Hatena::ブログ(Diary)

たまスパ

20110117

moccur が delete-other-windows するのが嫌なので

ウインドウ分割しまくりなので、あの仕様はツラい。

別に elscreen-create してからでもいいけど、わりとストレスになってたので。

   (defvar my-moccur-cancel-delete-windows nil)

   (dolist (func '(moccur-search
                   moccur-search-files
                   moccur-grep-sync-kill-buffers
                   moccur-mode-goto-occurrence
                   search-buffer-goto))
     (eval `(defadvice ,func (around my-rc:moccur activate)
              (let ((my-moccur-cancel-delete-windows t))
                ad-do-it))))

   (defadvice delete-other-windows (around my-rc:moccur activate)
     (unless my-moccur-cancel-delete-windows
       ad-do-it))

ただ、これ、コマンド実行をキャンセルしたり、途中でエラー出た場合、しばらく delete-other-windows が使えなくなっちゃう諸刃の剣

いい方法ないものかな。

20101215

まぁいくらデフォルトの見栄えが好きといっても

さすがに見にくいので、とりあえず、公式のテーマを使うことにする。

id:antipop さんの Hatena::Let のための emacs 拡張を使って、hatena-let/edit を書く

Hatena::Let ちょー便利。でも、emacs で使いたいねって思ってたら、id:antipop さんが Hatena::LetのエディタをEmacsにする - delirious thoughts にて保存する手続きを公開されてたんで、define-derived-mode して作ったモードから呼び出せるようにするんと、deferred 使ってソースを取ってくるのと組み合わせたら、すぐにできた。

あと、 hatena-let/new とか出来るといいな。

     (defconst hatena-let-mode-map
       (let ((km (make-sparse-keymap)))
         (define-key km (kbd "C-x C-s") 'hatena-let/save-code)
         km))

     (define-derived-mode hatena-let-mode js2-mode "hatena-let" ""
       )

     (defun hatena-let/edit ()
       (interactive)
       (let ((buf (get-buffer-create "*hatena-let*")))
         (switch-to-buffer buf)
         (deferred:$
           (deferred:url-post 
             "http://let.hatelabo.jp/api/code"
             `(("api_key" . ,hatena-let/apikey)))
           (deferred:nextc it
             `(lambda (gbuf)
                (set-buffer ,buf)
                (goto-char (point-min))
                (insert
                 (save-excursion
                   (set-buffer gbuf)
                   (decode-coding-string
                    (buffer-substring-no-properties 
                     (point-min)(point-max))
                    'utf-8)))
                (hatena-let-mode)
                (goto-char (point-min)))))))

ありゃ、CSSが

さくらサーバCSS置いてたの忘れてた。

契約更新すべきかどーか迷ってる間に CSS が取れんくなったのね。

負け惜しみではないけど、実はCSSがない素の構造化だけの見栄えって結構好きだったりする。

20101205

ほにゃらら-hook ってないのかなーとか思ったときに

(let ((L ()))
  (mapatoms
   (lambda (atom)
     (let ((name (symbol-name atom)))
       (if (and (boundp atom)
                (string-match "-\\(hooks?\\|functions\\)\\'" name)
                (not (string-match "-mode-hook" name))
                (not (string-match "\\`ange-ftp-" name))
                (not (string-match "\\`bookmark-" name))
                (not (string-match "\\`comint-" name))
                (not (string-match "\\`custom-" name))
                (not (string-match "\\`cl-" name))
                (not (string-match "\\`byte-compile-" name))
                (not (string-match "\\`Info-" name))
                (not (string-match "\\`calendar-" name))
                (not (string-match "\\`cperl-" name))
                (not (string-match "\\`eieio-" name))
                (not (string-match "\\`tramp-" name))
                (not (string-match "\\`vc-" name))
                (not (string-match "\\`speedbar-" name))
                (not (string-match "\\`semanticdb-" name))
                (not (string-match "\\`semantic-" name))
                (not (string-match "\\`elscreen-" name))
                (not (string-match "\\`rmail-" name))
                (not (string-match "\\`dired-" name))
                (not (string-match "\\`url-" name))
                (not (string-match "\\`column-number-mode-" name))
                )
           (setq L (cons atom L))))))
  (dolist (a (sort L (lambda (a b) (string< (symbol-name a)(symbol-name b)))))
    (insert (format "%s\n" a)))
  (length L))

