木槿(むくげ)とスモモ、梅を剪定

 陽射しがなく昨日より寒くなったが朝はそんなに冷え込まなかった。
 昨日に引き続いて明治神宮歌会の歌を年次順にワードでまとめた。今日は2016年12月までを打ち込んだ。歌会のときメモしたノートを見たり、他の人の入賞した歌をあらためて読んだ。腎不全が悪化した老犬ももこを家にひとりで残すのが心配なため中座した歌会が数回、ももこの葬儀に重なり休んだ歌会が一回ある。先生が出された当座で詠み提出したが講評を聞いていない歌があり、病み衰えてきたももこと過ごした夏がありありと思い出される。もし今なら歌会は欠席してももこのそばにいることを選んだだろう。
 歌を詠んだ時の自分とももこを思い出すためにこの作業を続けている。
 2017年と2018年1月の歌をまとめればこの作業は終わりだがその先に何をわたしは何を見たいのだろう。振り返るためだけに歌をまとめたのだろうか。自分のことながらよくわからない。自分のことがいちばんよくわからない。人の歌はどこか弱いか,どこか欠点なのかよくわかるが自分の歌は同じ冷静さで見ることができない。人の歌の添削はわりあいと簡単だと思う。それに対して自分の歌の添削は難しい。特に歌を詠んだばかりのときは。
 午後になり庭に出て、隣家との境に植えた木槿を2本剪定した。梅の木のひときわ高く伸びる太めの枝はノコギリで切った。この枝をそのままにすると木の樹高が高くなりそうなので。スモモの木は花芽がついていない真っすぐに伸びる枝を新しく買った高枝鋏で切った。脚立に上っても軽量名ので扱いやすい。


 つぼみふふむ梅の太き枝伐り落としたるを惜しみ器に活けたり

 犬もわれも若き顔の写真見て十年をさかのぼる旅をする

 冬枯れの桜並木をひとつ傘のふたり恋の終わりへ歩く

切った梅の太い枝と赤と黄色の実の千両、もう一つ赤い実の枝をあわせた