「超文学Tの肖像」


    万人にあたえる書、何人にもあたえぬ書
        ――ニーチェツァラトゥストラはかく語りき


思うに、その書物は生まれるべくして生まれたのだろう。超文学的な構想によって企てられた恐るべき書物は全人類に対しての挑戦として投げかけられた。その書物に言及する前に、どのような経緯によって記されることになったのか、どのような人物が記したのかを説明しておかねばなるまい。
著者であるT氏は、生まれて一年にも満たぬうちに母国語をマスターした早熟の天才であった。両親の早期英才教育が劇的な作用をもたらし、よちよち歩きを始める頃には英語を完全に修得していた。その後も、ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、各種アラビア語、中国語、ハングルを苦もなく咀嚼し、それも母国語として使用している者よりも巧みに読み書きしてみせては周囲を驚かせたのであった。十代に差し掛かる頃にはヨーロッパ−アジア言語が綯い交ぜになっているクレオール語にも興味を見せ、錯綜する言語の複合がもたらす倒錯にどっぷりと酔いしれていたのである。
完全に自立した強い精神を持ち合わせていたT氏は義務教育など無視し学校にも通わず、修得した語学力を武器にして世界中の書物を読みあさった。時には、味わい尽くした膨大な知識をもとに論文を仕上げては、偽名を使って国内外の専門誌に投稿し、ささやかな印税を得たりもしていた。どの論文も端倪すべからざる異彩を放っていたため、高名な学者達が集う学会ではもっぱら誰の偽名であるのかが立ち話で交わされたが、T氏は代理人を立てて投稿していため誰もその正体を看破しえなかった。
二十代になるとアフリカ原住民やアボリジニといった少数民族による瀕死寸前の、またはすでにこの世から消え去った言語の研究に没頭し始めた。各国の言語研究所から資料を取り寄せては字形、発音、文法構造の分析に淫した。
二十も半ばを過ぎると言語を極め尽くすため数学に没頭した。これはガリレオ・ガリレイの述べた「自然という書物は数学的記号で書かれている」との箴言に従う彼なりの言語学なのであった。その研究対象は数学だけに留まらず、理論物理学や計算機工学へも見事に昇華させ、T氏がまさに万学の天才であることを証明してみせた。
三十代になったT氏は、もはや書物は読み尽くしたとばかりに、ページを繰る手を万年筆に持ち替え、その驚くべき言語能力を駆使して、アナグラムアクロスティック、回文、同音異義語の繰り返しによる完全韻文詩ホロリーム、特定の音や語の使用を制限したリポグラムといった言語遊戯の技術をふんだんに盛り込んだ小説とも言えぬ文書を取り憑かれたように書き始めた。書くことに熱狂するあまり、その殆どが発表されるに至らなかったが、どれもが文学史上かつてない精巧緻密な迷宮的構造と大胆至極な論理的展開を備えた究極の逸品であった。
後に作品を精読した文学者は口を揃えて、マラルメの構想した世界的書物(ル・リーブル)はT氏の項にページを大きく割かねばならないだろうとの太鼓判を押した。
しかしT氏にとってこれらの小作品は歯牙にもかからない習作にすぎなかったことが明らかになる。齢三十五に達したT氏は、人生は折り返し地点を過ぎたと七十歳にゴールラインを引いて覚悟を決め、残された三十五年をかけた長大な書物を記し始めたのである。最初期に記されたと思われる序文には執筆にあたっての志(こころざし)が記されている。
「私のすべて、すなわち私。言語そのものこそ究極の文学であり哲学である。叡智を詰め込んだ完全なメディアである言語体系としてこの書物を残す。人類文化の究極の混淆として理解されたし」(なお、この序文だけはT氏の母国語で記されていた)
