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2018-11-09 『生きてるだけで、愛。』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 公開初日に、渋谷ヒューマックスシネマ仕事帰りに鑑賞。10人ぐらいのお客さんだったような気がする。小説自体はだいぶ前に読んでいるが、鬱になっている主人公(趣里)と彼女の彼氏菅田将暉)、彼女のわがままに見える、不器用さやどうしようもなさ、人の優しさが染み込んでくると壊してしまいたくなるのは、自己肯定力のなさやそれに応えることがきっとしんどくなってくるからなのだろう。だが、一緒にいる彼氏、いや恋人や同居人だったら耐えれないとも思う。彼もまたゆっくりと溜まっていたものを最後には爆発させる。彼女の最後の疾走と踊りのような行動は憂鬱の鬱から抜け出す儀式だった。しかし、彼女の行動に胸糞が悪くなるところもある。きっと、今の所自分だったら迷惑をかける側だからだ。しかし、いつ自分が鬱になってしまうかは誰にもわからない。ただ、このメンヘラ的な自意識の問題は本谷有希子さんが演劇で世に出て、小説を書いていくことになるゼロ年代的なものでもあり、いまでもこのことに苦しんだりしている人が多いのも知っている。だが、どこか見慣れてしまった光景でもあるように思えてしまう。もっともっと早く映像化していた方が突き刺さり方は違ったのかもしれない、とは思う。

 本谷有希子原作『生きているだけで、愛。』と山戸結希監督おとぎ話みたい』の映画の主演が共に趣里が主演で、どちらも劇場で観たが、山戸監督呪いですらある作品に出てた印象には勝てない。というのが観た印象だ。

2016-06-22 『死神の系譜』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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水道橋博士のメルマ旬報』vol.19(2013年08月10日発行)「タモリ特集」より


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死神の系譜』(伊坂幸太郎著『死神浮力』刊行記念かってにスピンオフ<伊坂さん文藝春秋さんすいません>)

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人間は、その日を摘むこと、日々を楽しむことしかできないんだ。というよりもそれしかないんだよ。なぜなら」

なぜなら、人間はいつか死ぬからだ。

伊坂幸太郎著『死神浮力』より

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 数えきれない人間たちが青信号になった瞬間に前に歩き出した。

 空はもくもくの灰色の雲が浮かんでいた。風が出始めてきて一雨来そうだった。今にも降り出しそうだったが自生する巨大な街はそれに抗うように様々な電飾やライトがすでに点いていた。

 私はスクランブル交差点渋谷駅を背にして歩き出していた。巨大なビジョンに映るミュージックに惹かれながら前方からくる笑顔の者や疲れ果てた者、老若男女の群れを避けて進んでいた。

 交差点の真ん中辺りでなんとなく視線を感じたのでそちらに視線を移すと正面から歩いてくる四十にも三十にも二十代にも見える輪郭がぼやけているような女性がいた。彼女は私の正面で止まり話かけてきた。

あなた人間ではないでしょ」

 そう言った彼女の額には第三の目というかチャクラが開いてその目が私をガン見していたのでそちらを見ながら答えた。

「なぜわかる? その目か」

「そうよ、この世の者でもないのにどうしてこんな所にいるのかなって思って、ちょっとした興味というか好奇心かな」

 君も半分はこの世の者ではないよと言おうとしたがやめた。笑う彼女は二十代のようにも見えるから不思議だった。目尻や肌の質感は四十代ぐらいの感じがする。

「今から仕事なんだ」

仕事ってなに?」

 第三の目は私の手元を見ていた。どうやら黒の革手袋をしているのが気になるらしい。

 真夏に長袖のシャツにジーンズに革靴、それに黒の革手袋とはやはり違和感があるのだろう。私の見た目は三十代前半ぐらいで爽やかな見た目の青年風になっている。私たちは毎回調査する相手に接しやすい風貌を設定される。だがいつも手袋はかかせない。

 私たちが素手で人間に触るとその人間寿命は一年縮んでしまうからだ。だいたい調査する相手の人間はかなりの確率で近々亡くなるのでさほど問題はないのだが。

人間を観察して「可」か「見送り」を決定し報告する」

「へえ、人間にとっては重要な役割なのね」

「まあ、そうだとも言えるだろうな。信号が点滅しているぞ」

「じゃあ、さようなら死神さん」

 彼女が足早に走り出す。私も反対側に走り出すとポツリポツリと雨が体を打ち始めた。渡りきって地下鉄の入り口に入る。私が仕事の時にはあまり雨は振らないので久しぶりの雨の匂いだった。そういえば同僚の千葉はいつも仕事をする時は天候に恵まれないと言っていたのを思い出した。

 千葉が言うには「死を扱う仕事」であるだけに悪天がつきものなのかと勘ぐったこともあったらしいのだが私の場合はたいてい晴れている。だからそれはただの偶然だろう。千葉に晴天を見たことがないと言われた時にはそれは信じがたいという顔をするとそれは事実なのだから仕方がないと千葉が雨降りの空を見上げたのを思い出した。


 情報部から渡されたスケジュール表に書かれていた書店を目指していた。時計を見ると19時16分だった。目的の書店を見つけると中に入って店内を見渡す。

 入り口近くに展開されているコーナーの場所にその調査対象女性はいた。

 黒ブチ眼鏡をして髪も染めておらず、背は高くも低くもない。化粧気もあまりなく服装は仕事帰りなのか地味な感じだ。一言でいうとまるでモテそうにない。もう少し明るい色や疲れた表情でなければそれなりに可愛いのかもしれないが彼女がそれをしそうには見えなかった。私は彼女の後の方で他のコーナーの本を見ているフリで観察していると時折、彼女はレジの方を伺っていた。

 レジには二十代ぐらいの背の高いキリッとした顔立ちの青年と四十代ぐらいの主婦に見える女性と背が低く頭部が薄くなっている社員らしい三十代後半に見える男性の三人がいた。彼女の視線は背の高い男性に向いているように思えた。私は彼女がいるコーナーの隣りに立つ。これでもかと店員の想いが溢れているコーナーだった。

 平台に積まれた本のタイトルは『タモリ論』とあった。帯には黒サングラスのようなデザインがされていて「やっぱり凄い!」とデカデカと書かれている。

 サングラスの下には「異才の小説家が、サングラスの奥に隠された狂気と神髄に迫る、革命芸人論。」とあった。ふと私は手に取って冒頭から読み始めてみた。まだ隣りの彼女は動き出しそうになかったからだ。冒頭の「はじめに」を読み終わり<第一章 僕のタモリブレイク>を読みかけてすぐに彼女は一緒に積まれていた紫色文庫を持ってレジに向かった。

 レジは並んで二つあって青年主婦がいて主婦の方はサラリーマンの会計をしていた。彼女は青年の方に向かうと青年大学生ぐらいの男に問い合わせをされてレジを離れてしまった。その大学生と私は目が一瞬合い、オヤっと思ったのだがレジは中年の社員に変わって彼女は会計をすることになった。その表情は見えなかったがきっと笑顔ではなかっただろう。

 書店から出て行く彼女の後を少し離れて追いかけていく。鞄からイヤフォンを出して耳に装着した。心なしか彼女の足下がリズムに乗っているような気がした。同時に鞄から鍵が落ちたのだがそれに彼女は気付いていなかった。私はそれを雨が濡らした道路から拾うと早歩きで彼女の前に立って鍵をみせた。後から肩を叩こうと思ったがミュージックを聴いている彼女の顔を少し見たいと思ったのだ。鍵を見て彼女は驚いたようで自分の鞄の中を探ってないことを確かめた。

「それ私の」

「さっき君が落としたのを見て拾ったんだ」と私がそう言うと「ありがとうございます」と言って手のひらを出した彼女に鍵を渡す。普通に渡しだけなのに鍵はなぜか手のひらから零れ落ちそうになって瞬時に反応して手を出すと彼女の手に触れた。

 しまった、と思った時にはすでに遅かった。

 書店で本を読む時に黒の革手袋を外していた。彼女の顔は悲鳴をあげそうな顔になった。まるで死神を見たかのように、まあ実際には目の前にいるのだけども、血の気のひいた青ざめた顔になってその場にへなへなと座り込んだ。やってしまったと後悔しても時は既に遅し、とりあえず周りには誰にいない。同僚には見られてはいないだろう。人間を素手で触ってしまうのがバレるとペナルティが課せられてしまう。手袋をつけて座り込んでしまった彼女を抱えて私は歩き出した。

「本当にいただいていいんですか?」

 目の前のパフェにさっきまでとは違う目の輝きと笑顔の彼女は言った。

「これも何かの縁だろうし、きっと急に倒れるってのは疲れすぎているからだ。糖分を取ってないからだろう。そういえば君の名前は?」と一応名前を確認しておいた。

「柊みちるです」

 彼女はひらがなでみちるです。『青い鳥』の兄妹のチルチルミツルの妹のミチルですと言った。母親青い鳥を見つけれるようにって名付けてくれたんですと照れながら言う。

「で、青い鳥はいたのか」

「変な人ですね。簡単に見つけることができたら本当にいいのに。あっ、名前聞いてなかったですね、お名前は?」

岡山というんだ」と私は答える。人間は対する相手の名前を聞かないとどうも不安らしい。

 仕事で送り込まれてくる私たちには、決まった名前が付けられている。姿や年齢などは毎回変わるのにその固有名詞は変化しなかった。きっとそうほうが管理しやすいという理由だろう。

 話は後でいいからパフェを食べてしまったほうがいいよと言うと彼女は美味しそうに食べて始めてぺろりと平らげてしまった。

「ごちそうさまでした。いやあ、本当に美味しかったです。ここまた来たいな、パフェ食べに。会社も退屈で毎日がしんどくて死にたいっていつも思ってるんですけどこういう美味しいものを食べていると至福というか生きていたいと思えますね。でも日々仕事に追われて何やってんだろうって思ってため息ついてはもう消えたいなって思ってるんです。ここは退屈迎えに来てって感じです。死にたい、でも誰か迎え来てみたいな」

 私たちが担当する相手は促したわけでもないのに、「死の話」を口にすることが多い。死という暗闇に脅えながらもそれすらも救いだという顔をする。私たちが調査している間に相手の人間が死ぬことはない。私は、「残念ながらまだ死ねないんだ」と彼女に対して少し申し訳ない気持ちにもなった。自殺や病死は死神の管轄外なのでそれがいつ起きるかはわからないが調査中に起きるということはない。

 私が相槌を打たないでいると彼女がコーヒーを一口飲んでから言った。

「『ここは退屈ここは迎えに来て』って小説があって凄い良かったんです。私も地方出身だからわかるなって部分があって」

「そうか君は東京出身じゃないのか。しかし君は本が好きなんだな」と知らない感じで言ったが情報部からの資料で彼女に対する大抵のことは知っていた。

「はい、大好きなんです。岡山さんもさっき書店で本読んでたじゃないですか」

 彼女はデザートと本が好きでその事を話し出すと顔が活き活きして見えた。鞄の中からさっき買った紫色文庫を袋から出す。

 黒い帯には「ババアが死んだ。俺は雑司ヶ谷の神になる。」とある。ほほう、神になるのなら私も死神だから同類といったところだ。彼女はその文庫を手に取ると私にさらに話かけてきた。

「さっき岡山さんが読んでいた新書の『タモリ論』書いたのがこの『雑司ヶ谷R.I.P.』って小説を書いたのが樋口毅宏さんって小説家さんなんです」

「そうか、はじめの部分しか読まなかったんだが今後の参考にその『タモリ論』の感想聞かせてもらってもいいかな?」

いいとも! いやそういうノリではなくてですね。岡山さん冷静で落ち着いてるような顔をしてそういうの仕掛けてくるんですね。やりますね」

「いや、よくわからないのだが。とりあえず聞かせてくれ」

「これはつまりタモリについて語るときに樋口毅宏の語ることってことなんです。この新書は「タモリ」という存在について樋口さんの記憶や資料などから語られます。あれ? 話が脇道にそれて、ああそっちから攻めて来た!な展開で飽きさせない感じで読んでいけるんです。樋口さんの語るタモリ論ですからつまり樋口毅宏という作家のこれまでとオーバーラップさせながら語るという自分語り部分も入ってくるわけです。だからこれは論じゃないとかいう批判もあるんですがそれは本質を捉えていない。ひとりひとりのタモリという存在について考えさせられる本なわけです。そして「タモリ」を語る事は「たけし」を語る事であり、「さんま」を語る事になっていくのは至極当然です。いわゆる三位一体ですかね、違うか。ロラン・バルトのいう所の空虚な中心みたいなものでタモリさんはお笑い界の空虚な中心として樋口さんは語るわけです。まあBIG3というテレビにおけるお笑いの祝福であり同時に呪縛として未だに君臨し続ける彼らについて樋口さんは「たけし」は誰である説や「さんま」は誰である説を巧妙に語っていきます。『いいとも!』に起きた乱入事件なんかとともに。小説家としての樋口毅宏ファンである私は期待と不安がありつつ、読みながら感じたのは樋口作品においてオマージュという先達や影響を受けた人へのシンプルな尊敬と愛をぶちこんできた樋口さんのそれらがタモリさんやたけしさんにさんまさんにも注がれていて読んでいくうちにはなんだか嬉しくなってきたんです」

