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2017-12-12 『エンドレス・ポエトリー』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 アレハンドロ・ホドロフスキー監督の最新作をアップリンクにて。監督自身の実話というか体験したことを映画にしたもので、『リアリティのダンス』の続編みたいな作りらしい。パンフを読んでいたら5部作になっていくみたい。


 マジック・リアリズムの世界観、お母さんはずっとセリフが歌ってる口調だし、暴力はすぐ目の前にあるし、詩人になっていくアレハンドロと仲間達の芸術と行動主義というか、もうなんかすげえわかんない、エネルギーがどんどん加算されて暴発していく感じ、ちょっと幻惑すぎて夢幻感も強い。作家性というものをこれでもかと見せられる。

 3部作目はパリ舞台みたい。詩人としてのアレハンドロ・ホドロフスキーを楽しむことができる作品なのだろう。ちょっと鈴木清順監督的な極彩色でリアリズムからズレていくような幻惑的な世界観。ちょっといい意味で狂ってる。

2017-12-11 『光』『箱の中』『美しいこと』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 昨日、木原音瀬著『箱の中』『美しいこと』読了BL小説初めてなんだけど突出した才能てジャンルを越えるというかジャンルの外にも届くってことを再認識するんだけど、男たちの想いとかの描写が素晴らしくエモすぎる。いやあ、すごいわ。



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 三浦しをん原作・大森立嗣監督『光』を新宿武蔵野館で観る。昨日、木原音瀬著『箱の中』を読んだら解説が三浦さんだった。三浦さんは木原さんの大ファンらしい。で、『光』の小説は未読で映画を観たが、『光』は『箱の中』に収録されている『箱の外』と登場人物の関係性もろもろ、不倫や娘に起きる出来事など構造がかなり同じで変奏してるみたい。

 三浦さんは『箱の中』の二次創作として『光』を書いたんじゃないかなあと観ながら思った。違うかもしれないけど、『箱の中』読んだ人が『光』観たら僕みたいに思うのかなあ。大森監督の中では好きな方の作品でした。


