Hatena::ブログ(Diary)

Skepticism is beautiful このページをアンテナに追加 RSSフィード

2013-03-07

ニヒリストにならないための懐疑論(後編)

この文章は2007年に超常現象同人誌『Spファイル5』に寄稿した文章です。3回に分けて投稿します*1

第1回:ニヒリストにならないための懐疑論(前編) - Skepticism is beautiful

第2回:ニヒリストにならないための懐疑論(中編) - Skepticism is beautiful

第3回:今回

f:id:lets_skeptic:20130306185903p:image

※話の流れに関係するので再貼り付け


体験談は常に信用できないか

体験談はやみくもに信じていいほど信用できるものではないということを書いてきました。でも「いくらなんでもそこまで不正確でもないだろう?」と感じてしまいませんか?少なくとも私はそう感じます。

例外は色々とありますが、実際のところ日常生活で繰り返し体験するような事に関しては、事象体験談の間の差が比較的小さくなります。こういった日々の経験が体験談に対する信頼に繋がっているとしても、全然不思議ではないですよね。

ではなぜ日常的なことは比較的正確に知り、記憶することができるのでしょうか。ひとつの要因として、日常的なことは繰り返し体験することがあげられます。このことにより、プロセス図における解釈や忘却、記憶の混濁の効果が少なくなるということが考えられます。

さらに、人は明らかに間違っているとわかったことを信じることはできないという性質も関わっていそうです。日常的なことは日常的であるからこそ、間違った記憶をしていた場合に、それに気付きやすいと考えられます。つまり、現実からのフィードバックが働くことによって、より正しい情報を保持することができるということです*2

このように考えていくと、信用できない体験談の特徴を考えることもできます。簡単に言えば、繰り返し確認できず、間違っていてもその間違いに気付く事が難しい体験談は信用できないということです。

歯がゆいことですが、この特徴は「超常現象体験談」にピタリとあてはまります。


体験談の精度を上げる

ここまで読み進められた方は、「体験談は情報としての信頼性があまり高くない」ということに納得してもらえたでしょうか。

上にあげたプロセス図では、もともとの事象をゆがめてしまう要素が沢山あることを示しました。では、どうすれば実際に起こった事象をできるだけ正確に把握することができるでしょうか?信頼性の高い情報を得るためには、どのようにすればいいでしょうか。

最も理想的なのは、事象をそのまま記録することです。そうすれば、様々な方法で何度も事象を検討することができます。例えば、ビデオで撮影するというのもいいかもしれません*3。みなさんなら、他にも色々な方法が思いつくかもしれませんね。基本路線としては、人間の記憶という方法に頼らずに、事象から得られた情報を客観的方法で記録できれば、プロセス図に描いたような情報のゆがみはかなり解決できます。

ところで、超常現象を信じている人は、科学的データは無条件で信頼されて、体験談は軽視されていると感じている人もいるのではないでしょうか。それは、誤解ではなく事実だと思いますが、その理由はプロセス図を眺めながら考えてみるのがいいかもしれません。

科学的データは、事象そのものを記録できるように、そして人間の基本仕様に左右されないように、最大限の努力が払われます。それに対して、体験談にはそのような仕組みがありません。

錯視図形のところで定規という道具を用いたように、私達は道具を使う事でしか避けられない間違いを起こす事があります。科学は人間の不正確な認知や記憶という弱点を補う道具を積極的に取り入れてきました。

つまり、科学は人間の誤りやすさをきちんと認識し、それを避けるための方法を考え、新たに道具*4を作ったり、既にある道具を巧みに使ったりしてきました。こういった努力があったからこそ、科学は信用できるのです。

実際のところ科学理論とは、体験談をまとめ、不正確な要素を削り、体系化し、より純粋な体験で再確認されたものなのです。その成り立ちから言えば「究極の体験談」とも言えます。体験談と科学は決して違う方向を向いているものではありません。

体験談の精度をどんどん高めていく事が科学だとも言えますし、精度の十分高まった体験談は科学理論になるとも言えます。科学が研ぎ澄ましてきた道具を上手に利用して体験談を料理することは、体験談を貶めることではなくて、活用することではないでしょうか。