言語は言語それ自体の組み合わせによって表現が進化する。文化交流のある言語同士が組み合わさることもあるが、それは微々たるものである。もちろん平衡状態を破って根本的に言語が変化することも考えられるが、だとしても周囲の環境から逸脱するほどではない。こと環境においてT氏は地球上のどこよりも進んでいた。世界中の語彙を嘗め尽くしたT氏の脳内にて行われた言語進化は、単なる言語化学反応を越え、組み合わせにより展開する臨界点へと達して言語錬金術ならぬ言語核融合とも言うべき状況を創りあげていたのである。
そうやって創りあげられたであろう言語によって書物は記された。完成した書物は、T氏の存在自体が容易に解読を受け付けないことと同じく、果てしない晦渋と謎に包まれていた。こうしてT氏は一冊の書物へと姿を変えた。いわくこの書物の最後の一語を書き終えた所で命の灯火が消え失せたとのことである。こうして数々の伝説に彩られたT氏は、その生涯を終えたのであるが、遺書のように残された書物は伝説をこれだけに済まさなかった。
書物は当然のように印刷所に廻されたが、使われた言語の活字(フォント)が存在しなかったため原稿をそのまま刷るほかはなかった。題名ですらその有様なのであった。
T氏の名を少しでも脳裡に刻んでいた者達はこぞって買い込んだため、たちまちベストセラーとなったが誰一人として内容を理解できた者はいなかった。そもそも題名を解読することも叶わず、その発音すらも深い闇に覆われたままであった。そのためこの書物は様々な異称が装された。曰く「T文書」「エニグマ書」「世界書物」「超文学T」「Tの聖典」「驚異の書」等である。または単純に「書物」といえば研究者の間では容易に通じるのだった。
解読の手がかりとなりそうなのは執筆するうえで残されたメモであった。執筆していた部屋に散乱する構想メモに使われていた言語は何百ヶ国語にもわたり、解読も難渋を極めたが、それによるとこの書物はこれまで人間が持ち合わせていた世界観を覆すような超文学的構想によって練り上がられたものであることが朧気ながらに見えてきた。おおよそ体系が存する学問はすべて包含されているものと推察された。理系や文系などという滑稽な仕切りはそこにはなく、百科全書的知識と綯い交ぜになった科学が華々しい百貨店のような光景を繰り広げているらしかった。その論証には、構想メモからとある理論物理学の難問を解決に導く方程式が発見されたことを記しておけば充分だろう。
それ以外にもメモからは数々の発見があった。ある者は経済的苦境を脱する鍵を見つけだし、別のある者はデカルト、カント以来の西洋哲学の流れを一変させ、なおかつポスト・モダンの潮流をもねじ曲げるような発想の天啓をそこに見いだした。
学者の名を冠すものならばすべてが、まるで遺跡を掘り返す考古学者のように目を輝かせてメモを読みあさった。ただし糸口になりそうなことはあっても、根本的な解決をもたらすことが記されていることはなかった。あまりに散文的でまとまりに欠ける。所詮はメモなのである。ゆえに書物すべてを解読すれば、ただならぬ結果が得られるに違いないとの期待は否応なく膨らんだ。書物を専門に研究する者達はメモから何かが発見されるたびに色めき立ち、難解至極の暗闇の中で弊(つい)えそうになった解読への意欲を再燃させるのだった。誰もがみな、枝を見て森を想像する知的興奮に熱狂していたのである。
こうして書物そのものの解読も盛んになった。
まずはT氏が過去に偽名で投稿した論文に見られる文学的価値を起点にして、各国の文学者が立ち上がり比較文学論に花が咲いた。
数十種に及ぶヨーロッパ言語を複雑に組み合わせたジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」と比較する声もあったが、語彙そのもの創造という観点から一種の暗号文学ではないかとの指摘が高まり、過去にある百科全書的な韜晦を凝らした名著との比較対照が検討され、そこに解読の助けを乞う試みがなされた。
