ほとんどの人にとっては増税になります。
そして、この結果税収がいくらになるのか、という話は出ていません。たぶん大規模な行政の削減をやらないと無理、な数字になると思うんですが、そこは触れないことにしたみたいです。
ベーシックインカム」のところ
二つ目はベーシックインカムです。これは全国民に月額6万円を支給するというもので(外国籍の方にはどうするのかは触れていません)、その代わりに年金などの社会保障の現金給付を全廃します。
6万円というのは、高齢基礎年金よりもちょっと安い金額なので、それを意識していることは間違いありません。高齢者などには10万円まで増額する、と言っているのですが、予算規模から言って増額は少数の例外に留まりそうです。
年金の2階部分などは継続するというプランなので、その部分を見れば、今の年金制度と違いはありません(医療保険などは継続します。障害年金には触れていません)。
維新のプランでは、この給付がさきほどの増税を相殺します。例にも挙げられているのですが、年収300万円の単身者の場合、所得税額は今の約5万円から30万円に一気に上がります。でも、年額72万円の給付があるので、差し引き42万円ほどがメリットになるわけです。
ただ、「プラン」はこの財源に一切触れていません。ベーシックインカムは100兆円の予算でできる、となっているのですが、これはほぼ日本の国家予算に相当する額です。増税によって賄うのかとも思いますが、それができるという計算は示されていません。
労働市場改革のところ
三番目の労働市場改革は、解雇規制の緩和と再就職支援、雇用保険の強化、労働分配率での法人税の優遇などからなります(「働き方改革」を言い換えるキャッチコピーが用意できなかったみたいです)。
解雇しやすくする代わりに再就職を支援する…というのは北欧型の社会民主主義政策のようにも見えますが、不吉なのは「失業者への権利と義務を課す」という(ちょっと文法的にも不安定な)文言が入っていることです。「福祉を撤廃して勤労を促す」というワークフェアアメリカの貧困層の生活をさんざんなものにしたあれの雰囲気がします。このパートはかなり短いので、拾えるのはこれくらいです。

まとめ

まとめます。労働市場改革の所でも触れましたが、このプランは、全体としてアメリカやイギリスの新自由主義改革と似ています。税制の簡素化や福祉の簡略化、解雇規制の緩和など、いずれも1980年代に登場した「サッチャリズム」や「レーガノミクス」の焼き直しです。したがって、当然のことながらこれによって格差が拡大し、富裕層と大企業だけが肥え太るという社会の到来が予測されます。
そして、このプランのもう一つの大きな問題点は、財政の見通しがないことです。税制にせよ、BIにせよ、どのくらいの財源が生み出されたり、必要になったりするのか、という観点が全くありません。もし維新が政権を取ったら、「再検討の結果、BIは不可能。増税だけする」ということになりそうな気が、僕はします。