 まくし立てるように話した彼女はコーヒーを一気に飲んでさらに水も一気に飲んでから店員に水のお代わりをお願いした。私は飽きれながらも、いや感心しながら話を聞いていた。

 人間というものはあんなに死にたいとか退屈だとか言っているすぐ側から目を輝かせて自分の好きなものを語る時は水を得た魚のように振る舞える。そんな強さがもちろんこの大人しそうな彼女にもあった。

 唇を舌で軽く舐めるように濡らすとまた話し出す。

「『パピルス』で連載していて未だに書籍としては発売されていない『アクシデントリポート』って作品があって、それを連載中に読んで思ったのは樋口さん本当にタモリさん好きなんだなって、そういうシーンが出てくるんですよ。テレフォンショッキングな場面ですごいショッキングなシーンをぶち込んでくるの。たぶん、『タモリ論』と同時期に執筆していたようなそんな気がするんです、違うか、でもいっか。新書の中でも書かれていたあの事故との繋がりとか。だから新書を面白く読んでいるのに小説が読みたくなってくる不思議遊戯感が満載なんです。だから、私は『タモリ論』を楽しく読みながらも早く『アクシデントリポート』読みたいって気持ちがしてきて読み終わったらテレビでは『タモリ倶楽部』が始まっていつものオープニングの曲が流れているそんな金曜深夜もとい土曜日の午前〇時だったんです。で、私とタモリさんというとね、ひとつだけあって。私は中学時代に卓球部だったんだけどその頃は学校卓球台とかも黒に近い緑色みたいな台だった。でもタモリさんが卓球ネクラスポーツだとかテレビで言って卓球協会もやばいみたいな感じになっていろいろそれまでの物からモデルチェンジしていくことになったそうです。私が市の大会に出ると今まで通りの緑色の卓球台の方が多かったんだけど新品というか新しい水色の台とかが何台か入るようになってそれが次第に増えていったの。ボールの色もユニフォームも今のオリンピックとか世界大会とかテレビで見るようなカラフルなものが増えていった。それって実はタモリさんの発言の影響で変わっていったんだよね、そのくらい影響力が大きかった。私が中学の頃はそうやって卓球が変わろうとしてた、でも『稲中』のマンガがあったからネクラよりも変態的なイメージもあったんだけどね」

「なるほど、そうやって聞くときちんと読んでみたいと思える」と私は言ったが自分語り的な要素が孕まれているとなると私の場合は死神タモリになるわけだ。私がタモリブレイクするとタモリが死んでしまう、そんな気もする。

「この樋口って人間小説面白いのか」

「好きか嫌いかみたいな、DEAD or ALIVEっていうか。好きか嫌いかが両極端に分かれる作家さんではあるかも。私は大好きですけど。樋口さんは編集の金さんに依頼されてこの『タモリ論』を書いたんです。それは金さんの慧眼だと思います。そしてこのお二人は確実にこの新書が話題になるっていう手応えがあったはず。処女作の『さらば雑司ヶ谷』でのタモリさんがオザケンについてのあの箇所の件はこの新書に確実に繋がっています。そして続編のこの『雑司ヶ谷R.I.P.』の文庫が『タモリ論』が出た後に発売されるタイミングとかは新書が話題になって一作目も続編もきっと読むに違いないと今まで樋口作品あんまり刷ってくれなかった新潮社さんYO! と二人がサングラス越しにニヤついて乾杯しているように思えるんです。そしていつか出るだろう『アクシデントリポート』にまで連なる流れなんですよ、たぶん。そこまで長期的に考えていたんじゃないかなって私は最近疑っているんですけどね」

「そうか君にとっては面白くない日常の、死にたい平凡な日々に刺激をくれる作家なわけだ。でも、もし『アクシデントリポート』が出なかったらどうするんだ」

「その時は死にますね」と彼女は笑いながら言った。残念ながらその願いはすぐにでも叶うのだがと少し申し訳ない気持ちになった。


 彼女と別れて246沿いを歩いて道玄坂まで出てそのまま宮下公園の方に向かう。目的地は大型CDショップだった。私の足取りは早かった。今回の仕事も順調で仕事自体は気楽なものだ。私たちは人間の姿になって調査対象人間について一週間の調査が終わると、担当部署に結果の報告を行う。

 その結果が大半は「可」であるのだが、その翌日のつまり八日目に、「死」が実行される。ようするに私たちはその実行を見届けて仕事を終了したことになる。

 担当した人間がどのような形で死ぬのかを私たちは情報部から聞かされてはいない。だから見届けの時が来るまでは彼らがどのように死ぬのかは知らない。たいてい仕事人間の姿になるとCDショップを探す習慣がついている。

 人間世界行列など最悪なものが多いがミュージックだけは格別に最高なものだといえる。

 21時を過ぎている平日の店舗はほどほどの客でこれはのんびり視聴できるぞと顔が自然とニヤけてきた。邦楽ロックのコーナーの階を見渡していると視聴機の前でヘッドフォンをして音楽誌を読んでいる男がいた。書店で問い合わせをしていた大学生だったので近づいて肩を叩いた。大学生ヘッドフォンを外すと私を見て頷いた。

「やはり千葉か」

「ああ、さっき気付いたよ。俺は二日前からだが。お前はいつから?」

今日からだ。雨が降ってるから千葉のことを思い出したがまさか同時期に仕事とは。仕事は順調にいきそうか?」

「最後まできちんと見て報告するよ」

「でも、「可」だろ」

「たいていの場合はな。お前はどうなんだ?」

「まあ限りなく「可」だよな。なんかオススメのミュージックないか。今日来たばかりだからな」

 千葉は肩にかけていたヘッドフォンを外して私の頭にかけて再生ボタンを押して「じゃあな」と言った感じで上りのエスカレーターがある方に歩いていったが途中で立ち止まり私に向かって左手でピースをして右手は指を全部開いて何かを示そうとした。私も同じようにして視聴期を指差すと千葉はグッドラックみたいに指を立てて角を曲がって消えた。私は再生される音楽に身を預けるように目を瞑った。

 特徴的な声と物語のワンシーンを描くような詞の世界と重すぎず軽すぎないほどよく疾走するロックが鳴っていた。千葉が読んでいた音楽誌の表紙に聴いているアルバムバンドが載っていて私も手に取って彼らのインタビューを読みながらずっと視聴機から流れるミュージックを聴いていた。千葉の示していた七曲目になった。やっとメジャーデビューして出したシングルオリコン七位になったこと受けて作られた曲のようだった。

 中心人物でボーカルギター作詞をしている人物の名前が尾崎世界観と書かれていた。詞の世界観がいいですねと言われたことに対してつけたものらしい、かなりひねくれているが面白い


 私は閉店になるまでミュージックを楽しんだ。夜になると良いミュージックが鳴っている店を探すか深夜までやっている書店にでも行ってさっき聞いた小説でも読もうかと思った。CDショップで視聴機の前で真剣な顔をして立っているのがいたらたいていの場合は死神だ。次に仕事でこっちに来るのがいつになるかわからないから来た時はできるだけ浴びるようにミュージックを聴いている。

 私は小説も読むというと千葉や同僚には変わったやつだなと言われるが仕方ない。天使はたいてい図書館にいるらしい。そんな映画があると同僚が教えてくれた事があった。だが、私は恋のキューピッドではない。あと一回か二回程彼女に接してみよう、こう見えてもわりと仕事はきちんとするほうなのだ。

 とりあえず深夜遅くまでしている書店に向かう事にした。私たちは死神だから寝る事もないので人間が活動を控える深夜帯は店が閉まるので地方に行くと大変手持ち無沙汰になる。だから朝日を見ると安心する。やっと人間たちの活動が始まっていくのだと。

 さっき読んでいた音楽誌MUSICA』のインタビューバンドボーカルである尾崎世界観は衝撃的な体験のひとつとしてラジオを聴いていて初めて朝になる瞬間を見た事だとインタビューで答えていた。

 自分の窓から見える夜明けを見るのが好きになった。だけどそれは寂しいという感覚だったらしい。夜明けにだけ見る、自分にとって特別な景色だが遠くのほうでは小さく車が動いている音がして、この景色も今もずっと動き続けている世界の一部だなって現実に引き戻された。ただその気持ちは常に持っておきたいと思ったと彼は語っていた。


 三日目に書店で彼女があの長身大学生風の男にレジで会計してもらっているのを見る。大学生文庫カバーをかけているようだった。

「僕もこの作家さん好きなんですよ。お待たせしました。どうぞ、ありがとうございます。またお越し下さい」

 青年にそう言われた彼女は恥ずかしそうな笑顔になって書店を出て行った。好意があるのならば言えばいいのにと内心思った。昔担当したことのある男がよく言っていた言葉を思い出す。

「出会いに照れるな」とそのキャップを被った男は死神の私にさえそう言う豪快な男だった。

 店内を見渡すと大学生ぐらいの姿になっている千葉がまたいた。私は彼女を追いかけるように読みかけの小説を棚に戻して店外へ出た。彼女は私には気付かないようで、それもそのはずイヤフォンをしているのでミュージックを聴いていた。私の興味は彼女がどんなミュージックを聴いているかどうかだったかとりあえず距離を持って見失わないように歩く。

 彼女と私、そしてもう一人私の後を歩いている者がいた。彼女がコンビニに入っている間は遠くから私は待っていた。

 うしろから来た男は私を追い越してコンビニの前のガラス越しに彼女を見ると踵を返して私の前を走って通りすぎた。エプロンぐらいは外せばいいのにと私はその男を見て思った。人間という者は本当に愚かだなと思わずにはいられない。

 ここまで追いかけてきて声もかけずに帰っていく、時間と労力の無駄遣いとしかいいようがない。

 六日目、コンビニで偶然を装って彼女と居合わせた感じで声をかける。

「こんばんは」

「よかった岡山さんだ」と彼女はふっと緊張していた顔から安心したような顔になる。

「よかったって、なにか悪いことでもあるのか」

「誰かに後をつけられているような気がして。怖くてずっとここで立ち読みをしてたんです」

 この間、私も君の後をつけていたがまったく気付かれなかったがと言いそうになるのを抑えた。一度お茶したぐらいの関係で安心感を持つような危機感のなさがそうさせるのだとも言いたかったが。

「あの〜、もしよかったら家の近くまでついてきてもらったりできませんか? わがままなお願いで申し訳ないんですけど。ひとりだと怖くて」

「まあ、いいよ。ここから近いのか」

「五分ぐらいなんですけど街灯があんまりなくて暗がりなんで」

「それじゃあ、行こう」

「ちょっと待ってください。それなら買い物します。すぐに終わるんで」

 さっきまで怖がっていた彼女は発泡酒二本とつまみを買っていた。本当に怖いのか疑問になった。安心して食い気が戻ってきたのかもしれない。

 確かに彼女のアパートに続く道は街灯があまりなく静かな閑静な場所と言えば聞こえはよいが夜の女性の一人歩きには向かないかもしれなかった。

「まだ後をつけられているような気はするか?」

「わからないですけど岡山さんいるしさっきみたいな怖さはないです」

 彼女は暗がりの方を振り返って凝視しているが何も見えないだろう。私にはかなり遠くに男性が息を沈めるようにして立ち止まっているのが見えたがそれを彼女にわざわざ教える必要があるとは思えなかった。そしてその男が私たちとは反対側に走り出したのが見えた。

 歩き出した彼女の横に並んでアパートの方に向かう。仕事の愚痴を聞かされる。

「なんで私こんな仕事してるんだろうっていつも思うんです。給料日銀行残高が増えて家賃払って公共料金支払ってってしてたらどんどん残高減って、あれ? わたし価値ってなんなんだろうって思って寂しくなってきて。ずっと死ぬまでこれが続くのかなって思うとなんか狂いそうっていうかただただ怖いっていうか。こんな運命なのかなって思ったりして。死ぬまで、寿命が来るまでこんな毎日なのかなって」

寿命はあるさ。当然。だがみんながみんな寿命で死ぬわけじゃない。それを待っていたらバランスが崩れてしまう」

「バランスって?」

人口とか、環境とか世界のバランスだ。寿命の前に死んでしまう事もある。突発的な事故や事件に巻き込まれるような。それは寿命とは別だ。火事とか溺死とかそういうものは後から決まるものだ」