古代ギリシャやローマの文献から始まり、各種の聖書や聖典、神聖世界を旅したダンテ・アリギエーリの「神曲」、ルネサンスエピステーメーを脱し表象文化の先駆けとなったミゲル・デ・セルバンテスの「ドンキホーテ」、驚くべき知識の輻輳体であるロバート・バートンの「憂鬱の解剖」、いわゆる小説と呼ばれるジャンルの開祖であるサミュエル・リチャードソンの「クラリッサ」、脱線が脱線を呼び目眩く笑いの渦に飲み込まれるローレンス・スターンの「トリストラム・シャンディ」、哲学と文学とが激しく往来し小説を軽々と飛び越えた果てに壮大な愛を謳ったフリードリッヒ・シュレーゲルの「ルティンデ」、数学的構想に彩られたノヴァーリスの「ザイスの学徒」、観相学に暗示を受けてあらゆる種類の人間を書き尽くそうとしたオノレ・ド・バルザックの一連の人間喜劇、広大な宇宙をひとつの小説に集積せしめたエドガー・アラン・ポオの「ユリイカ」、海も鯨もひとつの哲学的な舞台装置へと変化せしめたハーマン・メルヴィルの「白鯨」、人類の歴史は一冊の世界書物の為に存すると喝破したステファンヌ・マラルメの著作、T氏の掲げる超文学の実質的祖先と言えるホルヘ・ルイス・ボルヘスの著作、知識をデータベースから再構成する方法論で書かれたイタロ・カルヴィーノの「宿命の交わる城」、ありとあらゆる文学作品が俎上に載せられ、ありとあらゆる角度から比較がなされた。
行き詰まっていたところへ颯爽と日本古典文学の専門家が現れて平賀源内の「根南志具左」を高らかに掲揚してみせた。またある奇特な翻訳家は小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」と夢野久作の「ドグラ・マグラ」の驚嘆に値する英訳書を携えて議場に駆けつけた。確かにミステリ的な解読も考えられるとコナン・ドイルシャーロック・ホームズシリーズからウンベルト・エーコの「薔薇の名前」、ウラジミール・ナボコフの「青白い炎」などもが書物への手がかりではないかと期待され、さまざまな断面から再分析された。しかし実際の解読となるとまるで成果は実らなかった。T氏はそのどれをも参考にしていなかったであろうし、どれをも参考にしているとも言えた。
書物の解読それよりも、こうしてさまざまなジャンルの文学が一同に介して祝宴が催されたことによる世界的文学交流が、今までの混濁忸怩たる学問状況を突破する起爆剤となり、特に異端と称されていた学者達は機会を与えてくれた書物に感謝の念を捧げたのだった。
美術史家や演劇界、哲学者達もまた興味をそそられていた。かのヴァールブルク派の衣鉢を継ぐ学者達に言わせれば、この書物は世界劇場に相当する記憶術の一環であり、世界の大いなる知識の術を詰め込んだ百科全書なのであるとのことだった。
これもギリシャのシモニデスの記憶術に始まり、ライムンドゥス・ルルスの「大いなる普遍究極の術(アルス・マグナウルティマ)」および「小さな術(アルス・ブレヴィス)」に天啓を得て、この教説を実用的なものに仕上げようとしたアタナシウス・キルヒャーの「大いなる結合の術」や普遍言語の嚆矢であるジョン・ウィルキンズによる「実在文字と哲学的言語」、またライプニッツの著した「普遍記号論(キャラクテリスティカ・ウニウェルサリス)」を引き合いに出し、ヴォルテールディドロダランベールといった百科全書派の夢想を突き抜けて、ロマン派に流れる幾何学的潮流に沿いながら、象徴主義マラルメの世界的書物やヴァレリーの「カイエ」へと至り、果てはジョージ・ブールの研究成果であるブール代数やブール推論、ゲーデル不完全性原理までもが解釈のシステムに組み込まれ、書物をタブロー空間と見立てて解読しようと試みられた。しかし、そこから派生する膨大な組み合わせ爆発には辟易するしかなく、これは人間の手に負えるものではないと匙を投げることになった。