選挙雑感

2021年10月31日、任期満了を受けての衆議院選挙は自民党のある程度の退潮という予想された結果と、維新の躍進と立憲民主の後退という一部でしか予想されていなかった結果をもたらすことになった。
ここから見えるのは、日本が新自由主義新保守主義に向けて舵を切ったという事実だ。ただし、これは世界的に見て、特異な現象でもなければ異様な状況でもない。ポピュリズムに支えられた新自由主義新保守主義勢力の台頭は、たとえば2017年にエマニュエル・マクロン共和国前進(党名)が左右の既存政党を一掃したフランスや、2019年に保守党のボリス・ジョンソンが地滑り的勝利を収めたイギリス、そして2016年にヒラリー・クリントンを破ったドナルド・トランプの大統領就任などでも見られた。
新自由主義とは、競争を原理とし、競争を妨害するような規制を排除することで経済の急激な成長を目指す国内政策であり、新自由主義とは、国際政治における「力の原理」を支持し、とりわけ経済的な競争(市場経済)以外の原理を掲げる国々を武力に訴えてでも排除してゆくという国際政策である。ブッシュJr.時代のアメリカのイラク侵攻(トランプの外交チームはブッシュ政権の引継ぎである)、イギリスのブレクジット、トランプ時代のアメリカの反・環境政策、フランスの国内改革などはそのようなものの代表だ。維新の経済、外交関係もそのようなものとして理解できる。日本は新自由主義新保守主義の勢力が中央政界に進出する前段階あたりにいると、大雑把には理解してよいだろう。
特に象徴的なのは大阪の状況で、もちろん、維新はそこで躍進したのだが、辻元清美尾辻かな子という、立憲民主党のリベラル勢力の中心的存在だった現職の女性議員が比例復活もならずに落選するという惨敗を喫した。このことは何を示唆するだろか。
大阪での維新の躍進は、おそらく次の四つの要因に支えられている。1.幹部層の頻繁なメディア露出、2.自民党時代からの事務組織および近年整備された地方議員ネットワーク、3.「変革による成長」という政策アピール、4.万博とIRによる公共投資という実利。
この中で、とりわけ3および4は立憲民主党左派や共産党などには全くないものだ。辻元も尾辻も、そうした主張はほとんどしていない。言い換えると、維新は成長戦略を訴えることによって勝利したのである。
成長戦略を訴えることが効果的なのは、社会が成長とは程遠い状況にあるからである。1990年代以降、00年代の若干の好転はあったものの、日本が常に経済的停滞のもとにあったことは今さら言うまでもない。
だが、その状況は日本だけのものではないし、1990年代以降だけにあるものでもない。近年の先進国の成長率は日本に比べればマシに見えるものの、せいぜい2-4%程度でしかないし、1970年代以降、日本を含めてそれ以前の経済成長を達成できた国はない。
というよりもむしろ、60年代までが異常だったのだ。この時代は、産業革命の頃から続く、農業社会から工業社会への変革と、それに伴う人口の増加が終わった時代である。言い換えると、それ以前の社会に見られた高度成長は、社会の根本的な変化に伴う現象なのだ。それはもちろん一時的な出来事であって、同じレベルの急激な変化が起き続けない限り、持続することはない。問題は、我々がこのあまりにも急激で、あまりにも長期にわたる激変期に慣れ過ぎたために、それを当然だと思い、それを前提にする社会・経済の制度を作り上げてしまったことにある。
新自由主義はこの二つの状況、すなわち、成長の条件が失われているという現実と、成長は持続するはずだ、持続してくれなければ困る、という幻想の間に成立する。
そこでは、「規制」という仮想敵が設定され、障害が取り除かれれば永続的な成長が可能であるという主張がされる。それは、かつての資本主義(自由主義経済)の、封建主義や共産主義との闘いとも重なるもので、きわめてわかりやすい。
問題は、新自由主義のこの主張が全くの幻想であることだ。経済に新しい要素が加わらない限り、社会が急激に成長することはありえない。規制を緩和するとは規制よって生じていた利益を他に付け替えることであり、それは移転にすぎない。新自由主義者はしばしば減税も主張するが、それは課税による分配を市場による分配に置き換えることでしかない。いずれの場合も、富が移動しているだけで、もしかしたらあるかもしれない効率化によるわずかなもの以外、成長につながる要素はない。
現実に目を向けてみれば、維新の成長戦略も、大阪市の資産の大阪府への移管(都構想)や民間への譲渡、万博に伴う公共投資、そしてIRによる外国人観光客の呼び込みからなっていて、特に新規な要素はない。他の野党がそのようなビジョンをもたないのは、それがうまく行くはずがないからだ。維新による「大胆な投資」は、右から左への移転にすぎず(あるいは、この場合は「左から右への」というべきだろうか)、一部の人だけを富ませ、社会全体には大きなマイナスをもたらす結果に終わるだろう。
問題は、日本全体がこの大規模なペテンに進んで引っかかろうとしていることだ。急激な成長という不可能な目標は捨て、充実した再分配政策に基づく、小規模だが持続可能な成長を目指す、というのが左派の主張だったのだが、今回の選挙でこれを主張した共産党立憲民主党は見事に敗北した。日本は、非現実的で無謀な賭けに乗り出そうとしているのである。
これは極端な考察だろうか。だが、全体の傾向がそちらを向いていることは明らかだ。たとえば、今夏の東京都議選では新自由主義的な傾向を持つ都民ファーストが事前の予測を覆して勝利した。兵庫県知事選挙でも維新の新人候補が圧勝した。自民党総裁選挙では、従来の保守派の立場から立候補した岸田氏が勝利したが、総裁就任後は新自由主義的な方向への路線修正を余儀なくされている。思い起こせば4年前にも、希望の党が(選挙直前に失速したとはいえ)センセーションを巻き起こしている。今回の選挙でも、立憲民主党や国民民主党に所属を変えた旧希望の党の党員たちが当選を重ねている。トレンドは明白になっている。他のあらゆる側面でそうであるのと同様に、社会経済体制においても、日本は一度設定された路線から離れられず、状況に柔軟に対応することができないのだ。
とはいえ、実際には新自由主義が勝利することはない。アメリカは4年でトランプを諦め、中道的なバイデンに鞍替えした。マクロンの与党はフランスの選挙で敗北を続けている。イギリスでは、ブレクジットが経済に悪影響を与えつつあり、連合王国の危機すらささやかれている(本稿ではあまり触れていないが、成長経済の環境負荷の大きさも、改めて問題化されている)。日本の新自由主義路線も、持続したとしてあと10年程度だろう。ただ、その弊害は極めて大きなものになろう。ただでさえ高齢化が進む日本には、大きな負担を抱える余裕はない。新自由主義を離れたのちも、弱者の切り捨てがやめられないことは明らかだ。かつての遺産は切り売りされ、おそらく海外に移転している。状況は極めて厳しいものになるだろう。2021年のこの選挙は、大阪の、ひいては日本の没落の本格的な始まりとして記憶されることになるかもしれない。