こんなのを書いて候補を絞り込みつつ探している私です。

直前の人の出した答えに質問を
A.糸尻Q.急須の注ぎ口の事なんて言うの?
直前の人の出した答えに質問を
A.CAQ.CQCQ
id:lieutar
あの映画の同性間でしか子供が出来ない設定に何故しなかったのかと言うのを邪推するに、やはり教会と言う存在があるのではないだろうか。規範の設定者としての宗教の存在感の強い社会だと、説教のシーンを入れることで規範が縛るものの大きさと設定の恣意性がより伝わるとか。まぁあくまで邪推。それはそうと「ここに地獄があります」と言う告発の前後には「俺関係ないもん」が続くいつもの光景。
id:lieutar
土用の丑を越えて言うのも何だが、あらためてウナギと土用の丑の関係を調べてみると、元々の由来のダジャレだけではなくビタミンA・B群が豊富なので夏バテ対策としての効果が期待できなくもないって、そりゃ無理矢理じゃないですか。なんか製薬会社とか、土用の丑はビタミン剤とか広告打ってくれねーかとか。ちなみに夏バテに効果があるとされているのは、http://www.naruoseikei.com/hakuzan/10/10.html によると、ビタミンB1、アリシン、ビタミンC で、確かにビタミンB1はウナギに多いものの、http://www.eiyoukeisan.com/calorie/nut_list/vitamin_b1.html なんかによればより安い豚肉の方がはるかに多く、いや本当ダジャレ以上のものは考えなくていいみたいね。
id:lieutar
基本的に我々の社会の倫理は道徳をそれほど省みるものになっていなかったり、現文科相やその周辺のように道徳を履き違えているような人々に代表されるように(自分自身結構最近まで結構あやふやだった)倫理と道徳の区別が出来ていない為、その混乱は恐らく教育現場にそのまま反映されてしまっているのではないだろうか。教育と言うと、教育者が被教育者に一方的に矯正するようなものではなく、被教育者もまた自身を教育するものである。とくに少年期の社会の一員としての規範を学ぶとき、自らが自らに課されるべきと思った規範と言うのは、守られねば人にあらずと言う強烈なものがあるのではないだろうか。そういった中自らに課されている筈の規範について、理解の及ばない理由によって免除されているように見える人を身近に見るとき、嫉妬や理不尽に対する怒りのような感情が吹き上がる。想像で語るしかないのだが、発達障害に対する新しいタイプの差別はおそらくそのような背景によって出てきたものではないかと思えるし、実際、大人、子供を問わず「ふつうの人」による苛めの背後にあるものとしてそういうものが少なくはないと思う。ここに欠けているのはそれら規範を相対化する視線であり、相対化した上で自らに課す規範に対しそれが適切かどうか、愛すべきものであるかどうかと言うことを反省する習慣ではないだろうか。
id:lieutar
さて、ハイクお気に入りの整理について重い腰を上げている。フォローに対しフォロー返しをするのを基本としているのだが、フォロー解除に対し解除返しをするのが結構面倒で、このへんは API を叩いて何とかするところかもねーとか思いつつ、そこまで手が回らないよなーとかいうまま続いている状態、とりあえず気の付いた範囲で解除をして行く所存。解除をされない場合は気がついていないか、気になるので解除をしていないかどちらか。
id:lieutar
&gt;&gt; ──「徳川美術館部長 セクハラ」 審判申し立て 本人否定 申し立てたのは、管理部に勤める40代と50代の女性。申立書によると、管理部長は2013年1月から今年5月までの間、2人に対し、肩や手を触ったり、ホテルや旅行に誘うなどした。また、ボーナス査定時に「パワハラ、セクハラに付き合えば10万円アップ」と発言。「ジャズクラブに行こう」などと誘い、断られると「業務命令だ。出世に関与する」と威圧するなどしたと主張している。 そのうえで「管理部長の行為は女性職員の人格権を侵害する違法行為。黎明会は使用者責任があるのに、セクハラとパワハラを放置し、職場環境を改善しなかった」としている。 管理部長は大手都市銀行を退職後の11年10月、黎明会から徳川美術館に派遣され、翌年4月から業務部長(現・管理部長)を務めている。 管理部長は取材に「(ハラスメントの)事実はない。既に内部で調査されていて(女性職員らの主張は)ほとんどうそだと判明している。ほぼ解決済みだ」と話した。 美術館の館長も務める徳川会長は取材に「詳細を把握していないので現時点でコメントできない。今後、内容を精査し、心ある対応をした。財団の社会的責任において適切に対応したい」としている。 労働審判は、労働関係のトラブルを迅速に解決する手続きとして06年4月に始まった。裁判官1人と労働問題専門家2人が審理し、話し合いによる調停か審判による解決を目指す。結果に意義があれば訴訟に移行する。 ──注意の副館長に退職勧奨 女性職員がセクハラ、パワハラ被害を受けたとして労働審判を申し立てた徳川美術館では、15人の女性職員のうち、当事者の2人を含む6人が管理部長のセクハラを証言する陳述書を提出した。一方で、管理部長にハラスメント行為をやめるよう注意したとされる男性副館長(58)が11日、徳川黎明会から退職勧奨されるなど「お家騒動」に発展している。 申し立てた40代女性は25年間、美術館で勤務。「ハラスメントに悩んでいたが、契約社員という立場を考え、我慢していた」と話す。 関係者によると、女性らは副館長に、ハラスメントについて相談し、副館長は管理部長に注意したが、管理部長は行為を否定。黎明会ナンバー2の専務理事は「管理部長がそんなことをするはずがない」と、逆に副館長を叱責したという。 女性は「副館長への処遇はあまりにひどい。このままでは美術館の運営はできなくなる」と懸念し、申し立てに踏み切ったと説明する。 副館長は、黎明会の徳川会長にも管理部長の行為を訴えたという。「会長は職員を守ろうと、できる限りの努力をしていただいた(※ママ)。だが管理部長らは会長の指示や判断を軽視し、圧力をかけることもあった」と主張。「財団上層部が管理部長の行為を組織的に書くし、私たちに混乱の責任をかぶせている」として、退職勧奨に応じる気はないという。 黎明会は取材に「退職勧奨したのは事実。理由は簡単には言えないので後日、きちんと説明する」と話した。 中日新聞(紙面版)「徳川美術館部長 セクハラ」 審判申し立て 本人否定&lt;&lt;徳川美術館をめぐるセクハラおよびパワハラ問題について - 水餃日記署名はこちらへ 徳川美術館 四辻秀紀氏・大田智恵氏への退職勧奨の取り消しを求めます。 - Change.org
id:lieutar