「誰が決めるんですか?」彼女が私に問いかけてくる。

死神とか呼ばれるそういうものだ。おおまかにいう神様みたいなものだろう」

「まるで死神に知り合いがいるみたいな話し方ですね」

「そう聞こえたのならそれでもいいが」

神様なんているんですかね。じゃあ、もっと私の人生楽しくてもいいはずなのにね、そう思わない岡山さん。私は退屈で死にたいって思ってるけど、もっともっとなにか良い事があるんじゃないかとも思ってるんです。そうじゃないとこんな生活続けていけない」

「この生活が終われば楽になれるとも聞こえるが」

「でも、やっぱり生きていたら楽しい事や嬉しい事があったり、ときどき何年とか何十年に一度ぐらいは美しい景色とかが見えるかもしれないじゃないですか、やっぱりそれを信じて生きていたいです私は、信じるぐらいはいいですよね」

 私は答えずにただ頷いた。三階建てのアパートの前に来ると彼女は頭を下げて丁寧にお礼を言った。「おやすみなさい」と言って彼女はアパート階段を上っていった。

 来た道を引き返して歩き出した。大型のCDショップ書店に向かおうと思った。コンビニを過ぎてしばらく経った交差点警察車両が停まっていた。

 ガードレール沿いに千葉が立っていた。見届けにやってきたのだろう。私に気付くと軽く手を挙げた。

「見届けが終わったか」

「ああ、車に轢かれた。女性の後を追いかけていたんだが急に振り返って走り出して無我夢中信号も無視して車に撥ねられた」

「お前の担当だったのかあいつは」とエプロン姿の背の低い男の事が浮かんだ。

「そうだ。仕事は終わりだ。最後にミュージックを聴いておこうと思ったがどうやら時間がないらしい。次はいつになることやら。この間のはどうだった?」

「すごくよかった。面白いとも思った」

岡山も結果の報告を出す頃だろう。どうするんだ、いつも通りか」

「今、ちょっと考えてる。でも、おそらくはいつも通りにするだろうが。まあもう少しはこちらでミュージック小説を楽しむよ」

「それは羨ましいな。じゃあ、また。そういえばさっき死んだ男が言っていたが私達のことを書いてある小説があるらしい」

「ほお、それは興味あるな、なんてタイトルだ」

「『死神浮力』というやつらしい。俺は読んでないが時間があればどうだ。じゃあ」

「ああ、また」

 私は千葉と別れて歩き出す。私たち死神人間がどうなってもさほど関心はないが彼らが死に絶えてミュージックが無くなってしまうことは、つらい。

 報告をどうしようか私は考えながら私は街を歩いている。千葉に言われた小説をとりあえず読もうと書店に向かった。



エピローグ

 久しぶりにこちらに来たのでミュージックが聴けると嬉しくなっていたが情報部から渡されたスケジュールではすぐに接触しなければいけないらしく、しばらくはお預けのようだった。だが、すぐ近くに 大型の書店があったのでスケジュールに記されている時間まで私はそこで時間を潰そうと思った。

 一階の部分では新刊が広く展開されていた。以前、聞いた事のあった著者名とタイトル名の置かれている本を一冊手に取って冒頭を読んでみた。

 何人かの人間が置かれているその本を手に取ってはレジに向かっていった。すると私の視界の隅に一人の女性が目に入った。

 髪の毛も少し明るい色になって黒ブチ眼鏡はそのままだが明るい柄の服を着ている、そう彼女は柊みちるだった。もちろん彼女は姿など変わった私に気付くこともなく積まれた本を手に取ってパラパラめくるとその分厚い、まるで聖書のような樋口毅宏著『アクシデントリポート』をレジに持っていった。

 私は時計を見ると予定の時間に近づいていたので本を戻してすぐ近くのアルタ前に歩いて行く。しばらくすると情報部からのスケジュール通りにアルタ前に停まったタクシーの中から四十過ぎの男が降りてきた。

 さあ、仕事だ、と私が調査対象の男の方に歩き出そうとした刹那、黒いサングラスをした決して狂わない男が私の目の前を通りすぎようとしていた。しかし、黒いサングラスの上の額に第三の目が現れて私をガッと見つめてすぐに閉じてそれは消えた。黒いサングラスの男は何事もなかったかのようにそのままアルタの中に入っていった。

2014-12-13 『PLANETS Festival 2014』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 ひさしぶりに池袋にきた。ニコニコ本社ってパルコの中にあるんだなあ。


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【タイムテーブル】

▼15:00〜16:15

荻上チキ×駒崎弘樹

「政治への想像力をいかに取り戻すか」


チキくんが話してたやつ↓

@Session_22 TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」。自民党滋賀県連が、嘉田由紀子氏の選挙応援活動に関連して大阪成蹊学園に送付した文書(全文掲載)

http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/12/post-306.html


宇野「メディア以外にどうリベラルの拠点をつくるか。ネットの外側につくるべきだ。フローレンスは生協2.0になるべきだ」

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543658938625835008


宇野「何が政治的かは、結局のところ文化でしか語れないんじゃないか」

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543663336869462016


荻上チキ新刊『ディズニープリンセスと幸せの法則』(星海社新書)

http://seikaisha.co.jp/information/2014/12/08-post-241.html



▼16:30〜17:45

根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛

【続・静かなる革命へのブループリント】

「ほんとうの生活革命は資本主義が担う

――インターネット以降の都市生活と衣食住」


対応年数の過ぎたものをどうアップデートするかという点で根津さんと吉田さんの組み合わせにした。と宇野さん。


二十一世紀もはやわがまましか価値がない。


根津さん (車やバイクの)試作品はハードルが一だが、製品化はハードルが十ぐらいに高い。


吉田 インターネットで日が当たっていなかった人に当たるのがいい。


ネットが繋がりすぎてしまった結果、日本的な村な言語、イジメや炎上することになってしまったことに絶望して小笠原さんは転向してDMM.makeを作ったのではないか?


宇野「物語でつながるのか、ものでつながるのか。クラウドワークスの面白いところは、その二つがあるところ」

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543676312783572992


根津 ひとりでもやるでもないし、みんなでやるでもない。ひとりでもやっちゃうよねみたいな人が集まる。そういうものを小笠原さんはDMM.makeをやろうとしている。面白くなければ出される。


吉田「宇野さんとの夢。インターネット共済。26万人の会員が少額でも積み立ててれば、すごいチカラになる」

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543677464476524544


小笠原さんのDMM.makeは閉じた環境の中でのイノベーション、毎日が総選挙。繋がり。吉田さんのクラウドワークスはコミットではなくプラットホームになっていく。下手すると今のツイッターになてしまう可能性がある。人間の心があまりでない方がいい。


データで機械的に繋がっていく。


根津さんは自動運転の車になっていくときにどんなデザインをしたいのか? それが吉田さんへの質問の答えになる。


人の心を主体としたコミュニティーを否定しない。コミュニケーションだけは場でしか体験できない。が、ほかにやるべきことはないか?


根津さんと吉田さんの組み合わせは実はまだ(車もクラウドソーシング)地方の味方でもあるものを創っている。と宇野さん。


車はスマフォとは違う世界と繋がるものになっていけるか。


電動バイクがもっとも使われているのはガソリンスタンドが潰れた過疎地域でおじいちゃんやおばあちゃんが使っている。家にコンセントはあるからと根津さん。


イノテイティブを起こすためには定期的に会うしかない。


吉田さんというプレイヤーがどんな金融と組むか。

▼18:00〜19:00

國分功一郎

「哲学の先生と人生の話をしよう Live in 2014」

▽フリーテーマで人生相談を募集中!

応募フォームからお気軽にお寄せください。


つらいことがあったら誰かに話すと楽になる。國分さんは三十五ぐらいで気づいたとのこと。


國分「身をさらすってのは損するだけだってコメントの人は言うけど、身をさらして悩みを相談してみると、それに答えてくれる人が出てきてくれるんだよ」

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543698374474465280


宇野「國分さんのイベントだけ女性がすごく多いんですよ。PLANETSでAKBのニコ生やってもほとんど男なのに…」國分「いや、俺は雰囲気イケメンなだけだからね!」

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543699113368231936


性欲は自分の根幹にある。


國分「好きという気持ちは、いろいろあるんだけど、最終的には『この人と『セックスしたい』という気持ちは大事にしたほうがいいですよ」

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543701365122285569


國分「僕は今は偉そうなこといろいろいっているけど、昔こう思ってたんです。『自分がいいと思っているものは、よくないものだ』。つまり、自分の判断にまったく自信が持てなかった。DVとか虐待の何が一番こわいって、自分の感覚を殺してしまうこと」

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543703296049811456


転校生のパラドクス。



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優先で申し込んだ石岡さんと落合さんのトーク。

▼19:15〜20:30

落合陽一×石岡良治×宇野常寛

「(非)言語にとって美とはなにか

――〈魔法の世紀〉をめぐって」


コンピューターグラフィックスは重力や摩擦がないから自由。


映像の世紀の臨界点、すべての映画はアニメになる。と宇野さん。


サイエンス×もの作りはプログラミング。


落合:僕がいまモノを浮かしたりしているのだって、キャメロン的なコンピュータの使い方の積み重ねの上にある発想だったりするんです。

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543719443851792384


原体験が共有できないからわかりやすい制約はすげえなあと誰もが感じるしわかる。編集なしのOK GOのPVとか。


物語よりテクノロジーの感動を見せたキャメロン。


落合:コンテンツよりもプラットフォームが強いと言われるけど、コンテンツドリブンのプラットフォームはもっと強い。つまり、ディズニーは最強プレイヤーなんです。だから絶対コンテンツ支配の世界が来るんですよ。

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543725168632139777


アートは(体に、社会に)溶けて、アーティストは消える。


落合:(魔法の世紀の時代の作家物語の役割について)アートは溶ける、アーティストは消えると思っていて。表現そのものをやっているアーティストは要らなくなってきて、いろんなものを組み合わせてコロンブスの卵をつくっていくのかな、と。

https://twitter.com/PLANETS_9/status/543730177520316416



『PLANETS FESTIVAL 2014』は次が最後だが、いろんな方々の話を聞きながら小説について考えてた。



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▼20:45〜22:00

猪子寿之×井上明人(@Skype)×門脇耕三×宇野常寛

「先行公開! PLANETS vol.9の(今のところできている)すべて」



すごいワクワクする雑誌になると思ったし早く読みたいと思った。都知事選での宇都宮ともうひとりの人、舛添じゃない人が二位になった地区のデータとか見ると本当にリベラルな人が住んでる区がガッツリわかるとかデータ的なものから都市のデザインや開会式とかもっと観るというよりも参加できるものにどうやったらできるのかという。来年の一月末が楽しみ。しかし、熱のあるトークで普段動かしてない所が反応したから終わったら疲れたけど心地いい感じだ。

哲学の先生と人生の話をしよう

哲学の先生と人生の話をしよう

2014-06-28 『渇き。』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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監督・中島哲也

原作・深町秋生

脚本・中島哲也、門間宣裕、唯野未歩子

出演・役所広司(藤島昭和)、小松菜奈(加奈子)、妻夫木聡(浅井)、清水尋也(ボク)、二階堂ふみ(遠藤那美)、橋本愛(森下)、國村隼(辻村医師)、黒沢あすか(桐子)、青木崇高(咲山)、オダギリジョー(愛川)、中谷美紀(東里恵)ほか


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「告白」の中島哲也監督が同作以来4年ぶりに手がけた長編作品で、第3回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した深町秋生の「果てしなき渇き」を映画化。容姿端麗な優等生で、学校ではマドンナ的存在の娘・加奈子が失踪し、別れた元妻から捜索を依頼された元刑事の藤島昭和は、自分のせいで崩壊してしまった家族を再び取り戻そうと、娘の行方を追う。しかし、加奈子の交友関係をたどることで、これまで知らなかった娘の人物像が次々と浮かび上がる。本当の娘の姿を知れば知るほど、昭和は激情に駆られ、次第に暴走していく。ろくでなしの元刑事・昭和役で役所広司を主演に迎え、娘・加奈子役には新人・小松菜奈を抜擢。妻夫木聡、二階堂ふみ、橋本愛、オダギリジョー、中谷美紀ら実力派が共演する。(映画.comより)


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 tohoシネマズ渋谷にて。初日かな、たぶん。ずっと前から予告編を観て楽しみにしていた中島監督の最新作。原作の深町さんの小説は未読。



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 パンフレットに中島監督×浅野いにお対談が載っていると聴いていたのでGET。最後のスタッフロールに山戸結希さんの名前があったけどパンフみたらメイキングやってんのか〜。なるほど最近のツイートはその関連か。


 ビジュアル的には予告でも期待大にさせてくれたので画的には作品に出てくる覚せい剤みたいにやってぶっとんでる感じになるのかなと思ったら予告位の長さでPVみたいな早さだとそれが活きるけど二時間ぐらいの映画になってクラブでのパーティシーンみたいなでんぱ組の曲とか使っているとことか映像もバンバン変えて主人公の藤島のシーンになったりするとどうもぶつ切りな感じでアッパーになりきれないんだなと。