 今日発売の『週刊ポスト』連載の「予告編妄想かわら版」はこちらの作品についてです。

大林宣彦監督×檀一雄原作『花筐/HANAGATAMI』予告編

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2017-12-06 『三月の5日間』リクリエーション このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 KAATで上演中のチェルフィッチュ三月の5日間』リクリエーションを観に行った。チェルフィッチュ舞台は観たことがなかった。同時に周りからの高評価はずっと聞いていた。主宰の岡田利規さんが書いた小説わたしたちに許された特別な時間の終わり』は何度も読んでいて収録されている『三月の5日間』の小説版はかなり好きな作品だ。舞台は2003年イラク戦争が始まる頃、もうひと昔のことで観終わった後に同じ回を観にいっていたニコラの曽根夫妻と最寄えきに戻ってきてファミレスでご飯を食べながら話をしていたら、その頃の20代前半ていうとまんま僕ぐらいの年齢のやつの話なのだと思った。小説を読んだときはそうは感じられていなかったのに。それはなぜだろう? 上京したのが2002年だし、2004年には映画の専門学校を卒業してフリーターになっていたらから最初に上演された2004年とかまんまそのまんま僕みたいなやつが出てくる作品ではあるのだとわかった。上映後に小説家平野啓一郎さんと主宰の岡田さんとのトークがあって、そこで2003年ぐらいの若者の話ってもう時代劇みたいなものですよねって話と、当時の若者と今回のリクリエーションに出ている役者(25歳以下)って同じなのか違うのか、イラク戦争の時の感じとこの安倍政権トランプ大統領空気感って違うのかって話があって、シールズ以降のデモと2003年のデモって明らかに違うよねって話があって、大きなことって何かなって僕が考えるはやはりリーマンショックだったと思う。もはや大学生はモラトリアムを過ごせなくなったって事がまずデカイ。『三月の5日間』リクリエーションの登場人物たちのような存在はやはりどこか時代劇的だなって思うのは、僕ぐらい(1981年生まれの)から40代の人間ってすごく適当だったと思う。適当にやっていたし、適当にやっていけたというか。今の20代も適当ややつはいるに違いないのだが、人口比率を考えればわかるが団塊ジュニアという最後の人口多い層に至ってはその比率は高いし、90年代とか日本の豊かさの最後の木漏れ日で青春を謳歌したわけだから感覚が違う。トークの中でも今の20代ってきちんとしてるって話があって、シールズのある種の真面目さってそこなのかなって思ったりもする。40代や30代中頃の、僕の感覚だとリーマンショックまでにモラトリアムを過ごせてしまった連中は一応にどこか屈折している、故に怠惰さとアイロニーを持っている。下の世代にはそれがなくどこか真剣さとまっすぐさがある、眩しいし真面目すぎる気はしている。空気を読むことにいかに対応するかで存在を現実でもネット空間でも消されてしまうことを知っているからだろうか、適当に書いているかそうなのかどうか検証もしようがないのだけど、今たいていネットで炎上する間違えたことを書いて非難轟々になるのがわりと地位や名誉とか社会的に裕福な40代や50代の男性っていうのはそれと関係あるのかもしれない、感覚がズレてしまっている事に気付いていなくて昔の感覚で物事について書いたり批判するからだったりするのだろう。舞台での彼らのセリフは平野さんも言っていたが「〜〜なんですけど、〜〜っていうのはこういう事で、〜〜だと思ったりします? 〜〜っていうことかもしてないですよね」という全方向から来るツッコミに対して言い訳や自分ではこう思ったんだけど、誰々はこうかもしれないし、こういう考え方もあるって思いますよねという誰かを見上げて話しているような語り口調になっている。そして、演じる役者たちはキャラクターを明け渡すようにしていき、同じセリフでも違う役者が言ったり、時間をおいてリプレイされる。そこではある種の置き換え可能性が示されているし、反復されるというのは極めて演劇的だとは思う。他のジャンルでそれは可能だけどされない、のは身体性という目の前に役者の身体があって空間を観客に想像させ一体感、リアル演劇としてあるからで、受動的なメディアでは不可能というか白け方が半端ないから物語から遠ざかってしまうものになるだろうからで、ただ演劇の場合はそれがより演劇と観客の距離と世界を半ば強引に同一化していく。置き換え可能といっても舞台で演じている役者は当然オーディションで選ばれた人たちであり置き換え可能ではない、という固有の存在なのに置き換え可能に見える存在として演技をキャラクターを、セリフを告げていく。そういうことはやはり現在進行形ではないというか当然なものとしてあるから、さっき出てきたような時代劇という言葉は当てはまるのかもしれない。2003年の渋谷とその当時の若者っていう近過去の話として、ブックファースト渋谷にはもうないし、ラブホはあるけどミニシアターもほとんどなくなってしまった。あそこにあった空間は当然ながら都市の記憶としてはどこかの層にあるけど、現在にはもう失われている。近過去と現在を結びつけるとどうなるのかを岡田さんは知りたかったんだじゃないだろうか、意味があるとかないとかではなくてそれをやってみたら何が起きるのか、どんな感覚が観客に沸き上がるのかが知りたかったんじゃないだろうか。浮かんできた言葉を一筆書きで書いてみたら見事にまとまらないけどそういう感覚のことだけは観劇して思った。帰りのみなとみらい線から渋谷に向かう特急っていうか通勤快速のわりと多くの乗客がいる中でどこか酸っぱい匂いがしてきたなって思って菊名かどっかでお客が一気に降りたら少し向こうになにを食べたらそうなるのかというピンク色の吐瀉物が、かなり大量に撒き散らされており、酸っぱい匂いが充満しみんな隣の車両に移っていった。途中で停まった駅から乗り込んで来る人も空いてるなって顔して入ってきてまずは匂いと無題に空間がある事を感覚でわかって、ピンク色の吐瀉物を見て、違う車両に行ったりできるだけ連結部近くにいた、僕らもそうだったのだが、その空気感というか匂いというのは記憶にたぶん残って、僕は昨日見たこ舞台ピンク色の吐瀉物にことをいつかリンクさせて思い出すのだろう、渋谷に着いたらすぐに駅員さんが粉を撒いて、すぐに固まるやつなんだと思うが素早く掃除していてピンク色の吐瀉物は灰色だったかそういう粉に覆われていた。

2017-12-01 『パーティで女の子に話しかけるには』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロン・ミッチェル監督の最新作『パーティで女の子に話しかけるには』の初日、ヒューマントラスト渋谷にて鑑賞。予告編を観ている時からジョン・キャメロン・ミッチェル監督だし、パンクロック時代音楽についてのボーイ・ミーツ・ガールものだってのはわかっていたので期待大だった。