[古い宇野さんたちの語らいを見て] 「かわいい」と言う感覚は、それが「思わず自己投影をしたくなる」と言う対象に引き起される感覚なのだと思う。それは自分の鏡像として突き付けられるものではなく、ぼんやりとした自己イメージをあてがうのに丁度良いと感じられるものだ。自分自身幼少期は「子供がかわいい」など思ったことはないが、小動物や図鑑で見た恐竜、ドラえもんやハットリ君などのキャラクターに今から思えばほとんど性欲に近い同化欲求を持っていた。今では子供と言うか、アニメキャラクターなどの子供的なものを世間でモエモエ言ってるのにそこそこ共感するのだけれど、それは自分が子供ではなくなったこと、かつて子供だった事の記憶に起因しているのだと思う。そして「かわいい」ものに対してセックスをしたいとか苛めてみたいとか支配をしたいとか言う欲望を持つ人はその人の他者との同化を実感できる様式がそういうものなのだと思う。だから「ロリコンは奴隷所有をしたがっている」みたいな物言いについては「そういう人もいるだろうね」としか返すことができない、あるいは「そういう人達に限ればそうだ」としか言うことができないのだが、その命題が成り立つ領域を視野狭窄的に拡大された物言いを見ると、その外側への意識があって、あえてそのような物言いをしているのか、そうではなくそれが全体だと思っているのか区別が付かない。愛の様式と言うのはしばしばおぞましく破滅的で、そうであればあるほどにより強い同化を感じられるものではないかとも思う。他者であればあるほどに、おぞましさは許容されない。だから激しいおぞましさの表現が許されると言う実感は同化の実感へと繋がる。だけど、どこまで強く感じてもその一体化とは幻である。だれかに成り代わる事は出来ないのだし、仮に出来たとして訪れる新たな現実は、また異なる乾きを生むだろう。それが満されないのは原理的なものだ。だから実際的、かつ一般的に選ばれるべきなのは自他に不可逆な影響を残さず、同化の欲望をほどほどに絶つ方法である。いずれそこには絶望しかない(死ぬときは一人)なのだが、持続可能な同化の幻想が生み出すものがしばしば大きいからこそ愛を望むのではないだろうか。また、実際に破滅的、破壊的な欲望が文芸の形で表現される事そのものは否定されるべきではないと思うのだが、一方で産業としての批判はなされるべきだろうとも思う。
id:lieutar
おそらく発達障害をとりまく新しい種類の差別と言うのは、他のマイノリティ理解への取り組みの結果としてのバックラッシュ現象と同じものではないかと。真摯な取り組みと言うのは、その結果が負の側面を持つものだけれど、その負の側面を持つ結果と言うのは取り組みに参加する殆どの人達に予測できないから起きるのであって、ほとんど回避が出来ないもののように思える。しかし、この予測の出来なさと言うのは、もしかすると運動に関わる、運動に理解を示す事そのものの背後にある抑圧こそが、マジョリティの、あるいはヒトの基本的で自然な性質を忘れさせてしまう結果なのではないかと。おそらくはバックラッシュを起こすような人々の動きと言うのは典型的な「症状」として切り分ける事が出来、それによって抑圧していたものを対象化できはしないだろうか?それともその対象化は新たな抑圧を生むだけなのだろうか?
id:lieutar
Cuddlefish って python で javascript の構文解析とかしてるのかなー、だとしたら面倒なことをきっちりとやってるよなーでももしかしたら単純な正規表現マッチかなーとか思えば思った以上に単純な正規表現マッチでのけぞる。cuddlefish の解析を逃れるには 「require」をプロパティとしてでも用いることができない。
空目
○ 旅のしおり× 旅のおしり。oO(かんなサン…)
id:lieutar
若年層であればあるほど「政治、わからん、棄権」の傾向が強く、なんらかの形で興味を持ったって結果が反映されやすいとは思ってるので、とりあえず「出口調査では」ってのは付けなきゃならん値だと言うのにはうなづけるんですが、山本氏の言う話もまた眉唾だと思ったもんで。実際には各世代に同様の傾向を持つ人が同じぐらいの割合でいるのではないかと言うのと、感情の増幅装置としてネットを用いる人の少ない高齢層には同じようなメカニズムで過激化する人は少ないでしょーけど、周囲の若モンたちの空気と一部のマスコミからタガが外れて来る人達もいるだろうって思ってます。なお、投票行動については高齢層は「政治、わからん、でも義務?投票」なので若年層より厄介で、単に冷戦時代から頭が切り替えられないとか、明確な意志を持つ既得権益層からの呼び掛けに流されやすかったりと言うものが多くて、リフレに活路を見出そうとした人々ってのもまた、過激な両極と同じくマイノリティだったと思います。んで、経済状況についての評価と言うのも実際には時間がかかるもので、何が原因で変化が起きたのか、あるいはその結果としてどのぐらいの、どのような人々の生活が向上し、どのような人々が割を食ったのかってのはなかなかに解りにくいもので、そんななかふんわりとアベノミクスと言う言霊だけが浮遊している状況ってのは結構危ういと思うのですよ。なんかそういうなか、あの対談の中での山本氏ってのは多くの人々の自身の政治性についての自覚や不安を忘れ去らせるようなメッセージを発しているように見え、なんだか百田放送委員の「オレは右翼じゃねぇ、普通だ!」の数百倍頭の良いバージョンって気がして正直警戒しています。
id:lieutar
ちうかなーあの対談での語り口っての、結局マイノリティは誰かを見極めて、それをやんわりと切り落しつつ支持を集めやすい語り口にしている感があって、山本氏自身の責任について回避しまくりな感じでもうなんか危なっかしくて真っ当に拾えそうなところがないのな。
id:lieutar
[ぼんやり]ネトウヨが40代にボリュームゾーンっての、もしかしてロスジェネで語るってのは間違いで単にそのあたりが団塊Jr.で母数が多いだけってのじゃないだろーなとか、いやさ、前の都知事選で田母神支持ってのが20代で最大だったわけでさ。
id:lieutar
と、言うか元になったエントリの日付とか確認しないでカキコんでるから案外古いネタに今更こんな書き込みをしているのかもしれないとか思いつつ、なんで釣られたかと言えば自分自身にこのへんを定期的に整理したい動機があって、そのエントリのはてブが引き金にはなったからね。
id:lieutar
なんかもう元きもちわるいアイコンの人のは最近釣り針臭がしすぎてあんまり近よりたくないのだが、あえて釣られつつカラースター遊びに付き合うこと回避の為にここに、そしてできるだけワケのわからないように書くけど、なんらかの命題は成立する空間と言うものがあるわけ。で、その空間の外側に出ればそんなものは成立しなくなるから、立ち位置について否認をすることで簡単にそれを否認することができるわけね。だからその空間の内外を同時に見れば、真偽の重ね合わせ状態を見ることができるのだけれど、故に無意味であると言うことはできないわけよね。問題は空間の構造ないし、その構造に意義を見出そうとする意志の問題であってさ。んで、いわゆる当たり前の事に対する問いと言うのは、その意志に対しての 反省、混乱、攪乱 のいずれかによって出てくるわけなのだけれど、結局のところはその命題が成り立つ空間の景色を眺めてみると言うことでしか回答はないわけね。ここで「質問に質問で返す」と言う回答法が現われるわけだけれど、攪乱しようとしている相手はそういう回答を絶対に否認する。んで混乱して落ち着く先を探している人、反省しようとしているが力及ばない人には、「ではそれが真とすることで可能になっているものは何か、あるいはそれを偽としたなら世界はどのような景色をしているのか」と言う問いとその結果のシミュレーションの世界を供に散策する事で答えが助け船を出すことができることが無くはないわけね。いやね、でも反省の為に自らを攪乱しようとして混乱とか、そういうコンボな状態もあるわけで、攪乱の要素があるからと言って一概には責められないのだが。