おわりに

超常現象をやみくもに信じない考え方はうまく伝わったでしょうか。簡単にまとめれば、人間誰しも間違いやすい傾向を持っているのだから、間違いを取り除くような方法を使っていないなら、そのまま信じないほうがいいよね…ということです。

超常現象の本に書いてあるようなことは、やみくもに信じて「そういう事実があるのか」と考えるのではなく「そういう報告があるのか」という視点で見れれば、楽しみがぐっと広がるのではないでしょうか。

特に大空に力強く羽ばたく「Sp事例*5」に分類されるような事件については、こういった視点に立たない限り、切り捨てられてしまう事件になってしまいますしね。


参考文献

『目撃者の証言』E.F.ロフタス著 西本武彦訳 誠信書

『人間この信じやすきもの』T.ギロビッチ著 守一雄・守秀子訳 新曜社

『超常現象をなぜ信じるのか』菊池聡講談社

『クリティカルシンキング 不思議現象篇』T.シック・ジュニア, L.ヴォーン著 菊池聡, 新田玲子訳 北大路書房

『未確認飛行物体の科学的研究 第3巻』エドワード・U.コンドン監修 仲間友紀, 金田朋子, 内山英一訳

*1:文章自体は無編集です。

*2:ただし、自分が間違っていることを言ったとしても、それを指摘してもらえる場面は想像より遥かに少ないことには注意しなければいけません。他人の間違いを指摘することは「気分を悪くする」「ヤボである」「無粋だ」「空気を読め」といったような否定的感情を生み出しやすいからです。

*3:ところで、ビデオでの記録も機械の限界による情報選別が行われていることは忘れてはいけません。例えば、カメラの角度等により見えない領域は存在しますし、温度等の情報は残りません。細かく考えると現在のところ事象をそのまま切り取ることは出来ず、部分的にしか記録する方法はないと言えます。

*4:ここで言う「道具」は比喩です。実験機器のような道具のほかに、反証可能性のないものを検討しないなどといったルールや、データを統計で処理するなどの方法も道具に含みます。

*5:Sp事例については、本書「『Spファイル』について」を参照してください。

2013-03-06

ニヒリストにならないための懐疑論(中編)

この文章は2007年に超常現象同人誌『Spファイル5』に寄稿した文章です。3回に分けて投稿します*1

第1回:ニヒリストにならないための懐疑論(前編) - Skepticism is beautiful

第2回:今回

第3回:ニヒリストにならないための懐疑論(後編) - Skepticism is beautiful


重要視される体験談

ところで、超常現象の話題で最も印象的な「証拠」はなんといっても体験談ではないでしょうか?超常現象の話では、体験談が最も直接的で強力な証拠とされる場合が多いと思います。超常現象はそんなに都合よく何度も起きませんし、異常な物理的痕跡が残る事も殆どないようですからね*2

とても残念なことですが、超常現象は電車内の痴漢と一緒で、体験者の証言ぐらいしか頼るところが無いのが現実です。証拠が重要視される実際の法廷でも、証言が証拠として採用されているのですから、超常現象でも体験者の証言である体験談が重要視されるのは普通のことではないでしょうか。むしろ体験談を軽視する方が異常かもしれません。

海外で行われた調査では、40%〜50%の人が自分又は身近な人の体験を、超常現象を信じるようになった理由としてあげています。このことからも、体験談が重要視されていることが伺えます。

体験談というキーワード超常現象を考える上で外せないもののようなので、体験談の構造を知る事や、本当のところ体験談がどのぐらい信用できるものなのかということを考える必要がありそうです。


ちょっと驚く体験談の実例

霊体験などについてなら、友達などからでも多くの体験談を聞くことができるのではないでしょうか。軽く想像しただけでも、体験談を全て信用した場合に目の前に広がる世界と、信用しない場合に目の前に広がる世界には驚くほどの違いがあります。ちょっと想像してみてください。

ではどちらが現実の世界に近そうでしょうか。体験談はこんなにも信用を集めているにも関わらず、私は体験談を信用しない世界の方が現実に近いと感じてしまいます。これは人によって全然違う答えが返ってきそうですね。

