TeZukA 2月26日@渋谷Bunkamura オーチャードホール

書いた。面倒だから漫画を読む人=オタクくらいの軽い意味でつかっています。あと、善/悪のあたりの日本の漫画の実例をもうちょっと充実させたいね。




鉄腕アトム(1) (手塚治虫文庫全集)間違っていると嬉しいんだけど、渋谷のオーチャードホールは、観劇好きよりも漫画好きの方が少ないなって印象。自分のツイッターのタイムラインは、3割漫画関係、3割舞台関係、3割自転車ロードレース好き、1割その他って感じで構成されているんだけど、タイムライン見ていると、ほんとにテヅカ見にいったのって観劇好きだけじゃないの、って気がした。

単刀直入に言うと、テヅカは偉大な挑戦で、想像を掻き立てる作品だった。多くの人が言及しているとおり、3.11に関する場面がすごくあって、実際3.11や原子力はオープニングのフランス語での長いセリフのほとんどを占めていた。いうまでもなく、そのロストテクノロジーを彼の内に抱えているのはかの鉄腕アトム鉄腕アトムのパートは3.11が最大のインスピレーションであったことは間違いないと思う。でもそれは私がこの舞台をいいなと思った要因ではない。実際のところ、鉄腕アトムとか3.11はまぁ、そうかな、って感じで、むしろ他のパートに比べれば印象は劣った。実際、オープニングの鉄腕アトム再現は、私にとって、疑わしくって気が散るものであったんだが、舞台はだんだんとよくなっていって、いろいろな伏線が様々な形で美しくまとめられていたな、と思った。なんで彼らが中年の坊主の男性にアトムを再現させたのかはわからない。だって、will.i.amですら鉄腕アトムルックを見せつけてたってのに。もしかしたら鉄腕アトムを描写したいんじゃなくて、人間の体と機械の体(かの名作999を思い出すでしょ?)との差異を見せつけるのが目的だったのかも。幾何学的な振り付けだったけど、それもあまり感銘を受けなくて。もっと上手く出来た筈よ!どろろ (1) (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)


とはいえ、私が考えを変えるのにはそんなに時間はかからなかった。どろろ百鬼丸を演じる少林寺の達人は、生のパフォーマンスがどれだけ鮮烈なものか、ってことを見せつけてくれた。実際の少林ファイターによる百鬼丸のアクロバティックな演技は、テ ヅカ以外のどこでも人生においてみる機会がないものだ。そして、それこそが劇場に行く理由なわけ:人生で二度と体験できないような、一度っきりの特別な瞬間に居合わせること。
人生に一度の経験、ってとこで言えば、カンパニー唯一の女性ダンサー、ギュロさんは怪我で限られた役しか演じなかった。ただ、多くのTeZukAを複数公演見た人は、何かが欠けているって思わせずに舞台をやりとげたことに感心していた。私も何かが欠けてるとは思わなかったしね。

Black Jack―The best 12stories by Osamu Tezuka (1) (秋田文庫)
その後のブラックジャックのパートは誰もの期待を上回るものだったと思う。多くの人がそのアイディアを褒めているけど、ボニー・バッスラーのTEDでの「バクテリアはどうやって会話するか」っていう講演を引用してて、 http://on.ted.com/AXCy それが元々の漫画、もしくは手塚治虫の精神と、パフォーマンスの間に、すばらしい結びつきを作り上げているんだ。観る前からブラックジャックが踊るのを見るのを待ち切れなかったけど、それも間違いだったのかもしれない。彼は頭脳派で、今年シャーロキアンはみんな、頭脳派こそまさに新しいセクシーだって学んだ。ここでの最も人気のある頭脳派セクシーはブラックジャックだってことは間違いないし。だから、BJとピノコ―BJより背が高いんだけど―がステージに現れて、TEDの公演を引用し始めた時、すぐに私は手塚のテーマ―魂の輪廻転生―とプレゼンテーションの内容―生命がどれだけ小さくなれるか―を結び付けて、シディ・ラルビ・シェルカウイの意図がなんて正確なんだろうってびっくりしてた。
HUNTER X HUNTER30 (ジャンプコミックス)ところで、日本のオタクの皆様、最近あの少年ジャンプでテヅカに出てきたようなのと似たような表現を見つけませんでした? 我らが冨樫義博ですよ。彼は、インフルエンザに苦しみながら、コアラっぽいキメラアントをものすごく雑な(えっ、インフルの所為じゃない?まぁどのみち、彼は私のお気に入りだし、あの話は完璧だった)スケッチで見せてくれた。コアラ蟻は元々人間で、死体はミンチにされて女王蟻に肉団子として献上されたんだ。それでも、女王蟻から兵隊蟻として新しい生を受けた後も、彼は自分がどんな人間だったのかを覚えていた。彼はこう述べた「小さいという概念は そのものが発し得るエネルギーの総量とイコールではなかった」、なぜなら彼の魂は悲劇的な輪廻転生を経て受け継がれたからだ。テヅカを見た直後だったから、その台詞がすごく偶然のように感じたし、シェルカウイには冨樫にインスパイアされた作品を作ってくれるよう伏してお願いしたい。彼は漫画の歴史で最も優れた作家のひとりだからね。そのシーンは火の鳥鳳凰編で我王が、速魚が死んだ後、生は生で人間とテントウ虫に差異はないって気付いたときのようだった。