君をカレーに変えてスパイシー
参議院事務局『平成10年版・参議院先例録』433「議員は、議場又は委員会議室において互いに敬称として『カレー』を用いる」
君をカレーに変えてスパイシー
カレー主論
首を募集します
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lieutar/20140728/20140728195319.jpg
id:lieutar
あーしかし、なんかアレだよな親族の愛情みたいなものを「それは無償のものだ」みたいな事を言うのと「だから感謝しなければならない」みたいな事を同時に言うのは矛盾してやしないかねーとか思うわけだ。親族と言うのは自己投影しやすいもので、それ故に相手をまるで自分自身の様に大事に思うって事は自然な、それこそオナラやゲップと同じように自然な感情で、だからこそ本来それは見返りを求めて生まれる感情じゃないって事は解るのだけれど、でもこの最初の「自然な感情」の時点で既に致命的とも言える齟齬が出ているわけ。だって相手は独自の自我を持った固体として独立しているわけだし、根本的な価値観や感情パターンが異なればそのような形の「愛」が負担になる事も少なくないわけね。愛故にその対象に最大限の事をしようとする、多くの犠牲を払おうとする、その結果齟齬がもたらす悲劇を拡大してしまいかねないわけでさ。と言うか「無償の愛」なんてものは珍しくないわけ。片思いなんてのは「無償の愛」の典型じゃないの?無論、両思いになれるような事への期待ってのはあるんだけど、それが絶望的だとわかっていても湧き上がってくる感情なわけじゃない?「見返りは無さそうだ。ではこの投資には意味がない」って引き上げるものじゃないじゃない?しかもそれはしばしばおぞましいものになるわけじゃない?さらに「愛」故の思い込みが強くなって制御できなくなるとストーカーとかになって自他に破滅的な結果をもたらすわけじゃない?ストーカーに殺されたり、郵便受けになんか汚物を投入されたりしても「感謝しなければならない」わけ?あるいは自分がなんか強大な生物のペットで、美しくしてあげるとか言われてなんか得体の知れない整形手術を施されて、鼻も耳もないツルッツルの顔にされた挙句、何の同意の確認もないまま去勢されちゃったりしても、その飼い主はペットである自分を間違いなく愛しているわけだけど、そのペットは自分の処遇に怒る自由はないわけ?とかな。
id:lieutar
精神的に追い詰められているときに人に会うと、なんだか世界中が敵と言うか決定的に取り付く島が無い気分になるので、そういうときは人に会うべきじゃないなとは思うのだが、「そのときは精神的に厳しいので会えません」と言うことの伝わらなさと言うのがまた取り付く島の無さに拍車をかけるのだった。
id:lieutar
脳味噌とろけるほど考えて、実際にとろけたかのように居眠りをして、なんだかそこはこだわるべきではないと言う気がしてきた。
id:lieutar
ところでそのモジュールシステムには二つのモジュールのロードの要求方法が用意してあって、ひとつは参照ないし、参照を通じた振舞いを直接的に利用する use と、あるモジュールをロードしたことによる副作用を利用する pragma である。後者はたとえばグローバルオブジェクトの振舞いを変更したりするものの為に用意したのだが、結局のところほとんどそれは用いることがない。んで、プロシージャ内 use のようなものの実現の為に、この機能を用いることが出来ないかと思っていて、そういう種類の参照を含むモジュールは自身を利用するモジュールの pragma を動的に追加すると言うもの。ただ、この、pragma の追加ポイントがどこが適切かどうかと言うことがいまひとつ別りにくい。先の利用法の明示の必要性と言うのは、その検索に用いる為なのだが、これについてすら再考が必要な気もしている。
id:lieutar
あるモジュールがそのモジュールの初期化の為に他のモジュールを用いる場合、そのモジュールの生成物の振舞いが必要なときと、単に参照のみが必要な場合とがある。この場合、後者は必ずしも参照そのものを初期化時に用いる必要はなく、参照に変わるものをモジュールのリポジトリに必要な時に問い合わせると言うことでも良い。node.js や、 firefox addon-sdk などのモジュールシステムでの、トップレベルの require と、各プロシージャ内の require にはそのような差があって、とくに後者を用いるのは循環参照による、初期化の失敗を防ぐと言う目的がある。ところで、手元プロジェクトのモジュールシステムがあって、これはプロシージャ内 require のようなものを極めて限定的な形でのみ提供している。このモジュールシステムは基本非同期で動作するものであり、もしプロシージャ内 require のような利用をすれば、そのプロシージャはもれなく非同期プロシージャとして実装する必要がある。そのため、プロシージャ内 require については、モジュールのロード機能を省いたもので、実行時には何らかの形でそのモジュールはロードされていると言う想定の元で、単にリポジトリからモジュールの成果物の参照を得る機能だけを提供しているのだが、このロードを確約する方法を提供できないものかと言う問題につまっている。この問題を解決するためには、これまでのモジュールの利用宣言に、あるモジュールの利用の宣言が参照のみを必要としているか、それとも振舞いを必要としているのかを明示的に宣言させなおす必要があって、そのためには多くのモジュールを更新する必要がある。
id:lieutar
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lieutar/20140727/20140727112121.png?1406427686
id:lieutar
とりあえず気に入らないものを押し付ける言葉としてある言葉を選んでしまって、そんなことを続けている間にその言葉の意味がどんどん膨らんでしまって、その定義が「あるジャンルにおいて私の気に入らないもの」に近接して来ると言う現象と言うのはしばしばあって、それは気に入らないものについて考える事に長けていないが故に起きるのかもしれないとか、見たくないものは見ないようにする性質が基本なのであればそれは頻繁に起き、尚且つその果実は共有されやすいものなのではないかとも思う。共有は内容までが共有されるのではなく、あくまで表現のみが共有されているのに、内容の共有が行なわれたと言う錯覚のもと行われ、あとは単に呪いの言葉だけが残る。その状況は暴力の連帯を生みやすい状況であったり、実体を失くしてしまった概念が思考のノイズとして働き精神活動が阻害されやすいと言う自他にあまり良い影響を及ぼすものではないのだろうけれど、とりあえず明かに日常語としてやたらと流通しているわりに定義の実体が見えない語は世に溢れている。