そこで情報数学と計算機工学の学者グループが、軍事用に開発された暗号解読を得意とするスーパーコンピュータを並列に繋ぎ、力ずくで解き明かそうと企てたが、プログラムはおろか、アルゴリズムの設計すらもままならなかった。しかし開発過程で生まれたルーチンの一部は自然言語認識アルゴリズムに生かされることになった。同時に忘れ去られていた結合術の基礎知識も見直され、ひとつの哲学的地位を得ることになったのだった。
何万人、いや何十万人という人間が書物と関わりを持ち、読み解こうと意気込んだが、そもそも書物がいかなる方向のものであるのかが分からなかった。なんらかの理論書なのか、哲学書なのか、はたまた小説なのか随筆なのか、見当もつけられない有様なのであった。
そこで世界中の有能な言語学者が集って侃々諤々の意見交換を酌み交わしたが、その文法構造の糸口すら見つけることができたものはいなかった。もっとも全文の解読に成功したと、のたまう輩も跡を絶たなかったが、殆ど妄想の域であり検討するに値しなかった。
果てには、この書物は元々妄想の産物なのだと切り捨てる学者も一人や二人ではなかったが、熱病に罹ったようにこの書物を研究する者達に黙殺された。
架空の言語は架空の言語を参考にしなければならないだろうという考えから、トマス・モアの「ユートピア」に現れるようなユートピア言語との比較がなされた。シラノ・ド・ベルジュラックの「月世界旅行記」に出てくるような音楽言語といった様々な形で理想化されていった普遍言語や、人工言語の筆頭であるザメンホフエスペラント語、シュドールの開発した音楽語ソルレソル、シュライヤーによるヴォラピュクなどとの関連も検討され、中国に生を受けた神童、江希張が弱冠十歳の時に著した奇書「大千図説」に数々登場する宇宙言語との比較もなされたが、まるで目算を外していることは明かであった。
結論としては、世界に数多あるどの言語規則にも当てはまらず、かといってや自閉症患者が創造するような奇怪な錯綜言語とは違い、単純な国語の置き換えや、まったくのデタラメなのではなく、ひとつの言語として立派な規則体系が組まれているようである、とのことであった。
それを受けて、もしや未解読言語を参考としているのではないかと穿ったマチュア碩学が更なる研究に乗り出した。未解読言語には古代クレタ島の線文字Aやインダス文字、原エラム文字などがあげられる。T氏がそれらの言語を独自に解読し、書物の執筆に応用したとも考えられたが、やはり確固たる類似性は認められなかった。
要するにこの書物に使われている言語は、使用者がたった一人であり、その使用者の持ち合わす叡智がすべて組み込まれた途轍もない哲学的な言語であることは間違いなかった。恐らく言語混淆の境地に漂っていたT氏は、自分が考え抜いた知識を現存する言語で表現することは不可能と感じ、言語核融合の結果として哲学的言語体系を創りあげたのだろう。まるで宇宙人の言語である、との形容が的確であった。それでもなお人類の言語が基底にあるならば、解読する術は残されているだろう。輝かしき叡智が隠されているならば、なおのことである。そこで研究者達は数学者ダヴィット・ヒルベルトの言葉を噛みしめることになるのだ。「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」と。
書物解読が停滞し続ける間にも構想メモの解読は進み、沸き立つような成果を上げていた。少なくとも構想メモがある種の情報を排出する限りは、あらゆる学識者が書物自体の研究を投げ出すことはないだろう。また研究自体がなんの成果も上げられなくとも、副次的な作用が人類に恩恵をもたらす限りは、麻薬中毒者のように研究を続ける他はないのだ。
今のところ書物の一文一行どころか、単語ひとつですら解読できたという報告はない。しかし書物によってもたらされた学問の混淆と文学的かつ文化的発展の成果を疑うものは誰一人としていないだろう。思うにT氏の超文学的な構想の悲願は、そのすべてとはいかずとも、少なからずは達成されたのである。