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2011-10-08

[]乙武さんの「おおらかな親のほうがよい」について(※少し追記あり) 03:38 乙武さんの「おおらかな親のほうがよい」について(※少し追記あり)を含むブックマーク 乙武さんの「おおらかな親のほうがよい」について(※少し追記あり)のブックマークコメント

「もしも、自分が障害のある子を授かったら....みなさんはどう思いますか」・・乙武(h_ototake)さんの連続ツイート

http://togetter.com/li/198030

 このtogetterを読んで「うわー、これはよくない」と思って、寄せられたブックマークコメントを見たら、みんな絶賛(※その後、時間が経って、少しずつ批判的なものも出てきた)。世間的にはこれが「障害があっても人は幸せになれる」という美しい主張としてのみ受けとめられてしまう。自分は、障害児とその家族を支援する者である。無視できない。

 彼のツイートの意図はどうあれ、これは「障害を受容できない保護者は望ましくない」「障害を受容できない保護者の子どもは苦労をする」というメッセージとして機能する。それも「受容できない」責任を保護者自身に帰属させる形で(彼自身は「受容」という言葉を用いていないので、もしかしたら「障害受容」が求められることの暴力性をある程度までは認知しているのかもしれないが、読み手にはそう読み取られないだろう)。「正しいとか正しくないとかじゃない」と付け加えたって「本人にとって、そのほうがラク」と書いてしまえば、「本人にとっての『ラク』を実現できない親」は否定的に捉えられてしまう。

 障害者だから不幸で、健常者だから幸福とは限らない、のはもちろんその通りだ。しかし、それならば、なぜ障害者は「障害者」と呼ばれて、社会的に区別されてきたのか。障害者やその家族が自らを「不幸な者」と位置付けたから「障害者」と呼ばれるようになったわけではあるまい。心身の機能における「障害」が様々な社会的不利を招くことが、歴史的にも目の前の生活の中にも明らかだから「障害」に人は苦悩する。

 もちろん彼はそんなこともわかっていて、差別や偏見やいじめを社会的に存在する「障害」として持ち出すし、社会的な支援の必要性にも終盤で触れる。しかし「これは僕ひとりじゃどうすることもできない」「みんなの理解と手助けを」と書く。ツイートの途中から「自分に何ができるか」にテーマをスライドさせているので、「社会」のほうに深くは踏み込まないままでも自然にバランスよくまとめたように見えてしまう。それでも、冒頭の「親の考え方」に対する主張は薄まらない。「親の考え方」は、社会と切り離されたどこかに置き去られててしまっている。あるいは、人生に対して不動の「前提」化している。幸不幸は「生きてみなけりゃわからない」けれども、親の考え方が悲観的ならば本人も悲観的になることだけは決まっているかのように。

 「障害があったって幸せになれるよ」と言われて、親が自分を責めなくなるなんて、あまりに楽観的なストーリーだ。どれほどの「幸福な事例」を聞かされたって、手厚い支援が受けられたって、わが子は他の誰でもないわが子であり、「もしも」の反実仮想から容易には逃れられずに思いを巡らせ、元気になったり悲嘆したりを繰り返すのが親である。それは自分が支援者として見てきた光景であり、「障害受容」についての多くの研究でも明らかにされてきたことであるはずだ。

 「もっと障害を前向きに捉えようよ、お母さん」という周囲のメッセージは、ときに親を傷つける。それが「善意」によるものであったとしても。だから、このテーマを扱うときは、強調点を間違えてはいけない。善意による暴力を増やさないために。

 自分は支援者であって親ではないから、読み手によっては説得力を欠くかもしれない。障害をもつ子の親の立場からたくさんの人がコメントしてくれることに期待。ここのコメント欄じゃなくてもよいので。

(追記)

ブックマークコメントで教えていただいた。このやりとりはすごい。リアリティも議論の水準も。

http://m.togetter.com/li/198163

(追記2)

 乙武さんが「強者の論理」を振りかざしている、みたいな批判もあるようだが、自分はそう思っていない。個人的な経験や置かれてきた環境を安易に一般化して他人に求められないことは、きっとわかっておられるだろう。きっと『五体不満足』のときから、そんな批判は聞き飽きているはずだ。身体障害と他の障害では同じように言えない部分が出てくることもおそらく理解されている。そもそも最初にわざわざ「身体障害」って書いているし(面倒だったのか、途中からは「障害」だけになっているけれど)。

 自分が言いたかったことは、彼の考え方そのものに問題があるというよりも(彼の主張は「当事者」としての経験から来る率直な感想でもあるので、そこは批判しにくいというのもある)、彼があのように書いてtwitterで発信することの社会的な「受けとめられ方」の問題についてであり、とりわけ「非・当事者」による受けとめられ方を強く危惧したのである。