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ブコメクリックで個別ページに飛ぶのがうざい。
何の報告かわかりませんが
と思っていたら764枚目に、丸の中にセミのある画像が…もうすこしで765だったのにと思えばすこし残念。
何の報告かわかりませんが
「蝉丸」で画像検索しても、丸いセミ画像はついに見付かりませんでした。
何の報告かわかりませんが
「セミヌード」でGoogle画像検索をして、最初にセミの画像が出るのは、エロフィルタなし -&gt; 310枚目エロフィルタあり -&gt; 157枚目なお、前者が競泳水着に大量のセミの抜け殻をつけ、「セミヌードっちゅうか、セミの服を人間の服の上に被せてるやないけ」と言う残念画像で、後者がセミの脱皮シーンであり、まさしくセミヌードでした。
id:lieutar
BGVにしているアニメでモブキャラの男の子がバレンタインデーに他の男の子にチョコレートを渡そうとして、差し出された男の子が大袈裟に驚くと言う芝居が背後にさりげなく描かれていたのだが、その性愛の形に違和感を唱える人に出会う事が殆ど考えられない異性愛者であっても好意を伝える事による不安と言うのが定番ネタとなるのに、セクマイの場合はそれが「何倍」とか言うのが馬鹿馬鹿しくなるほど激しいオーダーで跳ね上がるのだよなと。とりあえず「人のセックスを笑うな」と言うのは基本的姿勢ではあるのだが、性愛についての学習と言うのは基本的な事であっても、普通第二次性徴あたり以降となっていたり、他者についての学習と言うのがある段階であまり行なわれなくなるように思えて、たとえば身体的特徴を嗤うべきではないと言うことよりも緩く学習されてしまっているようにも思え。
id:lieutar
[思い付き] コロンブスの玉子の逸話って、現代においては多少受け止め方を変えなきゃならないものの一つで、あれはまぁ簡単な解決策があってもなかなか思い付かない事があるとか、発想の転換によってチャンスが眠っているかもしれないとかって事がとりあえずの受け止めかたとされるものだけれど、でもあれってコロンブスとその部下達と言う、たかがテーブルを囲める程度の人数での出来事なのよね。現代のように情報が自在に行き交う時代かつ、人大杉状態では、あの程度の発想をしてしまう人ってのが、下手すればン千万人クラスでいるだろうことが可視化されやすく、発想力よりも適切なネットワークを選択し繋がって行く能力の方がよりチャンスに繋がりやすいとか、ちょっとしたひらめきが生み出す自己効力感が逸話が出来た時代よりはずいぶんと低く見積らなければならないとか、多分そのへんを、たとえば子供達に逸話を教える場面で伝えられるかどうかみたいなものが変えるものってあるんじゃないかとか、なんつか、そういう積み重ねってのは格差の固定みたいな話題にも繋がったりもするよねとか。
私は其れが麻薬だと思って いる
恐しい子
私は其れが麻薬だと思って いる
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/18/Stiftshuette_Modell_Timnapark.jpg
id:lieutar
よく目にするアイコン、よく目にする書き込み、そんなところで帰属欲求だか何だかがある程度満たされてしまうと、それ以上に観測範囲と言うものはあまり拡がらないものだなと思う。興味の中心となるものから拡がって行く可能性と言うものはあれど、SNS利用初期のようなダイナミックさと言うのはなんだか初恋を思い出すような感じ。過去の自分ではあってもまるで性質の異なる他者を見る感じなのな。そーゆー意識の中ある程度出来上がったコミュニティの参入障壁と言うのが、別にそのコミュニティの高みを示すと言うわけでなく、単にコミュニティの安定や老化を示すに過ぎないことってあるよなーとか。
id:lieutar
いい加減はてなのお気に入りも整理しなきゃなーとか思う。スターフレンドをハイクのお気に入りに反映させるあの方式がなんで廃止されたのかと思うけれど、そーなってしまったのだから仕方がない。
id:lieutar
&#34;no way&#34; と &#34;impossible&#34; の使いわけがよくからん。「うそん!」 と 「ありえなーい」 のようなものと思っているが、しかしなんか、「うそん!」と言うような相手を責めるようなニュアンスがなく、なんか脱出ゲーム的な所に閉じ込められて呆然としているイメージの &#34;no way&#34; がより可愛く感じてしまったり。
ライオン
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lieutar/20140724/20140724183702.png?1406194623
赤→黄色→青を繰り返す
http://cdn-ak.b.st-hatena.com/images/logo-bookmark.gif
id:lieutar
性欲の強さの男女差みたいな話を見て、オスがメスよりも激しい性欲を持っていると仮定し、その上で「性欲の強いオスの遺伝子が、そうでないオスの遺伝子を淘汰したのだ」みたいな話を見ると、じゃあメスはメス同士で繁殖していたのかよみたいな気分になりつつ、オスの場合だけに出現する何らかの性質だとすればまぁ説明できなくもなかったりもするので、まぁ何とも。どうにも自分には性に伴うリスクの差がその差異を作りだしていると言う獲得された差異だとするほうがなんだかしっくりと来るのだけど、そうだとすると子供の性欲に男女差は無いのかと言えば、やっぱりあるように思え、それが単に文化的なタブーの習得の結果なのかどうなのかと言えばなんだかそれも微妙な感じがする。
何かを受信
ゲロ以下プンプン丸
ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズからのメッセージをお読みください
「最後のお願い」ってメールが来てなんか悲壮感が漂っている。しかし、編集主体の特定がある程度は出来なくはないとは言え、各項目の責任者が不明な仕組みを維持する限り、皮肉にも www の質の低下を加速する装置になりかねない気もしてなんとも。無論、ウィキペディアと言うもののこれまでの功労は称えられるべきなのだが。
何かを受信
脱法grad(博士課程)
危険ドラッグ
http://drhart.ucoz.com/DragRacing/hockenheim_1.jpg
容量が減る
ペタ ジョーンズ
野生
野良 ジョーンズ
なぜ夏休みは宿題があるんだ?
なぜ夏休みがあるんだ?
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[思い付き] 音楽産業の世界的な不振と、&#34;音楽の所有&#34;に対する様式と欲望の変化みたいなものが関係しているような気がするのだが。かつて音楽をいつでも聞けると言うことは、結構な御身分を示すものだったのじゃないかとか、ボカロの所有とか、そのへんとかも絡めてみて、案外ひとびとが欲望していたのは音楽そのものではなかったのではないかとか。