認知心理学者などの研究のおかげで既に明らかになっていることだけでも、体験談には様々な弱点があり、証拠として用いるのはあまり勧められることではないようです。

次の項目では、体験談の構造を概観しますが、その前にその構造に示した様々な要因を全て含んでいるのではないかと思われる体験談を見てみましょう。1968年のひとつの事件に対する複数の目撃報告です。これは『未確認飛行物体の科学的研究第3巻』からの抜粋引用です。


  • 物体の性質
    • 「降下し、それから見事な編隊で前方に進んでいました。破片が重力に逆らえるのでしょうか?」
    • 「物体の経路が水平だったので物体を衛星の破片や流星だとは思いません。」
  • 物体の出現
    • 「目撃者は皆……翼のない細長いジェット機のようなものを見ました。前も後ろも燃えていました。目撃者は皆、窓がたくさんあるものを見ました。……もしUFOに誰かが乗っていて、窓の近くにいれば、見えたと思います。」
    • 「太い葉巻のような形に見えました……。こちらから見える側には四角い窓があるようでした……。機体は多くの板で構成されていて“リベット”打ちされているようでした……。“窓”の内側から光が漏れているようでした。」
    • 「普通のお皿を逆さまにして上部の出っ張りをなくしたものという感じです。皿よりもすこし細長かった。底の真ん中が出っ張っていて、それは底の半分程度ありました。」
    • 「炎は見えませんでしたが……金色の花火がたくさん見えました……。私の考えでは、それはライトが3個ついた固体燃料ロケットか、3個の楕円形の円盤型の飛行体です。」
    • 「あきらかに円盤型をしていました。」
  • 編隊飛行
    • 「間違いなく軍用機の編隊飛行でした。」
    • 「1個の物体がもう1個を追跡しているように見えました。追跡されている方が速度が速いようでした。追跡側は……もう1個の方を撃墜しようとしているように見えました。」
  • 距離と範囲
    • 「だいたい木の高さ付近で、非常にはっきりと見えました。数ヤードしか離れていませんでした。」
    • 「私たちは、尾をたなびかせた2個のオレンジ色の光体を目撃しましたが、その距離は2ヤードほどでした。」
    • 「自分の町の南にある雑木林に墜落したと思いました。」

このとき目撃されたものは、ゾンド4号*3の大気圏再突入の光景であったことが判明しています。これは非常に目立つものだったので、上の証言をした人達が目撃したものが、ゾンド4号とは別のものだったという可能性はまず考えられません*4

この体験談を読むと、高空で燃えながら落ちる複数の破片を見たはずなのに、体験談として語られるときには、もう何らかの航空機または宇宙人の乗り物(エイリアンクラフト)としか考えられないような話になってしまうことが分かります。距離も相当離れていたはずなのに、かなり近かったと考えている人がいたようです。

事実と体験談の間に存在しこれだけの違いを生み出すプロセスを考えてみましょう。


体験談の構造を概観する

体験談とは一体何なのでしょうか。ここでは体験談を「ある人物が体験したことを語った報告」という視点で考えてみることにします。実際の出来事をある人が体験した場合、起こった出来事(事象)と体験談の間には図のようなプロセスがあります*5

f:id:lets_skeptic:20130306185903p:image

このプロセス図を見ただけで、ある程度理解してもらえるかと思いますが、体験談の記録は実際に起こった事象の記録ではありません。事象から得た情報を様々な方法で加工したものだと考えた方が適切です。

UFO界のガリレオと言われるJ・アレン・ハイネック博士はUFOの研究について「UFO研究とはUFO目撃報告の研究である」といった趣旨のことを言っています。

つまり、できるのは体験談の研究でしかないということです。そして、わざわざ分けて考えるのは、起こった事象体験談の間には無視できない違いがあるということです。ゾンド4号の件でもこれは理解していただけるのではないでしょうか。

