『科学哲学の冒険:サイエンスの目的と方法をさぐる』戸田山和久

(2005年1月30日刊行,NHK Books 1022,isbn:4140910224



【書評(まとめ)】

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◆“カミングアウト”した科学哲学者,快心のヒット◆

現代の科学哲学の主要な論点がうまく整理されていると思う.著者によると,科学哲学の第1の存在意義は,科学について論議するための〈組織化され制度化されたフォーラム〉を提供することにあるという(p.29).生物学の中でも体系学(systematics)について言えば,生物学者自身がまさにそのような場を『Systematic Zoology』誌とか『Cladistics』誌において提供してきたと私は理解している.

著者の言う科学哲学の第2の存在意義は,「科学を論じる」際に用いられる〈さまざまな概念の分析〉にあるという(p.32).確かに,グローバルに科学を論じる側にある人にとっては,科学哲学にそういう役回りがあることは重要なのだろう.しかし,科学を行なっている者にとっては,何よりもまず科学を実践する際に用いられる〈さまざまな概念の分析〉の方がより身近な重要性をもつ.個人的には,ローカルな科学の内部での概念分析を科学哲学は分担してほしいと思う.生物学哲学は実際にそういう方向に展開してきたわけだし.

本書全体のスタイル−とても理知的な“リカさん”といささか手が早い“テツオ君”の対話形式−はなかなかいいんじゃないですか(キャラクターとしては“リカさん”の方が魅力的だけど).縦書きの一般書にしては内容はもりだくさんで,第2章でのデイヴィッド・ヒュームの〈帰納懐疑論〉はまだいいとしても,同じ章にあるネルソン・グッドマンの〈グルー・パラドックス〉とか,第4章ではウェズリー・サーモンの〈統計的関連性〉の議論まで出てきてのけぞる(学部生相手だと死因になりません?).

かつてエリオット・ソーバー『過去を復元する:最節約原理・進化論・推論』を訳していた頃,訳語の選択に苦しんだ経験がある Screening-off の説明は本書ではとてもわかりやすく書かれている.いたずらに確率論的因果性の数式乱射を演じたりせず,読者の理解を引き出そうという姿勢は点数高し.また,第II部第5章の中心テーマである科学的実在論(著者はこれを支持していると表明する)については,独立性テーゼ知識テーゼのふたつの点に分けた上で,実在論に対抗する「社会構成主義」と「反実在論」との間の仕分けを明確に読者に示している.ここはたいへん勉強になる.

本書は,全体として勢いのある文体なので,するすると3時間あまりで完読できた.イッキに読める科学哲学の本というのはあまりないので,一読する価値は十分にある.それとともに,気になった点がいくつかある.

まずはじめに,帰納についてである.第2章の p.51 の表には,「帰納(インダクション)」の中には「アナロジー」や「アブダクション」まで含まれている.そうすると,けっきょく帰納的推論とは演繹的推論ならざるものすべて,すなわち〈非演繹的推論〉と同義になるのではないだろう.もちろん,言葉の定義の問題だから,とやかくいってもしかたがない.しかし,ここまで間口を広げてしまうと,推論形式としての帰納がかえって捉えがたくなってしまうのではないだろうか.カール・ポパーが否定したのはある言明の正当化の論理としての帰納だったと理解している.それは,仮説をつくる段階での認知心理学的なプロセスとしての帰納や,与えられたデータを説明する最良の仮説を発見するという意味でのアブダクションとは別物として扱った方が理解しやすかったのではないだろうか.

つぎに気になる点は,ある科学理論が「真であるか否か」という点に関して著者がこだわっているところだ(とくに第III部).グローバルな科学哲学とはいえ,典型科学(モデル科学)がないと話が進められない.本書では物理学がどうやらそのモデルとしての役割を果たしているように思われる.しかし,私が関心を持つ進化学とか系統学の世界での「科学の実践」を考えたとき,ある仮説や理論が「真」かどうかっていうのはそれほど大した意味はない.この点から考えると,著者のアブダクションの説明(pp.165-166)の第3項目「したがって・・・という仮説はおそらく正しい」というのは言い過ぎで,そんな余計な制約を科されると困ってしまう.真偽は別として,手元のデータから最良の説明仮説が選択できればそれで十分だとみなす科学(たとえば palaetiological sciences)も現実にはあるということだ.

さらに,観察可能/観察不可能という区別について,本書ではそれをマクロ現象/ミクロ現象にダイレクトに対応づけているように読み取れた.しかし,現象としての物理的スケールと観察可能性とは直接的な関係が必ずしもあるわけではない,進化史の歴史的事象のようにスケールがたとえ地球規模の出来事が想定されたとしても,時空を異にするというただそれだけの理由で観察不可能になってしまう事例はいくらでもある.物理学の概念や理論を念頭に置いたとき,本書の説明はきっと違和感なく読者にしみこめただろうと思う.しかし,その他のタイプの科学の存在を考えたとき,本書にはすなおに納得できない部分もあったことは否めない.

しかし,全体を通していえば,科学哲学に関する著者のスタンスには随所で同意しまくった.たとえば,本書全体の基本方針として,「自然主義」(pp.34, 258)的な態度で科学哲学をやると著者は言う.その通りですよ.「科学についてすでに分かっているさまざまなことをより上手に説明できるか」(p.268)という経験的基準が科学だけでなく科学哲学にもあてはまるという著者の見解は,科学者にとってはごく当たり前な基準であっても,科学哲学者にとっては必ずしもそうではない.だからこそ,この一言が聞けただけで本書を手にした甲斐があったというものだ.

総合点はかなり高いのですが,巻末に事項索引がないのでちょっと減点かな.

三中信宏(2/February/2005)