萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」その15
なんか聞いた限りでは末期日独っぽい悲惨な最前線の状況で 末期日本クラスの電波参謀が跳梁跋扈して 赤軍(これは末期ではないですが)さながらの督戦隊がばっちり目を光らせている状況なんですが・・・
まぁ、それはともかく萌える春秋戦国史、第15回目の始まりです。
さて、前回は斉が鄭のお家騒動に加担して鄭窅公を復位させたところまで進みました。(紀元前680年)このことによって以前北杏の会盟に現れなかった衛と曹は震え上がり、あわてて斉に従う事にしたのです。
確かに、このまま黙っていたら何されるか分からないわよねぇ・・・
また、その他の諸侯も以前魯に領土を返還した事で信用が高まっていました。こうした背景を元に紀元前679年、斉桓公は鄄邑で宋桓公・陳宣公・衛恵公・鄭窅公を集めて会盟を行い、中原諸国(周王朝のあった黄河流域)が一致団結して夷狄を排除すると誓いました。これによって斉桓公は春秋時代初の覇王となったのです。
斉の首都・臨淄
管仲
殿、おめでとうございます。これで我が斉は押しも押されぬ覇王の国ですぞ。
鮑叔
とりあえずこれで近隣諸国に不穏な空気はなくなりました。ただ・・・
南方の楚国がここのところ急速に力をつけています。このままでは中原諸国を脅かす事になるかもしれません。
うーん・・・でも、下手にこちらから仕掛けるわけにも行かないわね。当分は様子を見ないと・・・
さて、ここで初登場の楚国について説明します。この国は元々中原諸国とは別の文化を持っていて、中原諸国からは南蛮と蔑まれた呼び方をされていました。しかし広大な領土と資源に恵まれていたので春秋時代初期から国力を成長させ、近隣の小国を併合し始めていたのです。
いえ、実際には野蛮というよりも「田舎者」程度の意味合いだったようですね。
さて、それはそれとして楚国では既に国主に「王」の称号を使っていました。中原諸国では王の称号を使えるのは周の国王だけだったのですが自分らは南蛮だから関係ないと開き直ったんですね。ちなみに中原諸国は王でなく公候伯子男の爵位を使っていました。
そうですね。これから楚に滅ぼされた国の状況を見て行きたいと思います。
南方の小国・息
そして帰国時
あ、そういえば蔡国には私の姉が嫁いでいたわね・・・せっかくだから挨拶に行きましょう。
蔡哀侯
蔡の第十二代君主。在位年は前694〜675年。名は献舞。宣侯の子、桓侯の弟。蔡季。兄の桓侯が亡くなったため、陳から呼び戻されて即位した。夫人は陳の公女。
ええ、しかし事件がこの後に起こります。ここで蔡哀侯は息嬀を息候夫人でなく義理の妹として遇したのです。もちろん他意はなかったんですが息嬀はそのなれなれしさが気に食わなかったようです。
ええ、お気をつけて。(はて・・機嫌が悪いようだがどうしたんだろう?)
帰国後、息国
貴方、私は帰り道に蔡に寄ったのですがそこで蔡哀侯に無礼を働かれました。
・・・しかし、困った、息と蔡では国力に差が有りすぎるし、いつも財政で援助してもらっている・・・兵を出すどころか文句も付けられないぞ・・・
南の楚国は周辺の小国を次々に属国化しています。でもその中で蔡は楚の権威になびかず、付き合おうともしていないので楚は蔡を狙っています。そこに付け込めば・・・
楚の首都・郢
楚文王
楚の第十八代君主。在位年は前689〜675年。名は貲。熊貲。武王の子、母は勝g曼。申や蔡などを攻めて積極的に北方進出を図り、楚の勢力を拡大させた。
ふむ・・・・・・なるほどな。よし、息に向かって進軍する。出陣の準備だ!
息国
息軍兵士
申し上げます、楚文王の指揮する楚軍がこちらへ向かって来ます!
蔡国
あれか!まずい、完全に包囲されているぞ・・・ともかく包囲網を突破して城内に入る、進め!
殿、蔡軍が包囲網を破ってこちらへ向かっています、早速城門を・・・
楚軍本陣
ふん、もう少し利口な奴かと思ったがこんな単純な罠にかかるとは。
楚王よ、どうか命だけはお助けください。命さえ助けていただければ我が蔡の城にある金銀財宝や後宮の美女を差し上げます。また中原進出の手引きもいたしましょう。
ほほう・・・そうか、殊勝な心がけだ、では助けてやろう。おい、縄を解け!
ご寛恕の徳とご助命の恩は決して忘れません。しかし、ひとつだけ弁明をさせていただきたいのですが・・・
間抜けで息候の罠にかかったのではありません。ある理由があり、なんとしても城に兵を入れたかったのです、元より大王と戦うために兵を出したのではありません。
実は息候夫人の息嬀はまれに見る絶世の美女でございます。それゆえ兵を出して息嬀を連れ帰り、末永く寵愛しようと兵を出しました。
そして宴会場
いや、大王のお力は素晴らしい。これならば中原に出ても敵なしですな。
ああ、その通り。・・・ところで、確か息候殿のご夫人は大変美しいとか。ぜひとも献杯を頂きたい。
(!)蔡候は義兄に当たりますが憎みて余りある敵でございます。どうか今すぐ首を打ち落として恨みをお晴らしください。すぐその首を見せていただかなければ舌を噛み切って死にます。
ところがその頃
こんなところに長居は無用。言われなくてもスタコラサッサだぜぇ!
この時代はこういういい加減な諸侯も結構いたようですね・・・ともあれ、こうして楚国は着々と力を蓄え、中原進出を狙う事になります。
今回の死亡者
息侯
息国の君主。在位年は前?〜680年。諡は不明。夫人の息嬀が蔡の哀侯に礼遇されなかったので、楚の文王に頼んで蔡候を捕らえた。しかし、そのことが原因となり息嬀は奪われ、国は滅ぼされてしまった。息国最後の君主。
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