Guns N’
http://www.gnus.org/pictures/gnus.gif
ヒット&
http://img.47news.jp/PN/201104/PN2011042501001160.-.-.CI0003.jpg
ヒット&
http://creationrevolution.com/wp-content/uploads/2011/11/11-18-11-ABR-Hittites.jpg
id:lieutar
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lieutar/20140722/20140722125456.png?1406001299
脱法ドラッグに代わる新名称を考える
後出しジャンケン的にマジレスすると、粗製ドラッグ
また弟ネタ
http://i4.ytimg.com/vi/IJzJLVQXl48/default.jpg
ジョン万次郎的空耳
「まぁ見てろよ」→「わぁ!楽しい!」
イートインっぽい言葉
http://www.gamesdbase.com/Media/SYSTEM/Arcade/Title/big/Ordyne_-_1988_-_Namco.jpg
ついてる・・・!
http://img1.wikia.nocookie.net/__cb20130712220050/ultra/images/4/48/Twin_Tail_vs_Ultraman_Mebius.jpg
ついてる・・・!
http://fc03.deviantart.net/fs70/i/2011/257/a/c/___but_i_can__t_by_nevletlenlulu-d49u74i.jpg
はてブ学園
転校生への陰口が止まらない。
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インデントベース言語がそうでない言語に比べどのような冗長性を排除しているのかと言えば、閉括弧である。なので、インデントベース言語を解析するためには暗黙の閉括弧の補完が必要。
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なんとなくパーサは書けても、書いたパーサが処理できる言語の数学的評価ができない。
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LRパーサの実装方法がなんとなく見えたついでに実装を進めてみているのだが、なんとなくこんなことをしている場合じゃない気も。しかし、これ、途中で切り上げると何を考えていたか忘れてしまいそうなのが怖くて飛められなかったり。
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寄生獣の映像、なんか「コレジャナイ」感が拭えないのだが、多分「ほら!こんなところに目がついてる!どお!???きもちわるい!???」みたいな目の過剰演技が安っぽさを加速しているのだろうなとか。多分、CGで細かなところを動かしやすいのが仇になっている例かもしれないとは思うけれど、たとえばメシを食うときに加えながらキョロキョロするかとか、そういう事を意識できていない上で作ってしまう安っぽさなのだろうなと。
今起きたことをありのままに話すと
吉田美和さんとか、安藤美姫さんとか、杏さんとかわりと好みの顔のタイプのひとつで、でこの3人似てるよなーとか思いながら、似てるって思っている人他にもいるのかなーとかって三名の名前で画像検索してみたら安田大サーカスの団長の顔が並んでいた。
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しかし、「あてはまる事例に限って、それを集団的自衛権と言うなら、それは集団的自衛権ですよ」と言うのは、解釈が変わったのは憲法ではなく集団的自衛権の方である。そのへん、駄々っ子の抑えかたとしてはGJなのかもしらんが、だとしたら今後に集団的自衛権そのものを議論するときに面倒なことになるよなと思う。防衛の未来に、集団安全保証こそあれ、集団自衛などと言う欺瞞を許すべきではないので、法律の実際の方でそれがスポイルされる事はまぁいいのだけれど、過剰な冗長性が損うメンテナンス性への影響はわりと心配。
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http://i4.ytimg.com/vi/8oZdzUOkhLA/default.jpg
空目
○ ミネイロンの悲劇× ミセスロイドの悲劇
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一見クールでない作家の作品は安心して支持できるものではないが、その警戒心を単なる警戒心としてではなく、「俺はもっと凄いのを知っている」「こんなのはまだまだだ」みたいな言い方をしてしまう人は、接し方が理解できない新たな種類の感情を抱かせる子をとりあえず苛めちゃう(しばしば初恋だったりもする)子供と同質の振舞いなのだろうなと思う。正直なところ、自分も「ろくでなし子」に対する警戒心はあるのだが、この折に現われた多くの批判の的が徹底して外れているのを見て、むしろあまりクールに見えない活動がこの社会の現状を浮き彫りにしてしまった事をどう捉えるかと言うこと、無論、それは自分が彼女の活動の力が理解できないと言うこともありえるのだが、そうでないにせよ、「うわ、私の社会馬脚見えすぎ」状況の一つに安穏としていられない事だけは確かだと思う。
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http://www.greynotgrey.com/blog/wp-content/uploads/2013/09/Barbara-Kruger-LA-Rays-Sunglasses-by-Freeway-Eyewear-and-ForYourArt.jpg
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ろくでなし子事件について、正直なところ警察やらマスコミ周辺の最低具合はあまりにいつも通りすぎて言葉を失なっているのだが、彼女の活動が気にいらないついでに彼女の本名や年齢を出したり、若くないと言えば攻撃できると考えてのパフォーマンスしている奴らが、人格として猥褻物すぎる。
