「公務員が……」っていうけれど


朝、テレビをつけたら、みのさんが「公務員は、けしからん」と怒っていました。
で、午前中のワイドショーを見ても、夕方のワイドショー的ニュースを見ても、公務員が起こした事件や事故をあげつらい、「けしからん」モードで報道していました。


一連の報道を見ていて、気づいたことがあります。
そういえば、少年犯罪が集中的に報道されたときも、こんな感じだったなあ、と。
マスコミは、まったく懲りずに同じことをやっているんだなあ、と。


目印になる(ネタになる)ような事件・事故が起こると、事件・事故の重大さや凶悪さよりも、誰がそれを起こしたかを意図的に拡大して取りあげる。1社がそれをやると、次から次へと他社も同調し、メディアスクラムになる。


少年犯罪のときには、少年たちの誰もが、凶悪事件を起こす予備軍であるような雰囲気に、世の中が包まれてしまいました。今度は公務員かよ……。何でもいいんだな、きっと。必要なんだな、きっと。


何でもいいけど、必要なのは、身代わりの山羊。
少年でもいいし、公務員でもいい。一点集中で叩けて、いじめる(いじる)ための対象があればいいんですね、マスコミには。


マスコミがやるってことは、視聴者や読者がそれを求めているってことなんですね。
「視聴者や読者が求めるネタ→そのネタをマスコミが報道→スポンサーが資金を提供→視聴者がスポンサーの商品を購入」という図式で考えると、この身代わりの山羊システムはいつまでも続くことになりますね。商業マスコミが生き残るためには、必須のシステムなんですね。


それはそれで仕方がありません。私たちが求めているものを、マスコミが提供しているんですから。私たちは、自分が安心するために、自分よりも何かが下(収入、学歴、地位、容姿など、いろいろ)の人の存在を確認したり、気にしたりするのは、いくらきれい事をいったところで、やめられないことだと思います。


でも、公務員だからという理由でその人が事件・事故を起こした可能性は低く、少年だからという理由でその子どもが事件・事故を起こした可能性は低いでしょう。ならば、事件や事故の報道解説にいちいち「公務員が……」とか「少年が……」という言葉をつけて、すべての公務員や少年が事件・事故の予備軍であるようなイメージをつくるのは、ほんとうはやっちゃいけないことなのだとも思います。


たしかに、他人の不幸は自分の幸せだったりするわけです。とはいえ、そんなふうに思いながら、「少年が……」「公務員が……」と連呼するマスコミの愚かな構造を嗤ったりするっていうのも、なかなか味があっていいんじゃないかなあ、と思ったりする今日この頃です。


こんなことは、どこぞの誰かがさんざん指摘してきたことなのですが、ついつい愚痴ってしまいました。