「摂取不捨の幸福」こそ人生の目的

 CEO(最高経営責任者)といっても、一寸先は闇である。
 アップルストアの生みの親ロン・ジョンソンは、アメリカの大手百貨店JCペニーに実績を買われ、2011年11月、JCペニーのCEOに就任した。ところが、アップル流経営が裏目に出て急減、一年半で解雇されている。
 ヤフーのCEOも2011年9月から9か月の間に、CEOが3回も交代している。一回目のチャンスに失敗しただけで解雇という例は、少なくない。一般的なCEOの在任期間は、平均5.9年。まさに「人は山の頂上に登ることはできても、長くとどまることはできない」といわれる通りだ。
歎異抄』には、絶対に裏切られることのない幸福を「摂取不捨の利益」と教えられている。それを高森顕徹監修『なぜ生きる』2部24章では、こう解説されている。

「摂取不捨」とは文字通り?摂め取って捨てぬ?ことであり、「利益」は?幸福?をいう。?ガチッと摂め取られて、捨てられない幸福?を「摂取不捨の利益」と言われる。
 私たちは、健康から、子供から、恋人から、友人から、会社から、金や財から、名誉や地位から、捨てられないかと戦々恐々としてはいないだろうか。幸福に見捨てられるのではなかろうかと、薄氷を踏むようにいつも不安におびえている。捕らえたと思った楽しみも一夜の夢、握ったと信じた幸福も一朝の幻、線香花火のように儚いものだと知っているからである。たとえしばらくあったとしても、やがて、すべてから見放されるときが来る。
 蓮如上人の遺訓を聞いてみよう。

   まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも、相添うことあるべからず。されば、死出の山路の末・三塗の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ(『御文章』)

「いままで頼りにし、力にしてきた妻子や金や物も、いよいよ死んでゆくときは、何一つ頼りになるものはない。すべてから見放されて、一人でこの世を去らねばならない。丸裸でいったい、どこへゆくのだろうか」
 咲き誇った花も散るときが来るように、死の巌頭に立てば、必死にかき集めた財宝も、名誉も地位も、すべてわが身から離散し、一人で地上を去らねばならぬ。
 これほどの不幸があるだろうか。こんな大悲劇に向かっている人類に、絶対の幸福の厳存を明示されているのが、親鸞聖人である。絶対捨てられない身にガチッと摂め取られて、
「人身受け難し、今すでに受く」(釈尊
?よくぞ人間に生まれたものぞ?と、ピンピン輝く摂取不捨の幸福こそ、万人の求めるものであり、人生の目的なのだ。