 観た感じはとっちらかってるなっていうのと二時間が長く感じた。役所広司さんはさすがだけど、やっぱり。

 クライマックス近くのオダギリジョーの指が振っとんだ時に『多重人格探偵サイコ』で見たことあるやつや!とテンション上がった。のはビジュアル的にもオダギリジョーなら田島さんが描くキャラにいてもおかしくないから。

 観ながら原作小説が気になったのは小説だとこれはどういう時系列にしてあるんだろうかということ。この作品の暴力性とかは原作者の深町さんの想いとか怒りとかが思いっきりぶつけられているのだとは思う、不満だとかやりきれなさとか真面目というか普通に暮らしている人を自分勝手な行動で踏みにじるとかそういう気持ち小説に注がれたのだろう。中島監督映像化するとグロいと言えばグロいし暴力的だし主人公わがままで身勝手で物語の最後の雪のシーンもたぶんもう見つからないのにやめることはできないのだろう、考えずに行動をしていく主人公故にあの結末になったのだと思う。なので期待はずれではないけどなにかが物足りない。


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 加奈子を巡るこの感じは岡崎京子の『チワワちゃん』みたいな東京の中心が空虚であるというロラン・バルトが言ったみたいな人物だ。その人物を知る人たちによって浮かび上がる人物像が当人がどう自分を規定していようがその人間の本質であるというか見え方であり、僕らはその空白を誰かに埋められて規定されることで浮かび上がってきては沈んでを繰り返してやがて息をしなくなるのだろう。

渇き。STORY BOOK

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果てしなき渇き (宝島社文庫)

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2014-06-03 『サッドティー』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 昨日の仕事終わりに渋谷の円山町ラブホ街の中にあるユーロスペースに行く。21時ちょい前からのレイトショー公開の今泉力哉監督『サッドティー』を観に来たんだが着いたのは19時前でとりあえずチケットだけ買っておこうと一階のカフェのとこから中に入ろうとしたら出て来たのが古川日出男さんたちがやっている『朗読劇 銀河鉄道の夜』を宣伝等でお手伝いされている浦谷さんだった。

 

『美澄の小部屋』『ほんとうのうた〜朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って』

http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20140309


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 去年の郡山の古川さんの母校である安積高校での公演だったり諸々お手伝いされているのでそこにいく僕はやっぱり多少は顔見知りなっているのだった。

 3月にユーロスペースでの特別先行上映も素晴らしかったが7月から同じくユーロスペースで『ほんとうのうた〜朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って』がレイトショー公開されるのでその打ち合わせで来られていたという偶然だった。で、『サッドティー』の上映まで二時間近くあったので用事を済ました浦谷さんと一階でお茶をば。試写状もらったけどできたのほんの昨日らしいけど平日の昼間でいけねえ〜。


 古川さんや映画のことだったり、浦谷さんが関わっているロロの新作とかの話を聞いて、ロロ観に行かなくちゃって思って新作観に行こうと思った。古川さんや舞城王太郎さんの影響を受けている劇作家とは聞いてて古川さんの15周年イベントでちょっと観ただけなので丸ごと演劇観てないので楽しみでもある。


ロロ vol.10『抱きしめてトゥナイト』

http://lolowebsite.sub.jp/ASAHI/tonight


 山戸結希監督5つ数えれば君の夢』も宣伝で入られていたしとか今回観に行った『サッドティー』もだけどスポテッドの直井さんの話とかして、僕は一回ワタリウム美術館で伝説(?)の西島大介さんの関係者しか来なかったサイン会&チェキ会の時にいらした気がしてるんだけど違うかな。でもそういう流れで西島さんの話とかも出たりとかして、面白そうな事をしている人たちがそういう繋がりとかやっている人が被ってしまうのは仕方ない事なんだろうなって思う。


 浦谷さんは『ほんとうのうた〜朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って』の試写ハガキをあと誰に出せばいいかなって僕に聞いたりとかしていて、それで書いたりとかしながらお話をしていた。

 演劇の一回性とツイッター相性のこととか映画演劇はお客さんの層も違うしアプローチの形も全然違うんだよって教えてくれて、そういうもんなんだなって思いながらお茶をしていた。


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監督・脚本/今泉力哉

出演/岡部成司・柏木芯、青柳文子・青木棚子、阿部隼也・朝日隼也、永井ちひろ・加藤夕子、國武綾・土田緑、二ノ宮隆太郎・町田純次、富士たくや・ボンさん、佐藤由美・今川雅子、武田知久・早稲田高義、星野かよ・松本園子、吉田光希・橋本宗、内田慈・甲本夏ほか


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「こっぴどい猫」「終わってる」の今泉力哉監督による長編映画。二股を解消したい映画監督とその2人の彼女、喫茶店のアルバイトの女の子とマスター、恋人へのプレゼントを買いに行ったお店の店員に一目ぼれしてしまう男、元アイドルを10年間思い続けているファンと、そんなファンの存在を知り会いにいこうと決意する結婚間近の元アイドルなど、さまざまな恋愛模様を通して「ちゃんと好き」とはどいうことかを考察していく。映画専門学校「ENBUゼミナール」による劇場公開映画製作ワークショップ「CINEMA PROJECT」の第2弾作品として製作された。2013年・第26回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門出品。(映画.comより)



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 窪さんが文章寄せてる『サッドティー』パンフ。

 恋愛してなくてもバカな僕らは恋愛しているとさらにバカで滑稽ではしたなく、わがままで愛しくて、やっぱりバカみたいだけども、でも、それでいいわ。


なんでもないエピソードで血を通わせていく

https://cakes.mu/posts/5842

 窪さんのcakesインタビュー二回目なんだけどね、ふとした、どうでもいいエピソードが人の陰影を作るってのはそうなんだろうなあ。と思ったし今泉監督の作品に漂うものと呼応しているような気がした。


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 監督である柏木は二股をしている。彼女の夕子はそのことを知っているし浮気相手である緑も彼女がいるのを知った上で付き合っている。冒頭シーンの謎の公園の競歩している人ものちにわかるが、柏木の友人である朝日はずっと十年間想い続けている人がいる。柏木は緑の元にいっていて東京にやってきた朝日は友人の彼女である夕子と二人きりで家に泊めてもらう。

 夕子のネイルサロンの同僚である夏は目に痣を作りながらも暴力を時折ふっているであろう彼氏との結婚が近づいていて専門の後輩である緑と園子と部屋飲みをしている。園子は柏木が好きだったが柏木の友人である早稲田と付き合っている。柏木がよく行くカフェでバイトしている棚子は暇だからバイトを掛け持ちしていてその古着屋に園子に誕生日プレゼントを買いに来た早稲田はプレゼント用のワンピースをその場で着てこんな感じですよとフラッと言えて着てしまう棚子に一目惚れしてしまう。


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 基本的に二人になって話しているシーンで構成されているというか三人いても呼び出されてとかどこかいなくなったり電話しにいったりとか、最終的にいるんだけど存在感がないから画面から消えていくとか、二人でいる時に本音というか話ができるみたいなものが根本にあるんだろうか。

 今泉作品は初見なのでどうなのかがわからないんだけど、三人いると意識が自分以外の二人にいかないとだし会話の流れとかあいづちとか二人よりも情報量の多さや人間関係の面倒さみたいなものがあるからシンプルにはならなくなるし見栄もはれるしどちらかと合わせれば違う意見だってその場でオッケーになってしまうかもしれない。


 シーンの変わり目だとか二人の間にある「間」とか会話の少しだけズレているような本質を突こうとして本音を言おうとするが故にこんがらがるような会話で劇場はかなり笑っていた。

 朝日と夕子のパッとなんて名前に見えるかとかのあの間は映像で見ないと笑えないものだろう。

 文章にしても絶対に伝わらない、そういう間があって、わっかるわあ、そうそうそういうことってあるよねとか言い出した自分が笑いかけてしまってそれを察した相手も笑い始めてしまうから話になってないんだけど一種の連帯感あるんだけど実はなんにも繋がってはないんだけどっていうそういう人と人の間にある「間」みたいなのものをうまく撮ることのできる作家さんなのだなと思った。

 映画に出てた永井さんと國武さんって園さんがやった『グレイテスト・ヒッツ・テラヤマ』に出てたのか、パンフに書いてあったけど。思いっきりワタリウム美術館で観てるわ。


 最後の海のシーンで先週ニコラで今泉さんとお茶した時に聞いてたのもあって撮り方というか画が「ああ、こういうことだったんだ」ってわかった。なにかの作品観てそういう海の撮り方はしたくないって思ったからああいう撮り方になったって言われていて。

 劇中で話している二人の間とか言葉で笑ってしまうのは「ああ、わかる」っていう感じで自分でもあるし知り合いでもあるような感じがあるから。

 群集劇というか各章というかそれぞれの関係性を描いていく流れがあって最後の主要登場人物が同じ場所に居合わせるあの感じがすごく好きな感じ。まあ、大好物なものではあるんだよね。

 人との繋がりを求めるのとは少し違うけど巻き込まれるというよりも冒頭の競歩でずっと円を書くようなものみたいに繋がってしまう、円環みたいにその円状にいろんな人物がいて時折同居してしまうようなこと。それぞれの想いが変わってしまう。

 付き合っている好き同士だった二人の気持ちの差異が生じてくる、だって「好き」っていう言葉は各人違うし想いとか熱量とか意味とかなにがしたいとかどうされたいとだとか違うのに言葉にしちゃうと「好き」なのだから問題だし、僕らはいつだってそんなわけで同じ関係ではいられないんだ。


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 棚子を演じた青柳文子さんはなんというか不機嫌な表情とか素敵で、それは一番あの中でモテそうなのにそうではなく、彼らを見ている衛星のようだった。

「すでに何もかも持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供達。」という『リバーズ・エッジ』の文章が浮かんだりした。とツイートしたらご本人が反応してくださった。青柳さんも岡崎京子作品好きなんだって。僕としては素敵なミューズということと青柳さんがなんだか岡崎マンガにいそうに見えたんだ。


 最近の若手の映画監督は半径数百メートルの映画が多いと言われたりするけど、大きな出来事は起こらない、二股しているしそれ許してるし付き合っている人いるのに一目惚れして別れちゃうし十年間思い続けてた人がいたのにその想いは一夜でふっとぶし、それで反撃にあってるのは爆笑ものだけどこの作品は何かがすでに終わっている所を描いていて始まる前の所で終わっているからそういう言い方もまた違うし、日常における息づかいだとか並んで話していることだかとそういうのをきっちり撮りたいしやりたかったんだろうなって。だから笑ってしまうし思いっきりグサって刺さるとこもある。

 二人で話してるシーンの間とかそういう時にウトウトしちゃう時もあったんだけど、実際僕も最後の柏木みたいに寝ちゃう人かもしれないなって思ったり。


 好きっていったい何なんですかね?


 本当にわかんなくなるけど考えて答えが出るなら誰も人の事を好きになったりしねえんだろうし、わかんないから知りたくて遠ざけて傷つけて笑いたがって一緒にいようとしてなんだか本当にバカみたいだけどバカみたいな想いが時々波のように打ち寄せて来てはそこに漂うこびんを波際で誰かが手に取るように、だけど手に取って開けたこびんの中のメッセージを読めるとは限らないし伝わるともいえないのだけど、僕らはバカになってさらにバカになると届く事のみを祈ってしまう。相手のことを考えているようで実は考えてないような、でも、時折届いたりもする。そんな日々を暮らしている。

聖家族(上) (新潮文庫)

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冬眠する熊に添い寝してごらん

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2014-03-05 『愛の渦』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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 テアトル新宿にて『愛の渦』を。サービスデイで千円だったのもあってか雨の日だというのにほとんど埋ってたんじゃないかなあ、平日だったけども。注目度も高いのだろう。

 年齢層はR-18というのもあるけど年配層から二十代まで幅広くカップルや夫婦連れみたいな人も何組かいた感じ。


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監督・三浦大輔

出演・池松壮亮/ニート、門脇麦/女子大生、滝藤賢一/サラリーマン、中村映里子/保育士、新井浩文/フリーター、三津谷葉子/OL、駒木根隆介/童貞、赤澤セリ/常連、柄本時生/カップル、信江勇/カップル、窪塚洋介/店員、田中哲司/店長


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2006年・第50回岸田國士戯曲賞を受賞した、演劇ユニット「ポツドール」の同名舞台劇を映画化。ポツドール主宰の劇作家・三浦大輔が自ら映画用に脚本を書き下ろし、メガホンもとった。フリーター、女子大生、サラリーマン、OL、保育士など、ごく普通の人々が六本木のマンションの一室に集まり、毎夜繰り広げる乱交パーティに明け暮れる姿を通して、性欲やそれに伴う感情に振り回される人間の本質やせつなさを描き出していく。主人公のニートの青年を「半分の月がのぼる空」「砂時計」の池松壮亮が演じ、ヒロインとなる女子大生を東京ガスやチョコラBBのCMで注目を集める新進女優の門脇麦が演じる。そのほかの共演に新井浩文、滝藤賢一、田中哲司、窪塚洋介ら。(映画.comより)


