『「消えゆくことば」の地を訪ねて』

マーク・エイブリー著(木下哲夫訳)

(2006年4月15日刊行,白水社ISBN:4560026173



【書評】

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ウェールズ出身の著者らしく,ウェールズ語を含め,マン島語,ブルトン語コーンウォール語などケルト系の「少数派言語(あるいは絶滅危惧言語)」が本書の中心を占めている.あえなく絶滅してしまう多くの少数言語の実例とともに,蘇生と復活の道を歩みつつあるいくつかの言語のたどってきた道のりについても詳しく書かれている.

保全言語学の類書 —— たとえば,ダニエル・ネトル&スザンヌ・ロメイン『消えゆく言語たち:失われることば,失われる世界』(2001年5月29日刊行,新曜社ISBN:4788507633書評・目次),クロード・アジェージュ『絶滅していく言語を救うために:ことばの死とその再生』(2004年3月10日刊行,白水社ISBN:456002443X目次),デイヴィッド・クリスタル『消滅する言語:人類の知的遺産をいかに守るか』(2004年11月25日刊行,中公新書1774,ISBN:4121017749)などと合わせ読めば,きっと理解の厚みと深みが増すだろう.

第10章「フンボルトの鸚鵡」は,ある南米の絶滅言語の“最後の話し手”がヒトではなくオウムだったというエピソード.出典であるアレクサンダー・フォン・フンボルト新大陸赤道地方紀行(下)』(2003年9月26日刊行,岩波書店[17・18世紀大旅行記叢書【第II期】], ISBN:4000088513)にはこう書かれている:




グアイベ・インディオたちの間で流布している口承では,好戦的なアトゥレ族がカリブ族に追撃されて,大急流地帯の中央にそそり立つ岩山に逃れたという.かつては大人数であったこの民族は,彼らの言語と共に,そこで次第に滅亡していった.一七六七年,ジッリ宣教師の時代には,まだアトゥレ族最後の数家族が残存した.私たちが探査したときにはマイプレスで見せられた年老いたオウムは,「アトゥレ族の言葉を話すから,何をいっているのかわからない」と住民が説明していた.注目に値する事柄ではないだろうか.(第8部第24章,p. 67)



もうひとつ「へぇ〜」なトピックに出くわす.〈エスノローグ〉を公開している機関〈SIL〉について,著者はこう批判している:




何年かおきに SIL が刊行する『民族学』[=エスノローグ]の最新版は,世界各地の言語とその方言,系統,話し手の推定数,主な居住地などを網羅する,きわめて貴重な資料である.研究所は長期にわたり,すばらしい業績を挙げてきた.ところが,その動機には疑問を抱かないわけにはいかない.SIL はプロテスタント系宣教師団体の連合組織,マタイによる福音書と黙示録のいくつかに霊感を受けた「ワイクリフ聖書」ネットワークの一部なのである.・・・端的に言えば,SIL は言語が一斉に消滅できるように,個々の言語の救済に努めていると見てさしつかえない.(pp. 327-328)



すぐには飲み込めない記述なのだが,頭の片隅に置いておこう.

本書で扱われているテーマである「保全言語学」はたいへんおもしろいし,ルポルタージュ的なスタイルもぼくには好ましく感じられる.しかし,訳者はおそらく言語学には通じていないし,何よりも読者に対する配慮が欠けているのが,この翻訳の価値を大きく損ねていると思われる.

前者の欠点については,言語相対主義の偶像が「ベンジャミン・リー・ワーフ」(p. 18)と訳されていたり(後の章ではより妥当な「ウォーフ」と表記されているのに),「形態論」とあるべきことばが「形状学」(p. 77)であったり,訳さなくってもいいはずの『エスノローグ』が『民族学』(p. 29)になっていることから推して知るべし.

また,後者の欠点については,巻末の「出典」リストで,数々の著作の日本語訳への言及がまったくなされていないという点だ.同じテーマで同じ出版社から出ている上述のクロード・アジェージュの『絶滅していく言語を救うために:ことばの死とその再生』への言及すらないとはあきれるばかりだ.もちろんこの原書は文中で挙げられているし,訳書はまったく取り上げないというポリシーでもなさそうだ.著者だけでなく担当編集者も「いったい何やってんの?」という気がする.

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三中信宏(27 June 2006)