 実際観た感じは、異星人であるエル・ファニング演じるゼンとパンクロックライブハウスとか時代背景がうまく溶け込んでいなくて、どこか乖離したまま、それが意図的なのかそうなってしまったのか。そのせいで絵的にはすごくいいのに物語自体としてはそんなにボーイ・ミーツ・ガールもので恋愛ものなのに、彼らに憧れたり感情移入できないでいる。ちょっとニューウェーブ的な感じというか二人が性行為をしなくても結びつきあうイメージみたいな映像とかちょっとノレない。

 なんだか消化不良というか、二人が一緒に歌うパンクロックもカッコよくないし、あれで本当にライブハウスでノレるだろうか、あの頃ならそうなのかもしれない。だけど、現在公開するような作品ならばそういう部分も少しは磨いた方が良かったような、パンクロックは練習しないとかうまいとかじゃなくて衝動とか感情を吐露させるものだとしても、あの二人のシャウトは響かなかった。

2017-12-00 『彼女がその名を知らない鳥たち』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 基本的にみんなズルいし(人間らしい欲望として)感情移入できないけど、なぜだかわからないが現実や日常はそうなってしまっている、そうなってみんな日々を過ごしていて、その裏側にあるものに目を背けている。

 彼(阿部サダヲ)の行動や想いを愛というのかどうかは僕にはわからないし、僕は彼のように行動したりするのかしないのかはわからないけど、ただそこにある感情は否定できないと思った。

2017-11-28 『ブレードランナー2049』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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リドリー・スコット監督がフィリップ・K・ディック小説をもとに生み出した1982年公開の傑作SFブレードランナー」から、35年の時を経て生み出された続編。スコット監督は製作総指揮を務め、「メッセージ」「ボーダーライン」などで注目を集めるカナダ出身の俊英ドゥニ・ビルヌーブ監督が新たにメガホンをとる。脚本は、前作も手がけたハンプトン・ファンチャーと、「LOGAN ローガン」「エイリアン コヴェナント」のマイケル・グリーン。前作から30年後の2049年の世界舞台に、ブレードランナーの主人公“K”が、新たに起こった世界の危機を解決するため、30年前に行方不明となったブレードランナーのリック・デッカードを捜す物語が描かれる。前作の主人公デッカードを演じたハリソン・フォードが同役で出演し、「ラ・ラ・ランド」のライアン・ゴズリングデッカードを捜す“K”を演じる。(映画.comより)


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監督/ドゥニ・ビルヌーブ

原作/フィリップ・K・ディック

原案/ハンプトン・ファンチャー

脚本ハンプトン・ファンチャー、マイケル・グリーン

出演/ライアン・ゴズリング(K)、ハリソン・フォード(リック・デッカード)、アナ・デ・アルマス(ジョイ)、シルビア・フークス(ラヴ)、ロビン・ライト(ジョシ)、マッケンジーデイビス(マリエッティ)、カーラ・ジュリアナステライン)、レニー・ジェームズミスター・コットン)、デイブ・バウティスタ(サッパー・モートン)、ジャレッド・レトニアンダー・ウォレス)、エドワード・ジェームズ・オルモス(ガフ)、ショーン・ヤング(レイチェル)ほか


 公開からしばらく経ってしまいましたがタイミングがあってようやく観に行けました。平日のTOHOシネマズ渋谷で3割か4割程度はお客さんがいたような気がします。僕は原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の著者であるフィリップ・K・ディックが好きなので観たいなって感じでした。正直に言えば、今ドラマでやっている『高い城の男』はどうも観ても合わないし、前作の『ブレードランナー』も観たような観ていないような記憶がありません。

 『ユービック』を映画でやってほしいなとずっと思ってます。ミシェル・ゴンドリーあたりで。しかしながら、『ブレードランナー』以降のSF映画はこの世界延長戦やこの作品によって確立されたものなので、ある意味で多くの人には見慣れてしまった景色になっているという驚くべきことになっていますが、それが当然になってしまうというオリジナルティはもはや自然すぎて驚かれないという逆説的なものこそがオリジナルであると言えるのだと思います。


 僕は『週刊ポスト』で「予告編妄想かわら版」というミニコラムを書いていて公開前に『ブレードランナー2049』について以下のような妄想を書いています。


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 1982年に公開された『ブレードランナー』の続編『ブレードランナー2049』(10月27日)。この世界では、レプリカント(人造人間)が奴隷労働をしているが、製造から数年後には彼らには自我が芽生え、人間に反旗を翻すようになる。その対策として寿命を4年としたが、人間社会になんとか紛れ込もうとする彼らを解任する任務を追うのが専任捜査官ブレードランナーだった。

 予告編では前作の主人公・デッカードハリソン・フォード)に今回のブレードランナー・K(ライアン・ゴズリング)が会いにいきます。新旧主人公が顔を合わせる、ワクワクします!

