泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

大学で得た自信は何だったのだろう

 大学2回生のとき、生まれてはじめて「ゼミ発表」というものをした。
 社会学専攻の2回生の所属ゼミは選択制になっておらず、学籍番号で強制的に決定された。自分が所属することになったのは社会人類学の教授のゼミで、当時、専攻内でもっとも厳しい教授として知られていた。
 初回のゼミでまず「自己紹介を3分しろ」と言われた。多くの学生は、そんなに長い時間にわたって自分のことを話せない。十数人の学生がいたと思うが、たしか数人しかできなかった記憶がある。そして、初回でのこの出来事は、学生たちを萎縮させるには十分だった。
 2回生ゼミは社会学の理論的基礎を身につけることが目指されていたと思われる。他ゼミが入門書的な本を教科書にするなどして敷居を低くする中で、自己紹介後にこのゼミで渡されたのは500枚ぐらいの紙の束であった。中身は、社会学理論の古典文献のコピーである(後に「この用意を教授から頼まれたTA(ティーチングアシスタント)はどれほど大変だったろう」と思った)。複数の文献から特定の章を抜き出したものの寄せ集め。大学でそんなテキストを渡された経験は先にも後にもこれだけである。
 社会学を学ぼうと大学に入ってくる学生の大部分は、社会学理論への興味など持っていない。どれひとつとして、読みやすいものなどなかったと思われる。学生は、担当部分の文章を要約して説明するか、そこに書かれている理論について深く調べるかを選択させられた。
 このような課題を出す教授のゼミ進行が当然甘いはずもなく、ほとんどの発表は容赦なく厳しいコメントを浴びた。ゼミ発表の「やり直し」も、ざらであった。ある女子学生は翌週にやり直した発表にも厳しいダメ出しをされて、ゼミ中に泣き出した。それでも認めてもらえることはなく、3度目の発表までした。
 なんでこんな昔話をするかと言えば、ひとつには、当時のレジュメが部屋の段ボールから出てきたからである。まだパソコンもさほど普及しておらず「ワープロ」で打ったレジュメ。「機能主義」。
 驚くことによく勉強している。自分が作ったものとは思えない。文献リストが見つからないのだが、けっこうな数の本を読んでいるはず。プレゼンも含めて、このゼミで最も評価してもらえた発表だった。ついでに言うと、自己紹介を3分以上できたのも自分ともうひとりぐらいだったのである。そして、次年度に選択して属したゼミでの初回の発表も教授から「すごいね」と誉められ、研究することについてだけは自信を持てるようになっていく。今から10数年前の話。
 しかし、こんな昔話をするもうひとつの理由は、今日読んだTogetter。
コミュニケーション能力について
http://togetter.com/li/81933
 この前半あたりで出てくる「社会人基礎力教育」に自分が投げ込まれたらきっと「落ちこぼれ」間違いなしだったと思うのである。勉強はできる。一方的にしゃべることもできる。しかし「コミュ力」ゼロ。たぶん大学以降の人生をこれまで乗り切ってこれたのは、周囲のコミュ力が高かったからである。大学に入り、ボランティア活動に従事するようになった自分の周りは、対人援助を志す女子学生や、学生をその気にさせるのがうまい障害児の保護者ばかりだった。
 で、コミュ力のない自分はこれからどう生きていくか。コミュ力のないやつが、年齢を重ね、肩書きだけ上がっていくと、本当につらい。対人援助やってるNPOの理事長がコミュ力ないなんて、相手から予期されていない。「この人、コミュ力ない」と思ってもらえるならまだいい。「あえてコミュニケーションしてくれない」と理解されると、印象の悪さは絶大である。
 いったいどこでどうすればよかったのか。大学以降で何をしても今の自分に変わりなかったような気がする。小学校以降の人生を思い返しても、人と関わることの苦手意識に抗えるチャンスがあったとは思えない。手が打てたとすれば、幼児期ぐらいなんじゃないだろうか。全く科学的な話じゃないが、経験的にはそんな印象。