大阪府のコロナ死亡件数を発生日別にまとめました

大阪府は2020年の12月半ばから、毎日、コロナでの死亡件数を発表しています。ただ、この集計は発表日毎の表になっているので、事象の発生日ごとの傾向が分かりづらいという問題があります。そこで、表をダウンロードして整理しなおしてみました。亡くなった方の年齢と性別もわかりますので、そちらも集計してみています(年齢は「何歳代」という形で10歳刻みで、性別は「男」と「女」のバイナリ値で発表されています)。

作業そのものは単純なのですが、件数が膨大なのでPythonスクリプトを組みました。欠損処理とかが意外と大変だったです(あと、生来の間抜けのせいか、long-covidのブレインフォグのせいか、変数を間違えていて修正でえらい目にあいました。ていうか。僕が悪いです。ごめんpython)。

 

第4波は本当にひどかった

まず、日毎の集計を見ます。大阪府の死亡件数は2021年1月1日から10月26日までで、2439件でした(うち2件は死亡日が不明です)。9月までの月別の平均を取ると265件になります。大阪府の毎月の死亡件数はだいたい7000件くらいなので、その3.8%くらいです。全体の傾向は以下のグラフをごらんください。

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3つの波がはっきりと表れています。死亡は感染よりも1-1.5月遅れて現れると言われていますので、冬の第3波、春の第4波、夏の第5波がとらえられているとみていいと思います。

死亡件数では、春の第4波が圧倒的に多くなっています。ワクチンの効果がまだ表れていないときの感染がどれほど恐ろしいものだったかが分かります。月別に集計すると5月の死亡件数は837件あり、平年の死亡件数の10%を超えています。

一方、ワクチンの接種が進みつつあった夏の第5波では、冬の第3波よりも低い水準の死亡件数になっています。公平に見て、政府の対策は死亡を少なくするという点では効果があったといえるでしょう。

 

なお、日毎の集計データは 大阪府死亡・発生日別 - Google スプレッドシート で、

月別の集計データは 大阪府死亡・月別 - Google スプレッドシート でごらんいただけます。

69歳以下の比率が増えてきている。

次に、年齢別の集計を見ます。傾向がわかりやすいように、死亡件数が少なくなっている時期を除き、第3波(1-2月)、第4波(4-5月)、第5波(8-9月)で集計しました。グラフにすると、第3波、第4波、第5波と進むごとに死亡全体に占める70歳以上の人の比率が減り、それ以下の年齢の人の比率が増えていることがわかります。

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70歳以上の人の比率が減る一方、60代は4.7%→8.2%→13.5%と増加、50代も1.3%→4.1%→10.0%、40代も0.5%→1.2%→6.5%と増えてきています(39歳以下は常に2%以下です)。

春には死亡件数が激増し、それが夏に激減しているのですが、そういうこととは係わりなく、比率は一定方向で変動しています。これは高齢者向けに、ワクチン接種と医療体制の整備を重点的に進めてきたことの成果だと言えると思います。

時期別のデータは 大阪府死亡・期間別 - Google スプレッドシート にまとめてあります。

 

男性の比率が増加している

男女別の集計は、以下の表をご覧ください(画像です)。

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もともとコロナの死亡は男性が多いことが知られているのですが、第5波ではさらに男性の比率が増えました。男性が死亡件数の65%を占めるようになっています。理由としてはいくつかの仮説が思い浮かびますが、今回は年齢、性別、時期の三重クロスを取る余裕がなかったので詳しくは分かりません。

男女別のデータも 大阪府死亡・期間別 - Google スプレッドシート に載せています。 

対策は一定の効果をあげている

感染数が激増した第5波でも死亡件数を減らすことができたのは大きな成果でした。ワクチンの効果は絶大だったといえます。また、医療体制の整備も成果を挙げました。

ただ、春の第4波というインパクトによって対策が進んだとも言え、その前に対策があれば多くの方が亡くならずに済んだのではないか、という思いは残ります。医療の整備も、ワクチンの普及も、あと半年前倒しすべきでした。流行開始から1年後の「対策の遅れ」は言い訳がしにくいと思います。

今後の展望ですが、第5波は完全におちつき、死亡件数も10月に入って激減しています。ただし冬に第6波が来る恐れはあります。特にこれで気になるのは、50代以下の人の死亡件数があまり減っていないことです。感染爆発がおさまっている状況なのではっきりとはわかりませんが、10月のデータを見ると、70代以上の方の死亡の比率にも下げどまりが見られるように思います。


もし、今年の冬の第6波がさらに多くの感染という形で到来するなら、ワクチンの効果を勘案しても、この前の冬と同じくらいの死亡が今年の年末から来年初頭にかけて生じる恐れはあるのではないかと思います。