「いつも言ってるじゃない。あなたは特別なの」と言うのはKと一緒にいる今回のヒロイン。  

 SF作品は近未来などが舞台ですが、根本的なテーマは普遍的なものだったりします。歴史修正主義者だったりナショナリズムに走る人々、都知事が平気で「排除」と言ってしまう時代に、人種、思想、国籍などで簡単に人を区別し、カテゴライズして優位に立ったと思い込むことが自分や大事な人を「特別」な存在にするわけではないはずです。妄想できませんでしたが今だからこそ観るべき一作だと思います! 僕が人間だって保証なんか一つもないよなあっていつも妄想はしているのですが(笑)。               

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 この中にある<「いつも言ってるじゃない。あなたは特別なの」と言うのはKと一緒にいる今回のヒロイン>という部分ですが、このセリフを言っているジョイ(演じたのはアナ・デ・アルマス)はある意味ではヒロインなのですが、ホログラムというか現実の人間でもなくレプリカントでもないのです。しかし、主人公のKの恋人であり心の拠り所です。

 今作において<人間>であるのか<レプリカント>であるのかという問い、生きているのか死んでいるのかということ、本物であるのか偽物であるのかという真実が何層かになって物語られています。

 前作の主人公であるデッカードにKが出会うまではかなりの時間が経ってからだと思います。おそらく半分ぐらい経ったぐらいか、1時間以上は物語が経ってからだと感じました。前作の最後でもデッカードレプリカントであるかどうかという謎がありましたが、今回の主人公であるKは旧型ではない新型のブレードランナーであることは冒頭で明かされますが、今回の物語の大きな軸は30年前にレプリカントの子供が生まれていたということです。その子供がどうなったのか、父親はデッカードなのか、そしてKは何者なのかという点です。子供が生まれるということはレプリカントの製造会社となっている組織の希望です。いくらでもレプリカントという製造の難しい彼らにとっての奴隷が作りやすくなるからです。


 本物であるか偽物であるか、

 人間であるかレプリカントなのか、

 主人なのか奴隷なのか、

 この物語の最後には<人間>らしさを持っているものは誰なのかという問いが改めて観客に提示されることになります。主人公であるKの存在とはなんなのかということは観客である僕たちに突きつけられてきます。自分という存在について悩む人たちはKに感情移入するはずです。

 誰もが特別な存在でありたいと願っている、そして同時に凡人であるということを受け入れて生きていくかしないという事実。この『ブレードランナー2049』で描かれてしまっているのは近未来のSF的な世界ですが、それは壮大なメタファーをまとっているだけで限りなく現実のこの世界にいる私たち自身のことを描いてしまっています。


 僕たちはいつだって特別な存在でいたいし、誰かにとっての特別な存在でいることを願います。それは瞬間的には叶うのかもしれないし、叶うこともある。だが、運や努力や才能のすべてをつぎ込んだとしても特別な存在になれないという現実もあります。それでも僕らは誰かにとっての特別な「何か」になりたいと願ってしまう生き物です。

 Kは僕たち自身です。

 だからこそ、彼は最後まで駆け抜けていきます。たとえ願いが叶わないものだとしても、たとえ自分が特別な存在でないことを知ってしまっても、そこの先には奇跡みたいなものが起きる可能性があるならば、自分がその奇跡を見れなくても。

 誰かにとって特別な誰かに出会うために僕らは生きているのかもしれません。

2017-11-22 『全員死刑』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 『全員死刑』を観てきた。『ケンとカズ』のいい面構えだった毎熊さん藤原季節さんも出ていた。エンドロールを見てたらAmazonプライム東京ヴァンパイアホテル』のドラマの最後三話でご一緒した継田淳さんの名前が小林監督と並んで脚本にクレジットされていた。

