仲正昌樹さんによる『日常・共同体・アイロニー』の「まえがき」をアップします

 宮台さんと仲正さんの共著『日常・共同体・アイロニー』(双風舎)が出てから、すでに半年くらいたちました。
 最近、仕事の都合で、グーグルにて「仲正昌樹」を検索する機会が多いのですが、かなり上位に宮台さんによる同書の「あとがき」が引っかかることに気づきました。気づくのが、ちょっと遅すぎたような気もしますが……。
 そこで仲正さんに相談したところ、いまさらながらこのブログで、同書の「まえがき」の全文を掲載しようということになりました。
 まだ同書を買っていない方は、まずは仲正「まえがき」と宮台「あとがき」を読んでみてください。そして、面白そうだったら買ってください。よろしくお願いいたします。

 宮台真司さんによる『日常・共同体・アイロニー』の「あとがき」は以下のページです:
 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=192

 では、以下は仲正さんによる「まえがき」です。どうぞお楽しみください。

 『日常・共同体・アイロニー』まえがき by 仲正昌樹


 「宮台真司さんとトークセッションをしてみませんか」という話が双風舎の谷川さんからあったのは、2003年の暮れであった。三省堂本店でおこななわれた、宮台さんと情況出版の前社長の古賀暹さんによる「北一輝アジア主義」についてのシンポジウムで、私がコメンテーターをしたときのことだった。システム理論を中心とする理論社会学と、サブカル系のフィールドワークとのあいだで器用にバランスを取りながら、いろいろな「立ち位置」で過激な発言を続ける「宮台真司」という特異なキャラクターには、ずっと前から関心を持っていた。とはいえ一対一で話す機会があるとは思っていなかった。
 本書を手に取っている読者もそう感じているかもしれないが、私自身も、宮台さんと私では住んでいる世界がかなり違うと感じていたのだ。東大の文系大学院出身で、大学教師をしており、いろいろと雑多な領域で専門が何なのかわからないような言論活動をしている、というところまでは共通している。しかし「非日常性に惹かれる若者たち」のオピニオン・リーダー的な役割を演じている宮台さんと、わかる人だけわかればいいという調子でちまちまと皮肉ばかりいっている私とでは、体質が根本的に違うという認識だった。
 古賀さんが情況の編集長だったころ、「あんたには、日本の左翼の思想界を背負って立ってもらわなければならないんだから、もっと宮台真司みたいに若者に好かれるようにやってもらいたい」とよくいわれていた。だが私は左翼にも若者にも無理に好かれたくないし、向こうも好いてくれないだろうと思って本気にしていなかった。あまりポピュラーにならないので、ひがんでいるだけだといわれそうだし、実際、そうなのかもしれない。とにかく、まわりへのウケを気にしながらポピュラーになってもしょうがないと私は思ってきた。
 ヘーゲルの主/僕の弁証法でいうと、「僕」の立場の者たちによって、つねに「承認」されていないかぎり「主」であり続けることができない「主」は、「僕」以上に“僕”的な従属状況に置かれている。「宮台真司」とは、「私」にとってアクセスできないし、アクセスすべきでもない「向こう側」を象徴していたような気がする。
 「アジア主義」に関するシンポジウムのコメンテーターを引き受けていながら、こんなことをいうのは無責任かもしれないが、宮台さんの「アジア主義」論に関しても、「そんなことを、ほかのアジアの人が望んでいますかね」という趣旨のことをいって、まぜっ返してやろう、と最初から決めていた。実際、そういう言い方をした。「西欧近代」を尺度にしてしか、物事の是非を論じられないリベラル左派の知識人に刺激を与えるために、「アジア」という対抗モデルを持ち出すことの意義はそれなりに理解していたつもりだ。しかし日本人だけで「アジア主義」を語りはじめたら、結局、日本のナショナリズムの拡張にしかならないと私は思っている。
 元統一教会信者がこんなことをいうのはヘンかもしれないが、私は超越系の思考が苦手なのだ。「近代の超克」にかかわった廣松渉の思想的弟子として、彼が晩年にいい出した「アジア主義」を本格的に継承・発展すべきことを説いていた宮台さんにとっては、いわずもがなのことをわざわざ口にして、場をシラケさせる私は、長期的な政治戦略がわからない「うるさい皮肉屋」に見えたかもしれない――もっともそういうことは、戦略家の宮台さんにとってはすでに織り込みずみだったかもしれないが――。