このことはUFO研究に留まらず、超常現象の多くの場面に当てはめることができます。なぜなら、それはUFOの問題ではなく、体験談の情報処理の問題だからです。

「また聞き」はこの問題をさらに大きくします。体験談が人づてで伝わるときには、プロセス図の出力である体験談が、次の人の事象となってしまいます。このことにより、再びプロセス図のような複雑で変化しやすい情報処理を通ってしまうことになるからです。単純な伝言ゲームでもうまくいかない*6ことからわかるように、このような情報伝達は、うまくいく可能性がかなり低くなってしまいます。

私達が普通に聞く体験談というのは、紛れもなく上に書いたようなプロセスを通ったものです。さらに注意しなければいけないのは、体験談として聞いた人だけでなく、体験者ですら他人に伝える直前の状態まで変化した情報しか知る事ができないということです。体験談は事実と大きく違うかもしれませんが、体験者は決して嘘やデタラメを言おうとしているわけではないということですね。

こういった、実際に起きた事象の記録ではなく、色々と変化した情報しか持つ事ができないという性質は、誰もが平等にもつ人間の基本仕様というわけです。

このような問題を知らないのならば、体験談をもとに超常現象を信じてしまうということは、全く異常なことではないと思います。その方が自然だという捉え方が正しいかもしれません。

体験談の問題点が少しは整理されたでしょうか。このプロセス図はあまりに抽象的過ぎて、分かりにくい点もあるかもしれません。情報のゆがみの原因となる個々の要因については、次回以降の機会があれば掘り下げて解説したいと考えています。

*1:文章自体は無編集です。

*2:異常でないものでよければ結構あるようです。

*3:ゾンド計画は、米国のアポロ計画のライバルとなるソビエトの有人月探査計画のひとつです。正確にはソユーズL1計画として「有人月接近飛行」を目的とされており、ソユーズL3計画の「有人月面着陸」を目的とした計画とは別です。

*4:もし仮にそのようなことがあるとすれば、ゾンド4号の再突入の光景もUFOとは別に同時に見えたはずです。もちろん、そのような報告はありません。

*5:網羅的ではないですし、一般的な心理学の分類とは異なる分類を使っています。そういった意味で不正確かもしれませんがお許し頂ください。通常、心理学では記憶過程を獲得期・保持期・検索期の3段階に分けるようです。

*6:伝言ゲームではこのプロセスよりもだいぶましです。情報選別の必要性が低いこと、次に伝える時間が短いために、記憶を通すことによる情報の欠落が起きにくい(それでもかなり起こる)こと、また事後情報による記憶の汚染が起こらないこと、それから誇張や演出が加えられる可能性が低いという性質があるからです。

2013-03-05

ニヒリストにならないための懐疑論(前編)

この文章は2007年に超常現象同人誌『Spファイル5』に寄稿した文章です。3回に分けて投稿します*1

第1回:今回

第2回:ニヒリストにならないための懐疑論(中編) - Skepticism is beautiful

第3回:ニヒリストにならないための懐疑論(後編) - Skepticism is beautiful


信じる事から脱したとき、純粋に超常現象を楽しめる道が見える

超常現象は非常に楽しい。単純にワクワクドキドキすることもあれば、どんな仕組みが裏に隠れているのだろうと首を傾けて不思議に思うときもあります。時には爆笑したり、ツッコミを入れたくなったり、泣けたりする場合もありますね。

ところで、ちょっと考えてみて欲しいのですが、超常現象を楽しむときには、超常現象を信じていないといけないのでしょうか?何かの拍子に超常現象を信じていないことをポロッと出したりすると「夢がない。面白くない人。」などと言われてしまう場合があります。

確かに頭から否定して「ナイナイ、ありえない」なんて言って話を終わらせてしまう人なら、間違いなく全く楽しめないですよね。でも私は、超常現象を見たそのままの事実だと信じてしまうことだって、本当に楽しむ事の邪魔をしてしまうのじゃないかと思います。

例えば、超常現象が事実だと信じて疑わない人は、その超常現象がジョーカーの良く出来たジョークだった場合に楽しめるでしょうか?思わず不快感を持ってしまって、そこで話を止めてしまいたくなったりしないでしょうか?

