「もっとうまく書けるかもという妄執をやめれば速くうまく書ける−遅筆癖を破壊する劇作家 北村想の教え」

読書猿Classic: between / beyond readers(2015年5月4日)
 → http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-759.html

ポール・J・シルヴィア[高橋さきの訳]『できる研究者の論文生産術:どうすれば「たくさん」書けるのか』(2015年4月7日刊行,講談社サイエンティフィク,東京, xii+178 pp., 本体価格1,800円, ISBN:9784061531536版元ページ|原書書評:書評篇実践篇投稿篇共著篇)の見出しにもあるように,文章が書けないことを釈明する「言い訳は禁物」であり,「まずは書く,後で直す」を旨とすべきである.

ワタクシは過去に何冊も本を書いているので,Writer's block というか “スランプ” みたいな状態に陥ることはよくあった.そういうときの弁解なんか何通りもあるのだが,要するに「ちゃちゃっ」と書いてしまえばいいんだ.「もっと調べて,もっと練って,もっとうまく」などと考え始めると,ぜんぜん先に進めなくなる.文章が書けなくなる.まさに「負のスパイラル」ってのに取り憑かれる.四の五の言わず「さらさら」「ちゃちゃっ」と書きましょうよ.

もちろん,かつてのワタクシは執筆上のそういう「拙速主義」に対してはうしろめたさを覚えたこともある.しかし,今ではそういうためらいには不感症になってしまった.なぜなら,書き足りないことや調べ足りないことがあったら,単に「もう一冊書けばいい」だけのことだから.文章を書くことで筆者が負う「負債」は,さらに多くの文章を書くことで償うしかない.そして,さらに積み上がった「負債」はもっと多くの……[以下,無限ループ]

以前,『進化思考の世界:ヒトは森羅万象をどう体系化するか』(2010)の「あとがき ―― かき消せない進化」にこんなことを書いた:

「『生物系統学』以降の私の「思考本」たちは、本書を含めて、いずれもこの問題意識を共有しつつ書かれてきた姉妹本である。この意味で、私はなお未完成の単一仮想本を今も連綿と書き続けているのかもしれない。装幀と造本の上では確かに個別分割された別個の書物であることは否定しようもない。もちろん、本書だけ単独で読んでもらえるようにはなっている。しかし、内容のつながりからいえば、私はこの一〇年あまりをかけて一冊の仮想本を書き続け、なおそれは完結しそうにないという夢想すらしてしまうことがある。」(p. 250)

—— ということで,ワタクシはこれからも一冊の未完の「仮想本」を書き続けていくのだろう.そして,背負った「負債」は際限なく増え続けていく.