DOMMUNEで踊っている国府達矢を観ていた。ふらふらになりながら、美しいとは言い切れない動きで、リリースされたアルバムを演奏するのではなくただバックにかけて、踊っていた。

国府達矢は七尾旅人がずっと名前を出していて知った。昔はMANGAHEAD名義で活動していた。久々にアルバムを出した。今回磯部涼の司会でDOMMUNE国府の特集があった。七尾がskypeごしに国府について語っていた言葉が良かったので公開メモとしてネット上に書いておく。

911の後、アメリカ中心の音楽から、国府は日本人としての音楽ということを、無意識で、肉体から発されるもの、それは言ってしまえば『うた』ということになるけれど、やってきた」「国府達矢のいいところは理屈からいかないところ。911のあと色々あったと思うけれど、当時マンガ喫茶でバイトをしていた国府が『最近客がすぐキレるんだよね』と心を痛めていた。そういうところから国府の音楽が進化していった。(そこから311後、七尾自身が現地で人と会いながら自分のうたをつくっていったことにも触れ)国府の、大きい話からでなく自分の周囲から感じ取っていくところが、自分は好きだった」

記憶で書いているので細部は違うと思うが、こういう話だった。国府達矢という名前を発信し続けてきた七尾のコメントだったせいか、妙に感動してしまった。国府達矢がニルヴァーナスメルズ・ライク・ティーン・スピリットセックス・ピストルズアナーキー・イン・ザ・UKとベートーヴェン交響曲第五番に共通するものがあると言っていた話をうけ、それらは個人の表現の始まりであると七尾が纏めると、国府自身が「そうだ、そのさきに躁タレヤ(国府の楽曲)もある」と言っていたのも良かった。そして話はずれていくが、宇川直宏salyu×salyu七尾旅人作詞曲を褒めて、口ずさんでいた(宇川流の文脈横断で小林武史の名前をあげる流れ*1、そして「うた」というキーワードに触れる流れで。)のも個人的に良いシーンだった。

最後に与えられた時間で国府は曲を演奏する予定だったが、それを変更して、顔を包帯とサングラスで隠してダンスすることにしたらしい。アルバムをかけて、自分は狭いDOMMUNEのスタジオで踊りはじめた。それがこの日記の冒頭の段落だ。国府磯部涼に語っていたジャッキー・チェンの動きにもある、そしてメロディを始めとした全ての表現の要素に宿る「インテリジェンス」がそこに十分にあったか? それはよくわからないが……とにかく、正直な感動を出発点とした表現であり、世間でなく自分のために行われた表現であれば、心を打つのだなという気がした。よくわからないが……!

*1:これは七尾は小林門下でないと国府、七尾両人から否定されてはいたが