認知心理学などでわかってきた「信じる心理」に関する話も「お前の信じている超常現象なんて全て錯覚さ」なんて言われているような気がして、楽しめないのではないでしょうか?

自分が信じていることを部分的にでも否定されてしまうと、どうしても楽しむよりも不快感の方が大きくなりそうです。でも、ちょっともったいないですよね。ジョーカーのジョークだって、認知心理学だって楽しめることなのに、自分が超常現象を信じ込んでいるから楽しめなくなるなんて。

そんなわけで、超常現象を楽しむために、やみくもに信じることをやめてみませんか?

いえいえ、ここでは「超常現象などないのだ!」と信じた方がいいとか、信じて欲しいとか言うわけではありません。ただ、超常現象を自分の信念から解き放って大空へ自由に羽ばたかせてみませんか?ということです。もちろん頭から否定してもダメですよね。

私からは、超常現象を大いに楽しむ前の段階として、超常現象をやみくもに信じない考え方といったところについてお話させていただこうかと思います。


超常現象を信じるのは人間の基本仕様だ

超常現象に関する議論を見たことがある方なら「なんでそんなことを信じているのだろう?」と思う方も「なんでそんなに信じられないのだろう?」と思う方もいらっしゃるのではないかと思います。

超常現象を信じない人の中には、超常現象を心から信じている人のことを「愚か」だとか「合理的思考ができない」といったように、いわゆる「劣っている」という見かたをしている人もいるかもしれません。でも、私はそうは考えていません。

結論から先に言うと、超常現象を信じる傾向は人間だったらみんなが等しく持っている「基本仕様」なんです。「基本仕様」だからこそ、この傾向自体は避けられません。

人間は多くの場面で、現在のコンピュータにも再現できないような、高度な情報処理を行います。私たちの脳はとても見事な仕事を日々やり遂げていますよね。

なぜ人間は、正確無比なコンピュータができないようなことまでできるのでしょうか。それは、人間の情報処理の仕方が現代のコンピュータとは違うからです。例えば詳細な情報をばっさり無視して一部の情報だけを取り出したり、情報が少なすぎて結論が出ないはずのものに「えいやっ」と答えを出してしまったり、似ているものを同じものだということにしちゃったり…と、曖昧なものを曖昧なままに上手に効率的に処理するからです。

このように色々な場面に上手に対応したり、効率よく対応したりするためのシステムは、うまくいく事も多いのですが正確さを犠牲にしてしまう面もあります。たまに間違ってしまうのは、当たり前のことでしかありません。

人間は情報処理の効率化のために、ときに不正確であったり間違っていたりすることを信じ込んでしまう傾向を“仕様として”持っています。この仕様のために、きちんとした根拠がなくても超常現象をまごうことなき真実だと確信してしまう場合があるということです。

あれあれ?結局「超常現象はない」って前提で話を進めちゃうの?と思った方もいるかもしれませんね。でもちょっと違います。「超常現象のあるなしに関係なく」人間の仕様は超常現象を信じる方に傾きやすいということです。


基本仕様に回避方法はないのか

基本仕様は仕様であるからこそ、避けるのが難しいということを知ってもらいたいとおもいます。例えば、以下のような錯視図形を見たとき*2、正確な正方形だけで書かれているようには見えません。どうがんばって見ても、殆どの方はゆがんだ四角形を組み合わせて中央が膨らんだような図を作っているように見えるのではないでしょうか。本当に「そう見えるのだからしょうがない」という言葉が適切だと思います。

f:id:lets_skeptic:20130305190211j:image

「ゆがんだ四角形を組み合わせてつくった図だ!」というのは間違いです。でも、決して馬鹿にされるような間違いではないですよね。実際そう見えるのは事実ですから。これは、間違うからといって、それ自体が愚かなわけではないという例でもあります。

ただ「間違いだ!でも基本仕様だからしょうがないよね…」なんていくら基本仕様だと言われても、ちょっとした慰めになるだけで、できることなら間違いたくないのが本音ですよね。本当の事を確かめたい。