 以上のような経緯から、自分とは異質な「宮台真司」というキャラクターと話しをしてみたいのやまやまなのだが、正直いって、たぶん宮台さんのほうがあまり乗り気でないので、企画が流れてしまいそうな気がしていた。谷川さんから「宮台さんは了解してくれてますし、けっこう乗り気のようですよ」といわれても、何だかリップサービスっぽい気がして、さほど実感がなかった――元新興宗教信者のくせに、やたらと疑り深くて申し訳ありません――。それで、あまり実感がないまま日程を調整して、トークセッションをすることになった。年長の、自分よりもかなり有名な人と対談や座談会をするときには、「〇〇さんの胸を借りるつもりで、思い切って……」とまえがきやあとがきで書くのが論壇・文壇の礼儀・慣習のようになっているが、あいにくそういう殊勝な気分ではなかった。いまから殊勝なふりをするのも私の柄ではないとも思う。それに、私が殊勝だと、キャラクターの組合せを考えて本を編集している出版社にも申し訳ない。
 このように終始ひねくれた態度を取っていた私に対して、宮台さんは、メディアで流布しているイメージとは違って、非常に「紳士」的であった。いまとなっては、大学の先生なんだから、あれが普通なのかなという気もする。とはいえ「仲正さんが、さきほどおっしゃいましたように……」「ここで、お書きになっていらっしゃる……」という感じのしっかりした敬語を一貫して使っていたのが意外だった。あまりしっかりしていない敬語と、タメ口が交じったような口調になると思っていたからだ。私自身は、自分よりすこし若い人と話をするときには、そういう調子になる――「〜おっしゃる」的な表現を使うべきことは、さすがの私にもわかっているのだが、何となく口はばったいので、わざと下手な言い方をしてしまう――。
 トークのあいだも、宮台さんがずっと紳士的な態度で、私の話をよく聞いたうえで話を合わせてくれているのが、印象的だった――この本を読んでいる人には、かならずしもそう見えないかもしれないが――。有名な論客にありがちの、相手の「立ち位置」をあらかじめ強引に規定したり、最初に揚げ足を取って心理的ダメージを与えてから、うまく操縦してやろうとするような態度は見られなかった。そういう小細工をしないで誠実に相手の話を聞くのは、当然といえば当然のことかもしれない。しかしながら、イヤミな論壇人たちをすこし離れたところから見ているうちに、「単純なわかりやすさ」を求めるダメなファンを引き付けている有名人なんてロクなものじゃない、と腹の底で思うようになっていた。だから、もっともポピュラーな立ち位置系社会学者「宮台真司」の“普通さ”がかえって新鮮だった。私のほうがずっと、“宮台真司的”だったかもしれない。
 「私」の「宮台真司」像が形成されたのは、青少年問題をテーマにした『朝まで生テレビ』だった。ブルセラなどにかよって小遣いを稼ぐ(大人には)「理解できない」女の子について、フィールド・ワークをやっている新進気鋭の社会学者として宮台さんが登場してきたときのことである。当時の私は、11年半ほど入信していた統一教会を辞めて、(標準より7年遅れで)本格的に大学院生生活を始めたころであった。四畳半の部屋にはテレビを置いていなかったので、テレビの音が聞けるラジオで宮台さんのトークを聞いた。テレビが買えないほど貧乏ではなかったが、部屋が狭いし、電気代がかかりそうだし……。くわえてテレビの世界に影響を受けすぎると、自分が惨めだと感じるようになるかもしれないと思っていたからだ。
 90年代後半以降に宮台ファンになった人には想像しにくいことだろうが、あのころの宮台さんは、いかにも東大の社会学の頭でっかちの院生が、パンピー(一般ピープル)には一言も理解できないような難しいシステム理論系のジャーゴンで、「若い子」たちの「現実」についてとうとうと語っていた。当時は私自身も駆け出しの院生で、社会学を専門的にやっていたわけでもないので、正直いって、語っていた内容がよく理解できなかった。
