泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

福祉関係者はいま何を思っているのだろう

 まあ、福祉関係者は全体的に元気が出ない結果だろうと想像する。当事者も支援者も。
 新与党が「反福祉」までも叫んできたわけではないし、「きっと福祉に熱心だろう」と信じられてきた民主党がこの3年で従来の流れを大きくひっくり返すような変化が生み出せてきたわけでもない。だから「これでも自分の生活は特に変わらない」という人も多いだろうし、3年前までの政権与党と構築してきた信頼関係がある人たちは今回の結果に喜んでいるだろう。
 しかし、新与党による国家観とか家族観とか人間観とかが「福祉」と相性がよいと信じている人は極めて少ないはずだ。議席を伸ばした「第三極」についてもそれは同じ。政策の現実性や実効性とは別の話である。
 世論調査で「何を重視しますか」の問いかけに対して最上位に上がってはくるが、現実には争点化されない「社会保障」。世間にとっては「年金」「介護」、がんばっても「子育て支援」ぐらいのイメージでも、その中にはもっと多様な施策が含まれる。障害者などマイノリティの生活を思って票を投じるのは、ほとんどが関係者であろう。それでも多種多様な「分野」を超えて漠然と「マッチョ」な政治路線に不安を感じた人々の中には緩やかな連帯意識はあって、おそらく投票行動にも影響はしていると思う。それでも、これだけの大差がつく結果となった。
 さて、これから福祉関係者は何をすればよいか。政策の最前線に関わる人々はきっとこれまで通り与野党の議員、そして官僚組織とバランスよく関わりながら、いずれも厳しく攻めたてることはなく、特定の論点に絞り込んで現実の成果を目指していくのだろう。では、そのような立場にない一当事者、一支援者にできることは、と考えると、残念ながら見えにくい。自分たちの危機感は、まったく力をもたない程度にしか社会的に浸透しておらず、いったい何によって覆い隠されてしまっているのか、さえよくわからない。
 誰かが「困っている」ことを伝え続けることはできるだろう。しかし、それらの問題解決が社会や人間をめぐる思想と深く結びついているということまで伝えられるかどうかは、また別の戦略が必要であるような気がする。「福祉」は大事だ、と言う票は、今回いったいどこにどんな判断で投じられたのか。ただ「変わるべきだ」という現状批判では予期せぬ結果も起きるし、高すぎる目標設定は信用されないし、抽象的な理念は嫌われる。
 国民の圧倒的な信任を得た、と言えてしまう数字によって、これから何をどう動かされるのか。人の暮らしを支えている具体的な制度を簡単にひっくり返すことはできないから、ひたすら悪いほうにばかり想像する必要まではない。明確に制度が改悪されようとすれば、きっと批判は沸き起こる。ただ、人々の意識が静かに書き換えられていくことのほうが怖い。