このような図の場合は、定規等を図に当てて確かめることができます。印刷がゆがんでいなければ、これが正方形だけを組み合わせて作った図であることがわかるはずです。

確かに正方形だけで作られていることはわかりました。けれども、定規を離してしまうと、よく見ても相変わらずゆがんだ四角形を合わせた図にしか見えないことは変わりません。

つまりこういうことです。基本仕様だから仕様を変えることはできないけど、仕様の問題点を知っていれば、道具を使うという発想ができるし、道具を使う事で仕様の問題点を回避できるかもしれない…と。逆に言えば、道具を使わなければどうやっても避けることのできない間違いもあるということですね。

*1:文章自体は無編集です。

*2:「北岡明佳の錯視のページ」http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ より。

2012-11-30

シャープのプラズマクラスター掃除機について

まず最初に確認しておきたいのは高濃度のプラズマクラスター』が、「浮遊アレル物質タンパク質を分解・除去」できるというのは、根拠のある話らしいということです*1。そういった前提を置いた上でも、件の掃除機の広告には問題があるという、消費者庁の判断は妥当なものだと思います。

広告では以下のような宣伝をしていました。

掃除機の中も、お部屋の中も、清潔・快適

掃除機内部で浄化したクリーン排気に乗せて高濃度7000「プラズマクラスター」を室内に放出。床と一緒にお部屋の空気まできれいにします。

ダニのふん・死骸の浮遊アレル物質タンパク質を分解・除去

「掃除機を使うことで、部屋の空気をきれいにできる」と明確にうたっていたわけです。

「約15分で91%作用を低減します。(1㎥ボックス内での実験結果)」というように、(実情と合わない)実験環境での効果だと注記をしていてもあまり意味はありません。消費者目線でいえば、この商品が他の商品よりも優良な点は『プラズマクラスター』発生装置の搭載によって、部屋の空気をきれいにできる付加価値があることだという認識をするわけです。

今回は、その効果がないのに効果があるように宣伝した、ということで問題になりました。はっきりいえば、ウソまたはウソに準ずる広告だったということです。これがNGだというのは分かりやすい話です。

しかし、ここで立ち止まるのは片手落ちです、たとえ掃除機の広告に『プラズマクラスター』に関する宣伝が全くなくても、掃除機が『プラズマクラスター』発生装置を搭載していること自体がひとつのメッセージになっています。

そもそも、掃除機に『プラズマクラスター』発生装置を搭載しているからには、掃除機の通常の性能に加えて、付加価値になるような効果があるという期待をするのが普通でしょう。ちょっと調べれば、『プラズマクラスター』には部屋の空気をきれいにするような効果があることがわかります。考えを進めれば、掃除機に空気をきれいにする付加価値を付けた商品であるという理解になるはずです。

広告から空気清浄効果に関する記載をなくしたとしても「効果がないにも関わらず、効果があると誤認させる」という問題は存在し続けます。「優良誤認」の判定は受けなくなるでしょうが、非常に脱法的な状況のままにあります。僕は、企業倫理として問題のある状態だと考えます*2

参考:結局プラズマクラスターは効果があるの? ないの?! シャープに聞いてみた | ガジェット通信 GetNews

*1:それほど調べていないので第三者機関を信用して伝聞調で表現しておきます

*2:これは、いわゆるマイナスイオン商品と同じ状況です。マイナスイオン商品については、マイナスイオンの明確な効果をうたう商品は少なくなっています。企業は「マイナスイオンを出す」ということだけを主張し、消費者が勝手に誤解するのを期待しているのです。

2012-10-02

『検証 予言はどこまで当たるのか』震災への言及もあるよ

検証 予言はどこまで当たるのか』は、文芸社から出版されたASIOS新刊です。発売日は10/3。古今東西の予言を検証するという内容の本です。安定のASIOS本なので基本は分かりやすく【伝説】パートと【真相】パートを持つ構成となっています。

震災関係のデマや新たな震災が起こるという予言に触れた箇所もちょこちょこあります。


帯コピー

2012年地球滅亡説から、マクモニーグルノストラダムス聖書暗号やファティマ、聖徳太子や出口王仁三郎等、日本・海外を舞台とした古代から現代までの主要な予言をすべて取り上げ、予言は本当に当たるのかを徹底検証。さらに「予言を信じてしまう」心理にも迫る!