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宗教と言えば「オウム事件17年目の告白」を最近読んだのだが、著者の上祐氏による松本氏の人格とその生い立ちに基く形成の過程が興味深かった。正直なところその本の記述を自分はどの程度信用して良いものかどうかわからない。と、言うか全幅の疑いの目を向けて対峙するタイプのものなのだろうと思う。撮み食いをしている程度のものでしかないが、報道などから伝わる限りの上祐氏の振舞いは、あのような事件の当事者の事後としては最善を尽しているように思うし、その確かさには舌を巻くばかりなのだが、それでも彼らは称えられてはならず、ただそれに監査人として付き合う河野氏等に感服するばかりである。(上祐氏たちが真面目なのであれば、称えられる事を望みはしないだろうし、不真面目であれば尚の事称えてはならない)そういった疑いの目で記述を見れば、その本の記述は社会の中で彼らの居場所をなんとか作り出す為に、最も効率的な言葉を選んだもののように思え、とくに関係の深い有田氏などの人物の承認を得やすいような設計になっているように思えて仕方がなかったのだが、一方で本気の思索の結果をまるで反映しないでも書けない内容だったとは思う。さて、松本氏の人格は、自身が社会はおろかそれを取り巻く一切の自然からも見捨てられた存在ではないかと言う不安の中で形成されてきたもので、その背景に彼の家族が彼の為と思って作った彼の生活環境についての誤解と、もうひとつ水俣病が挙げられていた。彼の弱視と水俣病の因果関係の実際はどうであれ、彼自身がそれを信じてしまい彼の中で世界からの見捨てられたと言う意識が出来たのであれば、非凡な悪が、凡庸な悪の集積として生まれたと言うことになるのではないかとも。しかし、なんだかこれはゴジラのようであって、シナリオとしてはテンプレがあって、また自分を含め一部の人が好みそうなものでもあり、そのへんを上祐氏が読んである程度上乗せした可能性もあるのだが。
id:lieutar
たぶんどこかにはオーバースペックな宗教指導者と言うものもいくらかはいるのだろうし、基本的には宗教と言う仕組みはあまりものを考えない人に雀の涙程の反省の機会を提供し続けるものであって、その指導者としての役割を持つ者であっても、その雀の涙に毛が生えた程度の反省能力しか持ち合わせていないのではないかと、法事などの機会、あるいは宗教法人が経営する学校等での経験を経て感じるようになった。彼らは一応の反省を促しはするものの、それは積み重なり深まるものではなく、一定のところで静止し、それはそういった指導者達の多くにとっても例外ではないように思う。そして一定以上は、教義に責任を丸投げをし「疑ってはならぬ」と説くのである。無論自身の信仰についてその源流まで探るような真面目な信仰に基いて学ぶことは、おそらく多くのものを得る事も多いだろうが、そういったことを試みる人を含め自らの精神についての責任感の強い人が社会的な仕組みとしての宗教から得るものはあまり無く、所属についての欲望や、原始的な儀式に対する欲望が薄いのであれば、静かに読書をし、映画を見て思索を、ごく普通の市井の人として続けた方が全方位に効率が良い。
知らんがな
どうしてすごくすごく好きなことただ伝えたいだけなのにルルルルルうまく言えないのですか
どうして「ん」を「そ」と読むのですか
http://wiimedia.ign.com/wii/image/article/114/1143479/sonson-arcade-20110111075207998.jpg
エロス
イクケ
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http://www.marunekodo.com/shop/goods_img/momozou_01.jpg
えい
ろくすけ
何のオプションがついていますか
http://replaymugen.up.seesaa.net/image/VicViper20vs.20BigCore.png
ナガスパ
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lieutar/20140717/20140717213031.png?1405600236
id:lieutar
$&gt; node test/foo.js |head -n 20とかやって出力を見て「なんかテストが途中で止まるなー謎のエラーだなぁ、やだなぁ」とか思っていた時間がががが
今脳内に流れてる曲は?(リアルでかかってなくてOK)
http://i4.ytimg.com/vi/aGOmQlulYtA/default.jpg
それはないですか
http://f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lieutar/20140717/20140717210307.png?1405598589
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パーサコンビネータライブラリって簡単な実装なら簡単に書けるけど、テストが面倒い。それでも簡単なパーサジェネレータを作るよりは余程マシ。
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[ハイカーにたりないもの]最近、tari-G さん見ない。
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なお、ここで言う創造性の有無と言うことには、データの移動と言う概念が含まれている。データの移動をゼロにすれば必ず創造性もゼロになるが、データの移動だけは自明である。だって、ごはん食うし。ウンコするし。
id:lieutar
創造性ゼロの事が出来る人間と言うのはほぼいなくて、非常にシンプルな操作ですら創造性を発揮してしまうから創造性を抑制する道具を私達は用いている。かつて言葉を伝えるのに、特定の仲間の間で通じる様々なサインを用いたが、やがて年度板や、木の板を使うようになり、紙とインクを使うようになり、ビットストリームを用いるようになった。創造性と言うのは常に厄介なものなのだけれど、環境の変化や自家中毒的な原因でシステムが破綻するときに生存の可能性を残す為に有用に働き得るものでもある。問題はそのシステムについての空間的、時間的スコープなのであって、極めて創造的な偉業がしばしば評価されないのは、それを適切に評価する大きなスコープを内包したシステムの不足によるもの。また、生存期間や領域の小さな問題を、より大きなスコープで評価したとき、「そこに創造性は認められない」と言うことになる。自身の創造性の無さを、実存的にプラスとするかマイナスとするかと言うこともまた確定しているわけではなく、特に職人的振舞いと言うのは基本的に創造性と言うのはスパイスに過ぎず、むしろ創造性の無さをこそ誇るものである。
id:lieutar
「男の家事参加」に纏わる問題で、「本来男がやるものとされていない家事を、やってあげる俺は賞賛されるべきなのだ」みたいな、行為の上では一応の改善の努力は見られるものの意識の上では1ミリも改善されていない状態で行なわれることがそもそも問題って事が現代ですら根深く残っているように思う。それはそうと、ジェンダー問題に共通するものが、フレームワークそのものがある種権力的に振る舞うような問題として見ることができるような気もする。