 今日の『愛の渦』といい前に観たディカプリオ主演『ウルフ・オブ・ウォールストリート』といい、窪美澄さんの『よるのふくらみ』なんかを同時期に受容していると人間の欲望の肯定とそのための苦しみや痛み哀しみをたっぷり突きつけられて生きるということについて自分に向き合わないといけなくなる。窪さんのデビュー作『ふがいない僕は空を見た』で出てきたやっかいなものをつけて生まれてきたね、と思わずにはいられない。

 柴尾さんのメルマ旬報連載なら『愛の渦』はおっぱい指数満点だろう。門脇麦の全裸騎乗位が観れただけでもよかったと樋口さんもポストの評で書いてたっけ、まあ激しく同意なんだが。

 二十分ぐらいしたら登場人物は衣服を脱いでる。生きる≒衣きる連想は仕方ない。服だけじゃなく価値観や思想という衣(ころも)。


 監督の三浦さんがやっているポツドールの舞台は未見で監督としての前作『ボーイズ・オン・ザ・ラン』は観ていた。『ボーイズ・オン・ザ・ラン』は最後の辺りでなにかが嫌なというか乗れない気持ちになったような記憶がある。この『愛の渦』は元々舞台作品であるらしい。

 乱交パーティをしているマンションの一室が舞台というのは元々が舞台だった流れであるのは間違いなく、外部は遮断されている。

 すけべなひとたちである八人の男女+後半のカップル(この二人は彼らとは少し違うのだが)の十人は外部性というか職業とかは途中の話で言うんだけど名前の自己紹介もないのでニートとかOLとかそういう職業が役名代わりになっている。まあ、ただその限られた時間の中で誰でも良いからセックスがしたいという集まりに固有名詞は不必要だ。


 緊張し遠慮している前半は息がつまるというか時間の流れが遅く感じられる。セックスするサークルであるのに中々最初の一歩は遠い。そして、一度誰かとやってしまえばその距離は途端に近くになって触り合ったり密接なものになっていく。

 これはまあ乱交パーティのシチュエーションだけども実際の恋愛と同じであって、最初はお互いに恥ずかしいしわがまま言って嫌われるのに嫌だし、みたいなその他人行儀な距離、まあ実際に他人だし。だけど付き合ってセックスしてある種すべてをさらけ出すと当然ながらその距離は変わって遠慮がなくなったり大事にしていたはずだったものを大事にしなくなったり不満が出てくる。

 セックスをするという行為に関する事は本質的な欲求だし、それがなければ人間は生まれてこない。生と死の間にずっと横たわるものだからこそみんなあるのにないように振る舞ったり興味津々だったりわざと厭らしい禁忌するものだったり神聖化してしまう。

 下世話なことが人は大好きだ。誰かが誰かと付き合っているとか誰々とやったとかそんなこと。


 欲望というものに突き動かされて、あるいは足止めを食らう僕(ら)の人生というものにこのところ考えることがあって、『ウルフ・オブウォールストリート』が最高に面白かったのは嘘っぱちみたいな金儲けをしてドラッグ決めてセックスしまくるっていう愚かだろうけど欲望に忠実に欲望を否定しない作品だったから。

 窪さんの『よるのふくらみ』も個人とか家族とかそういうものを描く中で「性」についてきちんと書かれているところ。欲望というものが僕たちの人生の中で形を変えながら大きく影響すること。とても読みやすいのに飲み込みづらいという作品だった。飲み込もうとするとのど元で引っかかって自分自身に問いかけてくるというか自分の欲望について考えざるえない物語だから。ほんとうにとてもやっかい。凄い作品だけど読み時期を誤ったら自滅する可能性がかなりある。僕もわりと自滅した側だから人に薦めるタイミングをかなりはからないといけない作品だと思っている。


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 映画の出演者だと主人公格と言える男女は池松壮亮(ニート)と門脇麦(女子大生)の二人。二人ともほとんどしゃべらない。池松さんは『横道世之介』で世之介の友人役やっててなんかいい顔つきの人だなって思うまであまり知らなかったけどなんか妻夫木聡ラインになっていきそうな役者さんなのかなあ、と思ったり。

 門脇さんもCMとかで見てるんdなけどそんなに気になってなかったけど今回の作品で脱いでて騎乗位で喘ぎ声出しているとかそれは当然見所なんだけど、セックスの時よりも終わった後とかセックスするまでの間の冷めてる感じの横顔なのに眼鏡の奥の瞳はまっすぐにセックスに興味あるんですよっていうこの女子大生のここにいるのそうは見えないかもしれないけど楽しいんですって言ったのがわかる表情がすごく魅力的だった。


 店員の窪塚洋介×フリーターの新井浩文の『GO』コンビが絡んだシーンで嬉しくなった人は『GO』好きにはいるだろう。そう考えると『青い春』デビューだっけ新井さんは脇役をずっとやりながらも役者として残る強さがあって今だったら邦画好きだけじゃなくてドラマとか見てる人にも認知されてるんだからやっぱり本物だったんだなあって。


 保育士とOLの女子同士のやりとりとかあいつとはやりたくねえしとか一回戦が終わった後で本音とか欲望がむきだしになってくると面白くて、ところどころで笑いも起きてたし、エロいシーンで起ったり濡れたりもする映画なんだけど裸になってむきだしになった登場人物たちの滑稽さとかそういうものを含めて笑っちゃうけどやっぱり自分も彼らとまったく変わらないと思うし、一生こういうものと付き合っていくんだなって思うと乱交パーティ行ってるのにこういう問題というかめんどくせえんだなって思っちゃったりもする。


 『SR サイタマノラッパー』のMC IKKUが童貞役で常連とするんだけど、最後の方でみんな拍手してるの見て『エヴァンゲリオン』オリジナルアニメの最終回の大塚英志のいうところの自己開発セミナーかよって思ってしまった。よかったね、みたいな拍手と認められたみたいなあの感じがなんだかすごく嫌だ。僕はあんな時に拍手されたくないししたくもない。


 窪塚くんの店員が唯一ぐらい実は外部的な要素があったんだけどあれは演劇の時にもあったんだろうか映画だから足した要素かな。でも、最後のニートと女子大生のやりとりはすごくよくて、そう現実に引き戻したナイス!な展開というか観客に夢をみさせないで夢から醒まさせるあの終わり方は僕はすごくいいと思う。古谷実の『シガテラ』ばりに現実を受け手に殴り掛かるぐらいに見せて終わるのが僕は表現としては好きだし重要だなって。


 衣着る≒生きるということ。裸で生まれてきた僕らは両親や育ててくれた人に服を与えられて大きくなっていろんなものの影響を受けていく。思想も感情も欲望も環境に左右しながら時には自分から選んで偶発的に出会って衣着ていくようになる。だからこそなにも服を纏わないで全裸でいるということは何も纏っていないということではなくむきだしになった己をさらけ出すということだ。それはやはり怖いことだし興奮もすることだろう、受け入れてくれる人がいる幸せと拒絶される哀しみがすぐ目の前にという状況だろうから。

 『愛の渦』観ながら考えたのはそういうこととかつて観たNODA・MAP『キル』と今放送中の『キルラキル』という服を巡りながらどう生きるかという問いに向かい合っている作品だったりした。


映画帰りの渋谷で大盛堂さんに寄って山本さんにオススメされてたらも本と映画で予告観て気になった『そこのみにて光輝く』買ってみた。

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↓前に観た三浦監督映画のブログエントリ

映画「ボーイズ・オン・ザ・ラン」@渋谷シネセゾン

http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20100202


↓生きる≒衣着るで思い出した『キル』について昔書いた日記を再録。

NODA・MAP 第13回公演『キル』 2008年01月11日


 5日の新年会でcharlieと仲俣さんに読んだ方がいいと言われた楳図かずお「わたしは真悟」の文庫コミックをようやく見つけたのであっただけ4巻まで購入し読んだ。3巻でタイトルの意味がわかった。

 そして、飲み会で言われていた岡崎京子作品の中で言及されていた「333のテッペンカラトビウツレ」も確認できた、そうそれは誕生の瞬間。


 「奇跡は誰にでも一度おきる だがおきたことには誰も気がつかない」


 このメッセージが第一話の扉画に書かれている。

 楳図作品は読んだことがなくて彼の絵も好きではなかったし、言われなければ読まなかったと思う、でも出会ったよ。

 縁というものはつくづく不思議なものだ。


 それもそのはずこの作品が連載されたのは82年。僕の生まれた年に連載が始まったもの、つまり僕と同年齢である。

 それにしてもこんな作品が生まれた年に連載されてたんだと思うとなんだか複雑。これは当時読んだ人にイヤでも衝撃を与えるよなあ、確かにでてくるロボットとかは今読むと古くさく感じるデザインだとしても作品のクオリティの高さといい、ストーリー展開といいなんていう壮大なテーマなんだと、とりあえず早く最後まで読みたいと思う。でも、5〜7巻探さないと。

 読み終わり後、渋谷にのんびりと歩いていく。


 東急Bunkamura・シアターコクーンにて

 NODA・MAP第13回公演「キル」

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 を観る。作・演出 野田秀樹

〜STORY〜

 羊の国(モンゴル)の洋服屋の息子テムジンは、父の憎しみを受け成長するが、父はファッション戦争に敗れ命を奪われてしまう。

 そんな父の遺志を受け継ぎ、祖先の名を冠したブランド「蒼き狼」による世界制覇の野望を抱き、羊毛の服で大草原のファッション界を制していく。

 そして、腹心・結髪の仲介で絹の国(中国)から来た娘シルクと恋に落ちるが、シルクは絹の国に連れ去られてしまう。怒ったテムジンは、祖国の羊を焼き捨て、敵国に攻め入りシルクを奪い返す。

 やがて、妻となったシルクに息子バンリが誕生し、父と同じ宿命を背負ったテムジンは、今度は自分が息子にとって代わられる恐怖に襲われるようになる。しかし、その後も外征を続け、ついに世界制覇の夢が達成するかに見えた時、西の羊(西洋)の地から、「蒼い狼」という偽ブランドが出現し、「蒼き狼」の行く手を阻む。

 その制圧に遣わしたはずのバンリは消息を絶ち、新たなデザインさえも「蒼い狼」に盗まれ追い詰められるテムジン。

 果たして「蒼い狼」は一体誰なのか? バンリなのか? 腹心の裏切りなのか? 

 愛憎が渦巻く果てに、ついに「蒼い狼」が姿を現わし、「蒼き狼」との最後の戦いが始まる・・・・・。


 この作品はNODA・MAP第1回公演が初演、第4回公演が再演、今回は10年振りの3回目になる。


 主要人物となるテムジン、シルク、結髪の三人は、

 第01回/テムジン=堤真一、シルク=羽野昌紀、結髪=渡辺いっけい

 第04回/テムジン=堤真一、シルク=深津絵里、結髪=古田新太

 第13回/テムジンー妻夫木聡、シルクー広末涼子、結髪=勝村政信


 で、妻夫木聡は今回初舞台。僕らの年代にとっては MK5(MajiでKoiする5秒前)でおなじみ、ちなみにこれは当時コギャルで流行っていたMK5(マジでキレる5秒前)のパロディとして歌手デビューもした広末涼子。

 僕らと同年代だと広末涼子が完全なるアイドルだったんだよね、で僕らの少し上の兄ちゃんぐらいの人だと内田有紀がアイドルだった。

 野田作品を生で観るのは初めて、あとは映画の専門の時に授業で「半神」のビデオを見せられたぐらいかな、途中で寝てしまったけど。

 野田作品というか野田秀樹の作品の特徴は「言葉遊び」であり、タイトルからしてもそうだけど「キル」「着る」「切る」「KILL」と意味が何個もあり、解釈できる。


 観やすい席だったので舞台全体がよくわかった。

 妻夫木・広末は役者って感じがしたし、まあ一番おいしいのは勝村さんではあるのだけど、キャラといい台詞といいポジションといい。

 最初は声小さいなとか思ったりもしたけど引き込まれていったからあんまり気にならなかったな。

 最後の方の妻夫木君の演技はなんかわかんないけどちょっと泣きそうになりました。なんかすごく濃厚な空気だったなあ。

 話の最後の終り方も好きだし、すげえなあ伏線と言葉遊びの意味。

 終わった後に演者さんみんなで頭下げるんだけど、舞台からいなくなっても拍手が鳴り止まなくて、出てきて頭下げるのを4回もしたからなあ。


 だけど、これが初めての舞台で観るんだとどうだ?