 実話をもとにしたフィクションなので『冷たい熱帯魚』『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』のラインの作品。実話なのかよ、マジで怖えって感じもあるけどエンタメっぽいつくりになっている。実話がベースになっているから実際にいなかった人物のキャラクターを出すことは難しいんだとは思う。ただ、普通の人がいないから頭の狂ってる殺人一家がどこまで暴力的が我がままな感じが次第に薄れて当たり前になってしまうのでコントラストがないようには感じられなくもない。

 でも、所々で笑いも起きていたし平日の昼間にしてはお客さん入ってたから注目度はあるんだろう。このラインはずっと作られていくんだと思う。ここからどんどん若手の映画監督が出ていく感じになっていけばいいなって思う。

2017-11-18 『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 『IT』はかつて『スタンドバイミー』『グーニーズ』に心踊らせた30代以上には懐かしく、あのワクワクする気持ちに加え十代や思春期に抱えた恐怖や未来への恐れが描かれているのでそこをくぐり抜けてきたことについても思いを馳せることになるし、今の小学生や十代真っ最中の彼や彼女たちに観てほしい作品だった。一言でいうなら最高じゃん!

2017-11-17 『おじいちゃん、死んじゃったって。』『ビジランテ』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 メルマ旬報TVの収録に行ってからの『おじいちゃん、死んじゃったって。』からの〜『ビジランテ』先行上映なテアトル新宿dayだった。水道橋博士さんと原さんとお話をする。年に一回ぐらい順番が来るという感じですかね。今回は大塚英志西川聖蘭『クウデタア』を博士さんにご紹介した。オンエアは来年の1月みたいです。


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 家に一度帰ってから新宿三丁目に行ってテアトル新宿に。『おじいちゃん、死んじゃったって。』はおもしろかったなあ、役者さんたちの面構えも素敵だし家族つうか血の繋がりとか愛しくてめんどくせえ、を描いてて。いい映画でした。『おじいちゃん、死んじゃったって。』と『ビジランテ』は同じく父が死んだあとの息子たちの物語と言えるが内容は真逆なものだった。

 葬式における家族のバラバラさと気持ちのズレをある種コメディちっくに笑えるものとしても描いていた『おじいちゃん〜』と父性(権力・暴力)の象徴である父が死んだことで三兄弟が深谷舞台に巻き込まれていくバイオレンス・ノワールが『ビジランテ』という感じでした。どっちも映画として楽しめました。この2作で対照的なのは女性の存在かもしれない。


 『おじいちゃん、死んじゃったって。』の女性たちはしっかりしているしタバコを吸っている。おじいちゃんの息子である兄弟はぐうたらでダメだ、彼らの息子たちもどちらかというとダメだ。嫁や娘たちがしっかりしているというわけではないが、彼らのダメっぷりによりすごくしっかりしているように見える。

 『ビジランテ』は家父長的な土着的な舞台なので男性性中心世界になっているので、暴力と性が嫌でも出てくる。そこでの女性は性の対象として彼らの性的なものへ奉仕させられる存在として出てくると言える。三男の三郎はキャバクラの店長だが、まあ出張デリヘルの店みたいなものだろう。そこで働いている彼女たちは体で稼いでいるがそこが疑似家族的なコミュニティである。三郎はそこでは父であり兄でもある。二郎の妻(篠田麻里子が演じている)は県議会院である夫を出世させるために役職につけるためにその自らの体を性的に利用して夫を上のステップにあげようとしているのが少しながらも描かれていて、実は彼女が一番強いかもしれない、母であり女としての武器を使い夫に権力のような力を持たせようとしている。ここではヒエラルキーではないが、性的なものを使っている女性にも対比が見られる。



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 朝バイトを早上がりしてメルマ旬報TVの収録で水道橋博士さんと原さんとお話をする。その後テアトル新宿で『おじいちゃん、死んじゃったって。』を観て引き続き『ビジランテ』先行上映を、司会がメルマ旬報チームなコトブキツカサさんだった。たまたまがすぎる(笑)。

2017-11-14 『南瓜とマヨネーズ』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 新宿武蔵野館に鑑賞。老若男女といった客層。平日の初回だから、まあそんなものだとは思う。ビジュアル面ではほぼ満点なような、観たいなって思えるものだし予告編を観てもどこかシンパシーを感じらえるようなものだったで劇場で。


