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ナンパ、催眠を通して見出した他者と話すということ Twitter

2012-01-26

カリスマナンパ師が書いたナンパが上手くなる本『即系物件』/ナンパされる女の子、そして、ナンパ師の生態

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以前、たまたま知り合ったその辺のOLに「ナンパって何ですか?」と聞かれたときに、「悲しいことですね。」と答えたら、怒りと嘲りをまじえて笑いながら「何言ってんの?」と言われた。

ナンパ師である僕を、彼女のことを捨てた男たちに重ね合わせたのだろうか。何か彼女の恨みのようなものを感じた。自分は好き勝手に女と遊んでおいて、「悲しいことですね。」はないだろう、馬鹿にしてるのかと思ったのかもしれない。

でも、自分のどんな女の子とのエピソードを思い出しても、僕には悲しさを伴わないものはない。女の子と接していると、行き詰った人間の閉塞感を感じる。そして、僕自身も延々とナンパに明け暮れていたとき、同じ閉塞感を感じていた。

ずっと気になっていた本を友人に貸してもらった。
ナンパ塾も開いていたカリスマナンパ師が書いた本。
因みに、このナンパ師は逮捕されている。

即系物件 裸の渋谷少女たち

即系物件 裸の渋谷少女たち

色々ナンパのノウハウ本は読んだことがある。情報商材も含めて。全て、殆ど参考にならない。上手くなりたいなら、とにかく声をかけることだ。そして、自分の振る舞いが相手にどんな印象を与えるのかを知ること。そして、ターゲットとなる女の子の生態を知ること。ナンパ本なんて読んだって意味がない。

でも、この『即系物件』はすぐにセックスをする女の子について書かれている。そういう女の子の生態を把握するのには非常に良い本だと思う。あと、ナンパ師がどういう人間なのかを知るのにもいい。アマゾンのレビューなどでは胡散臭いという評価もあるけれども、書かれている女の子については、こんな子たちは実際にたくさんいる。僕は未成年は相手にしないけれども、何人もそういう子に会ってきた。家のない女の子、風俗嬢、キャバ嬢から、金持ちの女の子、社会的地位のある女性まで。

この本を読んでいて涙が出そうになった。それは冒頭に書いた、ナンパ師の悲しさが表れていたから。

よく「いい女を抱きたい!」と無邪気に頑張っているナンパ師がいる。僕はそういう人たちはどうでもいいと思っている。向こうもそうだと思うけど…。何か自己啓発的なナンパとは僕は縁遠い。

ナンパ師には悲しさがある。病んだ女の子と過ごす一夜。自分も相手と呼応するように歪む。それで歪まないのは、そのナンパ師が鈍感だからか、或いは自分が歪んでいっていることに気づいていないのだろう。

ナンパは「いい女を抱いて、もっと幸せになりたい!」などというような無邪気なものではない。なんだか知らないけど、そういう女の子を求めてしまう。そういう女の子を見て、心が少し埋まるような気がするけど、実際に接したあとは自分にもっと大きな穴があいていることに気づく。

ナンパの講習会

著者はナンパの講習会を開いていた。彼の流れを汲むようなナンパの講習会は今でも行われている。講師が一緒になってナンパをする。そして、講師の強引なやり方によって、女の子と一緒にカラオケボックスなどに行って、レイプまがいのセックスをする。
参加者は毎日のナンパとセックスの記録を書いた主催者のブログを読んで、自分もそんなことをしたいと思って申込みをするのだろう。

実際のところ、「誰でもその辺を歩いている女の子とセックス出来るようになる」と言えば間違いではない。すぐにセックスする女の子はいくらでもいる。声をかければいいだけだ。特に何かを習う必要はないだろう。
声をかけて、反応してもらい易くなるためのコツはある。それは単純に、ナンパのノウハウというよりも、コミュニケーションのノウハウだろう。
でも、そんなノウハウを使わずとも、即系の女の子は反応する。

ナンパ師

延々と病んだ女の子とのエピソードが続くので、読んでいると疲れてしまった。自分の体験と凄く重なるから、辛い。ここで主人公であるナンパ師の成長が描かれていたら救いなんだけど、ナンパ師は淡々とナンパ師でしかない。変化しない。

それがまた辛い。本は『即系物件』ってタイトルだけど、それは登場してくる女の子ではなくて、ナンパ師のことだろう。結局のところ、彼は誰とでもセックスする。

僕もそうだった。
「別に可愛くないけど、セックスしたそうだからやっておくか。」
そう思ってしたことは何度もある。
そして、セックスした後は、その子の話を聞く。彼女と別れた後はもうぐったりとしている。
そんなに魅力のない女の子とセックスして、そんなに魅力のない女の子の愚痴っぽい話を聞く。まさに僕はバイブであって、体のいい話を聞く人でしかなかった。

彼女たちには感謝される。僕はアドバイスはしない。ただ、うんうんと話を聞くだけ。
涙を流して、あなたに会えて良かったと言われたこともたくさんある。

でも、はっきり言って、僕は彼女に会えなくても良かった。
カウンセリングの修行にと、僕はナンパを始めたところもある。
修行にはなった。だけど、こんなものはカウンセリングではない。彼女たちに体よく使われているだけだ。実際、話を聞いたところで彼女たちの人生はそんなに変わらなかった。否定せずにうんうん聞いてくれる人を求めているだけなのだから。

この本の著者もそうして話を聞いている。ときどき怒ったりもするけど、それに何か効果があるのかどうかは分からない。相手のためを思って言ったというよりも、我慢できなくなって本音をぽろっと言ってしまった感じがある。