 意味わかんなくてこれから先舞台観ないかもな、あるいは舞台ってこんなに自由なんだって思いっきりハマるかなあ。

 まあ、9500円のチケ代も観る前は高けえって思ってたけど観終わった後ではその価値は充分すぎる以上にあったと思う。よかったあ、直感だけでぴあのプレリザーブで取って。

 なんせ想像力を思いっきり刺激されたから、こういうのがクリエイティブな作品だと思うんです、僕は。


 舞台が映画とドラマと違うのは空間を役者と観客が同時的に共有するってことだと思う。

 静まり返るシーンでは誰もが息を殺し、唾を飲む「ゴクッ」という音さえも会場内に響いてしまう気がする。

 そして観客は想像力を持たななければならない。 

 今回で言うと1人二役とかメイン以外の人はしてて野田秀樹さんも役者として出ているのだけど、後半は子供役だからね。テムジン(妻夫木)の。

 おっさんじゃん!とはツッコミたくてもしたら成り立たないのであって、そこに観客のイメージや想像力が一緒に空間を創り上げる。


 この舞台の想像力には正直感服です。

 全てが理解はできないしわかってない部分も多いけれど今まで観た舞台では一番好きだと言える。

 僕も言葉遊びが好きってのもデカイけどね。



 空は蒼い、その蒼さに対するように僕たちの中に流れる血は紅い。

 それは紅き海がこの体にあるということ。

 蒼と紅の狭間には羊水が溢れている。

 紅き血が止まる時、人は羊水に戻りまた蒼き空に産み落とされ、

 空は雨を降らせ、羊水の中で夢を見る、

 そしてまた地上に産み堕とされる。


 それを生命は繰返して「生きる」のだ。


 「生きる」=「衣着る」ということ。


 誰もが裸で生まれ衣服を纏い、死にゆく時には裸になって消えていく。

 その「衣」はもちろん服だけじゃない、「感情」や「思想」もだ。

 人はそれらを着ることで以前と違う自分になる、変化する、

 変幻自在な雲のように形を変える、ゆるやかにしなやかに。

 しかし強く頑固に変わろうとしないものもある。

 だが時の流れはすべてをゆっくりと飲み込んでいく。


 変わらないものなんて何ひとつとしてない。

 だから「永遠」を夢見る、羊水の中の夢だ。

 ブカブカと浮かんでいるあの感じだ、羊を数える。

 瞬間という「刹那」を積み上げる。

 積み上げるほどに「生命」は擦り減る。


 「永遠」と「刹那」の間で惑う、揺れる、踊る。


 流行りでその「衣」も衣替えするだろう、

 あるいは懐古主義になり古きものを纏うかもしれない。

 流行と衰退、様々な情報の氾濫、

 自分の価値観と資本主義の思惑、想像力を止めるな。


 耳でその景色観よう、鼻でその味を確かめよう、

 目でその音を聴こう、この肌であなたの感情を読みとろう、

 腸を引っ張りだしてその迷路を探索しよう。

 言葉は雲だ、脈略がなくても意味をなさなくても存在させれる。

 言葉は雲だ、言葉は羊水に満たされている、言葉は想像する。

 言葉が産声をあげる、そう言葉が誕生する。



 刺激的な一日だった。想像力は生きるための「衣」(ころも)だ。

 だから僕は想像する、ことをやめない、

 それを脱ぎさるのはもちろん・・・。

愛の渦

愛の渦

よるのふくらみ

よるのふくらみ

野田秀樹 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

野田秀樹 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

2011-01-23 『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 昨日読書会を終えて家に帰って今週の疲れが出たのかバッタリと寝て起きたら九時過ぎてた。読書会の帰りに次の課題書を決めるために本屋に行ったりする間で話をしてて映画の話になった。

 『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』も観たいなって思ってんだけど監督の人の話になってとかそういうのが起きて残ってたらしく、『オーズ』録画したやつ見ながら上映館と時間を検索したら一時間少しで新宿三丁目の角川シネマでやるみたいだったので家を出て新宿三丁目の末広亭の近くにある角川シネマ新宿に。初めて来たような気もしなくもないが。


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監督・瀬田なつき

出演・大政絢、染谷将太、三浦誠己、山田キヌヲ、鈴木卓爾、田畑智子、鈴木京香


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ストーリー:ある日、みーくん(染谷将太)は暴力的でわがままだけれど、かわいくて憎めない幼なじみのまーちゃん(大政絢)と再会する。二人は10年前に起きた誘拐監禁事件の被害者同士で、いまだに心に癒えない深いキズを抱えていた。不気味な連続殺人事件が世間を騒がせている中、精神科医のもとを訪れたみーくんの前に刑事が姿を現し……。


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 『桃まつりpresents kiss!/あとのまつり』の瀬田なつきがメガホンを取り、入間人間原作の累計100万部突破の人気小説映画化。かつて誘拐監禁事件の被害に遭った幼なじみの男女の、どこか壊れた愛情をシニカルにつづる。


 ラノベではかなり売れている作品らしく、読もうかどうしようかなって思いながら手を付けない作品だったので内容や設定もほぼ皆無な状態で観る。タイトルからするとセカイ系や空気系なんだろうなって思ってた。この作品の著者の入間人間さんの書籍は本屋でも何作か見ていて興味があったし。


 彼をwikiで見ると「影響を受けた作家として西尾維新、乙一、米澤穂信を挙げているほか、自身の作品同士の世界観リンクの手法に関しては上遠野浩平と伊坂幸太郎の影響である事を明かしている」というある意味ではファウスト系以後の作家であることがうかがえる。


 パンフで佐々木敦氏が書いている「西尾維新、乙一、佐藤友哉、米澤穂信などといった先行作家が切り拓いてきた『ミステリ+青春+キャラクター+トラウマ』を踏まえつつ」というのは原作を読んでないが映画でも感じられるので原作小説ではそれらが映画よりも特化されているような気がした。


 誘拐監禁事件の被害者同士であるみーくんとまーちゃんは嘘を付き、そして壊れている。みーくんは手塚治虫が描いた『アトム』のように、大塚英志が指摘するような漫画表現でいう所の死なない肉体である。それ故にキャラクター的な主人公であり、死にたくてもなぜか死ねない人である。


 まーちゃんは事件のトラウマから、彼女が耐え切れずにというか本能で自分を守る為に消した、失った記憶があり終始壊れている。

 彼女は自分を「まーちゃん」と呼ぶ人間がその誘拐監禁事件で一緒にいた「みーくん」であるという状態で彼女はそう呼ばれる事でトラウマであるその事件での唯一の自分を守ってくれた「みーくん」という存在を感じヤンデレやツンデレのように一気に甘え出す。


 名前による固有性、誰かにだけ呼ばれるその関係の中でしか彼女は安心できない、真っ暗な闇では寝れないし真っ暗にするとフラッシュバックのように恐怖が一気に駆け上って発狂したり攻撃的になってしまう。彼女はそうなってしまって誰かを傷つけても終わった後には覚えていない。

 

 「みーくん」の怪我を見ても自分がやったなんて微塵も感じてはいない「まーちゃん」がいる。その彼女はマンションに一人暮らしをしている。彼女の両親はすでにいない。そして「みーくん」が「まーちゃん」の部屋で見つけたのはこの所行方不明になっていた小学生の姉弟だった。


 同時期に起こっている連続殺人事件を追っている刑事が「みーくん」「まーちゃん」という誘拐監禁事件にあった二人に接近していくがその刑事が誘拐監禁事件で事件の後に二人に話を聞いた刑事であった。


 『ミステリ+青春+キャラクター+トラウマ』という事を踏まえればそのまんまで終わるわけもないのだけどこの作品にある痛さというか哀しみというよりは痛いって事を描いているだけに観ているとかなり痛々しい。


 西尾維新作品や乙一作品や米澤穂信作品や佐藤友哉作品を読んでいるとわりとこの作品の流れはどことなく掴めるような、腑に落ちるような感じがある。連続殺人事件の犯人とかね。


 この作品は「みーくん」と「まーちゃん」という呼び名で繋がる関係性における固有名詞と現在まで続く過去がもたらした癒されない痛みを描いている。


 「みーくん」は作中でことあるごとに『嘘だけど』という。彼がついている嘘でしか守れないものがある。そして「まーちゃん」は壊れたままだ。


 最後にまたエンドレスサマーのように始まるしかないシーンでの二人とその光景のポップさ。彼は『嘘だけど』とは言わない。


 誰かの痛みを救うため、癒すためのウソとそして虚像だとしても「本当」と「ウソ」の間にあるものが日々を進めるかもしれない。


 「まーちゃん」役の大政絢が若い頃の柴咲コウにしか見えなかったんだけどさ、柴咲コウは同学年だから彼女が『バトロワ』『GO』ぐらいの頃の十年前ぐらいな感じに似てる。まあ、主題歌とか柴咲コウで大政絢も同じスターダストプロモーション所属みたい。

 「みーくん」役の染谷将太は『パンドラの匣』で観て好きになったんだけど今作でも非常にいい味出してた。シニカルな感じがよく似合う。すごくいい役者になりそうな気がするなあ。


 ここでもwikiから転載しますが、「ファウスト系」とは「『ファウスト』によく載るような、「セカイ系とミステリと現代ファンタジーを融和させた作品」のことをファウスト系と呼ぶことがある。青春の心の停滞を怪奇等の日常から逸脱した出来事と共に書くことにより、自分の存在意義や心の在り方などといった自分探しを拡大させ自己の内面と世界を繋げさせる、といった構造が特徴的である。代表的な作家として『ファウスト』に創刊当時から参加している西尾維新や舞城王太郎、佐藤友哉などが挙げられる。」というのがすごく感じられた。現在ファンタジーな部分はあんまり少ない作品だったけど、映画はね。小説は何作も出てるからこのイメージではないのかもしれないけど。


 退屈しないで観れた作品だったし、ファウスト系も嫌いではないので僕的はいいんじゃないかなと思いますが、問題は劇場というか音響が途中からトラブり始めて役者の台詞が音割れしたりぼわッとした感じになったりして最初は演出か?とすら思ったけどそれがずっと続くと言う体たらく。終わって劇場出たらこの劇場で使える無料観賞券もらったけど。観る環境が悪いのはダメだね。それを無関係にしても85点ぐらいな印象で。


 名前と言えば呼び名で思いつくのはこの曲。


08.Salyu live in budokan. Name

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クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社文庫)

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社文庫)

夏と花火と私の死体 (集英社文庫)

夏と花火と私の死体 (集英社文庫)

さよなら妖精 (創元推理文庫)

さよなら妖精 (創元推理文庫)

フリッカー式 <鏡公彦にうってつけの殺人 > (講談社文庫)

フリッカー式 <鏡公彦にうってつけの殺人 > (講談社文庫)

2010-10-10 『Walk This Way』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

Walk This Way

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Dragon Ash / ROCK BAND

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 『めちゃイケ』のオーディションをのんびり見てた。とても不思議な事は岡村さんはいないことになっているわけでもないのにどういう病気になっているから休みと言う事を一度も言わない、言えないのかもしれないということ。

 そっちの方がやばくないか、そこまで疲弊しきるぐらいまでの状態に芸人だけど一人の人間が背負い込んでしまった場所へまた戻ってこいというのはかなり酷な話のような気もしなくもない。


↓mixiにアップしてたやつ。


中学の時イケてない僕ら』 2010年10月08日

 バイト先のミーティングと言う名の集まりに行ってきた。仕事休みの日なのに。経営してる会社がやってる代官山にある中華料理屋に。で、個室に入ったら中華丼みたいなのが置かれてて、「これ食べな」って言われて食べた。


 普通〜〜〜の味で量が多かったので腹いっぱい。で、店長とかの話とか聞いて解散。なんだろう、これ? なんかこうやって集まってみたいな家族経営的なノリが従業員の親睦をふかめて意識を高くするって事なんだろうなあ。


 マジでどうでもいい〜。


 みんないい人っぽいんだよね、僕が興味持てる感じでもないし彼らもそうなんだろうなって思う。毎月これがあると思うとけっこうしんどいなあ。

 書いてこの状況から脱出ですな。


 帰りに中目黒のドンキで祝儀袋を買った。日曜は船上結婚式に行ってきます。東京湾を回るのかな? 浜松町から船に乗って式らしいです。二重に酔って吐かなければいいんだけどなあ。


 来月も知り合いのカップルが結婚式やるので二次会におよばれ。めでたいことはいい事だ。金銭面的にはしんどいけどね、まあしょうがねえ。


 窪塚君ばりに「めでたいの〜(by 奥菜恵式の時)」精神で乗り切ろう。


 帰ってきてから『アメトーーク』スペシャル「中学の時イケてない芸人」の途中から見返してる。まあ、モテたり充実した学生時代過ごした人間は僕らみたいにねじれたりしないとは思うんですけどね。


EAST END X YURI - DA.YO.NE

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↑歌詞の途中で「なあなあ佐々木って24歳だよな?」「25だよ」って答える佐々木はライムスターの宇多丸さん。 つまり僕は中学生の時にこのシングルで宇多丸さんの声を聴いていたわけだ。