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それはそうと、「議会の野次はテロップにすりゃいいじゃん」的提案と言うのは、そこそこ素晴しい着想があると思うけど、十分なファシリテーションの能力を持った議員が一定数いて、またそういった人を評価する文化がなければ、ニコニコの惨状を加速するだけになる。そして、こういう「改革」はポピュリズム的動員を用いようと言う政権の元では進められてはならない。
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群れたい時に「俺達は群れたいから群れているのだ」と言う旗印を上げる事と言うのは憚られるものなのだろうか?群れたい欲望を相対化すればするほどに「魂で繋がっている」的な実感を得にくくなると言うことはもしかしてあって、繋がる事への欲望が強すぎる人達にとっては難しいのかもしれないとも思うが、そもそも人と繋がりたいと言う欲望が食欲や性欲と同様にバランスを欠くことで自他に悪影響が出るものだと言うことを意識する土壌が無いばかりか、ジャンプマンガ的に称揚しすぎる傾向が修正されるべきなのではないかと思う。そういえばニコニコが新鮮だった頃と言うのは、コメントによるオタ芸を楽しむと言う傾向が非常に強かったのだが、そういうオタ芸にせよ、ヤンキーの特攻服にせよ、あれは何だかんだ言って群れる事に対し純粋であり、純粋であるが故に相対化しやすいものだったのだが、そこにネトウヨ的なものが浸透して行く過程は、利用者が増えることに自己相対化をするような習慣を持たない人の割合が増えることによるものなのか、無論、運営側がそこにカネの臭いを嗅ぎ付けてある程度誘導している可能性も考慮に入れつつって事なのかなと。多分、アニメやゲーム実況、ボカロなんかの好まれるコンテンツと、ネトウヨ化なんかには相関はありえても因果はありえない。最大の問題はほぼ実質的に匿ハンドル状態でいられると言うこととエモーショナルな増幅装置としてのアーキテクチャに依存したものになっていると思う。
今脳内に流れてる曲は?(リアルでかかってなくてOK)
http://tn-skr4.smilevideo.jp/smile?i=1033327
id:lieutar
野々村元議員を嗤う人々と言うのが自分には心底不愉快で、それは別に彼を支持しているからどうこうと言うわけではなく、基本的に「奇妙に見えるもの(とみんなが思っているもの)は嗤っても良い」と言う判断の元、なんの配慮もない暴力を振うことを躊躇しない事に対してである。また、彼の養護のつもりなのか何なのかは知らないが、彼を障害者とし、障害者だから嗤うべきではないと言うような主張についても同様で、おそらくはそういう主張をする人達の中では「奇妙に見えるものを嗤わない」為の装置として障害を用いようとしているのかもしれないが、そういった態度もまた障害についての理解を歪めるものになりかねないのでやめてもらいたいと思う。単に自分や自分のよく知る者達に奇妙に見えると言う理由から直接的に誰かを貶めたり、誰かの尊厳を損ねる事に連帯してはならないと言うだけのシンプルな話であって、もちろん彼の汚職やその背後にあるものは粛々と追求されるべきと言うだけのことだ。
id:lieutar
なんと言うかどこまでも続く酷い状況に慣れてしまって驚けない自分がいる。それは想定可能であってもあまりに短絡的で馬鹿馬鹿しいが故に棄却するような妄想が次々に実現してしまっている状況、単にその棄却の閾値を取り払うだけで驚かなくなるわけだが、もうひとつ、周囲の無関心層に関心を喚起する事の難しさであったり、そもそも前提となる意識が徹底的にマズい人々を見て「そりゃこうなっちゃうのかな」とかって事を感じたり無力感を感じたりする事が多いため。周囲から変えると言うのが小市民の基本戦略だが、それが手に負えなければ手に負える相手に繋がる事を考えた方が良いのではないかとか思ったり、いろいろと手をこまねく状況。
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文芸で食う道の無い社会はまずいが、食う為に文芸を利用する奴らが力を持ちすぎてもろくなものでもない。小林幸子関連のニュースに、どうにも代理店の影を嗅ぎとってしまうわけだが、大きすぎる代理店やドワンゴ周辺の出来事に感じるのはそういうこと。
あなたは頑固ですか
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行きつけの店はありますか
昔、マクドナルドで「いつもの奴ですか?」と聞かれたことがあります。
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男性のレイプ被害を告白する増田へのブコメ、id:inyan-kazuma さんの 「99%釣りだとしても、1%セカンドレイプになる可能性があるなら、例え自分がバカを見ることになっても、真実であると受け取りたいと思うが、どうか。」は見事だと思ったのだが、なんとなくこれは「百人の罪人を放免するとも一人の無辜の民を刑するなかれ」と言う無罪の推定についての格言に通じるものがある気がした。その格言の背後にあるものは、国家権力の暴走の危険性と言うものであって、ブコメのような場面での空気感の問題とは少し違うのかもしれないけれど、いやまぁ空気感と言うものも国家に通じる怪物かもね。それはそうと、この格言よく目に耳にするのだが出典についてはよく知らない。
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基本的に政治に対する関心が高い社会はすばらしく、成員が政治について語り会うことが多い社会と言うものはすばらしいものであるように思う。しかし、一見そのような社会であっても、その内容が政治的話題を山車にした感情の慰撫であれば、それはひどいポピュリズム社会で末期的状況である。風刺やそれに対する批評の難しさもそこにあって、「会話」の「タブー」とされるものは、そういった難しさを抱えたものではないかとも思う。そういったタブーを避け続けること、そのものは構わないと思うが、問題はそれを避け続けたものがどういったものであるかと言うことについての意識がなくなることで、ポピュリズム的状況と言うものもその忘却の果てにあるのではないだろうか?
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「たかじんのそこまで言って委員会」、いいかげんやしきたかじんもいなくなったのだし終わらないのかなとか、あの番組のスポンサーってどういう会社なんだろうとか思ったが、あの番組にはスポンサーが無いらしい。スポンサーが無いと言うと、まるで報道や評論の為に独立性を保ち、その上で独自の配信を行う独立系メディアのようだが、テレビ番組の場合単一スポンサーがテレビ局自身と言う、要するにテレビ番組自身の広報番組であったり、テレビ局のステークスホルダーの広報番組である可能性も高い。そして、あの番組の制作会社は読売テレビである。
belacqui
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ひとりごと
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