 親に対して「乙武さんもこう言っていたし、もっとおおらかに前向きに障害を受けとめなさい。それが子どものためにもなる。」というお説教が周囲からなされるならば、それは何のプラスにもならないだろう。むしろ「わかってもらえない」気持ちを強めるだけで。

 10日夜現在、togetterのまとめは36000人以上が読んでいる。もともと彼のtwitterのフォロワーは330000人以上いる。「障害児と親」について個人の発信で書かれたものがこれほど多くの人の目に触れることはめったにない。きっと読者層も広いだろう。だからこそ、不安を感じるし、自分のできる範囲で注意喚起したかったのである。彼にしてみれば、「そんなのいちいち気にかけていたら何も言えなくなる」かもしれない。あらゆる読者を想定するのは難しい。それでも、これだけの人数に向けて書く責任は重い。

 まあいくら頑張っても焼け石に水かもしれないが。この記事も2日で5000人ぐらいの目には触れたはず。何もしないよりはマシ。

reirei 2011/10/09 09:26 彼自身重い障害があり、これまで他人には分らない苦労や努力を重ねてきているとは思う。だけど、それをいつも普遍化し、ときに美談とまでしてしまう考え方には違和感を覚える。

FFFF 2011/10/09 12:28 ひとくちに障害といっても乙武さんのように肉体のハンディはあるけれど自活できる知能を持った人と、知能のハンディを伴う障害とでは一概に比べられない。後者の場合、「自分たちが死んだ後、誰がこの子の面倒を見てくれるのか」と親が心配するのはむしろ当たり前。

ayaaya 2011/10/09 18:48 重度の知的障害を併せ持つ自閉症児の母です。五体不満足がブームになったころ、よく乙武さんはお母さんが立派だから・・・という声が聞かれ密かに傷ついたことを思い出しました。五体満足で生まれたと思っていた息子は、散々しつけが悪い、言葉がけが足りないと親や兄弟にまで言われました。自分自身、未だにどこを間違えたのかと悔やまれることさえあります。この子に教わることや癒されることが多いのは事実ですが、問題行動を起こされると投げ出したくなることもしょっちゅうです。本当に人の心は複雑です。日々・・・というより一瞬の内に気持ちが変わってしまいます。Lessorさんのブログは6年前から読ませていただいてます。当事者の気持ちを上手に言語化していただいて感謝してます。

こうままこうまま 2011/10/09 22:47 自分の子どもに障害があることを受け入れられる親なんているんですか??

少なくとも、私は無理。
息子を愛しているし、別に今不幸じゃないし、どっちかっていうと幸せな気がするけど
それと障害受容は別モンです。
治るんだったら治って欲しいって思うのが親だと思いますけども。

ちなみに
受容してるような「フリ」はしますよ。
その方が、一般受けするし、支援者受けもいいから〜。

障害受容なんてできてなくたって、障害のある子どもを元気に育てて幸せになれると思いますけど。
これ、強がりでも負け惜しみでもなく、本心です。

りんりん 2011/10/10 00:01 障害を持つ子の親ではありません。
乙武さんのツイートにすべて同調するつもりも絶賛するつもりもありませんが、「親の考え方」によってはこの世に生まれてくることさえもできなかったかもしれない・・・という思いを常にどこかに抱えながら生きることへの想像の方に、私は及びました。

ななしななし 2011/10/10 17:41 自分自身、症候群系の障害持ちの者です。
彼見たく、表面上は分かりづらいですが
小さい頃から病院通いです。
今(20歳前半)でも年に一回程度の検査があります。

彼みたいな主張を書かれると大概、障害者自身ではなく、
その親なり、関係のある方が反論みたく書かれますが、
なんというか、やっぱり健常者なんだと思ってしまいます。
障害者自身の考えではないと。

自分は親から「こんな身体に産んでごめん」みたいな感じで育てられました。
この症候群が子供に伝わる確率はかなりの高い確率で
親(健常者)を見る限り、大変なのは分かりますから
子孫を残す事に対して、すごく臆病になっています。

もし、うちの両親が全くそういう事を口に出したり思わないでくれたら
もうすこし「ラク」に生きていけるのかなと

結局、あなたたちは健常者。
近くにいたとしても障害者本人の気持ちはわからないですよ。。。

最後に失礼な事を言ってすいませんでした。

thorthor 2011/10/11 07:07 アスペルガー症候群です。
僕と弟は親に受容されなかった子どもでした。
結果的に、ADHDの弟は虐待で多重人格障害になってしまい、僕は両親と縁を切りました。