 僕は中学の時に『DA.YO.NE』聴いて彼らのシングルを何枚か買った、今思えばわりとラップに違和感ないのはこの当時の影響なのかもなあ。

 

 高校卒業する時の冊子みたいなのにアンケートとか一人一人が全員に一言みたいなのがあって、みんなが僕に何を書いたか今読み返してみたんだが数人の女子が授業中うるさかったから静かにしてほしかったと・・・・。


 そういう人間みたいです。消しゴム拾ってくれてありがとうとか机運ぶの手伝ってくれてありがとうとか、まあいいこと書いてあってもそのぐらいか。


 国語の授業の三分間スピーチがよかったとか。高校の時に死んだ小学校中学校の同級生の事を話したんだけど、内容はあんまり覚えてない。ただ、人生は運によって諸々の事が決まるのだろうと彼が死んだ時点で僕の中の価値観はその方向に定まったのでその事を話したんだと思う。


 僕が運も実力のうちというのが嫌いというか認めれないのはそういうことが要因にある。運は運、実力は実力、才能は才能と別個にありながらも混ざり合ってしまうから同じ様に見える。どんなに実力があっても才能があっても運がなければどうしようもない事が多々あると思うから。


 その事を前に読書会でなぜか夕方に始まったのに四件はしごして始発までずっと話し続けていた中でも言った記憶がある。


 運があって、自分が本来いるはずのない場所やレベルのとこに行くと最初は辛くてついて行けない。それは実力が伴わないから、でも全ての人がそういう場所に行けたりもしないし段階を踏まないと行けない場所に行ける人はいる、運によって。


 レベルを上げるには自分と同じくらいや自分よりも弱いレベルの人としてても経験値はたまらない。辛いがレベルを上げるにはそういう場所に行けてしまうのが一番てっとり早い。それは運による所が大きいと思う。


 あとはたまたまそこにいたからという理由も時としてある。


 『多重人格探偵サイコ』で漫画を書いている田島昭宇を原作者の大塚英志が最初に組んだ『摩陀羅』に彼を連れて角川関連で始めたのはなぜかと聞かれて、田島は当時デビューしたばかりだったが大塚は角川の前社長と飲みながらケンカして「じゃあ、メディアミックスして売ってみせるわ」といい『摩陀羅』が始まった。


 他者で編集者をしてた大塚はたまたまそこにいた田島を連れていき連載を始めた。連載当時は小学生(当時の僕と同年代に)に絵が僕よりヘタと言われていたが今はそんな事を田島昭宇に言える人間はいない。



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 大塚は言う。「たまたまそこに居たと言う事がどれだけ意味があることか」


 実力や才能は最低限のラインを越えてないといけないかもしれないが、そうじゃなくても始まってしまうことはある。それが運命なのかもしれない、運/命だってことが大事なんだと思う様になった。


 この「たまたまそこに居た」というので印象的なのは1976年6月4日金曜日にジョイ・ディヴィジョンのメンバーになるバーナード・サムナーとピーター・フックはバズコックスのプロモートによりマンチェスターのフリー・トレード・ホールで行われたセックス・ピストルズのライブに衝撃を受け、パンク・ロックバンドを結成することを決意。

 そのライブは観客数はわずか42人であったが、サムナーとフックのほかに、ファクトリー・レコードを設立したトニー・ウィルソン、ジョイ・ディヴィジョンやU2をプロデュースしたマーティン・ハネット、ザ・フォールのマーク・E・スミス、ザ・スミスのモリッシー、シンプリー・レッドのミック・ハックネルがいた。


 何かが始まってしまう場所にいるのが幸福な事だけとは限らないし、不幸も運んでくる。でも、そういうイメージがあるから「たまたまそこに居れる」ためにどこかに行く事は止めるべきではないんだろうな、自分の興味が向く場所に行く事で何かは引き寄せれるというのはこの数年で実感したことだった。


 中学の時にドラマからのめり込んで物語に魅せられてしまったのは僕にたいした物語がなかったのもデカクて。そういう流れの中で僕の時間は過ぎて行ってる。


H Jungle With t - Friendship 1996

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 この時浜田さん33歳って! あと五年したら僕もその年なのか。この曲も主題歌だったドラマ『竜馬におまかせ!』も好きだったな、小室さんって三十代前後の人間の思春期になにかしらの影響を与えてたりするだろう、そして栄枯盛衰ってのをリアルタイムで見せてくれた感じがするよねえ。

 

 『ほぼ日』で糸井重里さんと保坂和志さんの対談が刊行時にあった『カンバセイション・ピース。保坂和志さんの、小説を書くという冒険。』ってやつ。それの追加インタビュー


「もともと、小説家に限らず、なりにくい職業っていうのは、なりたいと思っている人はなれないと思う。何年か後に、自分はなっていると思いこめるような人しか、なれない。」


「ほんとに作家になるという人は、そういう時に、「タネを埋めたんだから、桃栗は3年でなる。柿は8年でなる。じゃあ自分は何年後になってんのか?」って、そういう思いこみが、あったりすると思う。タネを埋めたら実は自然にできるよ、ぐらいの楽観的な人だったりするんです。」


「書いていないどころか、小説も読まないという日々だったんだけど。28歳になって、「ええと、このままでいいのかな?」と思って。あのね、28って、だいたいみんなが突然、将来について考えちゃう時期なんですよ。」


「ぼくにとっての小説家の修業期間って、「書いたこと」じゃなくて、「考えつづけていたこと」なんですね。テクニックなんて、どうにかなるんです。まったく文章に親しんでいない人とか以外なら、誰でも、書く時間をたくさん使えば、それなりのものにはなるんで・・・。時間さえかければ、それなりの文章になる。そのための基盤だけを考えてたっていう。そんなことが、ぼくが20代の頃にしていたことですね。」


 僕の二十代ももうすぐ終わりに差し掛かってて、もうすぐタネが実り始めて芽吹く頃だと思っちゃう楽観的な部分は正直な所あるんですよねえ。じゃないとやってられないというのもあるんだけどね。


『GOLDEN AGE』 2010年10月05日


 二日続けて『ケイゾク』再放送みながら日記を書いてみる。まあ、単純にこの時間は家に帰ってきて風呂に浸かって飯を食べてしばしのんびり時間


SPEC 第1話予告

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 時間給の賃金労働で、1日に何台も洗車するだけど、機械で自動的に水を濡らして、タイヤの汚れを取る液体を付けて、高圧噴射のホースで下側をキレイにして、でまた全体を機械で泡の噴射して、手洗い用のモップみたいのを両手につけて車全体を洗ってまた水流して高圧して水分拭き取ってから、移動してまた全体を吹いてドアや空く部分の濡れたとこを吹いて、室内清掃してタイヤワックスして外側中側の窓を吹いてってのが洗車の流れ。


 で、僕は新人なのでだいたいは洗車の水洗いを一人でやっているんだけど、泡だらけの車を両手で洗っていると思うんですよ。


 「あ〜、今俺は風俗嬢の、ソープ嬢の気持ちが少しだけわかった気がする」と。興味ない、どちらかと言えばどうでもいい嫌いなものを真剣に金のために洗っている感じが激似だと! 相手が気持ちよくなれば、キレイになればいいのです。そういうお仕事なんです。


 ソープ嬢が相手する男性客も高級車も一緒です。マニュアル通りにやって満たしちゃえば文句は言われないで金がもらえるっていうね、ああ哀しき資本主義。


 行き帰りはのんびり歩いているんだけど、ふと思い浮かんだ。エイとセックスする話を次に書こうと思ってるんだけど、エイの性器って女性器とほぼ変わらないぐらいの感じらしいんだよね、挿入した快感が。


 友だちが電車に乗ってる時に彼の知り合いが性的感心が強すぎて、妻も子どもいるけど同性での性交をしてみたり、動物とかに走り始めて、今は「エイ」に夢中で、それは集団でエイを買って尻尾の毒の部分を切ってみんなで代わり代わりにして、最後はきちんと洗ってエイを鍋にしてみんなで食うという現実に起こっている話を聞いてそれ書こうって思って。


 わりと漁師とかずっと丘に帰らないとエイとかで小さなサメの口でオナニー代わりにするらしいんだよね、けっこう一部の地域ではポピュラーな事だったりもするらしいんだが。

 それって小説に書かれてないよなって思ったら藤谷治さんの『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』読んでたら書かれてた。でも、それはやまびこの元になった昔話があって、エイと性交をしたおじいさんの元に子どもがやってきてみたいなノリでまあ昔話お得意の隣りのじいさんが真似したら、諸々の展開でやまびこになったという話を書かれていた。


 でも、エイを集団で食うってのがすげえなって思って。これって普通に考えたら自然界ではありえないんことなんですよ。自然界ではオスとメスが性交をしてもメスがオスを殺す事はあっても逆はない。だってメスしか子孫を残せないしオスは基本的に遺伝子を残したらけっこう用済みだし。


 それをたぶんおっさんとかなんでしょうね。集団で性欲を満たして食欲を満たすって言うのが、あんまりないんだと思って。昔パリ人肉事件とかあったけどそれとは違う。


 で、それ書こうと思っててでもなんか弱いなって思って、なんかエピソード足したいなって思ってたんだが、僕がやってるような洗車のバイトをしてる男とソープ嬢が恋愛してってのをそこに絡めたら、いろんな対比ができそうかなって。


『冷たい熱帯魚』 海外版 予告編

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 ↑東京国際映画祭の特別招待作品に最初入ってたけどなくなってた。来年の公開よりも先に日本で観れる機会だと思ってたんだけど。


 こないだのロフトでやってた「若松孝二の世界〜最新作『キャタピラー』までを語る〜」がUstでもやってたけど園さんも出てて「世界中の監督は東京国際映画祭に出したくない、逃げ回ってる。作品が可哀想だから、他の国際映画祭に出せない。どこにもコンペに出せない。」「東京国際映画祭は最低な映画祭だ」と若松さんと園さんが言っていたのが原因かもしれないな。


 金曜は武道館でサカナクションだ。久しぶりに聴き直さないとなあ。さすがにアンコールで最後の曲は『ナイトフィッシングイズグッド』かな。締めは。


三日月サンセット サカナクション

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 まあ、魚繋がりと言う事で。


『サキノハカという黒い花』 2010年09月22日


Green day - Good Riddance(Time of your life live) in Montréal 2009

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 有休消化中だけども三週間ばかりプー太郎状態です。時間が余ると余るで考える事が増えてしまうのは仕方ない事だろうし、まあ余裕ぶっこいてる状態でもなくなってきました。


 あと一年半で三十代になるんだなとか考えたり、履歴書を書いたりバイト募集を見ると年齢というものは嫌でも目につきますね。

 わりと三十代になった時に何をしているのか誰といるのかどこにいるのかとか考えてみるとやるべき事はそれなりにあって、そのために何をするのかとか大事だなあと思ったり感傷的になったりしてました。


 やりたいことをして生きていたいというのは我が侭なんだと思います。だけど我が侭になれないでやりたい事も中途半端に止めて生きていくのはきっと僕には無理で、挫折するほどまだやりきってもいない。


 ほとんどの人が挫折するまで何かに打ち込んで止めて行くわけではない。挫折できるほどの何かがあった人は人として多くのものを得ているのだろうと仲俣さんが言われていて、その発言の元になった藤谷治さん『船に乗れ!』という作品を読んでそうだなと感じた。


 仲俣さんが開いたイベントでお会いした藤谷さんに作家になりたいと言ったらあと十年は書き続けろ、そしたら可能性はあるかもしれないと言われた。可能性があるというのはそれなりに残酷な事でもあり最後の希望だ。

 藤谷さんは作家としてデビューしたのが40過ぎでずっと書き続けていた人だからその言葉に重みがあった。


 今月藤谷さんが応募して新潮新人賞の最終まで残って後に小学館から出た『おがたQ、という女』を読んだ。先月はデビュー作になった『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』も読んだ。どちらも面白かった。『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』は9.11の話でもあるけどアップテンポでキャラクターも多彩で喜劇的な作風だった。


 僕が一番好きな漫画『プラネテス』の主人公のハチマキに強く感情移入してしまうのは彼がもう一人の自分と対話しているシーンが多くの何かになりたい人や希望を持つ人には一度や二度体験があるからでまるで僕自身の事の様に思えるから。僕は時折読み返してしまう、いろいろと迷ったり、自分に活を入れたい時に。


 一介のデブリ(宇宙ゴミ)拾いのハチマキは自家用宇宙船を買うという夢を持ちながら、日常に埋もれる事に迷い続けつつ、惰性もあって仕事を続けている。そんな彼を「空間喪失症」という障害が襲う。音と光の一切を断つ「感覚剥奪室」という宇宙空間適応訓練で彼はもう一人の自分と対話することになる。