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監督/脚本冨永昌敬

原作/魚喃キリコ


出演/臼田あさ美(ツチダ)、太賀(せいいち)、浅香航(大寺尾)、若葉竜也田中)、大友律(川内)、清水くるみ(可奈子)、岡田サリオ(尚美)、光石研(安原)、オダギリジョー(ハギオ)他


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漫画家魚喃キリコの代表作を「ローリング」の冨永昌敬監督、臼田あさ美主演で実写映画化。ミュージシャンを目指す恋人せいいちの夢を叶えるため、ツチダは内緒でキャバクラで働いていた。ツチダがキャバクラの客と愛人関係になり、生活費を稼ぐためにキャバクラ勤めをしていることを知ったせいいちは、仕事もせずにダラダラと過ごす日常から心を入れ替えてまじめに働き始める。そんな折、ツチダが今でも忘れることができないかつての恋人ハギオと偶然に再会。ツチダは過去にしがみつくようにハギオにのめり込んでいくが……。臼田が主人公ツチダ役を演じるほか、オダギリジョー太賀、清水くるみ、光石研らが出演。やくしまるえつこ音楽監修、劇中歌制作で参加。(映画.comより)



 90分少しの上映時間なので物語はある意味では想像通りの終わり方。原作漫画はたぶん読んだことはないはず、読んでいたとしても昔すぎて内容を忘れている、というか魚喃キリコ作品は家にはないはずだから誰かの家でつまみ読みしたことがあるかないか。

 ミュージシャンの夢を追うせいいちを応援するために水商売を始めるツチダ、彼女の元恋人のハギオと再会して現在と過去の恋の狭間で揺れるという内容だけど、そこにはどちらかといたいという未来はやはりない、だからこそ最後のツチダと二人の男との関係はリアリティがあって、同じような体験がなくても誰もが感じたことのある程度の身近なものになっている。

 だからこそ、ああどこか知っているものの気配だったり通り過ぎたものへの哀愁みたいなものを感じる。だけど、そこに戻りたいという気持ちもなくて、そんなシーンもあった。あったとは言えないとしても似たような時間もあったなあと思いながら、彼女が僕の夢を応援するために水商売とかしてないし、過去の彼氏と会っていたかどうかは知らないけど、何か夢を追いかけている彼氏とその彼女というありふれた関係はそれが男女が入れ替わってもテンプレ的にこんな感情が沸いて、ぶつかり合い、夢と現実の間でもがいて何かに助けを求める、逃げ出す、自分の人生を見つめていく。

 すっごい響くとかではないのだけど、こんな可愛い彼女そうそういねえし、せいいちにしろハギオにしろ男前すぎるやんみたいな現実とはちょいと違いがあってもふと懐かしい気配のする作品だった。

 あと作品に出てくるバーがめっちゃ家から徒歩数秒のところだった。




 映画とはまったく関係なさすぎますが、今回の出版ラッシュだった大塚英志さんへ僕がしたインタビュー記事が全部アップされたのでそのまとめ・ご興味あれば読んでみてください。全部読むと新書一冊分ぐらいの分量です。

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『木島日記』復活!『木島日記もどき開口』は柳田國男vs.折口信夫の「仕分け」バトルです【前編】

https://kadobun.jp/interview/52

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『木島日記』復活!『木島日記もどき開口』は柳田國男vs.折口信夫の「仕分け」バトルです【後編】

https://kadobun.jp/interview/53

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東京オルタナティヴ』原作者・大塚英志氏インタビュー

https://comic-walker.com/news/detail/1003/

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大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本バカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(1/4)

http://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/14-1.html

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大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本バカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(2/4)

http://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/24-1.html

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大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本バカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(3/4)

http://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/34-1.html

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大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本バカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(4/4)

http://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/44-1.html

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「クウデタア」が一人の人間の内部で起きること------戦後文学者少年テロリストたち/『クウデタア』原作者・大塚英志さんインタビュー(前半)

http://bookstand.webdoku.jp/news/2017/11/08/170000.html

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「クウデタア」が一人の人間の内部で起きることーーーー戦後文学者少年テロリストたち/『クウデタア』原作者・大塚英志さんインタビュー(後半)

http://bookstand.webdoku.jp/news/2017/11/09/170000.html

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大塚英志×西川聖蘭『クウデタア 完全版』刊行インタビュー:大塚英志×西川聖蘭『クウデタア 完全版』刊行インタビュー アンラッキーなテロ少年と戦後文学者をめぐっての雑談

http://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/post-1122.html

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