萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」その16
キスとDO‐JIN!―同級生は801嫌い!? (もえぎ文庫ピュアリー)
- 作者: 小林来夏,由良
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2007/12
- メディア: 文庫
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そのようですね・・・今回はあんまり同人イベントでなく海とか野球勝負の話がメインのようですが。
でもやはりげんしけんの荻上事件のようなのは本当にあるのかしら・・・?
さて、前回は楚国が勢力を着々と拡大して周辺の小国を滅ぼすところまで進みました。この後も楚文王は周辺諸国に出兵を続けたのですが紀元前675年、戦いで受けた傷が悪化して死去します。この後、楚王の座には堵敖という人物が就いたのですが政変に巻き込まれてあっさり殺害されました。
楚堵敖
楚の第十九代君主。在位年は前674〜672年。名は囏。文王の子、母は息嬀。『史記』では荘敖と書かれる。弟の綠を殺そうとしたが、逆に殺されてしまった。
この後堵敖を殺した弟の熊綠が楚王の座に就き、楚成王となりました。この人は今後もちょくちょく出てくるので覚えておいてくださいね。
楚成王
楚の第20代目の君主。在位年は紀元前672〜626年。楚の国力を強大化させ、中原進出を目論む。
いえ、今回は周王朝の話をメインに進める予定です。
あれ、でも以前鄭にフルボッコにされて権威がガタ落ちになったんじゃ?
そうなんですが、それでも依然それなりの力を持っていたようですね。
周の首都・洛陽
百里渓
諸国を遊説して回る浪人。第9話より登場。
蹇叔
斉の貴族の次男坊。現在百里渓と共に就職浪人中。第9話より登場。
萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」 その9 - 徒然なる読書の日々出張版
数日後
百里渓、どうですか、仕官先の方は・・・?
それが、周の王子の一人である王子頽という人の所に行ったのですが、牛の飼育の仕事が見つかったのですが・・・
王子頽
周の王子。前673年没。荘王の子、母は王姚。周荘王の寵愛を受け、大きな勢力を持った。恵王が即位すると、子頽派の勢力を削ごうとしたので蔿国らと乱を起こした。一度は敗れて温に逃れたが、衛と南燕の力をかりて王を討ち、都に入った。しかし・・・
うーん、牛の飼育のような仕事では・・・それに王子頽がどのような人物かも分からないのでしょう?もうしばらく仕官は見合わせるべきでしょう。
そしてまた数日後
まずいわ、あの後あちこちで情報を集めたのですがあの王子頽は第二の公孫無知になるかもしれません。状況はあの時にそっくりです!
え?!でも、ここでは王子頽に心を寄せる大臣も多いと聞きますが・・・
それだけに乱は大きくなります、ここにいては巻き添えを食らいかねません。すぐここを離れましょう!
ええ。このとき周の王位についていたのは周恵王と呼ばれる人ですが、叔父に当たる王子頽が国内に大きな勢力を持っていたため、勢力を削る目的で王子頽派の5人の大臣の領土を削ったのです。
周恵王
周王朝第17代目の王。在位年は紀元前676〜653年。力を伸ばす王子頽の勢力を削るため王子頽派の大臣の領土を削るが、それが原因で乱が起きる。
いえ、もちろん王子頽は黙っていられず、領土を削られた5人の大臣と守り役の蔿国に後押しされて反乱を起こします。
ところがこのときは周恵王の側がしっかりと防備を調えていたためにあっさりと失敗。王子頽は衛に亡命する事になります。これが紀元前675年の出来事ですね。
しかし王子頽はあきらめずに衛と燕に援軍を要請、大軍を率いて周に攻め込みました。このため周恵王は鄭に亡命します。
そのころ・・・
今王子頽が勝ったのは衛と燕の援軍のおかげです。しかし二カ国とも遠国の軍勢、いずれ引き上げるしかないのですよ?しかし周恵王はすぐ近くの鄭からいつでも軍を借りられるのです。王子頽の政権は長くないでしょうね・・・
鄭の首都・新鄭
鄭窅公
何、周恵王がわが国に亡命してきた? ふむ・・・今は衛と燕の軍がいるがこいつらはいずれ引き上げるな・・・よし、そのときに・・・
そして紀元前673年、鄭窅公は大軍を率いて洛陽に進撃することになるの。
な、なんだと!?まずい、衛軍と燕軍は既に引き上げたのに・・・
こうして周恵王は再び復位することに。これで周王室の内乱は一段落ですね。
中国西方の小国・虞
百里渓?どうしたんですか?
・・・私は運が悪いです、仕えようとした主人が二度も非命に倒れるとは・・・
何を言うんですか、それを言うなら公孫無知や王子頽の方がもっと悪いというべきでしょう。彼らは死にましたが私たちはまだ生きています。いずれ道も開けましょう。
そして数日後
蹇叔、喜んでください!この国の宮殿に行ってみたところ大臣待遇で仕官をさせてくれるとのことです!
この虞の国は北は晋、南に虢と国境を接していますが両国とも隙有らば小国を併合している国です。潰されないでいるのが不思議なくらいなのですよ。
・・・では、別れる他は無いですね。二度と会えないでしょうが・・・感慨深い旅でした。
今回の死亡者
楚堵敖
楚の第十九代君主。在位年は前674〜672年。名は囏。文王の子、母は息嬀。『史記』では荘敖と書かれる。弟の綠を殺そうとしたが、逆に殺されてしまった。
王子頽
周の王子。前673年没。周荘王の子、母は王姚。周荘王の寵愛を受け、大きな勢力を持った。恵王が即位すると、子頽派の勢力を削ごうとしたので蔿国らと乱を起こした。一度は敗れて温に逃れたが、衛と南燕の力をかりて王を討ち、都に入った。しかし、それを維持することができず、鄭窅公に攻められて殺された。
蔿国
周の有力大夫。周荘王から王子頽の守り役に任じられた。荘王の死後も大きな勢力を保っていたが、恵王は子頽派の勢力を削ごうとしたため、子頽をかついで乱を起こした。一度は王を追放し都に入ったが鄭窅公に攻められて殺された。
袪父
子頽派の大夫。恵王が即位すると領地を取り上げられたので、反乱に加わったが、鄭窅公に攻められて殺された。
辺伯
子頽派の大夫。恵王に邸宅を取り上げられたので、反乱に加わったが、鄭窅公に攻められて殺された。
子禽
子頽派の大夫。恵王に領地を取り上げられたので、反乱に加わったが、鄭窅公に攻められて殺された。
祝跪
子頽派の大夫。恵王に領地を取り上げられたので、反乱に加わったが、鄭窅公に攻められて殺された。
石速
子頽派。恵王に秩禄を取り上げられたので、反乱に加わったが、鄭窅公に攻められて殺された。
なお、アイコンは以下のサイトから使用させていただきました。