目次

まえがき――予言はどこまで当たるのか(本城達也)

第1章

2012年に人類は滅亡するのか?(本城達也)

みずがめ座の時代」には世界は大きな変革を迎える?(山本弘

ピラミッドには過去の重要な歴史が記録され、未来も予言されている?(本城達也)

ジョン・タイターは未来からやってきたタイムトラベラーだった?(本城達也)

ジョー・マクモニーグルはリモート・ビューイングで未来も過去も透視できる?(秋月朗芳)

[コラム]中東の終末予言予言者たち(羽仁礼)

第2章

ノストラダムスは王家の運命から自分の死まで予言した? (山津寿丸)

ノストラダムスはフランス革命を予言した?(山津寿丸)

ノストラダムスは2012年人類滅亡を予言した?(山津寿丸)

ノストラダムスは21世紀のために極秘予言を残していた?(山津寿丸)

エドガー・ケイシーリーディングは、未来を予言した?(皆神龍太郎

ジーン・ディクソンの予言の的中率は85パーセントだった?(本城達也)

第3章 日本の予言

出口王仁三郎日本史上最高の予言者だった?(原田実

聖徳太子は死後2000年の未来を予言していた?(本城達也)

「伯家神道予言」は本当に存在するのか?(藤野七穂

『をのこ草紙』は実在した予言書なのか?(藤野七穂

[コラム]予言心理学――人は無知や愚さから信じるのではない(菊池聡

第4章 キリスト教聖書・カルト関連の予言

ヨハネ黙示録」は神の終末計画書だった?(蒲田典弘)

ヨハネ黙示録」はチェルノブイリ原発事故を予言していた?(秋月朗芳)

聖書暗号――聖書は神の予言の書だった?(皆神龍太郎

ファティマの予言はすべて現実となった?(本城達也)

聖マラキは代々のローマ教皇予言した?(山津寿丸)

[コラム]UFO予言「少しだけ先の未来」(秋月朗芳)

第5章  こんなにあった!  当たらなかった世界滅亡・大異変予言オンパレード(外れたときの言い訳つき)(山本弘

予言との賢い付き合い方(座談会


オーバービュー

個々の項目については、ASIOSのメンバーに加え、ノストラダムス研究家の山津寿丸さんが加わっています。コラムと座談会では、心理学者菊池聡さんも登場します。個々の項目自体も当然充実しているわけですが、文芸社ASIOS本の特徴はプラスアルファの部分です。


5章の当たらなかった世界滅亡・大異変予言オンパレード

志水一夫さんの得意としたジャンルに近い雰囲気をもつ章です。怒涛の終末予言(大天変地異含む)は、その数に圧倒されます。この章を読んだ後では、ここまで外れまくっているにも関わらず(もちろん一度も当っていません)新たな予言が出てくるということが、ギャグとしか思えなくなるでしょう。


菊池聡さんのコラム

座談会でも触れられるのですが、震災デマや、これからより悪いことが起こるという予言を信じる心理についての考察が面白いところです。「予言は不安をあおるだけではなく、不安に原因を与える役割がある*1」という視点は、いままで殆ど語られることの無かった視点ではないでしょうか。「人は自分の信じたいことを信じる」→「では、なぜ不幸な未来の予言も信じるのか?」といった疑問についての、ひとつの答えになっています。

菊池聡さんは、そのメカニズムの中心にあるのが「認知的不協和理論」だと言います。色々語りたくなってくるところですが、まずは本書を読んでいただいてからの方がいいでしょう。


座談会

著者達が好き勝手に色々なことを語ります。菊池聡さんが参加していることもあり、心理学系の話題も多いのですが、めくるめく超常現象マニアの会話といったところでしょう。

座談会のテーマである「予言との賢い付き合い方」についての僕の答えは「批判的思考を身に着けるためのネタ」といったところでしょうか。


検証 予言はどこまで当たるのか

*1:宙に浮いた不安という感情の正当な理由になってくれる…不安な気持ちの帰属先の役割を担うという話。