壊れる芸能人 2

 マツケン・ヒトシくん問題で、いくつかコメントをいただきました。応答は長くなりそうなので、日記で書くことにしました。

 彼らが出る番組をすべてチェックしているわけではないので、「いつからやっている」という点でご教示いただいたことには、感謝いたします。とはいえ、私はそのようなことを問題にはしておりません。「いつから」とか「どの番組」というのではなく、彼らがエンターテイナーとして、それぞれ本流(と思われる)の仕事(役割)以外の部分、それもギャグ的な部分に、なぜかかわるようになったのか、という点が気になるのです。
 以前に書きましたが、結局テレビなんて、観る側の欲求から逆算して番組をつくっているわけです。そして「製作側のネタ枯渇」が発生すれば、観る側にウケて、かつ変化のあるネタを提供せざるをえなくなります。それで、意外なことをやり、意外な人物を起用しよう、ということになるのでしょうね。そして、ヒトシくんに「草野ランドに出演していただけますか」というオファーがいきます。
 ここまでは「製作側のネタ枯渇」とクールに見ることができますが、ここから先の出演するかどうかという部分は、ネタ枯渇では説明できないような気がします。それは、昨日も書きましたが、マツケンやヒトシくんレベルの芸能人であれば、「ネタ切れだから、出てください」といわれても、嫌だと思えば断ることができると思われるからです。つまり、ふたりに関しては、製作側や観る側の論理とは関係なく、単純に「面白そうだから、出よう」と考えているように、私には見えたりします。さらに、「これまで築いたイメージはあるけど、そんなのもういいや」という姿勢も見受けられます。
 昨日は「壊れる」という言葉をつかいましたが、ようするに「そんなのもういいや」という人に、どうも私は惹かれてしまうのです。そういう人に、アイロニーを感じてしまう。テレビでは、ふたりはあえて壊れているのだが、観る側にはベタに壊れているように見える。その観る側のベタさを外側から眺めつつ、壊れた振る舞いをつづけていく。面白いじゃ、ありませんか。

 こうして私が惹かれるタイプの人物があきらかになってしまったわけですが、そのことは、双風舎の執筆陣を見ていただいても、すこしわかっていただけるような気がします(「俺は(私は)そうじゃねぇよ、バカヤロー」といわれてしまうかもしれませんが、あえていいましょう)。

 というわけで、マツケンとヒトシくんという愛すべき人たちをテーマに、日記を書いてみた次第です。他意はありませんので、あしからず。

カンボジアで監禁事件がありましたね

 昨日、カンボジアのシエムレアップ(アンコール・ワットのある町)で、監禁事件があったようですね。テレビで「カンボジア」のネタを見聞きするのは久々だったので、ちょっと驚きました。そして、ニュースを見ていて、日本人がからんでいるから、カンボジアのネタであっても報道していることがわかりました。
 前から不思議かつ違和感を感じていたのですが、海外で飛行機が落ちたり、大きな災害があったり、事故があったりすると、ニュースでかならず「日本人は含まれていませんでした」とか「日本人の何人が亡くなりました」とか伝えますよね。それって、どういう意味があるのでしょうか。
 逆に、日本人がからんでいないと、けっこう大きな事件や事故が海外で発生しても、報道されなかったりする。極端にいってみると、日本人がらみの小さな事故と、国際的には重要である大きな事故が発生した場合、日本の報道だと前者を優先して報道することが多いですよね。
 これだけ日本の社会が成熟して、人の流動化が激しくなり、自己責任で海外に出る人が多くなっている時代に、いまだ報道が「日本人が……」をかなり重視しているのは、なぜなのでしょうか。「だって、俺たち日本人じゃん。だから日本人の動向が知りたいじゃん」ということなのかなぁ。まあ、知りたい人がたくさんいるから、報道されるわけですが……。
 カンボジアで番組協力していたときに痛感したのは、制作側がいかに「日本人がらみ」のものを求めているか、でした。そんな提案が出されるたびに、「カンボジアで日本人を取材してもつまらないので、カンボジア人を対象にしましょうよ」と、私は皮肉をこめていいました。
 うまく表現できませんが、とにかく「日本人が……」報道には違和感があるんですよね。
 
 以上、またまたどうでもいい話でした。
 原稿が届いたら、編集作業の実況を再開します。


追記… ここまで書いてから朝刊を読みました。すると誌面に、知人のFさんとカンボジア人妻の名前があった。娘さんがインターナショナルスクールにかよっていて、お子さんは運よく脱出できたとのこと。
 私はカンボジア滞在中、上智大学のアンコール遺跡調査団で社会調査を担当していました。建築の専門家であるFさんと私は、灼熱の日差しの元、現地で苦楽をともにしました。そんな彼の子どもが事件に巻き込まれていたなんて……。
 「日本人が……」ということではなく、個別具体的に知人が事件に巻き込まれていたのがショックでした。とはいえ、新聞を読まなければ、そのことがわからなかったわけですよね。わかったから、何ができるわけでもありませんが。
 電話くらい、してみようかなあ。