 ただ宮台さんの口調が、いかにも東大文系に典型的なものであることだけはすぐにわかった。単調だけど微妙な抑揚のついた独特のリズム。やや甲高い声。きわめて専門的なことを、まるで暗唱しているかのように、すらすらと語っていく。「声だけ」だったので、余計にそのイメージが強かった。東大の知的にスノッブな院生の集まるゼミに一度でも出たことのある人は、「ああ、あれか」とすぐにわかるはずだが、そうじゃない人にはなかなかイメージできないかもしれない。当然のことながら、一般の聴衆には何をいっているのかわからなかっただろうし、そもそも、宮台さんが何者かも理解できなかったかもしれない。東大の頭でっかちの院生をいきなりテレビに出して、しゃべらせたら、たぶんあんな感じになるのだと思う。
 アナウンサーから感想を求められたスタジオの一般聴衆のひとりが、「みなさん、話があまりにも抽象的で、現実ばなれしていますよ。宮台さんとおっしゃるんですか、あなた、もっとしっかりしてくださいよ」といったら、宮台さんが、やや興奮した声で、「私は若い人たちのことについてフィールドワークをやっいて、あなたなんかより、ずっとよく知っていますよ。公的機関にも調査に基づいた提言をおこなっています」という趣旨のことをいっていた。反論されたり批判されると、「僕はフィールドワークをやっていて、ちゃんと現実を見ているよ。これは現場で実証された理論なんだ」という調子でやたらとムキになるになるのは、「やや左翼的」な東大文系のエリート学生に脈々と引き継がれている重要な特徴だ。過去のことを引き合いに出して、本当に失礼だと思うが……。
 だから「いかにも東大の人だなあ、あれじゃテレビ受けしないだろう」と思った。しかし、そのうちに声だけで認識した「宮台真司」が、いろいろな「軽いメディア」で、芸人さん的な「軽いパフォーマンス」をしながら登場するようになって、私には意外な気がした。パフォーマンスを学習する能力が高いことに関心すると同時に、よくここまで柄にもないことをやれるな、と思った。
 宮台さんがメディアに登場して以降、きわめて抽象性の高い社会学・社会哲学の理論研究をやっている人が、サブカル的なパフォーマンスもまじえて、アカデミズムからかなり遠いところにあるメディアに出てお喋りするのが、わりと当たり前になっている。一般のメディアに専門家として登場して、情報提供する社会科学者はかなり以前からいたはずだ。とはいえ、アカデミズムとサブカルチャーを、自分の「身体」まで動員したパフォーマンスで繋いで見せる荒業をやってのけたのは、宮台さんが先駆けではなかったのではないか。いまは、正統派エリートだったはずの社会学者や哲学者が、過激なパフォーマンスをやって話題を呼ぶのは、それほど珍しいことではなくかったが……。
 ドイツ思想史という斜陽一方の分野で、かなり遅れて院生になった「私」は、そういう「宮台的なもの」に対して、いうまでもないことだが、憧れと同時に反発を感じていた。もともと、普通の人には到底できないような理論をやっていながら、一般ウケしてしまうメカニズムというのが、どうにも不可解だったのだ。別にそのまま真似したいとも思わなかったが、あのようにウケル人たちと、自分はどこが違うのか、折に触れて考えてみた。
 専門がすこし違う人がごく普通に読んでみたら、絶対に面白いとは思えないものを書くような人が、「何らかのきっかけ」により思想ジャーナリズムで注目され、話題の中心になる。そのときの勢いで、その人物の「立ち位置」に注目が集まるようになると、あとは芸能人と一緒で、何をいおうとやろうと、注目が集まるようになる。だが、その最初の「何らかのきっかけ」というのが、なかなかわからないのである。おそらく、2ちゃんねるやブログ日記などで、宮台さんや北田暁大さん、東浩紀さんなどを上げたり下げたりしてうさをハラしている「恵まれない院生」たちの多くが、不思議に思っていることだろう……。「どうせ記号だから何でもいい」というわけにはいかないらしい。
 たとえば、宮台さんが社会学者としてデビューしたころは、システム理論全盛期で、「システムの自己完結性」とか「コンティンジェンシーの縮減」とかについてとうとうと語れる人間は、エリートとして注目されていた。しかし、いまとなってはパーソンズルーマンには、ウェーバーデュルケーム並みの――つまり、訓詁学者のあいだだけでしか通用しない――リアリティしかなくなりつつある。現時点では、ルーマンを引きこもり問題やイラクへの自衛隊派遣問題などに応用して、マスコミに華ばなしく登場する人物がいるとは想像できない。