乙武さんの言葉は本人やすでに生まれてしまった障害者の方々へ、生きていても幸せになってもいいんだと言っているように聞こえます。
受容できない親もいる、という言葉は、確かに真実ではありますが、乙武さん自身の発言を否定することは、結局、僕たちのような人間は生きていたら社会に迷惑なんだな、と健常者に証明されているに過ぎません。
僕はよく自殺を考えます。死にたいからではなく、社会のために死ななければならないという衝動です。
乙武さんの言葉は、障害によって親にかける迷惑などを罪悪感として持っていて、親のために死ぬべきだと思い込んでしまう当事者に生きていても良いという希望となる言葉です。
健常者の親にとっては迷惑でしょうが、では障害者はやはり死ぬべきなのでしょうか?
過激な人は、障害者は死ぬべきだと言います。
それくらい周りにストレスを与えているのだと、僕たちは知っています。
好きこのんで周りを傷つけているわけではありません。
健常者にしてみれば障害者と関わりたくないから排除すればいい話ですが、障害者にしてみれば障害を排除することは自分を殺すことに等しいのです。
だから、乙武さんのような方は、障害者のために健常者の意向をある程度無視する立場でなければ、生きることすら許されません。そういう前提で出た言葉だと思います。
そりゃあ健常者の方々にとっては迷惑でしょうが、それでも僕たちはもう生きているのです。

moemamamoemama 2011/10/11 11:14 発達障害の子、親を幾人もみてた者です。一見、障害に対しておおらかで明るいお母さんはいますが、まったく悩んでないわけはない。当然、良くなればと思ったり、何でうちの子だけとか、将来どうしようとか・・・思っています。でも、それをこどもに見せない努力をし、伸ばしてあげるところはないかと障害に対しても前向きです。
その一方で、障害があるから、できてしまったから育てるの無理という親御さんもいます。受容できず目をそむけたいのかもしれません。でも伸びしろがあっても伸ばしてあげられない面もありこどもにとっては不幸だなと感じます。
乙竹さんが発することで親の負担にはなるのかもしれないけれど、「親が障害を受容しておおらかに育ててくれるのはよい、そのほうがラク」と言っていることはやっぱり真実ではないかと思います。もちろん障害児の親ではないので自分が実践するのは、想像以上に大変だと思いますが。

lessorlessor 2011/10/11 23:48 皆さん、それぞれの立場から大切なコメントばかり、ありがとうございます。

思いのほか、多くの方が内容の濃いコメントをくださったので、個別にお返事をするのはご容赦ください。自分自身、よい勉強になりました。

乙武さんの言葉も自分の言葉も、さまざまな解釈に向かって開かれている、という点では同じ。自分は文章を書くのにかなり長い時間をかけるほうなのですが(1回の更新に数時間かけることも多く、この短い記事も3時間ぐらい悩みながら書いた)、どれだけ言葉を選んでも伝えるのが難しいことがたくさんあると思い知らされました。

支援者としての立場から言えば、子も親も幸福な人生を歩んでほしいというのが当然の思いであり、その目的を達成するために必要な過程や方法を考えていくことが求められている、と言えます。もちろん簡単なことではありません。日々、悩んでいます。

誰かの幸福が誰かひとりの考え方に左右されるのでもなく、考え方の責任をその個人に負わせるのでもない。そんな社会のあり方を構想していく中にも、自分の仕事は位置づけられるのだろうと思います。

komomokomomo 2011/10/16 12:50 はじめまして

発達障害者の一人として感じたことを書きます。
乙武氏の発言には共感する気になれません。
指が5本あるか、ないかでは、5本ある方がいいに決まってますよ。
ただ、ないものを嘆いていても人生変わらないから、腹をくくって生きていくしかないわけで、
その過程においては、いろいろ辛い思いも味わうことでしょう。

乙武氏についていつも疑問に思うのは、
本人が「恵まれた環境に生きていること」をどの程度自覚しているのだろうということです。
著書を読んだ限りでは、裕福な親御さんですよね。
親御さんの前向きさ、おおらかさは、生活不安がないことと無関係ではないと思います。
四肢障害によって、乙武氏は乙武氏なりに悩みや苦しみも抱えてきたでしょうが、
知的能力が高くルックスも二枚目で、どこから見てもエリート障害者です。

当事者や家族の努力、前向きさだけでは解決できないことも世の中にはたくさんあります。
健常者社会に受け入れられてきた人のようですが、社会の底辺で生きていて背負うものの多い障害者と、果たして接点があるのでしょうか。

そして、彼のような影響力のある人が発言することによって、
健常者社会に「乙武さんのように前向きに生きなさい」「おおらかな心で育てなさい」という空気が生まれることを私は危惧しています。
功罪の大き過ぎる発言です。

なかのひと