『セラフィムコール』の数学ネタ

第7話と第12話(最終話)から。

第七話 <私>という逆説

円の正方形化(円積問題)をめぐる話の発想の元ネタは『数学大明神』での角の三等分の話じゃないかと思う。なんとなく。

安野 さっき言ってたのはそれだね。でも、それではやっぱり近似でしかない。
 これは無限級数だからね。
安野 いまでも、角の三等分ができたというのは……
 ときどき来るねえ。
安野 いまでもやっぱりあるんですか。
 あるんです。
[中略]
 ぼくはその人には一度だけ返事を出して、あとは返事を出してないんだけど、まめに返事を書く人がやっぱりいるらしくて、その数学者の返事をまた印刷したりしてくるね。ときどき送ってくるよ。
(森毅安野光雅『対談 数学大明神』ちくま文庫 399-400頁)

「ですが世の中には、それを受け入れない円の求積家たちがいるのです」
こうした市井の研究家たちは、自分こそは円の正方形化をなしとげたとして、毎年のように論文を学会に送りつけてくる。
(『セラフィムコール』第7話)

角の三等分のように、数学的には不可能なことがいちおう証明された問題の場合には、可能性は二つしかない。しかも、その可能性は確率が非常に小さい。
一つは、角の三等分が不可能だという証明のなかに、誰も気が付かない落し穴があって、いままでその証明が正しいと信じていた数学者全部がその証明の間違いを見落としていたという可能性。
[中略]
で、もう一つの可能性は、数学の体系の立て方にどこか矛盾があって、その矛盾がこの角の三等分のところに露呈してきていて、「できる」という定理と「できない」という定理の両方とも証明されてしまうーーそういう可能性がありうる。
[中略]
で、「その二つしか可能性がないから、勘弁してください」と……(笑)
(森毅安野光雅『対談 数学大明神』ちくま文庫 401-402頁)

その修正された証明の巧妙なところは[中略]円の正方形化の不可能性が明らかに正しいにもかかわらず、私にはそれが証明できないようにしたことだった。
だがそれでは同様に、円の正方形化が可能なことも証明できなくなる。論理式全体がパラドックスに落ち入ったことに相手も気付いたらしく、すぐさまそれを修正しようとしていた。
だが、この作業は無限悪循環的に続くので絶対に終わることはない。
(『セラフィムコール』第7話)

第十二話 セラフィムたちの聖夜

紅かすみのセリフ
13〜14分ぐらいから。

「ルート2プラス1ぶんの 2プラスルート2を約分せよ」
「中学生の問題ね」
(中略)
「そしてこの間、アクロポリス2号線つまりルート2を走ってたときに急に分かったんです」
「なにが?」
「分子をルート2でくくればいいってことが」
「そしたら?」
「かっこルート2プラス1です」
「そのとおり」
「そのルート2プラス1で分母と分子を約せば、この答えはただのルート2です」
(『セラフィムコール』第12話)

「算数チャチャチャ」の一番の歌詞
http://www.youtube.com/watch?v=cGcnXTwj5es

追記

『セラフィムコール』について少し - 再帰の反復blog 『セラフィムコール』最終回の日付2010年12月24日に書いた。