 東さんが出てきたときは、デリダに人気が集まっていたが、いまでは自称本格哲学者が大学三年生レベルのかなり稚拙なデリタ批判を書いても、どこからもクレームが出てこない。カルチュラル・スタディーズの「エージェンシー」論なども、そのうちにみんなから忘れられてしまうだろう。あとになってみると、抽象的で難しく、パンピーに縁がないのは同じなのに、特定の理論潮流だけがなぜかウケル。北田さんや宮台さんのおかげで、最近、ロマン派にほんのすこし注目が集まっているようだが、もともとドイツの初期ロマン派をやっていた「私」にとっては、冗談としか思えない。
 こんなことばかり書いていると、読者には皮肉にしか受け取れないかもしれないが、そういう「宮台的なもの」を見てきた「私」は、よきにつけ悪しきにつけ、「宮台的なもの」を参照しながら、自分のスタイルをつくってきたと思う。べつに、全面的に反面教師だというわけではない。自分の専門領域には固執しないで、機会さえあれば、どこにでも出ていって発言するというスタンスは、たぶん「宮台的なもの」から影響を受けているのだと思う。
 ただ、私は「宮台的にはなれなかった人」なので、「無理して一般人のウケを狙うようなマネはよしておこう、疲れるだけだ」と心がけるようにもなった。子どものころは、俳優やスポーツ選手、政治家などの華ばなしい職業に憧れていても、自分とその手の人たちとは「違う」ということがわかってしまうと、さほど羨ましくも嫉ましくもなくなるのと同じような感覚だ。長い時間、リハーサルなどで拘束されたり、プライヴェートでも愛想を振りまいたりするのがイヤでたまらない人間は、たまたま芸能人になれたとしても不幸だと思う。そして「宮台的」になるということにも、そういう側面があるような気がする。
 「私」にとっては、くだらない悩みごとを深刻ぶって語ろうとする最近の学生は、ウザクてしょうがいない。また、ファンもどきの無邪気な悪口を、有名税と思って平気で受け流すこともできない。我慢できそうになかったら、最初から無視するし、たまたまくだらない話を耳に入れる輩がいたら、思いっきり不快そうなふりをして、以後は寄せつけないようにする。たまたま「宮台的」になってしまっても、「私」にとっては不幸だろう。「そんなこと、もっと有名になってからいえよ」といってくるバカがいそうだが、一応、大学教師を職業とし、雑誌などの編集にも関わっているおかげで、あまり有名にならないうちに、そういうことをかなり学習してしまった。
 いろいろと思い返してみると、「宮台真司」という特異なキャラクターは、学者としての「私」にとって、エディプス三角形の「父」の位置に相当する存在するのかもしれない。いろいろな面での「父」がいたが、こういう文章を書いている「私」のひねくれ方は、どうも「宮台真司」というイメージとの関係に規定されている部分が多いような気がする。そして、トークセッションで実物にお会いしてみて、やはり「宮台真司」というのは、「私」にとって到達できないし、到達すべきでもないモデルであるという印象が強くなった。
 「私」には、不特定多数の聴衆の「まなざし」を引き受けながら、急に超越するようなキャラクターを演じることはできない。根が深いのか趣味なのかわからないような、多くの悩みに応える心構えもない。「宮台真司」を演じ続けるのは、疲れることなのだろうなあ、とつくづく思う。あの丁寧で紳士的な語り口を聞いていると、メディアにあらわれている「宮台真司」像の背後から、もうひとりの宮台さんがときおり顔を覗かせているような気がしてきた。そっちの「宮台さん」は、意外と「私」に近いところがあるのかもしれない。
 これでは、まったく「本」の導入になっていないが、宮台さんとお話できたおかげで、自分自身のことがいろいろわかったような気がする。トークセッションの中身も、「父の像」に向かって勝手に語りかけているようなチグハグな感じになっていると思う。そういうチグハグさと、すこしだけ病的な感じがあったほうがいい、という人たちには、この本はお薦めである。

日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界

日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界