ナンパ師の技術、解放トーク

彼の得意技に解放トークというのがある。
心を解放させるトーク。例えば、家出少女に家出の理由をどんどん突っ込んでいったりする。
普通の人なら相手に嫌われるかもしれないと思って避けるようなことをするという感じ。
ナンパ師なら誰でもやるだろう。
たくさんの人間にふられる覚悟でやってきた人間だからこそ出来ることだろう。

でも、下手なカウンセラーには出来ない。
僕は色々なナンパ師、色々なカウンセラーに会ってきた。
ナンパ師の方がカウンセラーよりも優れていると思うのはこの点だ。
色々な人間を実験台にしてきた。悪く言えばそうだ。
だけど、色々な人間と嫌われるのを覚悟で接して来たと言えばそうだ。

僕の出会ったカウンセラーは、嫌われるのを覚悟で相手に突っ込むことは出来ない人が多かった。
自分の心を開かずに会話出来る無駄なオウム返しを多用する人が多い。そして、肝心なことには突っ込まない。

ナンパ師は突っ込む。それはきっと、成果を上げる、セックスをするという自分の欲で動いているからだろう。だから、失敗覚悟で突っ込むことが出来る。

もちろん、腕のあるカウンセラーなら、必要ならば、嫌われるのを覚悟で突っ込むことも出来るだろう。

解放トークはテクニックだけど、結局はそれは使い手のメンタリティに根ざしている。どこまで相手に入り込む覚悟があるか。そして、入り込む意味が自分にとってあるのかどうか。

この解放トークだけでもカウンセリングの技術とまじえて色々書ける。今度書いてみようと思う。

でも、カウンセリングとは違う

ナンパ師の中を様々な女の子が通っていく。ナンパ師はそれをどうするわけでもなく、ただ眺め続けるだけだ。ナンパ師は対象となる女の子の変化を起こすことが目的ではない。

カリスマナンパ師はナンパした女の子の話を聞いて、自らをセックスカウンセラーと名乗っていた。僕はそれは違うと思う。ナンパはナンパ。カウンセリングカウンセリング。全く別ものだと僕は思う。そこにこの本の中の欺瞞があると思った。

僕もナンパした女の子の相談事を聞くことが多いけど、それはカウンセリングではないし、カウンセリングではない場で極力人の相談事は聞かないようにしている。様々な他人に侵蝕されて、自分が狂ってしまう。そんなところに自分の役割を見出さない方がいい。

著者のナンパ師はそのまま壊れていってしまったのだろうか。逮捕された後、どうしているのか気になる。

ナンパが上手くなるための本

これは読むだけで確実にナンパが上手くなる本だと思う。
ナンパが上手くなるために必要なことって何だろうと考えた時、それは自然体であることと、自分の中に相手を受け容れる覚悟があること、そして自分自身も病んでいることだと思う。
カリスマナンパ師は病んでいる。そして、ある程度自分自身について思いを巡らしているようだった。
それはそうだろう。他人にナンパを教えていたら、同じようにナンパをしている自分自身の姿を客観視せざるを得ない。そうして、客観視する中で自分って何だろうって考え続けていたのではないかと思う。
その彼の経験したこと、思ったことが書いてある。ナンパが上手くなりたい人はそれに心を委ねてみて欲しい。そうすれば、ナンパってこんな感覚なんだということが分かると思う。

彼のナンパの仕方を本で読んでいると、受け容れることへの抵抗感のなさが感じる。
女の子がセックスしたいと言ってくれば、別にタイプでなくてもすぐにセックスする。
そして、ネットを通じてナンパをして下さいという人妻の依頼があれば、人妻のナンパごっこにも付き合ってあげる。

だけど、金持ちの女の子に「あなたは私といれば幸せなのよ。」と養ってくれるというようなことを言われても、それには応じない。
自分は自分。相手は相手。だけど、その場、あなたのことを受け容れることはしますよというスタンス。

色々な人を知って、受け容れて…を繰り返していけば、ナンパは自ずと上手くなる。
それをいつまで続けるのかはその人の勝手だけど。
彼は最後に人を愛するということについて書いているが、僕にはナンパは人を愛することだとは思えない。
ただ、自分を知るために、延々と他人を必要とした、それだけではないかと思う。

一人の人間として、どういう生き方をしようか、他人とどう関わっていこうか、考えさせられる本だった。

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brazilbrazil 2012/01/26 15:38 僕は、カウンセリングも精神科も行ったことがないので憶測で書かせて下さい。
カウンセラーがオウム返しをするのは、クライエントが無意識の問題を探るのを妨げないためなのではないですか?(これは本当に想像なのでわかりません) 問題の多くは無意識からやってきている、にもかかわらず意識的にそれを見つけるのは難しい。そこで、聴く方がトランスに入り、聴いているようないないような態度で同調させ無意識に導き、そこでクライエント本人に問題に気付かせる、それがカウンセリングのエッセンスなのではないですか? カウンセリングも催眠も体験されているのでご存じかと思い伺いました。顕在意識から顕在意識へ問いかけても、解決する問題は少ない、また新しい問題が発生することが多い、というのがあるような気がします。すいません、適当なことを。

lesyeuxlesyeux 2012/01/26 15:55 コメントありがとうございます。
カウンセリング、精神科に通っていた人間として書かせて頂きます。
書かれていることは間違っていないと思います。ただ、実際にどこかで体験されてみた方が納得できる答えを見つけることができると思います。

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