火の鳥 4 鳳凰編 (角川文庫)そんでその次に、擬音文字が出る漫画的戦いと、 漫画のコマと、書道にインスピレーションを受けた場面がつづいた。全部うまいこと構成されてると思ったけど、書道を使うのはいいアイディアではないってハッキリ言っとく。外国の人が大好きなニッポン文化を使うことで、舞台がとってもありきたりなものになってしまっていた。私は単に、「あ、それよく言われんのよね」って感じ。日本の筆と、漫画家のペンの間には何のつながりも感じない。筆を使う漫画家ってすごく稀だし、黒田硫黄とか数人しか知らない。いっぽうで、空から落ちてくる紙の巻物はとっても神話的で、シェルカウイが紙を、神のおはしますであろう天上からのメッセージとして使用したのは正しい選択だ。


2幕の始まりも頭をぶっとばされた。もともと1幕でも、美しいピルエットの所為で、彼からは目を離せなかったけど、ダニエル・プロイエットの美知夫(MWの)の描写はすばらしかった。何人かは日本人って思ったんじゃないのかな。髪は黒いし痩せ型たからそう見えたかもしれないけど、体の柔軟さと滑らかなダンステクニックは他のダンサーとは一線を画していた。インタビューでシェルカウイは手塚のキャラクターは二面性があるから好きだと答えていた。私はウォッチメン、V・フォー・ヴェンデッタダークナイトが好きなんだけど、それでも一般的に、日本のコミックスでは一人のキャラクター内に両義性を見出せるのに対し、欧米のコミックスは邪悪な悪役vs良いヒーロー、って状況が多いのは事実って言えると思う。美知夫のダンスの中に私が見出したのも、アンビバレントなもので、潔白/有罪、無垢/蠱惑、男性/女性、外国人/日本人、といったものだった。正直、見た目的な再現が上手く言っていなくっても驚かなかったと思うし、HUNTER×HUNTERの絵が雑だろうが、舞台上のブラックジャックが思ったより格好良くなかろうが(ごめん…彼って漫画読者の理想の男性なのよ!)好きだし…でもダニエル・プロイエットのやった人物描写の完璧さをもしあなたがみたら、きっとぶっ飛ぶだろうね。
MW(ムウ) (1) (小学館文庫)


2幕では、スクリーンに手塚の重要なシーンが並んだ。MWのベッドシーン、ブッダのオープニングでのうさぎの自己犠牲、火の鳥から、マサトの前で死ぬムーピー、そして私が聞いた事もなかった人間昆虫記。1幕ほど台詞の部分は多くなかったんだけど、鉄腕アトムの終わりの部分で森山未來が彼の苦悩と決断について語ってた。手塚治虫の戦後の人生はそれまでと大きく違うもので、彼は自由の元で、人間が善であれるかどうか確かではなかった。それが鉄腕アトムの問い、「自分は人間を助けたいのか、それともそうプログラムされているだけなのか?」に埋め込まれた。鉄腕アトムのアニメのラストシーンで、アトムがコントロールを失ったロケットを、自分がもう戻れないだろうと知りながら、太陽に運んでいくシーンが上演された。彼の犠牲は、彼が善であることを選択した、と、証明するものなのか? 私には見分けがつかなかった。実際、鉄腕アトムの最後についても知らなかった。アニメーションって、何十年もあとに追いかけるのは、漫画と比べて難しいよね。
火の鳥 2未来編 (角川文庫)


グラフィック・アーティストが漢字を逆向きに作り上げていったのは、少し変な感じがした。ディズニーのムーランの変なタイピングみたいだったな。アーティストが日本人だってのは知ってるけど、すごくステレオタイプだって感じもして。ほんとにいくつかのシーンしかいいな、って思わなかった。擬音文字がキャラクターのシルエットになったところとか、ステージ上のキャラの大きさに合わせ縮んで、人間ってコマに入れておくには大きすぎるな、って思ったとことか。とはいえ、今までみた劇場のスクリーン作品では一番よかったけどね。もともと、その発想が好きじゃなくて、特にアンドリュー・ロイド=ウェバーの作品に出てくると最悪だね(何の作品だかわかる人もいるでしょう)。



終幕もやっぱり書道つながりで、1幕と同じことを思った、私は漫画と書道に関係があるって思ってないから、ちょっとステレオタイプだなって。紙/神のアイディアは好きだけどね。終わりはとっても繊細で、手塚への壮大なオマージュ。今までで最高のトリビュートのひとつである事は間違いないだろうし、日本人じゃない人によってなされるなんて思うもしなかった。そりゃ、聖おにいさんがいい仕事したってのは知ってる、パロディだけど、そんでもって大英博物館でも展示されてるしね。でもこっちのほうがもっとすごいぜ、みなさん、テ ヅカは文字通りロンドンだけじゃなく、世界中を旅して回ってるんだ。こんなことが起こるなんて誰が想像した? だからこの文は漫画好きの皆様に向けて終わらせたいと思う。わかるよね? みなさんともっと劇場でお会いしたかったよ。なんで劇場好きの人の感想ばっか読んでんだ私は? 私の隣に座ってた女性は手塚作品を読んだ事もなく、借りたブラックジャックを何年も読んでないままだ、って言ってたよ。そんな彼女ですら劇場に来た! もしだれかオタク側からの感想を見た人がいたら、教えてほしい。そして私の間違いを正してくれ。オタクと舞台好きがこんなにも分離されているのは、自然とその両方でいる自分にとってはとても不思議に感じられるのでね。人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)


(以上のとおり、日本語版も書いたが、その際かなり英語の間違いをみつけた。訂正は今後します。なんか英語の文を書いて精神的ハードルの高さが、日本人が英語しゃべれないとかいう原因のひとつじゃないかと思えてきた。)