「まともに話せないか だろうな 宇宙は真摯でない者を愛さないからさ」

「はっ はっ はっ だれだ はっ おまえ はっ」

「放射線の嵐の中で漂いながら感じただろ? 『くたばるかもしれない』って でも本当は 救われる気分だったろ?」

「はっ はっ」

「わかってるんだろ? 一介のデブリ拾い屋にすぎない今の自分には宇宙船を手に入れることなんてできっこないって それでも吠え続けたのはいつまでも夢の途中でいたかったからさ」

「たたかいきれないお前は ようやく今頃になって 言い訳を探し始めている この病はお前が望んだんだぜ?」

「はっ はっ うるせえ」

「地球に降りて 結婚して年とって シリウスのかがやきを見上げながら 『あの病がなければオレも今頃は・・・』 そう言い逃れる権利をお前は欲したんだ」

「はっ はっ うるせえ 黙れ」

「認めろ 受け入れて楽になって 嘘をわびるんだ 宇宙はお前を愛してはくれないが許してはくれる」

「黙れ」


 ハチマキは仲間の計らいで世界最高のエンジンに、木星行きの宇宙船に搭載される予定のエンジンを見て触ることになる。触った瞬間に彼に電流が走る。そしてまた「感覚剥奪室」でもう一人の自分と対話する。 


「落ちついているじゃないか 今日は」

「聞こう どう決断したんだ?」

「別に たいして今までとかわりないさ」

「あー いや ちょっと違うな 考えたんだ オレ あのエンジンを造ったエンジニアたちも アンタみたいなのとケンカしたことあるのかなって アンタはオレのことをウソつきだって言ってたけど・・・」

「ツィオルコフスキーもゴダードもオーベルトもフォン・ブラウンも 宇宙をのぞんだ人間はみんな はじめはウソつきだったんだよ」

「でも アンタとのケンカを一生かけてするって腹を決めたなら そいつはじきにウソつきじゃなくなるんだ」 


 二巻ではハチマキの親父が『わがままになるのが怖い奴に宇宙は拓けねェさ』という台詞を言うけど僕の中に深く刻まれている。


やってしまへやってしまへ

酒を呑みたいために尤らしい波乱を起こすやつも

じぶんだけで面白いことをしくつして

人生が砂っ原だんていふにせ教師も

いつでもきょろきょろひとと自分とくらべるやつらも

そいつらみんなをびしゃびしゃに叩きつけて

その中から卑怯な鬼どもを追ひ払へ

それらをみんな魚や豚につかせてしまへ

はがねを鍛へるやうに新らしい世代は新らしい人間を鍛へる

紺いろした山地の稜をも砕け

銀河をつかって発電所もつくれ

宮沢賢二『サキノハカといふ黒い花といっしょに』

『プラネテス』2巻より


 日曜日にやっていたフジテレビの「エチカの鏡」で死ぬ事をテーマにしていて久しぶりに嗚咽して泣いてしまった。


Bank Band (Cover of Miyuki Nakajima)/糸

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 で途中で↑がかかり部屋でひとりで号泣してしまった。


 タモリさんが人間は生まれた時に頭から足下までスッポリ段ボールをかぶってそのまま見えないままに崖に向っていると例えてた。僕のすぐ横は実は入り組んでいてそこに落ちてしまう人もいるだろうし、僕が今生きているのはたまたま落ちずに済んできただけという、そういう偶然性によって支えられている。しかも最終的には誰もが崖から落ちてしまう事は避けられないと。


 NHKドラマ『10年先も君に恋して』というドラマが面白い。10年後の夫と将来夫になる現在の恋人との奇妙な三角関係を描いた、大森美香によるオリジナル・ラブストーリーですが、10年後からやってきた夫は頼むから結婚しないでくれと彼女に頼みます。

 十年後二人の中は崩壊して離婚する方向まで悪化しているのです。そんなことを言われても今好きになっている彼との未来がそんなものに、彼がそんなに変わってしまうとは信じられないし、現在の恋人はあいつは誰だという感じで物語は進んでます。


 10年後僕は何してるんだろうなって思いながら見てます。作中の人物で言えば劇団ひとりのポジションになりたいわけですが。38歳かあ、知り合いの三十代の人を見てるとみんな若いからなあ、まあ好きな事やってる人は若いよね、やっぱり。


The Libertines - I Get Along (live at reading 2010)

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でも俺は自分の歌さえ唱えれば何とかなるんだ

連中は俺が間違ってるなんて言うけど

そんな奴らはファック・オフ!


 リバティーンズがリユニオンするような奇跡だって起きるのですから。


 そういえば中旬に新しく講談社出資100%で設立された新しい出版社の星海社の「最前線」プレオープンイベントというのに行ってきた。「星海社FICTION大賞」という賞があるので、前に何度か書いてたやつを書き上げて応募したい。


 『さようなら、ギャングたち』みたいのを今やってみたらとかなんか考えてたらそういう話が浮かんでて。自分の肩甲骨の痛さとかもあって、あとは昔本屋でバイトしてた時のお客さんですごくキレイな子で右腕の肘から下がない人を見た事があってその印象が未だに残ってる。


 その女の子をこないだ友だちとお茶してる時に見かけたんだよね。たまたまなんだけど。で新しく始まった『仮面ライダーオーズ』も右手だけの存在がいたりして、まあよくあるモチーフではあるんだけど。


 先月の終わりに仲俣さんとツイートでやりとりしてて「なんというか、君らの世代なりの『爆裂都市』(石井聰互)みたいな話を読みたいんですよ。ものすごくラジカルであるように見えて、じつは世代的な生い立ちの記憶がほのみえるような。」と言われて前からそういうものを実は作りたいと思っていたからそれをなんとか形にして応募しようと思う。


STORYWRITER スーパーカー

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 なんかめちゃくちゃマジメにふざけたいんですよね、一生。


 きちんとお金になるものを書いてそれで飯が食える様に書いて応募してなんとかわがままに生きたいと強く思う九月です。

Walk This Way(初回生産限定盤)(DVD付)

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アメトーーク! DVD 10

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Denim-ed Soul 2

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カンバセイション・ピース (新潮文庫)

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アンダンテ・モッツァレラ・チーズ (小学館文庫)

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プラネテス(1) (モーニング KC)

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アップ・ザ・ブラケット

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さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

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HIGHVISION

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2010-03-01 「天使たちのシーン」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 昨日は二月の末日、でもう三月になった。三月はなんとか踏ん張っていかないといけないので昨日は一番好きな漫画である幸村誠著「プラネテス」全四巻を読み返してた。やっぱりこの漫画を読むよテンションが上がる。


 主人公・ハチマキのオヤジが言う「わがままになるのが怖い奴に宇宙は拓けねェさ」という台詞は響いてくる。昨日の「めちゃイケ」での岡村さんの「本番ではマジメにふざける」と言う言葉、同じく作家の古川日出男さんにも聞いた事のある「まじめにふざけてますよね?」「ああ、そうだね」と笑って答えてもらったこと。このわがままになるというのとまじめにふざけるということは凄く大事なスタンスで覚悟と本気が必要になってくる。


 「プラネテス」はいつも読み返すと心の中に勢いをつけてくれる。

プラネテス(1) (モーニング KC)

プラネテス(1) (モーニング KC)

プラネテス(2) (モーニング KC)

プラネテス(2) (モーニング KC)

プラネテス(3) (モーニング KC)

プラネテス(3) (モーニング KC)

プラネテス(4) (モーニング KC)

プラネテス(4) (モーニング KC)


 三月四日には田島昭宇著「多重人格探偵サイコ」第十四巻とひらりん著「多重人格探偵サイチョコ」第四巻が出るらしい。「サイコ」ももう終盤の終盤だからあと一巻か二巻で終わるだろう。このまま「摩陀羅」シリーズみたいな終わり方だけは止めてほしい。終わったからって「摩陀羅 転生編」はしないだろうし。


小沢健二 - 天使たちのシーン (10 minutes edit)

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 「文化系トークラジオ Life」の生放送は聴けなかった。深夜にやってたのは「小沢健二とその時代」というテーマでときおりツイッター上で流れを見てた。ポッドキャスト配信まで待つしかないなあ、あと浅野いにおさんのイラストのLifeオリジナルiPhoneケース、3月3日に受付開始です。って! iPod touchでもいけるのか? 欲しいじゃないか、黒幕ナイス商品かと思ってしまうがほんとにそんなにiPhoneってそこまで普及してんのかなあ。

dogs

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2010-02-25 「Time To Pretend」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 寝て二時間少しで目が覚めたのでジムへ。トレーナーというか初日に内蔵脂肪とか筋肉量とか量った時に担当してくれた人が走るよりも前に筋トレした方が燃えやすいですよと言うので五つ程の器具で3セットずつとかしてからランニングマシーン。

 この間までは朝帰ってから暗闇の中で走っていたのだが、あまりにも寒すぎで汗が出なかったことを考えるとジムで筋トレして走る方が効率良さそうだ。なんか嘘でも脂肪が燃えてる気がしてくるから。


 走りながらフィギュア見たけど浅田真央もキム・ヨナも出ないなって思って、バイクマシンで十二時過ぎまで見て、まだ出ないんだなって思って片付けて家に帰った。風呂に入ろうとしたら浅田真央が出ててツイッターしながら見てた。すごっ!と思ったら次のキム・ヨナがもっと凄い事になってた。やっぱりライバルがいる事はしんどいけども切磋琢磨でお互いのレベルは上がるんだなあと。

 そういうのってスポーツ世界とかだと見てる方も燃えるっていうか正直他人事なので面白い、ライバルって関係を久しぶりに意識した気もする。上手い具合も女子フィギュアが盛り上がる展開だけに決戦は金曜日だっけな、テレビの前で多くの人が釘付けだなあと、僕も見るけど。


 そんな中でツイッターしながらフィギュア見ながらの途中に専門の友人からのメール。僕からすると仲間意識があるので東京も戻ってくるという旨の内容だったので嬉しかった。

 もう世間でいうとアラサーな僕らだけど、どうしようもなくやりたいことがあって、それをするのに一番東京が適しているのだから仕方ない。仲間って感じの同級生がいるのもこっちだ。友達と仲間は何が違うんだろうなあとか思うんだけど専門の同級生で未だに何かになろうとして足掻いている僕や彼や彼女達は仲間って感じだ。


 地元の高校の友達からは4月にMGMTが1日来日してライブやるから行こうと誘われたので行くことにした。

MGMT - Time To Pretend Live @ Leeds & Reading High Quality

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 で、読書タイムの時にディック「高い城の男」を読もうか、なかにし礼「世界は俺が回してる」を読もうか悩んだんだが「世界は俺が回している」にした。これはツイッターのTLで水道橋博士(@shakase)さんが紹介されていて「キラ☆キラ」のポッドキャストで「2010年2月19日(金) 水道橋博士 ペラ☆ペラ」を聴いていたらそこでも紹介されていて気になって買った。舞台がTBSラジオというかTBSだというのもデカイね。


 amazonよりコピペ:昭和三十年代、黎明期のテレビ業界に身を投じた一人の男がいた。己のセンスだけを信じ、音楽番組制作にすべてを賭けた彼の名は渡辺正文、通称「ギョロナベ」。剛腕プロデューサーはやがて、未曾有の大イベント「東京音楽祭」を成功へと導く。テレビ黄金期を駆け抜けた破天荒な男を通し、全ての日本人にエールを贈る、なかにし礼の新たな代表作。


 読んだらかなり読みやすくて第一章がすぐに終わった。豪快な人たちがいたなあというか近過去というかテレビが出始めてみたいな時代で、TBSがまだラジオ東京だったころから物語が始まる。

 主人公のギョロナベはわがままな人なんだけども、彼の周りの環境というか、甘やかして育てられた事もあるんだけども自分の好きな事とにのめり込んでいく辺りとかセンスとかを培ったのはそういう部分が大きくて、人は環境がデカイというか、それでだいぶ人間形成は決まっちゃうのだなとも思った。


 なんか今みたいにいろんなものが出そろってしまったような中でこういう豪快な人たちは世に出てこないのかもしれないが、まず育たないような気も。でも、不景気だとかなんかネガティブなことばっかりな時にかつて隆盛を極めた人の話を読むとなんか明るい感じで楽しい。なんか規範とか常識とかをぶっ飛ばしてる人だったから出来た事は多くて、人に愛されただろうし、同時に嫌われたとも思う。でも、そういう人じゃないと新しい何かは作れないんだろうな。


 新しい何かは一気にぶっ飛んで始めてしまえば嫌でもみんなが着いてくるんじゃないかなって読みながら思う。この新しいディケイドは何かを始めるのには何かが生まれるにはちょうどいいと思う。壊さなくてもすでにボロボロに壊れてるんだから。突き抜けたら先端だ。

ORACULAR SPECTACULAR

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世界は俺が回してる

世界は俺が回してる